桜餅  小麦粉生地で餡を包み,オオシマザクラの葉の塩漬けで包むのが関東風.関西風は道明寺粉で餡を包むのが一般的.桜餅の元祖とされるのが,東京向島の山本や(1717年).江戸で大評判となり,錦絵に描かれ,江戸名物双六にも取り上げられています.江戸の人気を知って,天保年間に大阪でも桜餅の販売が始まります.現在の国産桜葉の7割が伊豆松崎産.今では桜葉生産に特化した栽培が行われています.桜餅の葉を食べる人と食べない人の数は拮抗しているようですが,人それぞれでいいのでしょう.

かしわ餅と並んで,葉で包んだ人気和菓子の双璧といえる桜餅.

桜の葉は,オオシマザクラの葉を塩漬けした物(輸入品も使われますが).

餡を包む生地は小麦粉生地,

と思っていたら,関西地方は道明寺粉(*)を使ったものが多く売られています.関西に在住した時に初めて知りました.

(*)道明寺粉:

もち米を蒸して乾燥した道明寺乾飯(ほしいい)をひいて粉にしたもの。和菓子の材料にも用いた。どうみょうじだね。道明寺は大阪府藤井寺市にある寺院.(ニッポニカ/精選版日本国語大辞典

 

https://mi-journey.jp/foodie/94575/

関東風桜餅

関西風桜餅

京都発祥の虎屋は,関東風の物をつくっています.今は東京のお店中心のため?

https://mi-journey.jp/foodie/94575/

 

桜葉を使う桜餅の元祖とされるのが,東京向島の山本や.

(事典和菓子の世界 岩波書店

現在もお店は続いていて,長明寺桜もちとして販売しています.

https://sakura-mochi.com/products/index.php

https://kurashi-to-oshare.jp/going/64162/

ホームページの紹介は次の通り.

https://sakura-mochi.com/

「創業者山本新六が享保二年(1717年)に土手の桜の葉を樽の中に塩漬けにして試みに桜もちというものを考案し、向島名跡長命寺の門前にて売り始めました。

その頃より桜の名所でありました隅田堤(墨堤通り)は花見時には多くの人々が集い桜もちが大いに喜ばれました」

 

文化・文政時代には大評判になり,錦絵に描かれ,江戸名物双六にも取り上げられています.

https://sakura-mochi.com/

https://ndlsearch.ndl.go.jp/imagebank/column/sakuramochi

https://ndlsearch.ndl.go.jp/imagebank/column/sakuramochi

 

一方の関西風桜餅.

天保年間(1830-1844)に、大坂北堀江の土佐屋が江戸の桜餅の人気を知って、桜餅の販売を始めたのが起源とされています.https://ndlsearch.ndl.go.jp/imagebank/column/sakuramochi

なぜ道明寺粉を用いるようになったかは不明ですが,道明寺粉の人気が高かったことは確か.https://kotobank.jp/word/道明寺種-1377330#goog_rewarded

 

桜餅は,春の香りゆかしい和菓子ですが,かしわ餅と違って,お店によっては一年中販売していますね.

以前は,それぞれの土地の桜葉を用いていたのでしょうが —私の友人に和菓子屋の子供がいて,彼が桜の葉を集めていたのを知っています—

今は,和菓子材料店で桜の塩漬けが売られています.

https://www.tengyokudopro.jp/SHOP/326555/327067/list.html

そして,国産の桜葉の7割を生産しているのが,伊豆の松崎.

静岡県賀茂郡松崎町

以前は,薪炭生産用の桜の葉を使っていたのですが,現在は,桜葉生産に特化したオオシマザクラ栽培を行っているとのこと.

https://www.town.matsuzaki.shizuoka.jp/docs/2019011700029/

松崎町の桜葉の塩漬け」は,環境省のかおり風景100選に選ばれています.

https://www.env.go.jp/air/kaori/48sakuraba.htm

 

なお,桜餅の葉を食べるか食べないかは,人それぞれですが,女性対象のある調査では,

https://www.news-postseven.com/archives/20160403_399344.html?DETAIL

55%が食べる派,45%が食べない派だそうです.

 

私は食べる派ですが皆さんは?

かしわ餅  柏餅が広まったのは,おそらく江戸時代の江戸から. 新芽が出るまで古い葉が落ちない柏に子孫繁栄の願いを込め,武家社会の江戸では端午の節句に食べることが定着したとのこと.しかし,もともと,食べ物を柏で包む風習はあったようで「かしわは,”炊(かし)く葉”から」.一方,西日本ではサルトリイバラで包んだ行事用の餅が広く食べられてきたようで,現在ではこれをかしわ餅を呼んでいるところも多いとのこと.

柏餅の季節ですね,

町の和菓子店から,デパ地下の有名店まで,この時期必ず柏餅を販売していると思います.

https://mi-journey.jp/foodie/95918/


事典和菓子の世界(中山圭子 岩波書店)によれば,柏餅が広まったのは,おそらく江戸時代の江戸から.

新芽が出るまで古い葉が落ちない柏に子孫繁栄の願いを込め,武家社会の江戸では端午の節句に食べることが定着したとのこと.

 

ネット上のかしわ餅の解説は,ほぼ全て同様の記事となっています.しかし,もともと,食べ物を柏で包む風習はあったようで:

 

「かしわ」の語源で有力なのが「かしわは,”炊(かし)く葉”から」とする説(ニッポニカ).また,「かしわ」には,「上代、飲食物を盛り、また祭祀具として用いられた木の葉の食器」の意味もあります(精選版日本国語大辞典).

 

餅を柏で包むことは古くから行われていて,端午の節句に食べるようになったのは,子孫繁栄の意味を込めたため,と考えると納得です---実際は?

 

一方,柏の採れない地方では,かしわ餅はサルトリイバラの葉で包むという記事も多く見かけます.

(例えば,事典和菓子の世界,日本和食卓文化協会https://www.nihonwasyokutakubunka.com/column/2834

(サルトリイバラの異名である山帰来としている記事もあります.もともとはサルトリイバラの根が生薬「山帰来 さんきらい」https://kotobank.jp/word/サルトリイバラ

 

サルトリイバラを使っているのにかしわ餅と呼ばれている!

https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/43_15_yamaguchi.html

しかし,この記事をよく読むと,「かしわ餅」は後からつけられた名前.日本全国の行事食として広まってきた江戸由来の「かしわ餅」の名前を,一年中食べられていた郷土食の名に用いたというのが真相のように思います.

https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/43_15_yamaguchi.html

山口県では、郷土料理のひとつとして親しまれており、「ほてんどもち」「いぎの葉もち」「ぷとんもち」「ぼたんもち」など別名も多い。かつては端午の節句の他に田植えやお盆行事の際にも、各家庭で作り、食されてきた。特に、手作業で行われていた田植えは重労働であり、「柏餅」が食べられることがひとつの楽しみになっていたと言われている。また、「柏餅」を作ったら隣近所に配ることもあったという。

 

サルトリイバラで包んだ三重県の郷土食は,いばら餅とされていますが,これもよく読むと名前は地方によって様々で,節供以外にも食べられていたようです.https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/ibara_mochi_mie.html

