日本社会のあり方を根本から問い,犠牲者に報いるために. 藤井克徳 ( 3 )
現代の日本社会を投影した事件 障害当事者の声:
死後まで続く差別 普通の感覚ではありえないこと(途中まで)
普通の感覚ではありえないこと(続き)
(一つ目は『被害者の実名を伏せたこと』)
(二つ目)次に考えたいのは,たくさんの同胞が亡くなった同じ敷地内に,事件後も利用者がずっと暮らし続けていたことです.報道によると,その数は事件後一ヶ月の時点で九十人に上っていました.あのような凄惨な事件が起こった場合に,利用者に障害がなかったらどうでしょう.おそらく,いち早く事件現場を離れたところに暮らしの場を求めるように思います.それは,難を逃れた人の心のケアという観点からも重要なことです.決して犠牲になった利用者から心が離れるということではないと思います.しかし,現実には行政の判断を含め,長きにわたって事件現場の敷地に住まわせていました.異常というほかありません.厚労省の見解として,「慣れた環境の方がいいのでは」などと報道で伝えられていますが,これは障害のある人の人権や感性を本当に理解してもらっているとは思えない,デリカシーを欠いた詭弁です.
三つ目に,入所施設の問題があります.単純に入所施設をなくせばいいというようなことは思っていません.ただ,一般的にみて,障害をもたない青年や壮年が大規模な施設で長期間暮らすということはないはずです.厚労省は「施設から地域へ」と言ってはいますが,結果としてその流れを加速できていない現実があります.
私は9月2日に事件の現場に花を手向けに伺(うかが)いました.高尾山の麓(ふもと)に位置し,施設のすぐそばに沢がありました.大きな道路はありましたが,人の気配という点では寂しさを感じました.開設当初は,周囲に人家はほとんどなかったのではないでしょうか.タクシーの運転手によると,最寄りの鉄道駅(JR相模湖駅)からは3キロメートルということでした.こうした立地条件を含めて,入所施設がかかえる問題についても,この機会にあらためて深める必要がありましす.
以上三つの点が,ふつうの社会の感覚からすると不可解に思うところであり,それは事件後の今も続いています.しかし,これは単純に不可解なだけではなくて,これから述べる事件の本質とも関係があります.それをしっかり捉えていく必要があると思います.
重なったナチス・ドイツのT4作戦
ここから,もう少し事件に分け入っていきたいと思います.まず第一に,この事件にかかわる問題として,優生思想の観点を挙げたいと思います.
私は昨年,NHKの取材クルーとともにドイツを訪れました.以前から関心のあった,ナチス・ドイツ時代にくり広げられたT4作戦の問題について取材をおこなってきました.T4作戦は,「価値なき生命」の抹殺を容認する作戦ともいわれていました.「価値」の基準ははたらく能力であり,兵隊になれるかどうかも問われました.主には知的障害者や精神障害者などの重度の障害者が標的にされ,医師により一酸化炭素ガスで殺害されました.作戦は第二次世界大戦が勃発(ぼっぱつ)した1939年9月1日付で始まり,2年後の1941年8月まで続き,ドイツ国内だけでも20万人以上が虐殺されました.
障害者専用の殺戮(さつりつ)施設はドイツ全土で六カ所設けられ,計画的に殺害されたのは7万人強でしたが,そのほかに「野性的な安楽死」と呼ばれるものがあります.「野生化」とは,国家のコントロールが効かなくなった状態を指し,命令中止後も看護師や介護士がそれぞれの現場で勝手に手を下しました.毒殺や,食物を与えない饑餓殺などが主な殺害方法とされました.
このT4作戦の根拠となったのが優生思想です.優生思想とは,優秀な子孫を残し,知的あるいは身体的に劣る者を人間の操作によって消滅させようというものです.優生学や優生思想そのものは,イギリスやドイツを中心に1800年代の後半から始まったものですが,ナチスがそれを一気に加速させ,T4作戦はそのピークに位置づけられます.
この優生思想と今回の事件はオーバーラップします.今回の容疑者が,どういう経緯でこうした優勢思想的な発想をもつに至ったのかについては非常に関心があります.ただし,優生思想は決して植松容疑者個人の特異な問題だけではないということです.
後を絶たない為政者の優勢思想的発言
(以下続く :2007年神田真秋愛知県知事(当時),2009年竹原信一阿久根市長(当時),1999年石原慎太郎東京都知事(当時),2015年長谷川智恵子茨城県教育委員会委員(当時) の発言 など)
NHKドキュメンタリー - ETV特集 ▽それはホロコーストの“リハーサル”だった アンコール放映より[1]
パーキンソン病の父を殺されたバーデルさんのケース / アンコール放映」より[3}