我が家の梅が咲き始めました.果実の実用性は花の美しさに優る?  梅(2 )/ 万葉集 ももしきの,おほみやひとは,いとまあれや,うめを かざして,ここに つどへる 作者不詳

我が家の梅が咲き始めました.

もうすぐ春と告げてくれています.

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花や実を見ても.種類は私には分かりませんが,子供の頃からある樹で,多分,白加賀.いずれにせよ実梅であることは確かです.

 

梅の実と梅の花

梅は花も実も楽しめる優等生の樹木ですね.

中国から日本に渡来したことは確実.各地の弥生中頃の遺跡から,梅の遺物が発見されているとのことです.そして,魏志倭人伝の記載にウメがあるとの解読も可能(有岡俊幸 梅 Ⅰ 法政大学出版)

 

日本人は桜ほどではないにせよ,梅の花を愛でてきました.特に,万葉集では桜より梅の方が多く詠まれ,萩に次いで2番目. 梅 (1) / 万葉集 大伴家持 - yachikusakusaki's blog

ただし,奈良時代以前,近江朝(:667年からおよそ5年間)より前,花を観賞する習慣はあまりなかったようです(有岡俊幸 梅 Ⅰ 法政大学出版).

 

一方,中国では古くから梅の花を鑑賞し詩を作ってきた,と言われ,ウェブ上では実用に先立って花を観賞したとする記載まで散見されますが---.実際には中国でも梅の実の実用が花の観賞に先立っていたようです有岡俊幸 梅 Ⅰ 法政大学出版).

 

万葉時代にお手本とされた「芸文類聚(げいぶんるいしょ)

:唐代初期に作られ,唐代以前の大量の詩文や歌賦等の文学作品を保存した有名な『類書』とのこと.

「その『芸文類聚』は梅に関する数多くの文献や用例が掲げられているが.それは果実の実用に関するもので,花は注目されていない」というのがその根拠.

かなり説得力があります.

「和羹(わこう:吸物)をつくる」「塩梅(えんばい:塩と梅酢で味を調える)」「豆実(梅干しのこと)」

が「芸文類聚」が取りあげている梅の実用性です.

梅干しと梅酢ですね.現代と変わりません.

 

「中国唐代初期(『芸文類聚』編さん時代)以前には,梅といえば専らその果実の方に関心があったのであり,花を観賞し,それを表現しようとする文芸的興味はなかった」

奈良時代の日本の歌人たちも,同様で,大伴旅人以前には梅の花はほとんど詠まれていません.

「果実の実用性は,花の美しさに優る」というのは人間原初の姿?

 

実梅の種類

実梅についてみんなの趣味の園芸ウメ(実ウメ)とは - 育て方図鑑 | みんなの趣味の園芸では:

実ウメは花も実も楽しめ、育てやすく、ほとんど無農薬でつくることができるので、家庭にはぜひ欲しい果樹の一つです。ウメには花ウメと実ウメがあり、それぞれたくさんの品種がありますが、花も実も楽しむには実ウメの品種のなかから2品種くらいを選ぶのがよいでしょう。北の地方では、耐寒性の強い豊後系の品種を選ぶのが無難です。なお、地方でよくなる品種があれば、それらを選ぶのもよいでしょう。

として,主な品種の説明をしています.

他サイト梅の実/ウメ/うめ:旬の果物百科 梅 – うめ – Japanese apricot | おいしいねっと 梅(ウメ) “紅さし” 品種の特徴花ひろばオンライン

の記載も合わせて,以下,主な品種の解説です.

‘南高’ 日本で最も栽培の多い品種。花粉が多く、雌しべもしっかりしており豊産。自家不和合性。熟期は遅い。粒が大きく皮が薄く果肉が肉厚で柔らかいので、梅酒や梅干し、甘露煮など、何にでも使える万能梅です。美しい紅をさすのが特徴です。

‘古城(こじろ)’ この梅も和歌山県で多く作られています。南高梅より気持ち小さめの梅で、和歌山県那須氏が発見し命名されました。主に梅酒に向いている品種です。青梅の一級品として青いダイヤとも呼ばれ、美しく綺麗な青梅です。

‘白加賀’   関東地方で栽培が多い。花粉はないが、雌しべのしっかりした花をつけ、豊産。古城(こじろ)と同じくらいの大きさで、果肉は繊維が少なく緻密で肉厚。やや黄緑に近い色合いをしています。

‘鶯宿(おうしゅく)’ 徳島県で古くから栽培されている品種です。淡桃色の花が美しく、観賞用としても人気があります。果実は25~30g、梅酒や梅漬に向いています。

‘豊後’ アンズに近いウメで、花はピンク、開花は遅い。1品種だけでよく結実。熟果は酸味が少なく、ジャムに最適。

‘紅サシ’ 南高よりも大実で南高よりも種が小さい。果肉が多くて美味しい梅干用の品種です。ウメの産地福井県の特産品種。 樹上で赤く色づく実は美しい。耐病性が高く、結実安定し作りやすく、豊産性です。 花粉多く、1本でも結実します。

甲州最小’  小ウメ類のなかでは、開花は若干遅く、結実は安定。小梅としては他に竜峡小梅や赤い梅シロップができるパープルクイーン等.小梅としては以前は甲州最小の栽培が多かったが,竜峡小梅が急激に生産量を伸ばし,甲州最小に替わって一番多く栽培されている.

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南高梅|みなべ観光協会 白加賀梅(しらかがうめ)(青梅)産直販売 南高梅・古城梅|田辺市 青森県産豊後梅,松の梅 http://www2.tbb.t-com.ne.jp/mizuno-kajuen/ume.html

 

実梅の生産量

梅の生産量は1980年から2000年にかけて急激に増加しましたが,その後は,年ごとの変動はあるものの,余り変化していないようにみえます.

http://www.maff.go.jp/kinki/toukei/toukeikikaku/kekka-kinkihuken/pdf/kinki-20151124.pdf

 

2015年度(平成27年度)の梅生産量上位5県は次の通りで,全国の80%以上が和歌山県で生産されています.和歌山県は単位面積あたりの収穫量も他県の2倍以上.

和歌山(63,800t)群馬(5,380t)神奈川(1,770t)奈良(1,220t)福井(1,060t)

 

品種別の収穫量は分かりませんでしたが.

栽培面積のデータはありました.ベスト6(2012年)と主要主産地(全国栽培面積の50%以上を占める県)は次の通り.

https://www.naro.affrc.go.jp/publicity_report/publication/files/fruit16_Production_Japanese_Apricot.pdf

南高(5,735 和歌山)白加賀(2,384 群馬)竜峡小梅(585 長野)鶯宿(362)豊後(388)紅サシ(369 福井) [数字に単位の記載がありませんでした]

 1986年のベスト6は

白加賀,南高,甲州最小,竜峡小梅,鶯宿,小梅

でした.

南高梅は1986年から2012年の約25年の間で4倍近くと急激に栽培面積を広げてきています.

「この梅(南高)は和歌山県上南部村(現みなべ町)の高田貞楠氏が購入した‘内中梅’の60 本の実生苗の1 本で,地元の在来系統の中から優良系統を選抜するために1950 年に発足した優良品種選定委員会で選抜された品種である. 特性調査を行った南部高校にちなみ‘南高’と命名され,1965 年に名称登録された」(谷口充.「南高」誕生秘話.p.41.地域産業複合体の形成と展開-ウメ産業をめぐる新たな動向-.農林統計協会)とのことです.

梅の実が何に加工されているか,数字で示したデータは捜せませんでした.和歌山県農林水産総合技術センターの文献から,2000年には80〜90%程度が梅干しに加工されていると思われます.http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/070109/bulletin/6/6_kenhou_07.pdf

 

 梅 / 万葉集(2)

ももしき(百礒城)の,おほみやひとは,いとまあれや,うめを かざして,ここに つどへる

 ももしき(百礒城)の,大宮人(おおみやひと)は,暇(いとま)あれや,梅(うめ)をかざして,ここに集(つど)へる 作者不詳 (第10巻 1883)

ももしき(百礒城)の,大宮人は,暇あれや,梅をかざして,ここに集へる

 

▽折口信男 万葉集

御所に宮仕えしている御役人たちは,今日はお暇と見えて,梅を頭にかざして,ここに集まっていらっしゃる

斎藤茂吉 万葉秀歌

「百礒城(ももしき)の」は大宮にかかる枕詞で,百礒城即ち,多くの石を以て築いた城という意で大宮の枕詞とした.

一首の意は,

今日は御所に仕え申す人達も,お閑であろうか,梅花を挿頭(かざし)にして,此処の野に集まっておられる,というので,長閑(のどか)な光景の歌である.

「大宮人は暇あれや」の「は」は,ちょっと聞くと,お役人などというものは暇なものだろう,というように取れるが,実はそういう意味ではなく,現在大宮人の野遊を見て推量したのだから,「今日は御役人に暇があるのか」ぐらいに解釈すべきところで,奈良朝の太平豊楽を賛美する気持ちが作歌動機にあるのである.

▽伊藤 博 新版万葉集一現代語訳付き 角川ソフィア文庫

宮仕えの大宮人たちは,暇があるからだろうか,梅を髪にかざして,ここ春日野に集まって遊びに興じている.

 

(註 「ももしきの 大宮人は いとまあれや 桜かざして 今日も暮らしつ」の歌が,山部赤人の作として,新古今集に記載されている)

 

立春 暦の上で冬と春の境.この日より春になる

冬至春分のちょうど真ん中の日にあたります)

「(共に生きるとは)障害者が学校のクラスにいる,同僚や部下や上司に障害者がいる,家に帰れば,隣には障害者が住んでいると言うことだと思うんです.今はほとんどそうなっていないじゃないですか」渋谷治巳さん  朝日新聞神奈川版2017/1/29 (長すぎる付録:「節分について」)

朝日新聞2017年(平成29年)1月29日神奈川版 「共に生きる やまゆり園事件から半年  3」

の記事をそのまま記載します.

語り手は渋谷治巳(しぶやはるみ)さん.

(渋谷さんの意見については,以前,1月15日のブログでは,ご出演したNHK首都圏ネットワーク(今年1月12日放映)の内容を記事をまとめたことがあります.今回の新聞記事とは違った視点のご意見です.http://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2017/01/15/010010

 

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http://hamajiritsu.blog110.fc2.com/

 

『優しい社会』差別覆い隠す.僕らを権利と責任の主体として見てほしい

渋谷治己さん(60)一般社団法人 REAVA理事長

横浜市磯子区にある一般社団法人「REAVE(ラーバ)」の理事長,渋谷治巳(しぶやはるみ)さん(60)は脳性小児まひで全身に重い障害がある.食事や入浴など,生活全般に介助が必要だ.

15年ほど前に実家を出て,一人暮らしを始めた.年齢を重ね,「そろそろ出ないと,一人暮らしに移れなくなる」と思ったからだ.今は午後9時になるとヘルパーが帰り,翌午前7時まで自宅でひとりで過ごす.

 

やまゆり園の事件以降,「ともに生きる」という言葉がよく使われるようになった.その言葉は何を意味するのだろう.記者の問いに,渋谷さんは言った.

「障害者が学校のクラスにいる,同僚や部下や上司に障害者がいる,家に帰れば,隣には障害者が住んでいると言うことだと思うんです.今はほとんどそうなっていないじゃないですか」

 

 障害者が親元や施設を離れ,地域で暮らそうと思っても,バリアーフリー物件は極めて少ない.

「住むところも学ぶところも働くところも別.日常生活を共有できないと,お互いに理解することはできないと思うのです」

 

渋谷さんは横浜で生まれ育った.養護学校を出て19歳で施設に入った.山奥の施設の暮らしにプライバシーはなく,規則に縛られた生活.「ここで暮らして何になるんだ」.数年で実家に戻った.

やがて障害者運動と出あう.仲間らとともに自立や自己表現を目指し,1988年に作業所を作った.

実家がある保土ケ谷から磯子まで電車で通った.エレベーターの少ない時代.階段前で通行人に駅員を呼んでもらった.時には通行人も協力し,車いすをかついでもらい階段を上下した.

駅員も渋谷さんもお互いに大変だ.「こんな時間に来ないでくれ」「人手のある時間ならば」

けんかしたり譲歩したり,コミュニケーションがあった.

 

運動の成果で,駅や公共施設のバリアフリー化が進んだ.駅員とけんかすることもなくなった.

「でもそれは『ともに生きる』ことに結びつかなかった」と言う.

車いすが来ると駅員は行き先を聞き,乗る位置を決めて付き添う.ホームと車両の段差が少ない駅なら自分だけで乗ることだってできるのだ.

「すごく優しいけれど,管理です.僕が駅員の付き添いを断って事故が起きたなら自己責任だと思うんですけど,そうならない.保護するのではなく,権利と責任の主体として見てほしい

 

一見,障害者に優しい社会になった.車いすでどこにでも行ける.入店を断られることもない.一方で,新型出生前診断が広がり,染色体異常がわかった人の9割が中絶を選ぶ.事件の根っこに,優生思想が生きている.

「僕たちが社会に受け入れられたかといえばそうではない.差別が見えづらくなっているのです.障害者は存在を主張し続けなければ生きていけない.これからますますそうなっていくと思います」

(太田泉生)

 

節分

 

今日の長すぎる付録

節分について

1. 節分とは

日本国語大辞典では,

初めに「(季節の分かれ目の意)」と記され,

「①季節の変わり目.四季それぞれの季節の分かれる日.立春立夏立秋立冬の前日をさす.」

とあります.実際立冬立秋の前日を示した11世紀の使用例が添えられていました.

そして,

「②特に立春の前日.四季のうち,冬から春になる時を一年の境と考えた時期があり,大晦日と同類の年越し行事がおこなわれる.近代はこの夜,ヒイラギの枝にイワシの頭を刺したものを戸口にはさみ,節分豆と称して,煎った大豆をまいて,厄払いの行事をおこなう.」

と書かれています.

現在,節分といえば,もちろん②です.①は今でも意味としては正しいものの実際には使われていません.

2. なぜ立春の前日だけが節分として残ったのか?

これは上記日本国語大辞典にある「冬から春になる時を一年の境と考えた時期があり」で説明が付きます.

立春の前日は「一年の境」という特別な日と考えられたのですね.旧正月立春と近いため混乱も生じていたようです(神崎宣武 しきたりの日本文化 角川ソフィア文庫).

3. 節分の行事

上記日本国語大辞典

「大晦日と同類の年越し行事がおこなわれる」とあるように,現在の節分の行事は,もともとは「年越し行事」

そして,年越しの行事の原型は中国から伝わった追儺(ついな)」に基づく「節祓い(せつばらい)」(節気祓い)とのこと.

節祓いは,陰陽道の除夜行事で,そこでは,疫鬼(やっき)を退治する模擬演技「鬼やらい」が行われるそうです(神崎宣武 しきたりの日本文化 角川ソフィア文庫).