(いばら餅は)地域によって名称が異なる。津市では「いばら餅」というが、東紀州地域では「おさすり」といい、中南勢地域の安濃町近辺では「いばらまんじゅう」、北勢地域の竹成では「がんだち餅」、亀山市では「どっかん餅・どうかん餅」という。どっかん餅は、「どうかん」という名の人物が野上りの祝いにいばらの葉で包んだ餅をつくり、村人に振舞ったところ喜ばれ村人も真似して同様の餅をつくったことから名づけられたといわれている。伊賀地域では「いばらだんご」という。

尚、野上りは田植えなどの農作業の終わりを祝う行事である。この行事にちなんで「野上りまんじゅう」ともいわれている。このように5月の節句以外にも農作業の合間のおやつとしても食べられ、野上りの行事でも農作業を手伝ってくれた人々と共に食べ、労をねぎらうという風習がある。

 

ネット上に記事を集めてみると,「サルトリイバラを用いた行事用の餅は,西日本一帯にかなり広まっていて,かしわ餅の代用としても用いた」と考えるのが妥当のように思われますが,あくまでも私の印象で,実際どうだったかは不明です.専門の先生方には,もう一歩,つっこんだ食文化研究をしてもらいたいですね.

 

一方の柏で包んだかしわ餅.節供にかしわ餅を食べる風習が江戸から広まったとしても,関東地方には,柏で包んだ餅を節供以外に食べる風習はなかったのでしょうか?

(事典和菓子の世界にはかしわ餅が街道の茶店でも売られていたとの記事はあります)

繰り返しになりますが,

「かしわ」には,「上代、飲食物を盛り、また祭祀具として用いられた木の葉の食器」の意味もある(精選版日本国語大辞典).

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/カシワ

ブナ目 Fagales

ブナ科 Fagaceae

コナラ属 Quercus

コナラ亜属 subgen. Quercus

カシワ Q. dentata

 

 

松の花を詠んだ短歌 昨日の散歩で出会った花は22種.最後は,神社の境内の松の花.地味ながら元気いっぱいの花. よべの雨に小径の石の現れてすがしくもあるか散る松の花 島木赤彦  夕日かげまばゆき松の下枝の花粉こぼれてちるがけぶれり 岡麓  うす曇る空に並み立つ松の花伸び急ぐ日を我らも忙し 窪田空穂  庭に見るつつじ山吹あかるくてさびしくもあるかこの松の花 若山牧水  微かに松の花粉こぼるる夕まぐれまた逢はむ日の思ほゆるなり 大西民子

昨日は,近所のカタバミを探すついでに,ぐるりと境川の河畔を散策.

今日はその途中で出会った,おそらく,その多くをほとんどの人が振り返らない花たちを,かたはしから集めてみました.数えてみると22種.

 

ハルジオン ハルノノゲシ

タンポポ ヒメツルソバ 

ノアザミ

ナガミノヒナゲシ,イモカタバミ

シャリンバイ,ジャノメクンショウギク,マーガレット

ユリオプスデージー

ドウダンツツジ,シャリンバイ

 

 

セイヨウキランソウアジュガ),ヒナギク(デージー),ノースポール,シバザクラ

ツツジ

オオカナメモチ

モッコウバラランタナ

 

最後に訪れたのは,境川から少し外れたところにある諏訪神社

ネット上の由緒と沿革では,次のように記載されています.

https://katasesuwajinja.com/

今から一二八〇年余り前(奈良時代)養老七年(七二三年)に信濃国(長野県)諏訪大社からの御分霊として上下両社に鎮座されました.

片瀬の地は現在とは地形が異なり、以前は水面の覆われた大きな沼湖であり、それが諏訪湖を取り巻く諏訪の地に良く 似ていたことからこの地が選ばれたと思われます.

スワとは州端(スワ)で水辺の端に鎮座した所から名付けられました.

 

境内には,色彩豊かな花はありませんが,松のみどりが美しい.そして,今の季節は色は地味ながら元気いっぱいの花を咲かせています.

 

松の花を詠んだ短歌

(古今短歌歳時記より)

 

よべの雨に小径の石の現れてすがしくもあるか散る松の花  島木赤彦 太虚集

 

夕日かげまばゆき松の下枝の花粉こぼれてちるがけぶれり  岡麓 庭苔

 

うす曇る空に並み立つ松の花伸び急ぐ日を我らも忙し  窪田空穂 卓上の灯

 

庭に見るつつじ山吹あかるくてさびしくもあるかこの松の花  若山牧水 くろ土

 

ゆく春を池にむかえる松ばらは松に咲きたる花しづかなり  中村憲吉 軽雷集

 

松の花粉風に散りゆき咲きをはる花のすがたのしづかになびく  長澤美津 水面

 

微かに松の花粉こぼるる夕まぐれまた逢はむ日の思ほゆるなり  大西民子 まぼろしの椅子

 

郭公は十日ほどゐて去りぬらし松の花咲くころ空濁る  石川不二子 鳩子

 

酢漿草(かたばみ) 清少納言も取り上げ(「かたばみ,綾の紋にてあるも,ことよりはをかし」),何人かの近代歌人も好んで歌題にしています.群れ生いし酢漿草(かたばみ)の葉のか青きに時雨ふりつつさびしきろかも 斎藤茂吉  三つよりて仲むつまじき酢漿草のかたちくづさずあり経むものを  若山喜志子  やっかいな雑草であると同時に花・葉は愛らしい.十円玉をこすったり,実をそっと触ってはじける種を眺めて楽しんだりすることもできます.

酢漿草(かたばみ)は,最もよく見かける雑草の一つですが----

https://ja.wikipedia.org/wiki/カタバミ

古今短歌歳時記(鳥居正博 教育社)をみて,かなり名の通った歌人によって短歌に詠まれていることを知りました.

どの歌も,さりげなくかたばみを慈しんでいるように思います.

 

 

群れ生いし酢漿草(かたばみ)の葉のか青きに時雨ふりつつさびしきろかも  斎藤茂吉 寒雲

 

三つよりて仲むつまじき酢漿草のかたちくづさずあり経むものを  若山喜志子 筑摩野

 

をさなごと幾度か来し道ばたにかたばみの花むらがり咲けり  杉浦翠子 藤浪

 

しじみ蝶花うつりゆくかたばみに書きあぐみたる心あそばす  谷鼎 冬びより

 

花了へし酢漿草(かたばみそう)のひと群れをさりげなく視てわれさらむとす  吉野鉦二 山脈遠し

 

枕草子にもとりあげられ,「かたばみ,綾の紋にてあるも,ことよりはをかし」(酢漿(かたばみ)は、綾織りのような模様になっているのが、他の草よりも良い。)とあるそうです.

枕草子の「紋」は,模様の意味でしょうが,この模様は現在でも多くの「家紋」として用いられています.清少納言の感性は,その後の日本人の感性でもあったと言えるのでしょう.

https://ja.wikipedia.org/wiki/カタバミ


このように,葉,花とも,雑草に分類してしまうのは,惜しい植物で,実際,属名のオキザリスラテン語名)の名前で,鑑賞用の栽培種が沢山生み出されています.

https://www.shuminoengei.jp/?m=pc&a=page_image_slideshow&target_plant_code=311&target_hinshu_code=3

 

カタバミは,ちょっとした不思議な性質を持っていて,植物に親しむための学校教材としても用いられています.

 

1. 雨や曇った日には開花しない.もしくは早く花を閉じる.

実は,今日の冒頭のカタバミの写真は,自分で撮影したものにするつもりだったのですが---

わが家の隣の児童公園のカタバミは,全て花を閉じていました.

オオキバナカタバミの花も含めて.

あいにく今日は曇っていた!

夕方に花を閉じるだけだと思っていたのですが,雨や曇りの時は開花しないんですね.(今までの観察眼のなさに恥じ入るばかり)

https://www.ja-narita.or.jp/toyamayasouen/カタバミ(カタバミ科)

https://jspp.org/hiroba/q_and_a/detail.html?id=4770&key=&target=

 

2.カタバミは酸っぱい.

カタバミの漢字「酢漿草」は,漢名をそのまま当てて使用しています.酢漿=酸っぱい汁.

https://ja.wikipedia.org/wiki/カタバミ

葉や茎は、シュウ酸水素ナトリウムなどの水溶性シュウ酸塩を含んでいるため、咬むと酸っぱい。 シュウ酸は英語で oxalic acid というが、カタバミ属 (Oxalis) の葉から単離されたことに由来する。

 

カタバミを食べない方が良い」というアドバイスもネット上にのっていますが---

英語版ウィキペディアによれば,英語では,カタバミ属の植物をWood sorrelといい,世界中で食べられてきた歴史があるそうです.

Wood sorrel (a type of oxalis) is an edible wild plant that has been consumed by humans around the world for millennia.

カタバミは食用の野生植物であり、数千年もの間、世界中の人類が食してきた

https://en.wikipedia.org/wiki/Oxalis

日本でも,サラダ用のオキザリスが販売されています.

https://item.rakuten.co.jp/e-yamanashi/ef-0008/

カタバミはシュウ酸をかなりの量含みます.この性質を利用して,「カタバミで十円玉をこすってピカピカにする」という植物遊びがよく知られています.

https://www.city.sapporo.jp/museum/ouchimuseum/20210924.html

 

3. カタバミは種を遠くにとばす.自力で!

カタバミの熟した実をそっと持ってきて,https://www.city.sapporo.jp/museum/ouchimuseum/20210924.html

実の真ん中くらいをつまむと…

NHKは動画にしてくれています.一見の価値あり.

https://www2.nhk.or.jp/school/watch/clip/?das_id=D0005400777_00000

 

カタバミの仲間

 

 

カステラ2 カステラの語源は,「ポルトガル語のpão de Castella 」とするのが一般的になっています.現在ポルトガルで広く食べられているPão de Ló(パン・デ・ロー)のルーツのひとつもpão de Castellaで,卵,砂糖,小麦からつくられ,カステラの主な材料と一致します.日本のカステラは,これに水飴/蜂蜜を加えてしっとり感を出しているのが特徴的ですが,「材料の配合量や焼き方にそれぞれの店の秘法がある」とのことです.

「カステラとは,安土桃山時代ポルトガル経由で日本に伝わった『南蛮菓子』をもとに日本で生まれた和菓子の一種」とされています.

https://www.castella.website/nagasakicastella/000000000004/ 

https://www.fukusaya.co.jp/

https://shooken.com/

 

カステラの語源は,「ポルトガル語のpão de Castellaカスティーリャ王国ースペインの一地方ーのパン)もしくはBolo de Castelaを略して,当初はカステイラとした」とするのが一般的.

精選版日本国語大辞典,ニッポニカ,改訂新版世界大百科事典,事典和菓子の世界(中山圭子) 等.

 

他の可能性としては,「オランダ語 Castiliansh-brood(カスティーリャンシュのパン)

の略」(精選版日本国語大辞典),「ポルトガル語beter claras em castelo(卵白を白のように泡立てる)」(事典和菓子の世界).

 

 

カステラの語源となったポルトガルのpão de Castellaは,現在ポルトガルで広く食べられているPão de Lóパン・デ・ローのルーツでもあります.(Pão de Lóのルーツには他の説もある).

https://www.google.com/search? Pao-de-lo

英語版ウィキペディアによれば,https://en.wikipedia.org/wiki/Pão_de_Ló

パン・デ・ローは卵,砂糖,小麦からつくられます.イースト等を用いないため,「望ましい膨らみをえるために,手作業で1時間以上卵を泡立てる必要があり、1900年代半ば以前は、この仕事は一般的に女性に任されることが多かった」とのこと.現在でも作るためには職人技が必要とされ,「伝統的なパン・デ・ロー」がポルトガル農業省により認定されています.

この英語版ウィキペディア「Pão de Ló」には,ポルトガル国外のものとして,カステラへの言及があります!

 

 

パン・デ・ロ同様,日本のカステラの主原料は,卵,砂糖,小麦粉.

パン類と異なりふくらし粉やイーストは用いず,また,パウンドケーキなどと違って乳製品(牛乳,バター)も用いません.

早くも江戸時代のレシピ本(古今名物御前菓子秘伝抄ここんめいぶつかしひでんしょう 1718)に作り方が掲載されています(事典和菓子の世界)

ただし,この江戸時代のレシピで作られたカステラは「おそらく現在より薄く.ぱさぱさした物だったろう」(事典和菓子の世界)とのこと.

現在のカステラは,明治以降の改良の積み重ねの結果(事典和菓子の世界)で,特に現在のしっとり感のあるカステラは,水飴/蜂蜜を加えたことが要因とされています.(事典和菓子の世界)

 

ブリタニカによれば
「原料は鶏卵,砂糖,小麦粉に水飴,蜂蜜,清酒,食塩などを配し,その配合量,焼き方にそれぞれの店の秘法がある」とのことですが---
カステラの名店とされる中でも最も歴史あるお店,福砂屋の紹介文は以下の通り:

福砂屋のカステラ製造は,素材選びからスタートします.特筆すべきは,地元長崎産の新鮮な鶏卵と奄美大島の黒糖の使用です.これらが見事な調和を醸し出し,甘さとふんわりとした食感が引き立っています.

 

さらに特徴的なのが,上質なシロップをたっぷりと使用し,しっとりさせている点です.その結果,口の中で広がる甘さはしつこさを感じさせず,すっきりとした後味をもたらします.これは,福砂屋の長きに渡る匠の技術による,伝統と革新が融合した結果なのです.

 

カステラ1 カステラは和菓子? 1681年創業の長崎松翁軒のウェブサイトによれば「ぜいたくな砂糖と禁断の卵をたっぷり使った菓子を,長崎の菓子職人たちはさまざまな工夫を加えて,異国風味の和菓子に育て上げました」. 英語版ウィキペディアCastellaでは「カステラとは,安土桃山時代に海外から日本に伝わった『南蛮菓子』をもとに日本で生まれた和菓子の一種」.事典和菓子の世界では,「確かに南蛮菓子という性格上,西洋起源であることは事実.しかし,長い歴史を経て,カステラはすっかり日本独自のものに変化している」

文明堂のカステラを買い求め,久しぶりに食べました.子供の頃から大好きなお菓子の一つです.

 

カステラ1

文明堂という名前の菓子店は,長崎で誕生した1900年創業の老舗ですが,日本全国に広がり,それぞれの地で別会社を立ち上げているとのこと.