現在でも皇室では大晦日にこの追儺の儀式が行われており

  http://heiankyo.co.jp/choice/radio/sousi/03a.html にその詳細が書かれています.

ただし,追儺の行事では豆まきはしていません.

上記のウェブサイトでは

「(豆まきは)京では平安時代から始まったとされ、全国化するのは室町時代ごろからだと思われます」と書いています.鬼やらいが社寺に広まった後の節分会で豆まきが行われるようになり,そのまま,民間にも広まったようです.

4.なぜ大豆を使用するのか?
前田和美氏は「豆 」(法政大学出版局」で,「タンパク質栄養を大きく支えてきたダイズがもつ呪力,あるいは,威力への信仰があり,『潔め(きよめ)』に塩をまくことにも共通するものだと考えられる」としています.
神崎宣武氏によれば「物忌みやヒイラギ・イワシによる魔除けのまじないに比べるとより攻撃的な呪法----豆を持って邪気悪霊を打ち払うのである.ゆえに豆まきを豆打ちともいう」(しきたりの日本文化 角川ソフィア文庫)とのことです.

 

四角い姿はほぼ全国共通 / 味や風味は千差万別 : 各地に豊かで個性的な食文化を育んできた豆腐1. NHK新日本風土記 / 大豆あれこれ(2)

各地に豊かで個性的な食文化を育んできた豆腐 1

日本国産大豆の60%近くは豆腐に使われています.豆腐は日本の食卓に欠かせません.そんな豆腐がどのような思いで作られ,また,どのように日本人の日々に寄り添ってきたかのか?

NHK新日本風土記(「豆腐」2017年1月13日放送)のオムニバス項目にそって,見ていくことにします.

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新日本風土記

 

豆腐を寄せる、人を寄せる

愛知県豊田市大桑で,三年前に復活した庭先での豆腐作りの様子を伝えてくれました.この様な光景は昭和40年代まではよく見られましたとのこと.

今集落はお年寄りばかり.豆腐作りは,普段顔を合わせることも少なくなった村人の「ささやかな村祭り」.にがりが豆腐を寄せるように,人の輪ができました.青大豆?「新日本風土記」をみて--yachikusakusaki's 

 

海からの贈り物

もうひとつ,昔ながらの豆腐作りが生きている場所,沖縄県宮古島の石嶺豆腐.

毎週日曜日,満潮の時をねらって海に向かう山村日出夫さんと妻の洋子さん.欲しいのは海の水.

昔から沖縄では豆腐を固めるのににがりではなく海水を使ってきました.

しかし,今は海の水の汚れが進み,このやり方は宮古島など僅か.

「あがってくるときの豆乳の匂いって,なんか好きだなって思う.やっぱ,私は豆腐を作りたいなって思う」

豆乳が煮たって落ち着いたところで,くんできた海水を入れます.にがりと同じ成分塩化マグネシウムが含まれています.海水を使うとにがりに比べてゆっくりと固まります.にがりにはないミネラルがほのかな塩味と甘みを付け加えます.

おぼろ状に固まったものを型枠に.ぐいぐいと圧力を加え,水分を抜いて押し固めます.こうして島豆腐ならではのしっかりした食感が生まれます.

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できたて島豆腐、ゆし豆腐があったか美味しい!【PR】|沖縄CLIP

 

大豆を極める

京都祇園の八坂神社.江戸時代評判の豆腐料理の店がありました.境内で競い合った二つの店.

その内の一つ「二軒茶屋 中村楼」が今も営業を続けています.

木の芽を混ぜた白味噌を塗って焼きあげた豆腐田楽「祇園豆腐」. にっぽん食 探見(京都新聞 江戸食文化紀行-江戸の美味探訪- no.8「豆腐田楽」

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今も変わらず豆腐作りが盛んな京都.味の決め手は水.

そんな京都で新しい豆腐作りに挑んできた人がいます.西京極にある創業35年の店(久在屋),店主の東田和久さん.

最もこだわっているのが大豆.「滋賀県,富山,宮城,北海道,新潟----」

東田さんが創業した35年前,京豆腐でも輸入大豆を使うのが当たり前.豆腐組合の長老に聞いたところ「国産大豆が6割,輸入大豆が4割,澄まし粉で固めるんや」と.

差別化するときにどうしたらいいか?

東田さんが選んだのは国産大豆だけを使い,香りが引き立ち,しっかりと味のある豆腐.

品種や産地毎に異なる個性を見極めながらの豆腐づくり.豆乳の炊き方やにがりの合わせ方など,試行錯誤を繰り返してきました.

風味の強い食材に合わせても引けをとらない存在感,味にうるさい料理人をうならせている東田さんの豆腐.でも目指しているにはそのまま何も手を加えなくても十分に美味しい豆腐です.

「湯豆腐屋さんは何を味わって欲しいのかってなったら,豆腐ではないんですよね,湯豆腐に使うだしを味わって欲しい.『あんたとこの豆腐は味ありすぎんねん』って」

理想の豆腐へはまだ道半ば.美味しい豆腐を求める旅が続きます.

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【公式】京の地豆腐「久在屋」 - 京都の地豆腐 - 京の地豆腐「久在屋」

 

石豆腐

東祖谷.独特の豆腐が伝えられています.どっしりとした重量感.「石豆腐」と呼ばれています.

東祖谷で豆腐を作り続けて70年になる豆腐屋さん

 ぎゅうぎゅうと箱に詰めても壊れない堅さ.「入れて30年にもなる,これ入れれんかったら豆腐屋止めた方がましかなと思って」と宮西純子さん(吉田屋豆腐店).

 (岩豆腐の製法は、いわゆる木綿豆腐の製法。今では27年前に導入した豆乳プラント,水切り器などによって作業はほぼ機械化.その過程の中でも手作業の部分となる、にがり入れる分量やタイミング、水切りの程度などによって硬い岩豆腐になるのだそうです.「岩豆腐」《徳島》 | ウエブマガジン四国大陸 )

石豆腐が堅くなったのは,失敗して貴重な大豆を無駄にしないようににがりをたくさん入れたためともいいます.堅く水分の少ない石豆腐は傷みにくく,日持ちし,頻繁には豆腐づくりができない中,石豆腐は重宝されてきました.祖谷ではタンパク質が凝縮した石豆腐は,長い間なくてはならない栄養源でした.

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 「岩豆腐」《徳島》 | ウエブマガジン四国大陸 

 

菜豆腐

宮崎県椎葉村ここにも山村の厳しい暮らしから生まれた豆腐があります.その豆腐づくりに欠かせない大切なもの.急峻な斜面に切り開いた畑に向かいます.「これが平家かぶ菜」椎名伝統の豆腐の技を受け継ぐ清田アヤメさん.

畑で採ってきた平家かぶ菜をそのまま豆乳が煮える釜の中へ.できあがったのは「菜豆腐

「冠婚葬祭の時は白い豆腐をお客さん用にして菜っ葉の入っとるのは,親戚とか身寄りの人たちがお茶請けに」

平家菜を入れるのは大豆の節約のためでした.大豆の種がまけるのは山を焼いて4年目.ようやくできた大豆も,味噌や醤油に使われて,豆腐に回せるのは僅かでした.

(番組で放映された菜豆腐は下の写真より平家かぶの量が何倍も多いものでした)

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椎葉 菜豆腐 | 九州の味とともに 春 | 霧島酒造株式会社 買う / 椎葉村観光協会

 

番組ナレーション(松たか子

「夏は冷たく,冬暖かく,変幻自在の白い奴.老いにも若きにも,しなやかにたおやかに.ああ,かく生きてみたい」

(以下続く 予定)

 

大豆あれこれ(2)

大豆食品と東アジア食文化

「大豆を原料とした各種の食品が発達したことは,東アジアの食文化の特徴の一つ石毛)とのこと.

豆腐,納豆などの日常的副食品から,味噌,醤油などの調味料も大豆から作られています.「肉や乳製品が欠如していた日本の伝統的な食生活においては,ダイズ食品が蛋白質の重要な補給源(石毛)」となってきました.

 

豆腐の起源

漢王朝劉邦の孫が豆腐を発明したという中国の伝説があるそうですが,

「中国の文献に豆腐の文字が現れるのは9世紀末から10世紀初頭(石毛,原田)」とのこと.

その少し以前の唐代の中頃(8〜9世紀)チーズ状の食品「乳腐」にヒントを得て,中国で豆腐が発明された(石毛,原田)と推測されています.

なお,豆腐の「腐」は腐るという意味ではなく,乳製品の胡語に対する当て字でブルンブルンという意(石毛),もしくは大豆を水に入れてふやかす意(前田).もし,豆腐の原型が乳腐とすると,ブルンブルン説が,正しいように思われますね.

 

大豆食品は,殺生戒を守ろうとした中国の精進料理で重要な役割を果たし,中でも豆腐はその発展に最大の寄与をしたと考えられています(原田)

原田氏はさらに次のように記しています.

「豆腐は良質な蛋白質を含み.味付けも自由であることから,独特の味覚が得られる」

「しかも,豆乳・湯葉・油揚げなど,いわば二次的食品の利用により,植物性の食材で多彩な味の世界をつくりだすことが可能となった」

「こうした新しい精進料理の体型が,中国の唐代から宋代にかけての禅宗寺院で確立され,これが日本に伝えられることになる」

 

日本への豆腐の伝播

日本で初めて豆腐が記載されたのは1183年の神職の日記(「唐符」と記載)で,その後,中世,最も豆腐が食べられたのは仏教寺院,特に禅宗寺院とのことです(原田,前田,石毛)

江戸時代初頭,豆腐は高級食品で,農民の自家製造が禁じられたこともあるとのこと.

しかし,江戸の中頃には都市部には多数の豆腐店が出現し,一般的な食べ物に.そして,料理本豆腐百珍』シリーズも刊行.

一方,豆腐屋のない農村部では豆腐料理はハレの日のたべものとみなされていたそうです.(以上,石毛による)

 

参考文献・ウェブサイト 

「日本人は何を食べてきたか」(原田信男,角川ソフィア文庫)  「日本の食文化」(石毛直道岩波書店)  「ものと人間の文化史 豆」(前田知美 法政大学出版局)  日本豆類協会  豆類協会 mame.or.jp  全国豆腐連合会 豆腐のことなら全豆連

 

青大豆? 先日購入.でも,それまで全く知らず.NHK「新日本風土記」をみても,多くの地域で食べられてきたよう--.+ 豆の花/大豆あれこれ(1) - yachikusakusaki's blog

 

四角い姿はほぼ全国共通 / 味や風味は千差万別 : 各地に豊かで個性的な食文化を育んできた豆腐1. NHK新日本風土記 / 大豆あれこれ(2) - yachikusakusaki's blog

 

夏は冷たく,冬暖かく,変幻自在の白い奴.老いにも若きにも,しなやかにたおやかに.各地に豊かで個性的な食文化を育んできた豆腐2. NHK新日本風土記 / 大豆あれこれ(3)豆腐の作り方 - yachikusakusaki's blog

 

大阪:「豆腐百珍」を生んだ食い倒れのまち,が育てる豆腐の味 各地に豊かで個性的な食文化を育んできた豆腐3. NHK新日本風土記 / 料理書・料理本の歴史と「豆腐百珍」 - yachikusakusaki's blog

 

「障害がある人とない人,見守る人と背ける人,容疑者と私,その違いとは一体なんなのか?19のひとつひとつきらめく魂に,『あなたは一体どういう人として生きていくの?』と問いかけられている気がします」 “『19のいのち』寄せられた思い” NHK総合首都圏ネットワーク

『19のいのち』寄せられた思い

1月30日(月)NHK総合  午後6時10分~ 午後6時52分 首都圏ネットワーク

首都圏ネットワーク - NHK

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先週私たちは,相模原市知的障害者施設津久井やまゆり園で起きた殺傷事件で亡くなった19人の方々の人柄やエピソードを,こちらのウェブサイト19のいのち -障害者殺傷事件- TOP | NHKオンラインで紹介し,「19のいのち」としてお伝えしました.

www.nhk.or.jp

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そうしたところ,亡くなった方々やその家族などへ多くのメッセージを頂きました.150通余りにのぼっています.

 

大阪府の40代の女性の方からです.

「このサイトで被害者の方々のエピソードを読むと,一人一人が確かに生きてというぬくもりを感じて,胸が熱くなりました.同時に,もう19人全員が,この世界にいないという現実を感じて,悲しくなりました」

 

障害のある方々からも,多くのメッセージを頂きました.

脳出血で半身マヒとなった30代の男性です.

「財布にお金をしまうのも,手のマヒによって大変で,お店のレジが込んでいるとききっとジャマに思われているだろうと思い,とてもみじめで暗い気持ちになります.しかし,亡くなった方のエピソードをみて,家族と共に過ごしたり,歌ったり,葉っぱで遊んだり,缶コーヒーを飲んだり,本当に小さな事で,人は幸せになれると思います.それは障害のあるなしに関係なく,誰でも共感できるはずです」

 

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障害のある家族がいる方からも,多くの声を頂きました.

長崎県の40代の女性からです.

「うちの次男は発達障害を持って生まれてきました.見た目は普通の青年ですが,強いこだわりなど,生きにくい社会を日々生きていくだけに必死です」

そして,容疑者の障害者を否定する言葉について,

「容疑者に言いたい.この世の中,いつ自分が重度障害になるか分からないんだよ.いとおしいわが子が障害を持って生まれてくるかもしれない.大切な両親が,兄弟が,最愛の妻が,-----.あなたには想像力はありますか?」

 

一方で,こうした声もありました.

福岡県の40代の女性です.

知的障害の息子との毎日は,彼を産み育てる母としての存在意義を問い続ける日々でした.社会的に理解されがたい息子の行動に,『理解して』という気持ちと,その思いの届かない日々の連続で,どうしたらよいか分からなくなりました.この事件は,起こるべくして起きたとも思います.誰の心の中にも容疑者のような思想は少なからずある.私自身の中にもあるかもしれません.息子を育てていなければ,容疑者の発言に疑問も抱かなかったかもしれません」

 

さらに,自らの生き方を改めて問いかけるメッセージも少なくありません.

30代の女性は,

「障害がある人とない人,見守る人と背ける人,容疑者と私,その違いとは一体なんなのか?19のひとつひとつきらめく魂に,『あなたは一体どういう人として生きていくの?』と問いかけられている気がします」

 

19の命に寄せられたメッセージをお伝えしました.

青大豆? 先日購入.でも,それまで全く知らず.NHK「新日本風土記」をみても,多くの地域で食べられてきたよう--.+ 豆の花/大豆あれこれ(1)

3種類の大豆

先日,「こうじいらず」という大豆を,購入しました

売れ残っていたものを買い求めたのですが---.あまり見たことがない薄い緑色.一緒にいた方は「乾燥しているみたいだけれど,未熟なのでは?」と言っていましたが,枝豆には見えません.