私が購入したのは横浜文明堂の品物.

https://www.bunmeido.co.jp/contents/357

「3時のおやつは文明堂」のキャンペーンもあって,カステラといえば文明堂とすり込まれている方も多いかと思いますが,創業は明治.

https://yokohama-bunmeido.co.jp/

精選版日本国語大辞典には,「日本での製造は,長崎本博多町和泉屋長鶴本家が最初といわれ」とありますが,いつ頃作られたかの記載はなし.また,現在ある長崎和泉屋は1956年創業で,カステラ発祥のお店との関係は,ネット上からは不明.https://www.n-izumiya.com/company/companyprofile/

 

江戸時代の前期に創業し,現在まで作り続けている店も知られていて:

 1624年創業:福砂屋

 1681年創業: 松翁軒

それぞれ「カステラ本家」「カステラ元祖」を名乗っていますが,いずれも長崎のお店.

https://www.fukusaya.co.jp/

https://shooken.com/

 

松翁軒のウェブサイトによれば,

https://shooken.com/

:長崎といえばカステラ,カステラといえば長崎.

そのカステラが,遠く遥かなポルトガルからこの国に伝えられたのは,戦国時代もようやく終わろうという1500年代半ば.

ぜいたくな砂糖と禁断の卵をたっぷり使った菓子を,長崎の菓子職人たちはさまざまな工夫を加えて,異国風味の和菓子に育て上げました.

やがてカステラは京,江戸へとひろがり,当時併用へただひとつ開いた窓,長崎の代名詞となってゆきます.

 

そして,この紹介文にあるように,カステラは「異国風味の和菓子」.

洋菓子ではない!

 

和菓子であることは,世界的にも認知されていて,例えば,英語版ウィキペディアには,

castella”の項目が立てられていて,解説の冒頭には次のような文章が:

Castella (カステラ, kasutera) is a kind of wagashi (a Japanese traditional confectionery) developed in Japan based on the "Nanban confectionery" (confectionery imported from abroad to Japan during the Azuchi–Momoyama period).

deepL翻訳

カステラとは,安土桃山時代に海外から日本に伝わった「南蛮菓子」をもとに日本で生まれた和菓子の一種.

 

 

事典和菓子の世界(中山圭子 岩波書店)によれば:

「カステラは和菓子です」というと,同意を得られないことがままある.

その形,食感から,まず洋菓子が連想されてしまうからだろう.確かに南蛮菓子という性格上,西洋起源であることは事実.しかし,長い歴史を経て,カステラはすっかり日本独自のものに変化している.

今や原形とされるスペインのBizcocho(Biscocho)や

https://www.google.com/search? Bizcocho

ポルトガルのPão de Lóとは,味わい・形も全く違うのだ.

https://www.google.com/search? Pao-de-lo

というのも明治時代以降,水飴や蜂蜜を入れ,異国にはないしっとりとした食感のものがつくられるようになったためだ.

形についても,日本ではスペイン・ポルトガルでよく見られる丸形が普及せず,直方体が定番となった.

 

 

平塚花菜(かな)ガーデンで出会った花々2 バラ園には沢山の品種が植えられていますが,この日咲いていたのは一種一輪.比較的沢山の品種が揃えられていたのがマグノリア.遠くから目立つていたのは花ではなく唐楓と楠木の新芽.キクモモの赤は印象的.りんごも花を咲かせていました. 石狩の都の外の/君が家/林檎の花の散りてやあらむ 石川啄木  林檎さくところを行けり紅に白まじはりて日に照らふ花 佐藤佐太郎

昨日訪れた,平塚花菜(かな)ガーデンで出会った花.

今日は木本編.

 

この花菜ガーデンで,最も充実している花木は,バラかと思いますが,まだ時期が早く,咲いていたのは,一つだけ!

この日のバラ園では貴重なこのバラの品種名は,オールドプラッシュ.ネット上ではもっと美しい形の画像が沢山並んでいますが---.バラの品種改良の歴史でとても重要な品種とのこと.

植えられているバラの品種はとても多く,開花時には是非また来て見たいと思わされました.品種別に配置されているようで,その点も魅力.

 

今の時期の主役,ヤエザクラ.ただ,まだ木が小さく,花の重さに負けている感じだったのは残念.

 

比較的沢山の品種が揃えられていたのが,マグノリア

 

遠くから目立っていたのは,花ではなく新緑の美しいトウカエデ(多分)とクスノキ

クスノキは常緑樹なのに,今の季節,ほぼ全ての葉を入れ替えます.

 

濃い赤色が目立つのが,キクモモとトキワマンサクトキワマンサクは街中でもよく見かけますが,キクモモは初めてでした.

 

 

フジ棚はあまり大きくはありませんが,満開でした.

 

どこで見ても美しいモッコウバラ

 

このあたりではあまり見かけないリンゴの木.花も美しいですね.

石狩の都の外の/君が家/林檎の花の散りてやあらむ  石川啄木 一握の砂

 

りんごの花のゆふべは霞むほの明かりたどりて何に逢はむとはする  斉藤史 やまぐに

 

林檎さくところを行けり紅に白まじはりて日に照らふ花  佐藤佐太郎 立房

 

東北を旅行く父へ降りかかるりんごの花か冷えぞ身に沁む  佐佐木幸綱 夏の鏡

 

平塚花菜(かな)ガーデンで出会った花々1  花菜ガーデンはかなり広い敷地で,広い芝生と沢山の花々を楽しむことができました.一般の植物園にはなかなか見られない大きな花壇に植えられたチューリップをはじめ,沢山の草花に出会うことができました: ラナンキュラス,アフリカンデージー,ハゴロモギク,デージー,キランソウ,イベリス,イブキジャコウ,ローズマリー,ナノハナ,キンギョソウ,ヒメキンギョソウ,ルピナス,オオイヌノフグリ,シロツメクサ,カタバミ,タンポポ---

平塚にある,花菜(かな)ガーデンまで行って来ました.

別名,神奈川県立花と緑のふれあいセンター.

https://kana-garden.com/

かなり広い敷地で,広い芝生と沢山の花々を楽しむことができました.

出会った花々の写真を今日明日紹介しようと思います.

今日は草本編.

 

最も数が多く植えられていたのは,ビオラ.そろそろ終わる季節ですが,このガーデンのビオラはまだ元気でした.



今の季節は,草花ならばチューリップですね.かなり広いチューリップの花壇があって,色とりどり,形も様々な花を楽しむことができました.

 

 

多摩川の砂にたんぽぽ咲くころはわれにもおもふひとのあれかし  若山牧水 路上

 

たんぽぽは絮(わた)となりて風に舞ふ亡き友恋ふる忍路(おしょろ)の浜に  木俣修 昏々明々



 

 

 

仏蘭西のみやび少女がさしかざす勿忘草の空いろの花  北原白秋 桐の花

 

思ふてふこと言わぬ人の/おくり来し/忘れな草もいちじろかりし  石川啄木 一握の砂

 

 

八重桜・遅桜を詠んだ短歌2 「八重桜は異様ことやうのものなり」(兼好法師)と思う方もおいでかとは思いますが,私は考えを改めています.八重桜も見事です. 咲垂るる八重ざくら花ゆらぎ出でいや照りつつも重くしづまる 窪田空穂  いやはてに鬱金ざくらのかなしみのちりそめぬれば五月はきたる 北原白秋  八重ざくら春の名残りと散り頻(し)くに心は寄りて木の下に来つ 村松英一  ここに孤(ひと)りとなりゆくことの淋しさに今朝のひかりに咲く八重桜 柴谷武之祐

今満開の鎌倉極楽寺の八重桜.とても見事な花でした.

 

以前は,桜は一重.八重は邪道などと思っていましたが,そんなことはありませんね.

しかし,中には,「桜は一重に限る」と思っておられる方もおいでになるように思います.徒然草兼好法師がその代表でしょうか?

古今短歌歳時記では,徒然草の一節を引用して,「兼好は八重桜・遅桜には批判的である」としています.

 

徒然草一三九段

家にありたき木は、松・桜。松は、五葉(ごえふ)もよし。

花は、一重ひとえなる、よし。八重桜は、奈良の都にのみありけるを、この比ぞ、世に多く成り侍はべるなる。吉野の花、左近(さこん)の桜、皆、一重(ひとえ)にてこそあれ。

八重桜は異様ことやうのものなり。いとこちたく、ねぢけたり。植ゑずともありなん。遅桜おそざくらまたすさまじ。虫の附きたるもむつかし。

 

吾妻利秋訳

https://tsurezuregusa.com/139dan/

家に植えたい木は、松と桜。五葉の松も良い。

桜の花は一重が良い。「いにしえの奈良の都の八重桜」は、最近、世間に増え過ぎた。吉野山平安京の桜は、みな一重である。

八重桜は邪道で、うねうねとねじ曲がった花を咲かせる。わざわざ庭に植えることもないだろう。遅咲きの桜も、咲き間違えたようで白ける。毛虫まみれで花を咲かせるのも気味が悪い。

 

八重桜と遅桜・遅咲きの桜は,同じ桜をさしていると考えてよいとのこと.八重桜は,一重の桜のあとに咲くのが一般的ですね.

ただし,俳句では,一般の桜も八重桜・遅桜も,晩春の季語とのこと.

https://kigosai.sub.jp/001/archives/1993

https://kigosai.sub.jp/001/archives/16526#:~:text=八重桜

確かに八重桜の開花は夏というほど遅くない.

小沢蘆庵は上手に歌にしています.

夏やとき春やおくれし卯の花に咲きあはせたる遅ざくらかな  小沢蘆庵 六帖詠草

 

https://tenki.jp/suppl/miyasaka/2017/04/17/22031.html

奈良七重七堂伽藍八重桜  芭蕉

風声(かざごゑ)の下り居の君や遅桜  蕪村

八重桜日輪すこしあつきかな  山口誓子

山に出て山に入る日や八重桜  成瀬櫻桃子

 

生け花の世界でも、遅く咲く八重桜は,季節の合間を埋める重要な花となっているようです.

https://www.aoyamahanamohonten.jp/blog/2022/02/22/types-of-sakura/

 

 

八重桜・遅桜を詠んだ短歌2

(古今短歌歳時記より)

(昨年もこの題目で取り上げたので, https://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2023/04/04/000037

一部重複します)

 

風さそふ雨ふりいでて八重桜ちりかふ中を飛ぶつばくらめ  岡麓 朝雲

 

咲垂るる八重ざくら花ゆらぎ出でいや照りつつも重くしづまる  窪田空穂 卓上の灯

 

いやはてに鬱金ざくらのかなしみのちりそめぬれば五月はきたる  北原白秋 桐の花

 

ひともとの稚木(わかぎ)のさくらしほがまの八重咲く花の咲きしだれたり  若山牧水 山桜の歌

 

八重ざくら春の名残りと散り頻(し)くに心は寄りて木の下に来つ  村松英一 山の井

 

抱へゆく甕の桜の八重ざくら畳の上に花こぼれつつ  杉浦翠子 藤浪

 

遅ざくら咲きかたぶけり下道をわがゆくときに花片(はなびら)の散る  筏井嘉一 荒栲

 

ここに孤(ひと)りとなりゆくことの淋しさに今朝のひかりに咲く八重桜  柴谷武之祐 さびさび歌

 

今年また花にむかへばいささかの風にも重く八重桜さく  佐藤佐太郎 星宿

 

八重のさくら咲きくづれゐるゆふやみの襞いろあふれ人ゆきはてし  河野愛子 鳥眉

 

 

八重桜・遅桜を詠んだ短歌1 鎌倉極楽寺の八重桜もほぼ満開で見応えがありました.その内に一株は,鎌倉ではかなり名の通つた桜で,時宗お手植えのサクラとの言い伝えも. 待たせつつおそくさくらの花により四方の山べに心をぞやる 和泉式部  いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほいぬるかな 伊勢大輔  ふるさとの春を忘れぬ八重桜これや見しよにかはらざるらん 式子内親王  夏やとき春やおくれし卯の花に咲きあはせたる遅ざくらかな 小沢蘆庵

妙本寺でも満開だった八重桜.

 

昨日参拝した鎌倉極楽寺には,二株の大きな八重桜があって,こちらもほぼ満開で見応えがありました.

その内の一株,転法輪殿前の桜は,オオシマザクラの突然変異種とされ,北条時宗のお手植えと伝えられる「八重一重咲分桜」.

材木座の桐ヶ谷が原産であることから「桐ヶ谷桜」と呼ばれています.

足利尊氏京都御所の紫宸殿の左近の桜として植えたとの言い伝えも.https://www.yoritomo-japan.com/hana-kesiki/sakura/yaehitoe-gokurakuji.htm

八重桜とは

(青山花茂

https://www.aoyamahanamohonten.jp/blog/2022/02/22/types-of-sakura/

「八重桜」は品種名ではなく,八重咲きの桜の総称で,多くの品種が存在します.青山花茂に入荷する八重桜の代表的なものとしては淡いピンクの普賢象(フゲンゾウ)と,それよりは少し濃いピンクの関山(カンザン)が大半です.

これらは,染井吉野からやや遅れて4月に開花するので,4月中頃の桜の活け込みでは八重桜を使用します.八重桜の大半が,ルーツにオオシマザクラを持つ「里桜(サトザクラ)」から作られた栽培種.ただ,里桜も古くから人里近くに定着していた栽培種の総称であり,オオシマザクラに何の桜を交配したのか,育種経過はよくわかっていません.

https://www.atomi.ac.jp/univ/wordpress/wp-content/uploads/2017/02/結合:781852構内サクラガイド単頁-4から7.pdf

https://www.hananokai.or.jp/sakura-zukan/shogetsu/

https://www.hananokai.or.jp/sakura-zukan/oshimazakura/

 

多くの八重桜とルーツが異なるとされているのが,ナラノヤエザクラ.

カスミザクラの変種とされていて,奈良で八重桜といえばこの桜をさし,伊勢大輔が詠んだ八重桜と考えられています.

東大寺知足院地内のものは大正一二年(一九二三)三月に天然記念物に指定されています.