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知らなかったのは,少なくとも私だけでなくもう一人いることはわかりましたが---

 

「青大豆 こうじいらず」で検索してみると

例えば味噌のの商品説明では http://www.daikeimiso.com/item.htm

「----甘もっくらと言う表現になるこの『こうじいらず大豆』は他の大豆とは異次元な旨さ。麹が無くとも味噌になる程甘くて旨いという所からそう呼ばれている、 信州東信地区の一部でしか栽培されていない特大粒の在来種です。----」

楽天サイトにもhttp://item.rakuten.co.jp/suzuya-rice/c/0000000633/

「こうじいらずは白目で薄青の大豆です。----味噌のほかにも、甘みを活かして豆乳や豆腐にしてみても良いでしょう」とあり,大豆出し汁けんちん汁のレシピも.

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「青大豆」については "青大豆,レシピ"でもたくさん検索できます.

やはり青大豆を知らなかったのは私と一緒にいた方のみ?各地域で古くから栽培・利用されてきていたことは確か.

 

NHK新日本風土記「豆腐」(放送日:2017年1月13日)の冒頭を少しだけ再録してみます. 新日本風土記

"豆腐を寄せる、人を寄せる"

懐かしい原風景をまずご覧にただきましょう.

愛知県豊田市大桑.庭先での豆腐作りは,昭和40年代まではよく見られました

今日は昔ながらのやり方で豆腐を作ることになりました.何十年かぶりに蔵から引っ張り出してきた石臼ですりつぶします.----

かつて農村では,豆腐はごちそうでした.口にすることができるのは,盆,暮れ,正月と,冠婚葬祭の時ぐらい,年末になると,どの家でも豆腐作りに励みました.

すりつぶした大豆を越してできるのが豆乳.その豆乳を固め,できを決めるのが,これ,にがり(苦汁)です.

「混ぜるものは」「ひしゃく!」

「寄ってきた寄ってきた」

どうやらうまく寄ったようです.

「豆腐作りで一番面白いのは,やっぱり,にがりを入れるとき.よし,ここだっていうときに,ちょちょちょって入れてもう一人の相棒が見とっちゃ,寄らんよ寄らんよなんちゅうと,ちょっとドキドキ心配しだすな.そんな心配せんで,見とれ見とれ見とれちゅうと,わーきたきたきたちゅうともう安心ね」

 青大豆の色が美しい,木綿豆腐の出来上がりです.

「カチカチでもないな」「やっぱりうまい.昔の豆腐の味がして」

大桑集落で皆が集まって,昔ながらの豆腐作りを始めたのは3年前のこと.今集落はお年寄りばかり.豆腐作りはささやかな村祭りです.

(なにか)あって集まらにゃ,みんなの顔を見るっちゅうことがないもん.3日も4日も誰ともしゃべらん時があるの.誰か来てくれたときにしゃべって3日目にしゃべったなちゅう.そのくらいのことだに」

にがりが豆腐を寄せるように,人の輪ができました.

 

日本豆類協会

のサイトは驚くほど広範囲な豆情報を掲載しています!画像も豊富.

豆類協会 mame.or.jp 豆フォトギャラリー 豆類協会 mame.or.jp

HOME > 豆の種類 > 豆の種類別特徴 > 大豆 http://www.mame.or.jp/syurui/syurui_15.html には以下のような解説が

一般的なものは種皮が黄白色~黄色の「黄大豆」

他に淡黄緑色~濃緑色の「青大豆」

黒色で一般に「黒豆」と呼ばれる「黒大豆」などがあります。

それぞれの主な用途は、「黄大豆」は食品一般、「青大豆」はきな粉や煮豆、「黒大豆」は煮豆などです。

豆フォトギャラリー 豆類協会 mame.or.jp

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こうじいらずは確かにやや白っぽい青豆.豆の子実(乾燥豆) 豆類協会 mame.or.jp

ある青大豆販売サイト青大豆のご紹介です。豆専門店がおすすめする青大豆(青豆)では,以下の内容の記事がありました.

・ 普通の大豆より食感も甘みも違う.「青大豆ご飯」にしてみるとその違いがはっきりと分かります.

・ はっきりと豆の味を知りたい方は「青大豆豆乳」を.エグ味がなく、豆の甘みがストレートに.

・ 栄養成分ではこんなにも違います。脂肪が少ない!

ほんとでしょうか?特に栄養成分については,青大豆全般に言えることなのかどうかは??

---日本食品成分表に青大豆全粒の成分は載っていません.でも,青大豆炒り豆の成分はほとんど変わらず,青大豆きな粉でほんの少しだけ脂肪が少ないという数字が掲載されていました.栄養成分はほとんど変わらないのが一般的といってよいでしょう

 

「マメ」の花

3種類の大豆は,色は違っても

花の色・形は同じ(豆特有の形で"蝶形花冠"とよばれるらしい.確かに蝶々に見えます)豆の花 豆類協会 mame.or.jp

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ちょっと寄り道して豆全般の花を集めてみました--.食べられている豆の種類の多さには改めてビックリです.その内いくつかを見て下さい.

形はほぼ同じでも,色は様々なようですね.

豆の子実(乾燥豆) 豆類協会 mame.or.jp 豆の花 豆類協会 mame.or.jp

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赤エンドウメイプル,バージニア型落花生は色鮮やか!

 

大豆あれこれ(1)

前述したとおり,  a.日本豆類協会のサイト豆類協会 mame.or.jp はマメ全般についてと手も詳しい説明をしてくれています.また,b.農水省のサイト大豆のホームページ:農林水産省 も,基本データ等かなり充実しています.そして,最近出版された c.「ものと人間の文化史 "豆"前田知美 法政大学出版局.こられを中心に引用しながら,ちょっと気になることを思いつくまま書いていくつもり.

今回は大豆の自給率等と大豆の伝播について調べてみました.

大豆自給率 大豆のまめ知識:農林水産省

平成25年の大豆の自給率は6%だそうです.ただし、サラダ油などの原料となる油糧用を除いて食品用に限ると、自給率は21%

「国産大豆は、多い順に

(1)豆腐(58%)、(2)納豆(14%)、(3)味噌醤油(10%)、(4)煮豆惣菜(9%) に使われています。(平成24年)」

とのこと.

生産量27年度では

(1)北海道,(2)宮城,(3)佐賀,(4)秋田,(5)福岡,

 生産額26年度では

(1)北海道, (2)兵庫,(3)佐賀,(4)福岡,(5)愛知」

主な品種フクユタカ、エンレイ、ユキホマレ、リュウホウ、タチナガハの順(25年度).これらの品種はいずれも主に豆腐、煮豆用.

 納豆用で作付面積が多いのは、スズマル(北海道)と納豆小粒(関東)」

 

輸入先

全体:「平成25年(1~12月)の実績では、(1)アメリカ(166万トン)、(2)ブラジル(65万トン)、(3)カナダ(38万トン)、(4)中国(4万トン)

食用大豆:アメリカ、カナダ、中国からの輸入がほとんどで、全体の輸入量は70万トン程度」「豆腐用としては主にアメリカのnon-GMO大豆が使われています」

 GMO (genetically modified organism)=遺伝子組み換え作物(生物)

「近年、アメリカでGMO大豆の生産が拡大しましたが、国内の消費者から敬遠されたことから、non-GMO大豆の分別流通が短期間に進展しました」との記載も.

アメリカでもGMOは敬遠されてきているのは初耳.

 

大豆利用の歴史1 概要

 大豆 豆類協会 mame.or.jp には次の記事が.

「大豆は、中国では米、麦、粟、黍(きび)又は稗(ひえ)とともに五穀の一つとして数千年も前から栽培されてきました。

朝鮮半島を経由して日本に伝わるのは、弥生時代初期(後述:縄文の可能性)みられています。当時の食べ方は、煮豆や炒り豆が主だったようで、味噌や醤油の前身である穀醤(こくびしお)として利用され始めるのは奈良時代に入ってからです。また、国内で広く栽培されるようになるのは鎌倉時代以降です。

なお、豆粒がはるかに大きいそらまめ等を差し置いて「大豆」と呼ばれるのは不思議な気もしますが、当時は単に「豆(まめ)」と言えば大豆のことを指すほど重要視されていたため、「大いなる豆」、「大切な豆」との意味でこのような表記になったと言われています。一方、英名の"soybean"は、醤油(英語でsoy)の原料であることに由来しています」

・「ものと人間の文化史シリーズ "豆"」にはとても詳しい記述があります.まだ読み込んではいませんが,例えば,大豆は縄文時代から栽培されていた可能性が高いようです.詳細はまた次の機会に.

・ 大豆の名前の由来については,確定していないようで,日本国語大辞典は全く取りあげていませんでした.一方,soybeanについては,ランダムハウス英語辞典(小学館)で「◇日本語から借用された英語」と書かれていました.大豆は日本からヨーロッパに伝わった!

ものと人間の文化"豆"」によると,

日葡(ポルトガル)辞典(1603年)に「大豆・味噌・醤油」が記載されてはいるものの,大豆が植物・食品として知られたのは,エンゲルベルト・ケンペル(ドイツの医師・博物学者)が「奇跡の植物ダイズ」を欧州に紹介しようと試みた後であるとのこと(遺稿"日本誌"が出版されたのが1727年:Wikipedia).そして,分類学者リンネがダイズをはじめて記載したのが1737年,初めて栽培されたのは1739年パリ植物園だそうです.

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四角い姿はほぼ全国共通 / 味や風味は千差万別 : 各地に豊かで個性的な食文化を育んできた豆腐1. NHK新日本風土記 / 大豆あれこれ(2) - yachikusakusaki's blog

 

夏は冷たく,冬暖かく,変幻自在の白い奴.老いにも若きにも,しなやかにたおやかに.各地に豊かで個性的な食文化を育んできた豆腐2. NHK新日本風土記 / 大豆あれこれ(3)豆腐の作り方 - yachikusakusaki's blog

 

大阪:「豆腐百珍」を生んだ食い倒れのまち,が育てる豆腐の味 各地に豊かで個性的な食文化を育んできた豆腐3. NHK新日本風土記 / 料理書・料理本の歴史と「豆腐百珍」 - yachikusakusaki's blog

 

「個々に理性が求められ, 社会的には法的な規範など,社会的なシステムとしてこれ(優生思想的発言)を抑制する仕組みがつくられているのです. 個々にも社会的にも,絶えず戒めあうことが重要です」藤井克徳さん ''日本社会のあり方を根本から問い,犠牲者に報いるために''(4)  (生きたかった 相模原障害者殺傷事件が問いかけるもの 大月書店)より

日本社会のあり方を根本から問い,犠牲者に報いるために. 藤井克徳 ( 4 )

(生きたかった 相模原障害者殺傷事件が問いかけるもの 大月書店)より

 

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現代の日本社会を投影した事件 障害当事者の声

「この事件は現代日本社会の投影であり,障害者問題の縮図」「これまで感じたことのない怖さ」「自分達(障害当事者)に刃先が向けられている感じ」「これでまた精神疾患者への偏見が増すのではないか」藤井克徳さん ''日本社会のあり方を根本から問い,犠牲者に報いるために''(1) (生きたかった 相模原障害者殺傷事件が問いかけるもの 大月書店)より - yachikusakusaki's blog

死後まで続く差別 普通の感覚ではありえないこと

「事件後の対応や関連する動きがあまりに不可解」「本質的な問題を内包しているように思います.あのような大事件で被害者の実名を伏せるということは,社会通念としてありえないのではないでしょうか」「こうしたあつかいは,死んでからも続く差別と言っていいのではないでしょうか」藤井克徳さん ''日本社会のあり方を根本から問い,犠牲者に報いるために''(2) (生きたかった 相模原障害者殺傷事件が問いかけるもの 大月書店)より - yachikusakusaki's blog

重なったナチス・ドイツのT4作戦

「(事件に分け入って)まず第一に,この事件にかかわる問題として,優生思想の観点を挙げたい」」藤井克徳さん ''日本社会のあり方を根本から問い,犠牲者に報いるために''(3) (生きたかった 相模原障害者殺傷事件が問いかけるもの 大月書店)より - yachikusakusaki's blog

 

後を絶たない為政者の優生思想的発言

たとえば

兵庫県では1966年から74年にかけて「不幸な子どもの生まれない県民運動」が県主導でおこなわれ,

2007年4月には,愛知県の神田真秋知事(当時)が職員の新任者教育のなかで「いい遺伝子・悪い遺伝子」と発言しています.

また,2009年11月には鹿児島県阿久根市竹原信一市長(当時)が,「高度医療のおかげで,以前は自然に淘汰された機能障害を持った者を生き残らせている」と述べています.

有名なところでは1999年9月,石原慎太郎氏が都知事在職時に,重度心身障害者施設の都立府中療育センターを訪れた際,「ああいう人たちには人格があるのかね」と言いました.

さらに記憶に新しいのは,昨年(2015年)11月に茨城県教育委員会の委員であった長谷川智恵子氏が「妊娠初期に(障害が)わかるようにできないか」「県では(障害者を)減らしていく方向にできればいい」と発言するなど,

公人による優生思想と関連した発言は後を絶ちません.

 

植松容疑者の言動は絶対に容認できませんが,一方で,彼にような思想を生んだ社会の土壌にも目を向けなければなりません.

法案の上程にまでは至っていませんが,国会などでは尊厳死の問題も議論されています.ここでは尊厳死と重度障害の関係がグレーゾーンになっています.

最近では出生前診断の受診率が上昇し,異常とわかった人の大半が妊娠中絶をしているとの報があります.

 

これらは優生思想と同根とみるべきであり,もっと言うと,私たち一人ひとりに備わるものかもしれません.

だからこそ,

個々に理性が求められ,

社会的には法的な規範など,社会的なシステムとしてこれを抑制する仕組みがつくられているのです.

個々にも社会的にも,絶えず戒めあうことが重要です.

 

 

鶏始乳(にわとりはじめてにゅうす にわとりはじめてとやにつく)ニワトリが卵を産み始める頃

 

 

神戸元町ユーハイム〜ジャズ喫茶〜シネリーブル「この世界の片隅で」:片淵監督「『普段見せている姿や喋っていることがすべてではない』という肉体を伴った存在感を醸し出せる人"のん"

月一の神戸行き.

仕事は昼に終わったので,元町へ.

帰りの新幹線にちょうど間に合う時間帯に「この世界の片隅で」(広島住まいのTから薦められた映画)の上映があることがわかり,普段なかなか時間がとれない中,チャンスとばかりに.

ハーバーランドから地下道を通って,上りエスカレーターで神戸駅へ.

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JR元町駅到着.一駅です.

三ノ宮寄りの出口を出ると,駅前の花壇はきれいに整備されています.あまり見る人はいないようですが,あるとないとでは大違いでしょう.スポンサー募集の看板が立っていました.