 

八重桜・遅桜を詠んだ短歌1

(古今短歌歳時記より)

(昨年もこの題目で取り上げたので, https://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2023/04/04/000037

一部重複します)

 

待たせつつおそくさくらの花により四方の山べに心をぞやる  和泉式部 和泉式部

 

いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほいぬるかな  伊勢大輔 伊勢大輔集・小倉百人一首

 

九重に久しくにほへ八重桜のどけき春の風としらずや  藤原実行 金葉集

 

春は来て遅くさくらの梢かな雨のあしまつ花にやあるらん  西行 聞書集

 

八重桜やどのさかりの近ければこの春の日ぞ光そふらん  藤原定家 拾遺愚草

 

ふるさとの春を忘れぬ八重桜これや見しよにかはらざるらん  式子内親王 続後撰集

 

夏やとき春やおくれし卯の花に咲きあはせたる遅ざくらかな  小沢蘆庵 六帖詠草

 

 

満天星/ドウダンツツジの花を詠んだ短歌  鎌倉妙本寺には,かなり大きなドウダンツツジがあつて,今,満開.漢字には灯台躑躅と満天星がありますが,花の時期には満天星が似合います.「霊水ががかかって壺状になり,満天の星のように輝いたという故事」に由来す漢字とのこと. どうだんの花のこぼれのしろじろと月夜になりし庭松の露 太田水穂  春梅雨(はるつゆ)の止むとしもなき満天星のうつむく花に明らけく降る 福田たの子  筒花(つつばな)のうすべにに垂り花ゆれゆれて水の辺さらさどうだんの夢 加藤克

昨日は,鎌倉での所要のついでに,妙本寺まで足を伸ばしました.

 

ソメイヨシノ,カイドウの花は終わっていましたが,4月5月の妙本寺の楓の新芽はとても美しくて大好きです.

 

ヤマブキが所々に咲いていて,日蓮上人像横の灯籠を飾る八重の花は,とても鮮やか.

 

この日,一番華やかで目立っていたのは,本堂横の八重桜.かなりの大木です.

シャガ.何年か前は,本堂脇に群生していたと思うのですが,今は,本堂から鐘楼にかけての道沿いに沢山花を咲かせていました.

所々でみかけた,様々な色合いのツツジ.今年はツツジの開花が早いように思いますが---

 

そして,満開のドウダンツツジ

漢字には灯台躑躅と満天星の二つがありますが,満開の花をつけた場合は,満天星を当てるのが似合っていると思います.

 

ドウダンツツジとは,やや奇妙な名前のように思っていましたが,もとはトウダイ(灯台躑躅だったものが転訛してドウダンツツジと呼ばれているとのこと.

かつてトウダイ(灯台躑躅と呼ばれたのは,「樹形が結び灯台に似ているから」とする説と,「枝の状態が結び灯台に似ているから」という説の二つがあるそうです.

https://www.keisen.ac.jp/extension/research/gardening/pdf/e3_miyauchi2.pdf

ニッポニカは枝が似る説を採用しています.

 

名は、放射状に出る枝の状態が、昔夜間の明かりに用いた結び灯台の脚に似ることから、灯台ツツジといわれ、それから転訛(てんか)した。(ニッポニカ)


ドウダンツツジに満天星を当てるのは,中国の故事に由来するとのこと.

https://www.uekipedia.jp/落葉広葉樹-タ行/ドウダンツツジ/

「漢字表記の「満天星」は何とも奇妙だが,中国の道教の神である太上老君が天上で薬を練っていた時,誤って霊水をこぼし,水滴がこの木にかかって壺状になり,満天の星のように輝いたという故事に由来する.」

:下記の花を詠んだ歌は,満天星と表記しています.この故事を意識してのことと推測しますが---推測の根拠はあやふやながら,満天星が似合う花です.

 

ドウダンツツジの花を詠んだ短歌

(古今短歌歳時記より,なお,満天星は,ドウダンツツジともドウダンとも読みます.以下の短歌中の満天星の読みは全て「ドウダン」)

 

どうだんの花のこぼれのしろじろと月夜になりし庭松の露  太田水穂 冬菜 

 

春梅雨(はるつゆ)の止むとしもなき満天星のうつむく花に明らけく降る  福田たの子 桐壺

 

筒花(つつばな)のうすべにに垂り花ゆれゆれて水の辺さらさどうだんの夢  加藤克巳 石は叙情す

 

もの言はぬ花をあはれと谷に咲く更紗満天星を仰ぎゆくかな  稲葉峯子 桜昏

 

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/サラサドウダン

 

霞を詠んだ短歌2  あはれなりわが身のはてや浅緑つひには野ベの霞と思へば 小野小町  春霞こめたる町のゆかしくてみおろしつつも高きに登る 窪田空穂  ふるさとの尾鈴の山のかなしさよ秋もかすみのたなびきて居り 若山牧水  わが居る 天の香具山。/おともなし。/春の霞は、谷をこめつつ 釈迢空  ちちのみの父を葬りし日の晩霞濃かりしことはのちも思はむ 葛原妙子

今日は全国で真夏日続出との報.片瀬海岸には,水着姿の方も出ていたと伝えていました.

https://news.ntv.co.jp/category/society/4a9c564c22404943b21872fa8a52f008

鎌倉に用事があって,片瀬海外に戻ってきたのは夕方6時頃.昨日よりは雲が多いものの,上空は晴れ.

遠景の山々には,昨日同様,霞んでいて,今日は富士山の稜線も全く見えませんでした.

 

昨日も記したように,霞とは「空や遠景がぼんやりする現象」.「かすむ」の連用形が名詞になつた言葉.

そして,「霞」を「かすみ」とするのは国訓(中国での用法に合致しない、日本でのよみ方).

漢語の「霞」はあさやけ・ゆうやけ,赤く美しい雲の意味なんですね.日本の辞典にも意味は載つていますが,今ではほとんど使われないように思います.

なお,大和絵に雲のように描かれる「霞」は,別名すやり霞.場面の転換,空間の奥行きなどを示す独特の表現方法として用いられています.

 

角川字源

意味
❶あさやけ。ゆうやけ。赤く美しい雲。「朝霞」
❷はるか。とおい。同遐か
❸衣服などの赤くあざやかなことのたとえ。

❶かすみ。
㋐特に春さき、細かい水滴が空中に浮遊するために空がぼんやりする現象。
㋑かすみあみ。
❷かすむ。遠くがぼんやりとしてはっきりと見えなくなる。

 

 

かすみ【霞】

精選版日本国語大辞典

一(動詞「かすむ(霞)」の連用形の名詞化)

①空気中に広がった微細な水滴やちりが原因で,空や遠景がぼんやりする現象.また,霧や煙がある高さにただよって,薄い帯のように見える現象.

比喩的に,心の悩み,わだかまりどをいうこともある.《季・春》

②朝または夕方、雲や霧に日光があたって赤く見える現象。朝焼け。夕焼け。

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大和絵で時間的経過,場面の転換,空間の奥行きなどを示すために描かれる雲形の色面.多くは絵巻物に用いられた.

すやり霞

https://hokusai-kan.com/blog/3071/

http://ehon-emaki.meisei-u.ac.jp/heike/column/c5.html

 

霞を詠んだ短歌2

(古今短歌歳時記より)

 

ほのぼのと春こそ空に来にけらし天の香具山霞たなびく  後鳥羽院 新古今集

 

あはれなりわが身のはてや浅緑つひには野ベの霞と思へば  小野小町 新古今集

 

冬霞はたけのなかに枯草の山ある国ぞ相模のくには  太田水穂 螺鈿

 

春霞こめたる町のゆかしくてみおろしつつも高きに登る  窪田空穂 明闇

 

みほとけ の うつら まなこ に いにしへ の やまと くにばら かすみて ある らし  会津八一 鹿鳴集

 

春がすみとほくながるる西空に入日おほきくなりにけるかも  斎藤茂吉 あらたま

 

ふるさとの尾鈴の山のかなしさよ秋もかすみのたなびきて居り  若山牧水 みなかみ 

 

ゆうがすみうすくつつめるこの岡野社の町に灯はともりたり  古泉千樫 屋上の土

 

わが居る 天の香具山。/おともなし。/春の霞は、谷をこめつつ  釈迢空 春のことぶれ

 

春がすみいよよ濃くなる真昼間のなにも見えなば大和と思へ  前川佐美雄 大和

 

ちちのみの父を葬りし日の晩霞濃かりしことはのちも思はむ  葛原妙子 橙黄

 

霞を詠んだ短歌  今日の片瀬東浜では,夕方になつても多くの人がよく晴れた春の日を満喫していました.弁天橋から見る丹沢,富士は春霞の中にぼんやり浮かんでいました.  ひさかたの天の香具山このゆふべ霞たなびく春立つらしも 柿本人麿歌集  春の野に霞たなびきうらがなしこの夕かげにうぐひす鳴くも 大伴家持  かすみたち木の芽もはるの雪降れば花なき里も花ぞ散りける 紀貫之  高砂の尾上の桜咲きにけり外山の霞立たずもあらなむ 大江匡房

今日はよく晴れ,気候も申し分のない一日でした.

夕方,片瀬東浜海岸へ.

もう5時も回っていたのに,浜では膝まで海に入る人を含めて,まだ数多くの人が,春の海を楽しんでいました.

「写真撮って良いですか?」とお父さんに聞くと心よく「どうぞ」といってくれた親子連れの方.

夢中で穴を掘る子供たちのかわいらしかったこと.

今日は,多くの方が穴を掘ったり砂を積んだりしたくなる日だったようで---

この親子連れの方に続く浜辺には,穴や砂山が沢山ありました.

しばらく歩いて,

弁天橋の入口から丹沢富士を眺める角度でアイフォンを向けると,正面の太陽でよく分かりませんが,うっすら富士山も影も.

太陽が沈んでからもう一度撮ってみる事に.

----しかし,つい先ほどは見えなかった雲がじゃまをして,富士山はほとんど見えず.

大写しにすると,霞んだ丹沢の山々の向こうに,さらに霞んだ富士の裾野がうっすらと見えました.

典型的な春霞の風景と言っていいのでしょうか?

 

昨日の夕方は,夕焼けの富士山全体を見ることができたのですが---
秋冬のくっきり見えた富士と比べれば,霞のかかった富士ですね.

 

以前,「霞」とは,雲・霧に似た物の名称かと思っていました.「霞たなびく」「霞立つ」などといわれれば,そう思い込むのが,むしろ当たり前のようにも思われます.

しかし

「空や遠景がぼんやりする現象」を霞と呼ぶ(精選版日本国語大辞典

のであって,「物の名前」ではない.「現象をさしていう言葉」なんですね.

霧や靄(もや)は,実体があって気象用語にも用いられるのに対して,霞は気象用語にはありません.

 

かすみ【霞】

精選版日本国語大辞典

一(動詞「かすむ(霞)」の連用形の名詞化)

①空気中に広がった微細な水滴やちりが原因で,空や遠景がぼんやりする現象.また,霧や煙がある高さにただよって,薄い帯のように見える現象.

比喩的に,心の悩み,わだかまりなどをいうこともある.《季・春》

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⑤(「翳」とも書く) 視力が衰えてはっきり見えないこと.

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大和絵で時間的経過,場面の転換,空間の奥行きなどを示すために描かれる雲形の色面.多くは絵巻物に用いられた.

 

語誌

古く「かすみ」と「きり」が同様の現象を表わし,季節にも関係なく用いられたことは,「万葉−八八」の「秋の田の穂の上へに霧相きらふ朝霞」などの例で知られるが,

万葉集」でも,「かすみ」は春,「きり」は秋のものとする傾向が見えており,「古今集」以後は,はっきり使い分けるようになった.

現在の気象学では,視程が一キロ以上のときは「靄もや」,一キロ未満のときは「霧」とし,「かすみ」は術語としては用いない.

 

https://www.google.com/search?霞とは

 

霞を詠んだ短歌1

(古今短歌歳時記,万葉秀歌より)

古今短歌歳時記に「古歌集で霞を詠んだ歌はおびただしい数にのぼり」とあります.

例えば,楽しい万葉集の「霞」の項には78首が掲載されています.古今集では,霞が9首,春霞が21首とのこと.さらに”類題歌集”である古今六帖には30首,未木集には98首掲載されているそうです(古今短歌歳時記).

 

秋の田の穂の上(へ)に霧(き)らふ朝霞(あさかすみ)何処辺(いつへ)の方(かた)にわが恋ひ止まむ 磐姫皇后 万葉集巻二 八八

 

ひさかたの天の香具山このゆふべ霞たなびく春立つらしも  柿本人麿歌集 万葉集 巻十 一八一二

 

子らが名に懸(か)けのよろしき朝妻(あさづま)の片山ぎしに霞たなびく 柿本人麿歌集 万葉集 巻十 一八一八
 
春霞ながるるなべに青柳の枝くひもちて鶯鳴くも  作者不詳 万葉集 巻十 一八二一
 
あしひきの八峰の雉なき響(とよ)む朝けの霞見ればかなしも  大伴家持 万葉集 巻十九 四一四九
 

春の野に霞たなびきうらがなしこの夕かげにうぐひす鳴くも  大伴家持 万葉集巻十九 四二九〇

 

雲雀あがる春べとさやになりぬれば都も見えず霞たなびく  大伴家持 万葉集巻二十 四四三四

 
かすみたち木の芽もはるの雪降れば花なき里も花ぞ散りける  紀貫之 古今集
 
春霞たなびきにけり久方の月の桂も花やさくらむ  紀貫之 後撰集
 
高砂の尾上の桜咲きにけり外山の霞立たずもあらなむ  大江匡房 後拾遺集小倉百人一首
(あの高い山の峰の桜が咲いたよ。手前の山の霞よ、どうか立たずにいておくれ。 全日本かるた協会)
 
 
 
上記の万葉集の短歌は,万葉秀歌(斎藤茂吉)で取り上げられている歌です.
長くなりますが,以下に斎藤茂吉の評を併せて載せておきます.
 

秋の田の穂のへに霧らふ朝霞いづへの方に我が恋やまむ 磐姫皇后 万葉集巻二 八八

 仁徳天皇の磐姫皇后が,天皇を慕うて作りませる歌というのが,万葉巻第二の巻頭に四首載っている.此歌はその四番目である.四首はどういう時の御作か,仁徳天皇の後妃八田皇女との三角関係が伝えられているから,感情の強く豊かな御方であらせられたのであろう.