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横断歩道を渡って,元町通りへ.

大丸へ行く広い通りの一つ横の筋.元町通りへ出ると正面がユーハイム本店.日本初のバームクーヘン製造で有名です.

この本店だけの特製バームクーヘンが店頭に飾ってあります.お持ち帰り用には,プロの方が,一枚一枚その場でカットしてくれます(店の中で食べると普通の切り方ですが).

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こんなように,厚いところ薄いところがある形

様々な食感を楽しめます.

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少し時間があったので,以前何回か立ち寄ったOld-fashioned Jazz 喫茶へ.

元町駅方向に少し戻って,右折(元町駅からだと,元町通り方面への先ほどの道で初めの路地を左折).右側の古いビルの地下.古いお店はどんどんなくなっていくのに,まだ維持していてくれて嬉しかったですね.

LP盤を大きなステレオスピーカーで大音響で奏でてくれます.以前の通りウィンナコーヒーを頼んで,小休止.私が入ったときはセルジオ・メンデスのアルバムがかかっていました.

トイレも楽しい茶店です.おしゃべりしたい人は止めた方が良いですけれど.

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喫茶店を出て,今度は大丸方面へ.

(朝ドラ「べっぴんさん」に出てくる大急の片割れ?かと思っていたら,べっぴんさんのモデル「ファミリア」を売り出した百貨店は阪急でこの大丸ではないとのこと.

  #09 神戸から大阪へ築く全国展開の礎 | familiar ファミリア 公式サイト

でも大急なんて大丸と阪急をくっつけた名前をなぜ付けたのでしょう?NHKは.)

神戸元町大丸は旧居留地にあるなかなか品格が感じられる建物です.神戸の南京町は元町通りから二つ海側の通りで,入り口まで行って写真だけ撮りました.)

 

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 今日の目的地シネ・リーブル神戸は大丸から市役所方面へ行く通りの二つ目のビル後かです.神戸朝日ホールと同じ建物「神戸朝日ビル」.

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「 この世界の片隅で」は11月からのロングラン.

満席でした!評判通り.そして,能年玲奈改め「のん」,お帰りなさい.

観客の3割の人が買って帰るという評判のプログラムを買って,三ノ宮駅から帰途へ.

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最後にプログラムから,

片渕須直監督「『浦野すず』という少女が自分を取り戻していく物語です」から,のんさん に関わる部分抜粋とウェブ上の映画評等をつけ加えます.

片渕

----

「だから,この作品は,すずさんが子供であるという魂を持ったまま,どういうふうに大人になっていくかという話なのだという解釈がふたり(片淵&のん)の間で一致して(のん)『すごく今ので腑に落ちました.だったら私は,この場面を演じられます』と,-----」

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「原作を読んだときに,すずさんみたいな人の上に爆弾が降ってくるようなことが可哀想で可哀想で仕方なかったんですよで,その時に,これを絵空事じゃないものにしたいと強烈に思ったんです.一番大事なことは,すずさんという人が本当にいる人なんだと,僕ら作り手が完全に信じきって作らないといけないと.

だから,それを実現するための手立てが,これまで話してきたように,第一には時代や風土を徹底的に考証して背景やシーンに落とし込むということであったし,第二にはこれまでの日本のアニメーションとは違う動かし方で,自然な日常感を出すということだった.

そして第三の柱に,やはり内面にすずさんと共通しているものを持っている役者さんに,すずさんを演じてもらうことが必要だと思っていました.普段は飄々としていて,舌っ足らずなたどたどしさがあって,内気で言葉少なだけど,でも内面には様々なものを抱えていて,いざスイッチが入ると,すごく情熱的なところも出てくる.そういう,「普段見せている姿や喋っていることがすべてではない」という肉体を伴った存在感を醸し出せる人.

なのですずさん役の声優さんについては,ギリギリまでオーディションをやっていたんですが,この特別な目標設定にハマる役者さんがどうしても見つからなかった」

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—まさに,のんさんは「すずさんを,“実在”化する」というこの映画のミッションにおいて,最後のピースだったんですね.

片渕

「そのことは収録プロセス自体を通じても強く実感しました.当初の試行錯誤の中で,彼女が『すずさんに気持ちは表面的には読み取れるけど,彼女の中にある痛みって何ですか?そういうのがあれば教えて下さい』と聞いてきたのですよ.それに対して僕は,『すずさんは,自分の中身は空っぽであることが表に出るのが怖いんだと思う,けれども空っぽに見える心の中の部屋にある床下を開けると,すっごい豊富な宝物がいっぱいあることに気が付いていなくて,そこがすずさんの痛みというより痛さなんじゃないか.そこにアプローチできるのは,すずさんが右手で絵を描くときだけなんだ』というようなことを答えました.

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収録に慣れてきた終盤のシーンのある瞬間,のんちゃんが---

『今までのすずさんだったら,絶対に口に出して言わないですよね.でもここで言っているというのは,それはすずさんが変わったということなんですね?すごく的を射た質問をいっぱい投げかけてくる

それに応えていくことによって,こちらも『あ,あのシーンはこうだったんだ』という再発見をして,6年間作り続けていながら,まだきちんと考えられていなかった絵や芝居の方針が定まったりもしました

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ウェブ上のみられる映画評等

映画「この世界の片隅に」 こめられた思い|特集ダイジェスト|NHKニュース おはよう日本

映画『この世界の片隅に』 戦時下の日常、広島舞台に|エンタメ!|NIKKEI STYLE

(登録が必要なサイト:http://mainichi.jp/articles/20161208/dde/012/200/013000c

一般上映なのに拍手喝采。『この世界の片隅に』の衝撃 - NAVER まとめ

アニメ映画「この世界の片隅に」主演 のんさん : 中高生新聞 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

 

青い手帳を開くマモル「月夜の晩に、ボタンが一つ  波打際(なみうちぎわ)に、落ちていた. それを拾って、役立てようと  僕は思ったわけでもないが  なぜだかそれを捨てるに忍びず  僕はそれを、袂(たもと)に入れた」NHK山口発地域ドラマ「朗読屋」(3)

ある日突然,妻に去られ,眠れない日々を過ごす主人公西園寺マモル(吉岡秀隆).去った妻からの初めての電話で「24時間図書館」の存在を知り探し当てます.そして,司書のひとみ(吉岡里帆)から,老婦人小笠原玲子(市原悦子)への朗読の仕事を紹介されます.

西園寺マモル(吉岡秀隆)「捜せばある.あると思えばある.みつけられる人にはみつけられる---あっ」/ 沢田ひとみ(吉岡里帆)「あの,図書館の仕事ではないのですが,別の仕事なら,叔母の働いているところで,朗読する人を捜しているようで,どなたかいい人いないかって.----印象的な声なので」NHK山口発地域ドラマ「朗読屋」(1) - yachikusakusaki's blog

中也の詩の朗読と,玲子の世話係早川(緒川たまき)に促された朗読の練習に明け暮れるマモル.ある日,偶然,図書館の忘れ物の棚に,輪ゴムで止めた青い表紙の手帳をみつけます.妻には見つけたら捨てるようにいわれていたものでした.

しかし,妻の妹緑の言葉姉があなたにあてた手紙なのかもしれません」にうながされて,岸壁で手帳を開きます.

早川(緒川たまき)「大切な人を思って詩を読めば,自ずと声に優しさが含まれるものですが,あなたにはそれがない.それとも優しさがなくて,大切な人を失った?」 / マモル(吉岡秀隆)「忘れ物をみつけたら,直ちに捨ててくれって言われました.でも,どうしても捨てられなくて.彼女が去ってから,うまく眠れなくなりました.眠れない布団の中で,彼女がいた頃の風景を思いだそうとしました.狭い部屋ですれ違うと,ほんのり漂う彼女の匂い---.好きだったはずなのに,思い出せませんでしたNHK山口発地域ドラマ「朗読屋」(2) - yachikusakusaki's blog

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あらすじ|山口発地域ドラマ「朗読屋」|NHK山口放送局

 

NHK山口発地域ドラマ「朗読屋」(3)

 

(港の岸壁.酒を酌み交わす倉田の仲間たちの輪にマモルも)

男たちの唱和

「汚れっちまった悲しみに
なすところもなく日は暮れる……」

マモル「僕弱いんで」「飲めよ」「一杯だけ.のっ」「じゃ、頂きます」「おっ---おっ!おっ,なあんだ,のめらあや」「あはははは」

倉田「中也はのう,大切なもんをなあようにしてきたからのお.弟,親友」男A「好きになったおなご」男B「息子も」

倉田「じゃけえ,喪失の底から叫ばれた詩にゃあ,むしろ生命力があふれちょる.あみゃあも、大切な何かをなあようにしたんじゃろう?へえじゃなけにゃあ,こねえなとこに来りゃせんやあ」

マモル「でも僕には分からないんです.寂しいとか悲しいとかそういったことが」

倉田「分かろうとせんでも,かんじたらええんじゃあ.傷みの訳なんて,わかりゃせんけど,そのうち確かに感じるいやあ---つげや,ほら」「はい」「今日は飲むぞ」

 

(海に向かって吐くマモル.マモルの吐く音)

(よろよろ柱にもたれかかるマモル.柱にもたれてすわりこむ)

マモル

「汚れっちまった悲しみに
 今日も小雪の降りかかる

汚れっちまった悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる」

 

(海の上に帽子をかぶった男の幻影)

「汚れっちまった悲しみは
たとえば狐の革裘(かわごろも)
汚れっちまった悲しみは
小雪のかかってちぢこまる

汚れっちまった悲しみは
なにのぞむなくねがうなく」

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(Kamakura Museum of Literature archives)

 

マモル & 男

「汚れっちまった悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢(ゆめ)む」

 

(目を閉じてベットに横たわる玲子.そっと見守る早川.ノックの音)

早川「はい」マモル「こんにちは」

(だまってベッドの横へうながす早川)

早川「どうぞ,お願いします」

(玲子,目を閉じたまま.

(妻が残していった青い手帳を開くマモル.

 手帳に記された詩を読み始める)

マモル

「月夜の晩に、ボタンが一つ

 波打際(なみうちぎわ)に、落ちていた。

 

 それを拾って、役立てようと

 僕は思ったわけでもないが

 なぜだかそれを捨てるに忍びず

 僕はそれを、袂(たもと)に入れた。

 

 月夜の晩に、ボタンが一つ

 波打際に、落ちていた。

 

 それを拾って、役立てようと

 僕は思ったわけでもないが

   月に向ってそれは抛(ほう)れず

   浪に向ってそれは抛れず

 僕はそれを、袂に入れた。

 

 月夜の晩に、拾ったボタンは

 指先に沁(し)み、心に沁みた。

 

 月夜の晩に、拾ったボタンは

 どうしてそれが、捨てられようか

(月夜の浜辺)」

 

玲子「(目を閉じたまま)すばらしかった」「いえ」

玲子「どうも,ありがとう---ございました.お願いがあるの」「はい」

玲子「最後のお願い.『もういいよ』って言って下さらない?そしたら私,うまく---旅立てると思うのよ」

マモル「(涙声で)僕には言えません」

玲子「私は,十分,生きました.今度こそ,お父様を探しに行くの.きっと見つかると思う.お願い---.お願いします.もう---いい---かい?」

-----マモル「もういいよ.(ささやくように)もう---いいよ」

玲子「ふ(微笑む)はーはーはー」

(灯りのついた小笠原邸 遠景)

 

(夜間図書館で椅子にもたれて眠るマモル.カーテンを開ける音)

ひとみ「はい,どうぞ(水を差し出す)」マモル「えっ?ああ---」(美味しそうに水を一気に飲むマモル)「あぁ〜!ありがとう」「ぐっすり眠っていました」「君の姿が見えなかったから,ちょっと待ってようと思ったら,つい」「図書館は居眠りにもってこいの場所ですから」「まったく---」

ひとみ「おばさまが亡くなりました.とても静かに優しい顔で逝ってしまいました.それで,消えてしまったんです---私の叔母」

マモル「えっ---早川さん?」「ええ」「えっ,どういうこと?」「分かりません.昔から分からない人でしたし.うわさだと,どうもおばさまの遺産をたくさん譲り受けたようで---」「そっか.じゃあ今頃コルシカ島行きの飛行機かも.もちろんファーストクラスで」「超豪華客船かもしれません」「うん.あっ.でももしかしたら狐に戻って山に帰ったのかも」「あは」

マモル「あーー(あくび).あれだけ寝たのにまだ眠い.帰るよ」

ひとみ「ぐっすり眠って下さい.心ゆくまで」「うん」

ひとみ「起きたら何しますか?」

マモル「妻を捜してみようと思う.一度,顔を合わせて話をしないと.じゃあ,また」

ひとみ「ご利用ありがとうございます」

バイクで帰途につくマモル.ヒキガエル

アパートのドアを元気に開けるマモル.ベランダの戸を開けて出てみると)

マモル「あっ」

(サボテンにピンクの花が!)

 

ー おわり ー

 

 

サーカス

幾時代かがありまして
  茶色い戦争ありました

幾時代かがありまして
  冬は疾風(しっぷう)吹きました

幾時代かがありまして
  今夜此処(ここ)での一(ひ)と殷盛(さか)
    今夜此処での一と殷盛り

サーカス小屋は高い梁(はり)

  そこに一つのブランコだ

見えるともないブランコだ

頭倒(あたまさか)さに手を垂れて

  汚れ木綿(もめん)の屋蓋(やね)のもと

ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

それの近くの白い灯(ひ)

  安値(やす)いリボンと息を吐(は)

観客様はみな鰯(いわし)

  咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻(かきがら)

ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

  屋外(やがい)は真ッ闇(くら) 闇の闇

  夜は劫々と更けまする

  落下傘奴(らっかがさめ)ノスタルジア

  ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

 

 

曇 天

 

 ある朝 僕は 空の 中に、

黒い 旗が はためくを 見た。

 はたはた それは はためいて ゐたが、

音は きこえぬ 高きが ゆゑに。

 

 手繰り 下ろさうと 僕は したが、 

綱も なければ それも 叶(かな)はず、

 旗は はたはた はためく ばかり、

空の 奥(おく)(が)に 舞ひ入る 如く。

 

 かゝる 朝(あした)を 少年の 日も、

屡々(しばしば) 見たりと 僕は 憶ふ。

 かの時は そを 野原の 上に、

今はた 都会の 甍(いらか)の 上に。

 

 かの時 この時 時は 隔つれ、

此処(ここ)と 彼処(かしこ)と 所は 異れ、

 はたはた はたはた み空に ひとり、

いまも 渝(かわ)らぬ かの 黒旗よ。

 

 

一つのメルヘン

 

秋の夜(よ)は、はるかの彼方(かなた)に、

小石ばかりの、河原があって、

それに陽は、さらさらと

さらさらと射しているのでありました。

 

陽といっても、まるで硅石(けいせき)か何かのようで、

非常な個体の粉末のようで、

さればこそ、さらさらと

かすかな音を立ててもいるのでした。

 

さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、

淡い、それでいてくっきりとした

影を落としているのでした。

 

やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、

今迄(いままで)流れてもいなかった川床に、水は

さらさらと、さらさらと流れているのでありました……

 

 

汚れっちまった悲しみに……

 

汚れっちまった悲しみに

今日も小雪の降りかかる

汚れっちまった悲しみに

今日も風さえ吹きすぎる

 

汚れっちまった悲しみは

たとえば狐の革裘(かわごろも)

汚れっちまった悲しみは

小雪のかかってちぢこまる

 

汚れっちまった悲しみは

なにのぞむなくねがうなく

汚れっちまった悲しみは

倦怠(けだい)のうちに死を夢(ゆめ)

 

汚れっちまった悲しみに

いたいたしくも怖気(おじけ)づき

汚れっちまった悲しみに

なすところもなく日は暮れる……

 

相模原市の知的障害者施設津久井やまゆり園で,46人が殺傷された事件から今日で半年となります.私たちは,ウェブサイトウェブサイト「19のいのち」を開設しました  “障害者殺傷事件 半年 懸命に生きた19人”NHK総合首都圏ネットワーク

「障害者殺傷事件 半年 懸命に生きた19人」

 1月26日(木)NHK総合  午後6時10分~ 午後6時52分 首都圏ネットワーク

www4.nhk.or.jp

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相模原市知的障害者施設津久井やまゆり園で,46人が殺傷された事件から今日で半年となります.私たちはこの事件をどう伝えていけばいいのか,この間模索し続けて来ました.

この事件では理不尽に奪われた命を思い,この半年,全国から追悼する人たちが相次いで訪れました.きょうも花を手向ける人たちの姿がみられました.そこには二度とこのような事件があってはならないという思いが込められています.

その一方で,殺人の疑いで逮捕された元職員の植松聖容疑者.「障害者は不幸をつくることしかできない」と供述.さらに「施設の入所者は会話できないなど,過去に自分の身近にいた障害者と比べて違っていた」などとして,重い障害のある人たちに対して,差別意識を持つようになったという趣旨の供述をしていることも,新たに分かりました.

私たちは,こちらのウェブサイト

(ウェブサイト「19のいのち」

19のいのち -障害者殺傷事件- TOP | NHKオンライン )

を開設しました.

犠牲になった19人について,警察は名前を公表してきませんでした.19人には,それぞれの人生があったはずです.そうした思いで私たちは取材を重ね,少しずつ見えてきたお一人お一人の人柄や面影をこちらにまとめました.数々の思い出の品,そしてご遺族の承諾が得られた方については,似顔絵を描きました.

 

70歳の女性です.

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19人それぞれのエピソード | NHKオンライン

およそ50年,津久井やまゆり園で暮らしてきました.女性はお兄さんのことが大好きだったということで,一緒に手をつないで散歩する姿が印象的だったといいます.

こちらは49歳の男性が大好きだった囲碁をイラストにしました.

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19人それぞれのエピソード | NHKオンライン

囲碁の月刊誌をプレゼントすると,とても喜んで,夢中になって囲碁の手を考えていたといいます.

 事件から半年,一人一人が懸命に生きてきた軌跡でした.

犠牲になった19人の命,その中にいつもラジオを肌身は出さず持っていた男性がいました.

66歳の男性で,笑顔がすてきな人気者でした.

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19人それぞれのエピソード | NHKオンライン

男性の支援を続けてきた元職員,太田顕さん.いつも明るく接してくれる男性の姿が印象的だったと言います.

「笑顔で写ってますね.いつもこんな感じ」

男性は太田さんとよく散歩に行きました.そんなときの大好きなラジオを片時も手放すときはありませんでした.

「ラジオは肌身離さずっていう感じで,『(音を)消してね』って言われて消してポッケに入れて持ち歩いて,目的地に行ってまた取り出して,こうやって聞いています」

ラジオを聞くときの男性の笑顔,太田さんはそんなささやかな幸せを奪った容疑者が許せないと言います.

「彼の動作を見ていてほっとするような,癒やされるような思いはありました.(容疑者が話すように)何ももたらすこともなく,不幸だけというのは,全く間違っていると思いますね」

 

犠牲になった19人の中には,「周囲から頼られる存在」となっていた人もいます.

「こんにちは」

そう証言するのは,元職員の細野秀夫さん.

細野さんが10年間担当していた67歳の男性です.

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19人それぞれのエピソード | NHKオンライン

男性は細野さんを慕ってシーツ交換や畑仕事などもよく手伝ってくれたといいます.施設の中では準職員と言われ,頼りにされていました.

「夜勤の朝,起こしに来てくれる.『先生,5時だよ.起きるんだよ』『おうありがとう』って言って.いい相棒だったね」

この男性の思い出の品は湯飲みです.男性が大好きだった北島三郎さんのコンサートに二人で出かけたときに買ったものでした.

「茶碗を二個買うんですよね.『一個でいいんじゃないの』という話をしたら,『これは先生に記念にあげるんだよ』って言って」

細野さんは今もこの湯飲みを大切に使い続けています.それを見るたびに行き場のない悲しみを感じると言います.

「なんでこういういい人をね.殺してしまうという.その心境が分からないね.これが本当にね.形見になっちゃったとは.ちょっとね.胸が詰まりますよね」

 

19人の命の重さをどう考えるのか議論も始まっています.(専修大学

「いうまでもなくて,こういう事件は前代未聞ですよね」

大学の講師の西門純志さんです.西門さんはかつて津久井やまゆり園に勤務.支援に携わった7人が今回の事件で亡くなりました.この日は特別講義を開き,犠牲者一人一人にかけがえのない人生があったこと,そして今回の事件を社会がどう受け止めるべきか学生と議論しました.

西門さん「匿名とされて名前も顔も分からずに『19人』という数字だけが一人歩きしている.被害者とか犠牲者とか情報があまり出てこないなかで,容疑者の『障害者はいなくなればいい』とかそういう言葉が一人歩きしている」

学生「僕個人の意見としては,名前を出したらどうなるのかと考えても,そんなに大きく変わらないのではと思うところがあるんですよね」

学生「名前出した方がその個人をクローズアップしたり,焦点を当てられて,その人の人生について語れることができるのかなって」

さらに別の学生は,障害者を差別するような意識は社会にも潜んでいるのではないかと指摘しました.

学生「インターネットでも容疑者の考え方に同意するような人も何人かいたりして,社会がそういう風潮である--」

学生「やっぱり世の中,自分たちの側に,受け入れるキャパシティーがないのは事実なんですね」

学生「障害者はいなくなればいい,ということなんですけど,同じ社会で生きていく中で,それは一つの個性と捉えて,同じように生活していかねばならないと思いました」

障害者一人一人の個性を尊重しない風潮,社会に潜む差別,西門さんは社会がこれからも向き合っていかなければならない課題だと訴えました.

西門「異様な特異な犯人による犯行ということで、そういうレッテルを皆が,そういう意識があるから風化されやすい.これだけ大きな事件というのは,個人ではなくて,やっぱり社会全体の問題であって,じゃあ私たちはどのような社会を目指し考えればいいのか--」

学生「やっぱり障害者がらみの事件だと話題にしづらいこともあると思う.自分の意見をさらけ出して,この事件を教訓にいろいろできるんじゃないか」

学生「やっぱり自分は関係がないと思いたいってところで,遠ざけて--.せめて自分たちは,それを一生懸命考えたり,話し合ったりできればと改めて考えました」

---以下略

 

たくさんの地大根(続き)東京新聞大図解No1286「大根と日本人」(2) & アブラナ科植物の花々15種の比較

東京新聞大図解No1286「大根と日本人」より(2)

2017-01-24付ブログ(http://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2017/01/24/001534

生活の中に溶け込んだ,なじみ深い野菜「ダイコン」 日本は世界一の消費国で種類が豊富,でも皆ダイコン,カブではありません 東京新聞大図解No1286「大根と日本人」(1) - yachikusakusaki's blog

の続きです.

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紙面の内容の続きを記載する前に,

前回 1. として取りあげたダイコン(ダイコン属)とカブ(アブラナ属)の花の続き:1-2.として,その他のアブラナ科植物の花の写真15種を集めてみました.

1-2  アブラナ科植物の花々

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https://minhana.net/wiki/ダイコン

ダイコンはアブラナ目,アブラナ科,ダイコン属(Raphanus ラファナス属)

    カブはアブラナ目,アブラナ科アブラナ属(Brassica ブラシカ属)

 

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なずなとは - 植物図鑑 Weblio辞書 イヌナズナ 三河の植物観察 ルッコラ(ロケット)|ヤサシイエンゲイ

 

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http://www.okadanouen.com/zukan/nozawana.html ノザワナ - Wikipedia ハクサイ - Wikipedia ハクサイ,はくさい(白菜)の花言葉-花言葉事典 アブラナ - Wikipedia セイヨウアブラナ - Wikipedia きゃべつのお話

 

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マスタード(シード)スパイスオブライフ カラシナ - Wikipedia カラシナ シロガラシ - Wikipedia  Mustard Cotswold Grass Seeds Direct ワサビ - Wikipedia 金印わさび わさびの知識 / 本わさび 山わさび(ホースラディッシュ/西洋わさび)とは- horti 〜

 

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オオアラセイトウ - Wikipedia ハナダイコン - Wikipedia

 

アブラナ科の花たちは愛らしいですが,目にすることがないものも---.その中で,大根の花はひときわ美しいような気も---

 

3. たくさんの地大根 (続き)

前回同様,見出しは東京新聞のものを使わせて頂きましたが,写真はweb上のものを貼り付けました.引用先には解説が載っていますので時間がある方はクリックしてみて下さい.

親田辛味大根 親田辛味大根 |観光情報|下條村

源助大根 源助だいこん:加賀野菜(知る)

守口大根 守口大根|JAぎふの農産物|JAぎふ 守口大根と守口漬

宮重大根 宮重大根 | gene bank

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方領ダイコン 方領大根|あま市公式ウェブサイト

守口漬 守口漬 守口大根と守口漬

聖護院ダイコン 近畿農政局/聖護院だいこん 聖護院大根 しょうごいん大根 丸大根 |大根

糸巻ダイコン 西米良村の米良糸巻大根 | 宮崎県町村会

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桜島ダイコン 桜島大根(さくらじまだいこん)

島ダイコン 沖縄 島大根|つる新 種苗店 島ダイコン |地方特産食材図鑑

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上記の中で私の食卓にのったことがあるものは,多分4-5種類.毎日大根を食べない日はない現在の私としては,チャンスがあればぜひ食べ比べてみたいものです.

 

4. 現在の主流「青首大根」

現在,国内で生産・流通している9割以上を「青首大根」が占めています.

上記の12「宮前大根」がルーツとされているダイコンで,地表から出て居る部分が多く,首の部分が葉緑体からできた淡い緑色をしています.

その他の特徴は

1.甘みが強い  2.収穫時に引き抜きやすい.3.病気に強い 4.小ぶりで買い物に便利 5.生食・煮物から浅漬けまで幅広く使える

 

ダイコンは冬以外にも収穫されていますが,冬の大根は甘くて美味しいとされています.大図解の説明では

「ダイコンは(冬の寒さに対する)自衛手段として体内に蓄えたでんぷんを糖分に変えて,凍るのを防ごうとする」ため甘くなるということです.

なお,大根の部位による味の違いについてはこのブログでも既に取りあげました.参照して頂ければ--

神戸ハーバーランドの夜---昼には六甲山の向こう側「我が開墾地跡?」を見てきました.隣の畑の大根は首を地上に出して---この首が根ではないことを知っていますか?中学生の半数以上はおそらく知っています. - yachikusakusaki's blog

早川(緒川たまき)「大切な人を思って詩を読めば,自ずと声に優しさが含まれるものですが,あなたにはそれがない.それとも優しさがなくて,大切な人を失った?」 / マモル(吉岡秀隆)「忘れ物をみつけたら,直ちに捨ててくれって言われました.でも,どうしても捨てられなくて.彼女が去ってから,うまく眠れなくなりました.眠れない布団の中で,彼女がいた頃の風景を思いだそうとしました.狭い部屋ですれ違うと,ほんのり漂う彼女の匂い---.好きだったはずなのに,思い出せませんでしたNHK山口発地域ドラマ「朗読屋」(2)

ある日突然,妻に去られ,眠れない日々を過ごす主人公西園寺マモル(吉岡秀隆).去った妻からの初めての電話で「24時間図書館」の存在を知り,夜間,バイクに乗って捜しに出かけます.

あらすじ|山口発地域ドラマ「朗読屋」|NHK山口放送局

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NHK山口発地域ドラマ「朗読屋」(1) - yachikusakusaki's blog

西園寺マモル(吉岡秀隆)「捜せばある.あると思えばある.みつけられる人にはみつけられる---あっ」   (「24時間開館.スサ図書館」の看板)

沢田ひとみ(吉岡里帆「あの,図書館の仕事ではないのですが,別の仕事なら,叔母の働いているところで,朗読する人を捜しているようで,どなたかいい人いないかって.----印象的な声なので」

朗読を依頼したのは,老婦人小笠原玲子(市原悦子).島の豪邸に世話係早川(緒川たまき)と共に住んでいます.マモルは老婦人に中原中也の詩を朗読し,「朗読屋」に合格します.2回目の朗読の帰り際.

早川「はっきり申し上げます.奥様はもう長くはありません」「えっ」「奥様を心穏やかに見送って差し上げるのが,私の最後の仕事です.奥様を満足させられないような朗読をするなら,この私が許しません.訓練するように」「でもどうすれば」

早川「例えば,詩が生まれた場所で作者になった気持ちで,詩を読んでみるのもいいでしょう.文字の裏に隠れた感情がふつふつとわき出てきますか」「詩が生まれた場所?」

マモルは中原中也記念館を訪ね,「帰郷」の石碑を読みます.そして----

 

NHK山口発地域ドラマ「朗読屋」(2)

 (バイクにのるマモル)

長門峡の流れ.岩の上に立ち,中也詩集を朗読)

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長門峡|山口市阿東観光情報

マモル長門峡(ちょうもんきょう)に、水は流れてありにけり。
   寒い寒い日なりき。

   われは料亭にありぬ。
   酒酌(く)みてありぬ。

   われのほか別に、
   客とてもなかりけり。

   水は、恰(あたか )も魂あるものの如く、
   流れ流れてありにけり。

   やがても密柑(みかん)の如き夕陽、
   欄干にこぼれたり。

   あゝ!  ――そのやうな時もありき、
   寒い寒い 日なりき。

  (冬の長門峡

 

(島へ向かう船.甲板で中也詩集を朗読するマモル.我が意を得たりという顔の船頭倉田)

マモル「ホラホラ、これが僕の骨だ、

   生きていた時の苦労にみちた

   あのけがらわしい肉を破って、

   しらじらと雨に洗われ、

   ヌックと出た、骨の尖(さき)

(浜辺で小笠原夫人に朗読するマモル)

   故郷(ふるさと)の小川のへりに、

   (なか)ばは枯れた草に立って、

   見ているのは、――僕?

   恰度(ちょうど)立札ほどの高さに、

   骨はしらじらととんがっている。

  (骨)

 

玲子「あー気持ちいい(咳き込み).今日の波は----コルシカ島ね」

早川「ええ,奥様」「早川ったらね.あなたはもうきっとこないなんて言うのよ.私のような腐った老人に,喜んで詩を読んで下さる方なんていやしないって」「そんなこと」「あれだけの謝礼があれば別ですけど」(マモル咳き込み)

玲子(小声で)早川はほんとに意地悪なの.気にしないでちょうだい」「はぁ---」「父も中也の詩が,好きでした」

 

(扉を開け家をでるマモルと早川)

「本日の謝礼です」「ありがとうございます」「訓練はしているようですね」「はい」「しかしまだまだ足りていない」「はい」

早川「人に聞かせようとする意志があまり感じられません.一人で訓練するよりも,誰かに向かって,詩を読んで聞かせてみてはどうでしょうか」「はぁ---」「あなた,大切な人はいらっしゃいますか?」「えっ?」

早川「大切な人を思って詩を読めば,自ずと声に優しさが含まれるものですが,あなたにはそれがない.それとも優しさがなくて,大切な人を失った?」(うつむくマモル)

早川「中也様の詩は大切な誰かを思っているからこそ,悲しみがいっぱい詰まっているんです」

マモル「早川さんも好きなんですね.中也--様が」「そりゃあ---中也様は,とにかくいい男でしたから」「知り合い---知り合いだったんですか?」「まさか!いくら何でもそんな時代から生きてはいません」「ですよね」

早川「ああ---.雨の匂い.早くお帰りなさい」「えっ?」(傘を渡しながら)そして,今晩はカレーを食べなさい」「はっ?」「雨の日はカレー.昔からそう決まっているんです」「はぁ--」「では,ごきげんよう」「失礼します」

 

(食堂でカレーを食べるマモルとひとみ)

マモル「雨の日はカレー」ひとみ多分叔母だけが信じている迷信です.誰に聞いてもそんな話聞いたことがないって言われて.でもよかった.誘って頂いて.小さい頃からそう言われ続けて来たから,雨の日にカレー食べないと何だかもやもやするんです」「英才教育だ.ある意味」「止めて下さいよ〜.うふううう」「あの---,詩の朗読を聞いてもらいたいんだ」「中也の詩?」「訓練しないと,叔母さんにたたられる」「おおげさ」

(港の近くの橋を歩く二人)

マモル「サーカス小屋は高い梁(はり)  

 そこに一つのブランコだ  

 見えるともないブランコだ」

(詩集を読むマモル.欄干に寄りかかり目をつむって聞くひとみ)

「頭倒さ(あたまさか)に手を垂れて  

 汚れ木綿の屋蓋(やね)のもと 

 ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

 (サーカス)

 

(ベランダでサボテンに水をかけるマモル)

「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

(水を飲む)

 

(小笠原邸遠景.ベットの横で朗読するマモル)

マモル秋の夜(よ)は、はるかの彼方(かなた)に、

 小石ばかりの、河原があって、

 それに陽は、さらさらと

 (婦人の咳き込み) 

 さらさらと射しているのでありました

 (一つのメルヘン)

早川「奥様」マモル「だ---大丈夫ですか」(咳き込み)玲子「早川---.(咳き込み)あの例の薬を早く」「お持ちします」「お願い.早く」(部屋を走り出る早川)

玲子「ごめんなさい」「いいえ」「背中さすって下さる?」「はい」(激しく咳き込む)「はぁー,は,は」「朗読,続けましょうか?」

玲子「もういいの,今日は」(咳き込む)

玲子「私の話を聞いて下さい」「はぁ---」

 

玲子「この家,無駄に広いでしょ.隠れるところがいっぱいあるの.私は父と,よくかくれんぼをしました.そのうち,世の中が戦争一色になって---父はいつも難しい顔をしていました.

ある日父は私ににっこり優しく微笑んで,そうして言ったんです.『玲子.久しぶりにお父様とかくれんぼをしよう』って.(一瞬,当時の回想の映像:セピア色で挿入)

そうして,父は私を一度ぎゅっと力強く抱きしめて,頭をなでて下さった.

(回想の映像へ 目をふさいで数える幼い玲子)

幼い玲子「1.2.3.4.5.6.7.8.9.10!もういいかい?-----もういいかい?お父様?---- もういいかい?」

玲子「でも父の返事はなかった.

(元の場面に戻って)

半年後に父が戦死したという知らせが入りました.私は父がもうこの世にいないなんて,信じられなくて,きっとまだこのうちの何処かに---.(周りを見回す玲子)何処かに隠れているんじゃないかって,あちこち捜し回ったの.戦争が終わってもずーっと---

 

(せきこみ)マモル(背中をさすりながら)無理なさらないで下さい」玲子「大丈夫です」

玲子「次は---いや,つぎがあったらですけど」「そんな---」「あなたが今度詩を選んで下さらない?」「ぼ---僕が?」「何でもいいの」「(うなずきながら)考えておきます」(せきこみ)

(ドアの外で用意した薬と水がのったお盆を手に二人の会話を聞く早川)

 

(海からの小笠原邸の映像)

倉田舟を浮べて出掛けませう。

 波はヒタヒタ打つでせう、

 風も少しはあるでせう」

(船端で遠くを見つめるマモル.続きを歌い始める)

マモル「沖に出たらば暗いでせう、

 櫂(かい)から滴垂(したた)る水の音(ね)

 昵懇(ちか)しいものに聞こえませう」

 

(図書館書棚.「中原中也論」他の書籍が並ぶ,伸びるマモルの手)

マモル「お願いします」ひとみ「はい」(本を見て微笑むひとみ)

(ふと,カウンターの横に目をやるマモル.忘れ物を置いてある棚.そこには,輪ゴムで止めた青い表紙の手帳)

マモル「あっ」ひとみ「はい」

マモル「あの,青い手帳」

(回想:手帳のページをめくるサユリの後ろ姿)サユリの電話の声「もし私の忘れ物をみつけても,何も見ないで直ちに捨てて」

 

(自宅の机の上に青い手帳をおいて,考え込むマモル)

 

(食堂,扉を開ける音)「いらっしゃ〜い」マモル「どうも」

(手帳を緑に差し出して)

マモル忘れ物をみつけたら,直ちに捨ててくれって言われました.でも,どうしても捨てられなくて.彼女が去ってから,うまく眠れなくなりました.眠れない布団の中で,彼女がいた頃の風景を思いだそうとしました.

狭い部屋ですれ違うと,ほんのり漂う彼女の匂い---.好きだったはずなのに,思い出せませんでした.休日はよく一緒にご飯を食べたのに,彼女がどんな茶碗でご飯を食べていたのか,思い出せません.いつも玄関に置いてあったはずの彼女のサンダルの形,アゴのほくろは,右側だったか左側だったか,ずっと,一緒にいたのに----.

僕は,全部,忙しさのせいにして---.そんなことを考えていたら,余計,眠れなくなりました」

「つまり,あなたが言いたいことは,捨ててくれと言われた,姉の手帳を,見て良いかどうかということですか?」「はい」「私に許しを得たところで,どうにもならないと思うけど」「でも,あなたしか聞ける人がいない」

(しばらくの間,思いをめぐらせた後)

「姉は妊娠していました.多分」「えっ?」

「ほんの数ヵ月間でしたけど---

(映像は歩くマモルに切り替わって)

---その間は,とても幸せそうな優しい顔をしていました.だから,その後は,相当きつそうだった.

(映像は緑の大写し)

女には分かるんですよ.そういうの.ちょっとした顔つきとかで.

(映像は再び考えながら歩くマモルに)

その手帳はきっと,姉があなたにあてた手紙なのかもしれません.そう考えれば,恐らく読んでいいものだと思います」

 

(海辺の防波堤.

その上で足を投げ出して座っているマモル.

手帳を止めてあるゴムを外し,ゆっくり開き,ページをめくっていく)

 

(以下続く)

yachikusakusaki.hatenablog.com

 

 

骨  

 

ホラホラ、これが僕の骨だ、

生きていた時の苦労にみちた

あのけがらわしい肉を破って、

しらじらと雨に洗われ、

ヌックと出た、骨の尖(さき)

 

それは光沢もない、

ただいたずらにしらじらと、

雨を吸収する、

風に吹かれる、

幾分(いくぶん)空を反映する。

 

生きていた時に、

これが食堂の雑踏(ざっとう)の中に、

(すわ)っていたこともある、

みつばのおしたしを食ったこともある、

と思えばなんとも可笑(おか)しい。

 

ホラホラ、これが僕の骨―― 

見ているのは僕? 可笑しなことだ。

霊魂はあとに残って、

また骨の処(ところ)にやって来て、

見ているのかしら?

 

故郷(ふるさと)の小川のへりに、

(なか)ばは枯れた草に立って、

見ているのは、――僕?

恰度(ちょうど)立札ほどの高さに、

骨はしらじらととんがっている。

 

 

 

湖 上  (全文)

 

ポッカリ月が出ましたら、

舟を浮べて出掛けませう。

波はヒタヒタ打つでせう、

風も少しはあるでせう。

 

沖に出たらば暗いでせう、

(かい)から滴垂(したた)る水の音(ね)

昵懇(ちか)しいものに聞こえませう、

――あなたの言葉の杜切(とぎ)れ間を。

 

月は聴き耳立てるでせう、

すこしは降りても来るでせう、

われら接唇(くちづけ)する時に

月は頭上にあるでせう。

 

あなたはなおも、語るでせう、

よしないことや拗言(すねごと)や、

(も)らさず私は聴くでせう、

――けれど漕(こ)ぐ手はやめないで。

 

ポッカリ月が出ましたら、

舟を浮べて出掛けませう、

波はヒタヒタ打つでせう、

風も少しはあるでせう。

 

水沢腹堅(すいたくふくけん さわみずこおりつめる) 厳しい寒さで,沢がすべて凍る頃

生活の中に溶け込んだ,なじみ深い野菜「ダイコン」 日本は世界一の消費国で種類が豊富,でも皆ダイコン,カブではありません 東京新聞大図解No1286「大根と日本人」(1)

1月22日東京新聞日曜版大図解 No1286は「大根と日本人」.

いつもの通り美しい紙面と豊富な情報が詰まったページ.記事の中からいくつか紹介させていただきます.

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東京新聞電子版

 

この大図解で,一番多く紙面を割いていたのは「主な大根と加工品」.日本各地の“地大根”15種と“大根の漬け物”2種を紹介していました.

地大根のなんと種類の多い,そして形も様々なことか!これが全て大根?長いもの,大きいもの,丸いもの----.長いものはゴボウのように,そして,丸いものはカブのようにも見えるのに.

(紙面記載事項の紹介の前に) 

1. ダイコンとカブ

ダイコンとカブはどちらもアブラナ科.これは私も知っていましたが,どのように違うのかは----.調べたところ,「属」の段階で異なっているとのこと.

・カブは,

アブラナ目,アブラナ科アブラナ属(Brassica ブラシカ属)」.

http://www.wdic.org/w/SCI/アブラナ属 https://ja.wikipedia.org/wiki/アブラナ属

そしてちょっとビックリするのは,

カブはアブラナと同じ種!アブラナの変種に位置づけられていること.

ミズナ、ノザワナ、コマツナ、ハクサイ、チンゲンサイ までもが同じ種!

・ダイコンはというと,

アブラナ目,アブラナ科,ダイコン属(Raphanus ラファナス属)」.沢山の地大根は皆同じ種.そして大図解には出ていないものでは,二十日大根(ラディッシュ)も同じ種の変種とのことでした.

・ダイコンとカブ分けているのは今ではDNAレベルでしょう.

見た目で大きく違っているのは花(“キャベツにだって花が咲く 稲垣栄洋 光文社新書”).

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 でも,花が咲くまで置いておいたら,トウが立ちますよね.大根の花はとても美しいのですが,一回しか見たことがありません.食い気が優るのは仕方がありませんね.

なお,余談ですが---「おぼろ月夜」という歌の「菜の花畑」は野沢菜(葉っぱを食べるためのカブ)をほおっておいた畑の花だとか---(“キャベツにだって花が咲く 稲垣栄洋 光文社新書”).

さらにもうひとつ春の七草に関する余談

・ダイコン・カブ,春の七草スズシロスズナとしても知られ,七草がゆは今でも広くおこなわれている風習ですね.中国の習慣が日本に取り入れられ,古くは平安時代(延喜年間)に若菜を入れた粥の記録があるそうですが,粥に入れる若菜の種類は一定せず,現在の七草となったのは江戸期のようです.(主に日本国語辞典から)

・カブの葉はすぐ柔らかくなりますが,大根葉は茹でても堅いように思います.間引き菜なら柔らかいのですが---.と思っていたら,最近は葉っぱを食べるための大根品種もあるようです.スーパーで時々見かけたことはありますし,ネットで調べたら例えばタキイ種苗「葉ダイコン・ハットリくん」は種を購入できるようです.

 

(以下は紙面から)

2. 大根の収穫量

・世界の生産量・消費量の9割が日本

・日本人一人あたりの野菜消費量ランキングで堂々の1位

 (2位はタマネギ,3位はキャベツ,4位白菜,5位ニンジン,6位ホウレンソウ,7位トマト,8位キュウリ,9位カボチャ)

・生産都道府県トップは北海道,2位千葉,3位青森,4位鹿児島,5位宮崎,6位神奈川

 

3. たくさんの地大根

 紙面に寄稿しておられた藤田智氏によれば,「大根の原産地は諸説ありますが『地中海沿岸地方原産で,東方に伝わって中国で改良され,華南群と華北群に分化した』という説を支持します.『中国を二次原産地として発達した大根はかなり古い時代(二千年以上前)に中国大陸から伝播し,これらの栽培や交雑から様々な品種が誕生した』と思われます」とのことです.

そして「大根の品種数は数百」といわれ,各地域の風土文化に適応した品種が栽培されています.

以下に各地の地大根を列挙します.見出しは東京新聞のものを使わせて頂きましたが,写真はweb上のものを貼り付けました.引用先には解説が載っていますので時間がある方はクリックしてみて下さい.

松館しぼり大根 http://www.city.kazuno.akita.jp/engei/965.html

秋田いぶりがっこ http://www.iburigakko.co.jp/products/

岩手安家地大根 http://nipponsyokuiku.net/syokuzai/data/013.html

練馬大根 http://www.city.nerima.tokyo.jp/annai/fukei/daikon/index.html

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亀戸大根 http://www.mikuni-marunouchi.jp/yasai/kameidoradish/index.html http://sky-tree.me/228-『亀戸大根とスカイツリー』

大蔵大根 http://www.gotokyo.org/jp/tourists/topics_event/topics/131216/topics.html

三浦大根 http://nipponsyokuiku.net/syokuzai/data/043.html

上田みどり大根 http://www.city.ueda.nagano.jp/kankojoho/gurume/meisan.html

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(以下続く)

たくさんの地大根(続き)東京新聞大図解No1286「大根と日本人」(2) & アブラナ科植物の花々15種の比較 - yachikusakusaki's blog

西園寺マモル(吉岡秀隆)「捜せばある.あると思えばある.みつけられる人にはみつけられる---あっ」/ 沢田ひとみ(吉岡里帆)「あの,図書館の仕事ではないのですが,別の仕事なら,叔母の働いているところで,朗読する人を捜しているようで,どなたかいい人いないかって.----印象的な声なので」NHK山口発地域ドラマ「朗読屋」(1)

山口県が生んだ詩人・中原中也の詩を軸に.美しい風景と詩の朗読が響き合うファンタジックで心温まる物語です.

ある日突然,妻に去られ,眠れない日々を過ごす主人公.

深夜,ひょんなことから“24時間図書館”を訪れたことをきっかけに,物語は動き始めます.中原中也を愛する老婦人を過ごすひとときのなか,彼は,思わぬ形で妻の思いを知ることに---.

NHK山口発地域ドラマ「朗読屋」のホームページ紹介文です.紹介文の通り「中原中也の詩を軸に.美しい風景と詩の朗読が響き合うファンタジックで心温まる物語」でした.

脚本がすばらしい.出演者皆さんが好演.吉岡秀隆さん,市原悦子さんはもちろん,周りを固める実力派 山下真司/緒川たまき/市川実日子/緒川たまきさん

そして若手ながら「美女と男子」「花子とアン」「ゆとりですか何か?」とたてつづけに私が好きなドラマへ出演して様々な役を演じきった 吉岡里帆さん

以下に 採録します.

 

NHK山口発地域ドラマ「朗読屋」(1)

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(映像:アパートの布団で寝ている西園寺マモル 小鳥の鳴き声 寝返りを打つ しらみ始める空)

(映像 清掃作業をするマモル.落ち葉をこぼしてしまう)

清掃員角田「ちょっと何やってんですか.ホントに何やってもダメな人だな」マモル「すみません」(いきなり路上に倒れる)

「えっ? ちょっと,西園寺さん!」

医師「ストレスから来る不眠.そうですね.鬱病の初期症状といっていいと思います.少し,仕事をお休みになった方が良いと思います.多いんですよ,それぐらいの年齢の方は.まーあまり頑張りすぎないで下さい」

(アパート.ベランダに続く窓を開けるマモル.外は雨.洗濯物を取り込む.スマホ着信.「西園寺サユリ」

マモル「はい」サユリ「久しぶり.ビックリした?」「うん」「元気?」「元気---です」「やだ.何敬語使ってるの?」「君は?元気だった?」「うん.まーね.何してた?」「雨が降ってきたから,洗濯物取り込んでた」「雨?」「うん」「そう.私のところは降ってない.新しい仕事は見つかった?」「いやっ.清掃のバイト始めたんだけど--」「使えなそう」「うん.ことごとく使えなくて,今日やめた」

サユリ「いやよ.元旦那がのたれ死になんて.寝覚めが悪い.ねーあなた.私が出て行っても,悲しくてもなんともなかったでしょ?」「えっ?」「やっぱり」

マモル「ごめん.悲しいとかが,よく分からないんだ.でも,君が出て行ってから,よく眠れない」「そう.でもそれは私のせいではなく,きっとあなた自身の心の問題よ.前の会社でいろいろあったし」

マモル「うん,ふー.夜中も開いてる図書館があればいいのに.世の眠れない人々のために」「あるわよ」(マモル咳き込む)「まさか」「わたし,そこであなたと一緒に暮らしているとき,たまに夜中に行ったもん」「どこにあるの.その図書館は?」

サユリ「教えてあげない.わたしのとっておきの場所だったから.捜せばある.あると思えばある.みつけられる人にはみつけられる.そういうもんよ.うふふ.訊きたいことがある

マモル「うん?」「そこを出るとき,私の持ち物はすべて棄てるか持っていくかしたつもりなんだけど,大切なものが一つ見つからない」「指輪?」「あれはわざわざ置いていった」「そう」「分からないっていうことは,あなた,何もみつけてないのね?」「なに?」「ねー.約束してくれる?」「うん?」もし私の忘れ物をみつけても,何も見ないで直ちに棄てて「えっ?」「絶対にすぐ棄てて.ねえ,お願い」「わかった」「話せて好かった」「ぼくも」「じゃ」

 

(タイトル 朗読屋

(画面 寝床で天井を見上げるマモル)

 

(マモル,バイクに乗って夜の街へ---図書館を捜してまわる)

マモル(独り言)「とっておきの場所,----- 捜せばある.あると思えばある.みつけられる人にはみつけられる」(急ストップ)「えっ」(道路にヒキガエルヒキガエルの歩いて行く先をおって,見上げると--)「あっ」「24時間開館.スサ図書館」の看板---入館し,本を手に取り,読み始めるマモル)(入り口に向かうヒキガエル

(受付の女性司書沢田ひとみの横からの映像)

マモル「あの,これお願いします」ひとみ「初めてのご利用ですか?」「はい」「ではこちらに記入お願いします」

(座って書類に記入するマモル.立って見つめるひとみ.マモル気づいて見上げ)マモル「えっ?」ひとみ「干からびたゾンビみたいな顔してますよ.眠れるといいですね」「(本を渡しながら)はい.今月22日までの貸し出しとなります.ご利用有り難うございます」

マモル「あのー,つかぬ事うかがいますが,夜の図書館で働くってどんな感じですか?」ひとみ「本好きにはたまりません.昼間よりずっと静かですし,何よりも夜の音を聞きながら仕事ができます.給料はまー安いけど」「うらやましいなー,本に囲まれて仕事をするなんて」「たまにパートの募集があります」「ほんとに」「いやー,今は募集はしていません」「そうですよね.済みませんでした,ちょっと訊いてみたかっただけだから,どうも有り難う」

ひとみ「あの,図書館の仕事ではないのですが,別の仕事なら,叔母の働いているところで,朗読する人を捜しているようで,どなたかいい人いないかって,いわれていて.本に関わる仕事ですし,それに---,とても---,印象的な声なので」「声?」「もちろん嫌だったら断って下さい」「いや,興味あります」

(メモを持って港へやって来たマモル.船の動力の音,カモメの鳴き声,波のおと)

マモル「すみません.ここに行きたいんですけど」船頭倉田「(メモをゆっくりみて)何しに行くんじゃ?」「朗読の仕事があるって訊いて」「ほー.あのバアさんまだ生きとるんきゃ」

(船で島へ.木立の間をとおって,古い洋館ふうの建物へ.建物周りを見回していると,いきなり木の扉が開いて--)

世話役早川「西園寺様,いらっしゃいませ.お待ちしておりました」「はあ」

(扉をノック)「はい」

(部屋へ入ると,ベットに身を起こした老婦人(小笠原玲子)がひとり.顔を向けることなく,本を読み続ける.早川,本棚から「山羊の歌」を取り出し,ケースから出し,「サーカス」のページを開けて)早川「これを読んで下さい」「はい」「説明は後ほど,とにかくこれを朗読して下さい」

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マモル

「幾時代かがありまして 茶色い戦争ありました 

 幾時代かがありまして 冬は疾風吹きました   

 幾時代かがありまして 今夜此処での一と殷盛り(ひとさかり) 

 今夜此処での一と殷盛り 

 サーカス小屋は高い梁(はり) そこに一つのブランコだ 

 見えるともないブランコだ ------ 

 ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん ----」

 (サーカス)

(小笠原,本を置いてハンカチを目にしばらく当て,顔を上げて)

小笠原「捜していました,その声を」

(早川,いきなりカランカランと手ぶり鈴を鳴らして)

早川「おめでとうございます.西園寺様.あなたが合格者です」「はっ.何の?」

(家を出るマモル.早川扉を閉めて)

早川「では3日後にお願いします」「はい」「これ前金です」「どうも」

早川「しかしながら,西園寺様.あなたの朗読はまるでダメです」「えっ」「今日のところは仕方がないと思いますが,まったく気持ちがこもっていない.これはもう見事なまでに全くです.ただ読めばいいと思っている」(頷くマモル)「できるだけ厳粛に.それでいて内側には燃え上がるような感情を込めて読むように心がけて下さい.訓練するように」「はい」

早川「朗読をなめるな!」「すみません」

「あら,キンモクセイの香り,秋だわ」

(木立を通って帰るマモル.歩きながら封筒を開けると,思わぬ大金が)「わー」

(夕暮れの海,船の上.船頭の歌)

倉田「ポッカリ月が出ましたら,舟を浮べて出掛けましょう。波はヒタヒタ打つでしょう」

 

(夜間図書館)マモル「今晩は」ひとみ「今晩は,(返された本を受け取りながら)どうでした?朗読の仕事」「決まりました.なんだかよくわかんないけど」「そうですか.好かった」

マモル「よかったんだか.なんていうか,狐につままれたような感じ」

ひとみ「狐ですか.----.狐の嫁入り.狐に小豆飯」

マモル「虎の威を借る狐」「狐にゾンビ」「そんなのあったっけ?」「いえ」「かなりひどい顔してる?」

ひとみ「はい,干からびたゾンビです」「うまく眠れないんだ」「図書館は何時でも開いております」「とにかく朗読の仕事をやってみようと思います.有り難うございました」「いえ」

(立ち去りながら思い出して)

マモル「あっ.干からびたサボテンを復活させるにはどうしたらいいか,知ってますか」ひとみ「たっぷり水を飲ませて,日に当てること.干からびたゾンビも同じです」「そうなの」

(アパート,サボテンに水をやるマモル.ベランダの椅子に腰掛け日に当たり,残りの水を飲む)

 

(島の浜辺,車いすの小笠原)「今日の波は,フロリダね」「ええ,奥様」

(マモル,用意された椅子に腰掛けると)

小笠原「もしかしてあなた,私がお金持ちだから何でもできるってそう思ってらっしゃる?」「えー,まー」

 

小笠原「そうでしょう.私もそう思ってたの.お恥ずかしい話だけど.でも,ぜーんぜん.そんな簡単なことではなかった.私はね.父の声が聞きたかったんです.私が幼い頃,枕元で本を読んで下さった父の声.この耳でもう一度聞いて,父のこと思い出したかったの.父の声を捜していろいろな方に来ていただいた.つまり,オーディションね.地球上には,そっくりな人が三人いるっていうでしょう.きっと声だって似ている人がいるはずだって,そう思って.でもね.早川はまるで要領を得ず,地域の朗読会だの妙な大会へ行ってはろくでもない男性を集めてくるし.私の体はその間どんどん使い物にならなくなってしまって.でもどれだけお金と時間をかけても,見つからなかった.どなたの声も違ってたわ.だからもう,すっかり諦めようとしてたんです.そこへあなたが現れて」

 

早川「しかし,奥様.図書館で働く姪に相談したのはこの私でございますが」「もっと早くに相談して下さればよろしかったのに.ずいぶん無駄な時間を過ごしました.嘆かわしい」「(横に跪いて)嘆かわしいって奥様.それは言い過ぎです(コップを手渡しながら)」

小笠原「(渡されたコップを受け取り,水を飲み)でもおかしなものねー,うふふふ.どうしてもって思っている間は,なかなか欲しいものが手に入らないのに,気持ちを手放したとたんに風のようにあなたの声がやって来た.ふううう.ふふふふ.さあ.今日の朗読をお願いします」「はい」

マモル

「ある朝 僕は 空の 中に、

 黒い 旗が はためくを 見た。

 はたはた それは はためいて ゐたが、 

 音は きこえぬ 高きが ゆゑに。 

 手繰り 下ろさうと 僕は したが、 

 綱も なければ それも 叶(かな)はず----」

  (曇天)

 

早川「これ,本日の謝礼です.恐縮です」「ええ,恐縮すべき金額です.全く準備がなされていない」「すみません」「はっきり申し上げます.奥様はもう長くはありません」「えっ」「奥様を心穏やかに見送って差し上げるのが,私の最後の仕事です.奥様を満足させられないような朗読をするなら,この私が許しません.訓練するように」「でもどうすれば」

早川「例えば,詩が生まれた場所で作者になった気持ちで,詩を読んでみるのもいいでしょう.文字の裏に隠れた感情がふつふつとわき出てきますか」「詩が生まれた場所?」

「さんま,  サンマ食べたいわ----- ではごきげんよう

(船の上)倉田「ポッカリ月が出ましたら、舟を浮べて出掛けましょう。波はヒタヒタ打つでしょう、風も少しは(湖上)

マモル「それ,こないだも歌ってましたけど,なんの歌ですか?」

(エンジンを止めて)倉田「さっさと降りんか」「こんな海のど真ん中」「ええから,はよー降りー」「中也をシランボケが,はなから,わしの船に乗るないやー.あっ?わりゃ,どこのもんきゃ」「い,いば,茨城です」「へじゃあ,なんしに来たんか?」

マモル「妻が,元妻ですけど.がこちらの生まれで」「元妻?」「今度は許してやる.けど,次来るときはようけ勉強しとけ.山口ちゅうたら中也いやあ.中也ゆうたら山口やあ.あたりまえじゃろうや」「チュウヤって中原中也ですか」「われが呼びすてにすんないやあ」「すいません.すいません」「あのバアさんも,こねえなもん雇うて,もうろくしとりゃせんか.  あみゃあまさかここのイカ,まだ食うちょらんちゅう事はないろうのお」「イカイカですか?」

(食堂に入るマモル)店員 緑「いらっしゃいませ」マモル「きつねうどんと---,イカ 下さい」「ふっ,変な組み合わせ」

「あっ」「あっ」

(うどをすするマモル)マモル「すっごく食べづらいんですけど」

(前に座った緑)「どうぞ遠慮なく,---何しにきたんですか?いまさら.もう,この辺りに用はないはずですけど」「彼女からスサ図書館の事聞いて行ってみたくなったんだ」「姉から連絡があったんですか?」「1週間くらい前に」「何か言ってましたか」「忘れ物があるとかなんとか」「あとは?」「指輪をわざわざ置いていったとか」「それだけ?」「だいたい」

「む〜.きっともう戻りませんね」

(うどんをすすり始めたマモルを見て)「何とも思わないんですか?」マモル「何を思ったらいいの?」「姉がいなくなって寂しくないんですか?捜そうとか思わないんですか? そんなひどい顔してるから,姉のこと思って,毎晩眠れないのかと思ったのに」「眠れないのは事実だけど」「姉が出て行った理由が分かる気がします」

(テーブルを叩く.大きな音!)

「姉は言ってました.一見優男に見えるけど,いつもぼけっとして何を考えているかよく分からない.優柔不断で大事な決断ができない.そのくせ仕事バカで家庭を顧みず,何をやらしてもすべてにおいて不器用でなっーんの取り柄もない人だけど,あなたの声だけは好きだったって」

 

(中也記念館を歩くマモル 記念の碑の前で書いてある詩を読む)「あゝ おまへはなにをして来たのだと……  吹き来る風が私に云ふ」

 

(以下続く)

yachikusakusaki.hatenablog.com

 

 

中原中也記念館

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帰郷 (全文)

 

柱も庭も乾いてゐる

今日は好い天気だ

    縁(えん)の下では蜘蛛の巣が

    心細さうに揺れてゐる

 

山では枯木も息を吐(つ)く

あゝ今日は好い天気だ

    路傍(みちばた)の草影が

    あどけない愁(かなし)みをする

 

これが私の故里(ふるさと)だ

さやかに風も吹いてゐる

    心置なく泣かれよと

    年増婦(としま)の低い声もする

 

あゝ おまへはなにをして来たのだと……

吹き来る風が私に云ふ

「(事件に分け入って)まず第一に,この事件にかかわる問題として,優生思想の観点を挙げたい」」藤井克徳さん ''日本社会のあり方を根本から問い,犠牲者に報いるために''(3)  (生きたかった 相模原障害者殺傷事件が問いかけるもの 大月書店)より

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日本社会のあり方を根本から問い,犠牲者に報いるために. 藤井克徳 ( 3 )

現代の日本社会を投影した事件 障害当事者の声

「この事件は現代日本社会の投影であり,障害者問題の縮図」「これまで感じたことのない怖さ」「自分達(障害当事者)に刃先が向けられている感じ」「これでまた精神疾患者への偏見が増すのではないか」藤井克徳さん ''日本社会のあり方を根本から問い,犠牲者に報いるために''(1)

死後まで続く差別 普通の感覚ではありえないこと(途中まで)

「あのような大事件で被害者の実名を伏せるということは,社会通念としてありえないのではないでしょうか」「こうしたあつかいは,死んでからも続く差別と言っていいのではないでしょうか」 ''日本社会のあり方を根本から問い,犠牲者に報いるために''(2)

 

普通の感覚ではありえないこと(続き)

一つ目は『被害者の実名を伏せたこと』

二つ目次に考えたいのは,たくさんの同胞が亡くなった同じ敷地内に,事件後も利用者がずっと暮らし続けていたことです.報道によると,その数は事件後一ヶ月の時点で九十人に上っていました.あのような凄惨な事件が起こった場合に,利用者に障害がなかったらどうでしょう.おそらく,いち早く事件現場を離れたところに暮らしの場を求めるように思います.それは,難を逃れた人の心のケアという観点からも重要なことです.決して犠牲になった利用者から心が離れるということではないと思います.しかし,現実には行政の判断を含め,長きにわたって事件現場の敷地に住まわせていました.異常というほかありません.厚労省の見解として,「慣れた環境の方がいいのでは」などと報道で伝えられていますが,これは障害のある人の人権や感性を本当に理解してもらっているとは思えない,デリカシーを欠いた詭弁です.

三つ目に,入所施設の問題があります.単純に入所施設をなくせばいいというようなことは思っていません.ただ,一般的にみて,障害をもたない青年や壮年が大規模な施設で長期間暮らすということはないはずです.厚労省は「施設から地域へ」と言ってはいますが,結果としてその流れを加速できていない現実があります.

私は9月2日に事件の現場に花を手向けに伺(うかが)いました.高尾山の麓(ふもと)に位置し,施設のすぐそばに沢がありました.大きな道路はありましたが,人の気配という点では寂しさを感じました.開設当初は,周囲に人家はほとんどなかったのではないでしょうか.タクシーの運転手によると,最寄りの鉄道駅(JR相模湖駅)からは3キロメートルということでした.こうした立地条件を含めて,入所施設がかかえる問題についても,この機会にあらためて深める必要がありましす.

以上三つの点が,ふつうの社会の感覚からすると不可解に思うところであり,それは事件後の今も続いています.しかし,これは単純に不可解なだけではなくて,これから述べる事件の本質とも関係があります.それをしっかり捉えていく必要があると思います.

 

重なったナチス・ドイツのT4作戦

ここから,もう少し事件に分け入っていきたいと思います.まず第一に,この事件にかかわる問題として,優生思想の観点を挙げたいと思います.

私は昨年,NHKの取材クルーとともにドイツを訪れました.以前から関心のあった,ナチス・ドイツ時代にくり広げられたT4作戦の問題について取材をおこなってきました.T4作戦は,「価値なき生命」の抹殺を容認する作戦ともいわれていました.「価値」の基準ははたらく能力であり,兵隊になれるかどうかも問われました.主には知的障害者精神障害者などの重度の障害者が標的にされ,医師により一酸化炭素ガスで殺害されました.作戦は第二次世界大戦が勃発(ぼっぱつ)した1939年9月1日付で始まり,2年後の1941年8月まで続き,ドイツ国内だけでも20万人以上が虐殺されました.

障害者専用の殺戮(さつりつ)施設はドイツ全土で六カ所設けられ,計画的に殺害されたのは7万人強でしたが,そのほかに「野性的な安楽死」と呼ばれるものがあります.「野生化」とは,国家のコントロールが効かなくなった状態を指し,命令中止後も看護師や介護士がそれぞれの現場で勝手に手を下しました.毒殺や,食物を与えない饑餓殺などが主な殺害方法とされました.

このT4作戦の根拠となったのが優生思想です.優生思想とは,優秀な子孫を残し,知的あるいは身体的に劣る者を人間の操作によって消滅させようというものです.優生学や優生思想そのものは,イギリスやドイツを中心に1800年代の後半から始まったものですが,ナチスがそれを一気に加速させ,T4作戦はそのピークに位置づけられます.

この優生思想と今回の事件はオーバーラップします.今回の容疑者が,どういう経緯でこうした優勢思想的な発想をもつに至ったのかについては非常に関心があります.ただし,優生思想は決して植松容疑者個人の特異な問題だけではないということです.

 

後を絶たない為政者の優勢思想的発言

以下続く :2007年神田真秋愛知県知事(当時),2009年竹原信一阿久根市長(当時),1999年石原慎太郎東京都知事(当時),2015年長谷川智恵子茨城県教育委員会委員(当時) の発言 など)

 

NHKドキュメンタリー - ETV特集 ▽それはホロコーストの“リハーサル”だった アンコール放映より[1]

フォン・ガーレン司教の説教 アンコール放映より[2]

パーキンソン病の父を殺されたバーデルさんのケース  / アンコール放映」より[3}

ナチ政権下での障害者殺害:動機は医師や学者からの要請 / アンコール放映より[ 4 ]

誰も止めることなくエスカレートした虐殺・家族によっても黙殺された殺害 /  アンコール放映より[5]

「山を見て感動する,という精神性を持つ外国人は見つかりませんでした」(山とロボットにみる西洋人の感覚)& 「水戸黄門の印籠に土下座し,バナナで電話する」(大阪人は日本人でない?)鴻上尚志 『クール・ジャパン!? 外国人が見たニッポン』(6)

 「世界にこんな見方があり,こんな考え方がある.多様であることを楽しむことは,きっと自分自身の人生も豊かにし,深くすることになるのです」

クール・ジャパンを知り,楽しむことは,未知なる自分と未知なる世界を知り,楽しむことと同じだと思うのです」

これは,NHKクール・ジャパン!? 発掘!かっこいいニッポン』の司会者,鴻上尚史さん自著『クール・ジャパン!? 外国人が見たニッポン』(講談社現代新書で書き記した言葉.

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このブログでも,このところ集中的にこの番組を取りあげてきました.

yachikusakusaki.hatenablog.com

 なぜ「洗浄器つき便座」は日本在住の外国人に愛されるのか? 2016年「外国人が選ぶ本当にかっこいいニッポン」トップ20位〜11位 『クール・ジャパン!? 外国人が見たニッポン』(2)

 2016年「外国人が選ぶ本当にかっこいいニッポン」②(トップ10位〜6位) & 2017年「世界が驚いた日本」①(トップ25位〜21位) 『クール・ジャパン!? 外国人が見たニッポン』(3)

 2016年「外国人が選ぶ本当にかっこいいニッポン」③(トップ5位〜1位) & 2017年「世界が驚いた日本」②(トップ20位〜11位) 『クール・ジャパン!? 外国人が見たニッポン』(4)

 「世界が驚いた日本」③(トップ10位〜1位) 『クール・ジャパン!? 外国人が見たニッポン』(5)

 

今回は鴻上さんの著書からあと二題.

 

1. 山とロボットにみる西洋人の感覚

(2009年の外国人がみつけた日本のクール・ベスト20)第12位は「富士登山」です.(2016年では第9位)

そもそも,山を見て感動する,という精神性を持つ外国人は番組では見つかりませんでした.日本では,ただ富士山を写すだけのライブカメラというものがいくつもネット上にあります.そのサイトを開けば,「今現在の富士山」がみられるのです.

外国にも,山を写す大分カメラはありますが,それは山の天候を知るためのものです.登山やスキーのために,山の状態を知りたいからカメラを向けるのです.

ただ,山が好きだから,綺麗だから,愛されているから,ライブカメラを向ける,という国はありませんでした.番組ではスイス人もいたのですが,ライブカメラはもちろんあるけれど,それは登山のためであって,山を愛でるためではない,と答えました.そもそも,山そのものを愛でる,山を神秘的なものとして崇める,という感覚が理解できない,と不思議そうに言いました.

 

ちょっと話はそれますが,これはキリスト教の影響が大きいのではないかと,僕は思っています.

ただ一つの神を信じる一神教として確立していくために,キリスト教は,自然信仰的なものをきびしく禁じました.

例えば,「満月に祈る」とか「大きな木には精霊がやどっているような気がするから大切にする」とか「湖や沼が神秘的な雰囲気だからお供え物をする」というようなことはすべて,「迷信」であり,「悪魔の誘惑」であり「堕落への始まり」「異端の信仰」だときびしく禁じたのです.

日本人からすると,ごく当たり前の気持ちです.富士山を見上げる時,なにか荘厳な気持ちになって,思わず拝んだり,頭を下げるとか,願をかける,というような感覚です.

キリスト教がきびしく禁じたと言うことは,そういう感覚を,ヨーロッパの人たちももともとは持っていたということです.

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さらに話は飛ぶのですが,「人間型ロボット」というのも,じつは日本の独壇場です.西洋が研究するロボットは,四足歩行だったり,上半身ではなくて二本足の部分しかなかったりして,人間の姿とはほど遠いものです.

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イタリア人の男性「私はカソリックです.神の教えを守っています.人間を創るのは神だけです.------ですから,欧米では人間型のロボットは創らないのです」

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こんな分野にも,というか,こんな分野だからかもしれませんが,一神教としてのキリスト教が影響しているんだと知って,僕は驚いたのです.

 

2.大阪人は日本人ではない?

(2009年の外国人がみつけた日本のクール・ベスト20)第13位は「大阪人の気質」です.

番組でこういう特集を組んだのです.それは,外国人の中から,「どうも大阪人は,私たちがイメージしている日本人と違う」という声が聞こえてきたからです.

内気で,恥ずかしがり屋で,奥ゆかしい,思ったことはなかなか口にしない,という日本人のイメージと,どうしても大阪人は合わないと言うのです(僕が言ってるんじゃないですよ.番組に出た,多くの外国人が口をそろえて言っているのです).

それほど言うのなら確かめてみましょうと,2009年,大阪でロケをしてみました.やることは簡単.外国人が,街を歩く大阪人に突然,葵の印籠を見せて「コノインロウガ メニ ハイラヌカ!?」とたどたどしい日本語で言うだけです.日本に住んでいる人ならみんな知っている『水戸黄門』のパロディーです.

呆れたことに,いえ,驚くことに,印籠を突きつけられた大阪人は,九割近い人が,「ははあ〜」と言いながら,ひれ伏す真似をしました.ロケ地が大阪城の近くだったので,ひれ伏さなかった残りの一割は大阪以外から来た観光客なんじゃないかと僕たちは想像しました.

20人ぐらい土下座の真似をしてくれる人を集めるのに,2時間はかかるかなと考えていたのに,20分で予定人数は集まりました.

東京で,事前にロケをしましたが,誰一人,やってくれませんでした.印籠を突きつけられた人はみんな,惑い,ポカンとし,照れ笑いをしながら「えっ?なんですか?」「印籠ですね----」「ごめんなさい」などと反応しただけでした.

大阪の結果に,外国人も番組スタッフも僕も,大笑いして感動しました.「これは,まるでラテンのノリなんじゃないの?」と口々に言いました.

歩いている人の前で突然,バナナを取り出し「ハイ モシモシ チョットマッテクダサイ」とバナナを渡すというネタもやりました.これまたほとんどの大阪人は,当然のようにバナナを受け取り「はい,もしもし」と耳に当て,すぐに「バナナやないかい!」と外国人に突っ込みました.業界用語で言う「ノリツッコミ」ですね.一回,相手のボケに乗って,その後,突っ込むという技です.バナナを突き出され,一瞬,戸惑う子供に,横で「アホ.ちゃんと受けんかい.もしもし,やろ」と,ノリの指導をする父親もいました.

どうしてそんなことを言うんですか?と訊けば,「いや,当然のことでしょ」としごく普通の顔で答えてくれました.

じつは,「回転寿司」も「カラオケ」も「インスタントラーメン」もすべて大阪で生まれて世界に広まったものです.どれも感動的な発明というよりは,思いついた時にちょっと笑ってしまう雰囲気があります.いえ,バッタもんの匂いさえします(笑).

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それともうひとつオレオレ詐欺」「振り込め詐欺」は,大阪では発生件数がとても少ないそうです.電話を受けた母さんが「あんた,誰や?」と徹底的に突っ込むからでしょうか.

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YouTube水戸黄門パロディin Osakaの映像はありませんでしたが,このような大阪人気質は,みのもんたさんの番組でも取りあげられその映像が投稿されていました.さらに外国人出演の類似した投稿動画ありました.残念なのはどの動画も撮影技術・演出法が私の好みと合わず,面白みにやや欠けているような--.リンクだけ貼っておきます. Osaka Bang! Gaijin SMASH - Fake Shooting People in Japan: 外人と大阪バーン 打たれたふり 大阪人のありえへんルール - YouTube 秘密のOSAKA #ナニワキッズ編 - YouTube

 

款冬華(かんとうはなさく,ふきのはなさく)雪の下からふきのとうが顔をだす頃