 一首は,秋の田の稲穂の上にかかっている朝霧がいずこともなく消え去るごとく(以上序詞)私の切ない恋がどちらの方に消え去ることが出来るでしょう,それが叶わずに苦しんでおるのでございます,というのであろう.

「霧らふ朝霞」は,朝かかっている秋霧のことだが,当時は,霞といっている.キラフ・アサガスミという語はやはり重厚で平凡ではない.第三句までは序詞だが,具体的に云っているので,象徴的として受取ることが出来る.「わが恋やまむ」といういいあらわしは切実なので,万葉にも,「大船のたゆたふ海に碇おろしいかにせばかもわが恋やまむ」(巻十一・二七三八),「人の見て言とがめせぬ夢にだにやまず見えこそ我が恋やまむ」(巻十二・二九五八)の如き例がある.

 この歌は,磐姫皇后の御歌とすると,もっと古調なるべきであるが,恋歌としては,読人不知の民謡歌に近いところがある.併し万葉編輯当時は皇后の御歌という言伝えを素直に受納れて疑わなかったのであろう.そこで自分は恋愛歌の古い一種としてこれを選んで吟誦するのである.他の三首も皆佳作で棄てがたい.

 

ひさかたの天の香具山このゆふべ霞たなびく春立つらしも  柿本人麿歌集 万葉集巻十 一八一二

 春雑歌,人麿歌集所出である.この歌は,香具山を遠望したような趣である.少くも歌調からいえば遠望であるが,香具山は低い山だし,実際は割合に近いところ,藤原京あたりから眺めたのであったかも知れない.併し一首全体は伸々としてもっと遠い感じだから,現代の人はそういう具合にして味ってかまわぬ.それから,「この夕べ」とことわっているから,はじめて霞がかかった,はじめて霞が注意せられた趣である.春立つというのは暦の上の立春というのよりも,春が来るというように解していいだろう.

 この歌は或は人麿自身の作かも知れない.人麿の作とすれば少し楽に作っているようだが,極めて自然で,佶屈でなく,人心を引入れるところがあるので,有名にもなり,後世の歌の本歌ともなった.併しこの歌は未だ実質的で写生の歌だが,万葉集で既にこの歌を模倣したらしい形跡の歌も見つかるのである.

 

 

子らが名に懸けのよろしき朝妻の片山ぎしに霞たなびく 柿本人麿歌集 万葉集 巻十 一八一八

 人麿歌集出.朝妻山は,大和南葛城郡葛城村大字朝妻にある山で,金剛山の手前の低い山である.「片山ぎし」は,その朝妻山の麓で,一方は平地に接しているところである.「子等が名に懸けのよろしき」までは序詞の形式だが,朝妻という山の名は,いかにも好い,なつかしい名の山だというので,この序詞は単に口調の上ばかりのものではないだろう.この歌も一気に詠んでいるようで,ゆらぎのあるのは或は人麿的だと謂っていいだろう.気持のよい,人をして苦を聯想せしめない種類のもので,やはり万葉集の歌の一特質をなしているものである.

 この歌と一しょに,「巻向の檜原に立てる春霞おほにし思はばなづみ来めやも」(巻十・一八一三)というのがある.これは,上半を序詞とした恋愛の歌だが,やはり巻向の檜原を常に見ている人の趣向で,ただ口の先の技巧ではないようである.それが,「おほ」という,一方は霞がほんのりとかかっていること,一方はおろそかに思うということの両方に掛けたので,此歌も歌調がいかにも好く棄てがたいのであるから,此処に置いて味うことにした.

 

 

春霞ながるるなべに青柳の枝くひもちて鶯鳴くも  作者不詳 万葉集 巻十 一八二一

 春雑歌,作者不詳.春霞が棚引きわたるにつれて,鶯が青柳の枝をくわえながら鳴いているというので,春の霞と,萌えそめる青柳と,鶯の声とであるが,鶯が青柳をくわえるように感じて,そのままこうあらわしたものであろうが,まことに好い感じで,細かい詮議の立入る必要の無いほどな歌である.併し,少し詮議するなら,はやくも萌えそめた柳を鶯が保持している感じである.柳の萌えに親しんで所有する感じであるが,鶯だから啄んで持つといったので,「くひもつ」は鶯にかかるので,「鳴く」にかかるのではない.また,ただ鶯といわずに,青柳の枝を啄えている鶯というのだから,写象もその方が複雑で気持がよい.その鶯がうれしくて鳴くというのである.詮議すればそうだが,それを単純化してかく表わすのが万葉の歌の一つの特色でもあり,佳作の一つと謂うべきである.この歌と一しょに,「うち靡く春立ちぬらし吾が門の柳の末に鶯鳴きつ」(巻十・一八一九)があるが,平凡で取れない.また,「うち靡く春さり来れば小竹の末に尾羽うち触りて鶯鳴くも」(同・一八三〇)というのもあり,これも鶯の行為をこまかく云っている.鶯に親しむため,「尾羽うち触り」などというので,「枝くひもちて」というのと同じ心理に本づくのであろう.

 

 

あしひきの八峰の雉なき響(とよ)む朝けの霞見ればかなしも 大伴家持 万葉集 巻十九 四一四九

 大伴家持作,暁に鳴く雉を聞く歌,という題詞がある.山が幾重にも畳まっている,その山中の暁に雉が鳴きひびく,そして暁の霧がまだ一面に立ち籠めて居る.その雉の鳴く山を一面にこめた暁の白い霧を見ると,うら悲しく身に沁むというのである.この悲哀の情調も,恋愛などと相関した肉体に切なものでなく,もっと天然に投入した情調であるのも,人麿などになかった一つの歌境と謂うべきで,家持の作中でも注意すべきものである.「八岑越え鹿待つ君が」(巻七・一二六二),「八峰には霞たなびき,谿べには椿花さき」(巻十九・四一七七)等の如く,畳まる山のことである.なお集中,「神さぶる磐根こごしきみ芳野の水分山を見ればかなしも」(巻七・一一三〇),「黄葉の過ぎにし子等と携はり遊びし磯を見れば悲しも」(巻九・一七九六),「朝鴉はやくな鳴きそ吾背子が朝けの容儀見れば悲しも」(巻十二・三〇九五)等の例があるが,家持のには家持の領域があっていい.

 この歌の近くに,「朝床に聞けば遙けし射水河朝漕ぎしつつ唱ふ船人」(巻十九・四一五〇)という歌がある.この歌はあっさりとしているようで唯のあっさりでは無い.そして軽浮の気の無いのは独り沈吟の結果に相違ない.

 

 

春の野に霞たなびきうらがなしこの夕かげにうぐひす鳴くも 大伴家持 万葉集巻十九 四二九〇

 天平勝宝五年二月二十三日,大伴家持が興に依って作歌二首の第一である.一首は,もう春の野には霞がたなびいて,何となくうら悲しく感ぜられる.その夕がたの日のほのかな光に鶯が鳴いている,というので,日の入った後の残光と,春野に「おぼほし」というほどにかかっている靄とに観入して,「うら悲し」と詠歎したのであるが,この悲哀の情を抒べたのは既に,人麿以前の作歌には無かったもので,この深く沁む,細みのある歌調は家持あたりが開拓したものであった.それには支那文学や仏教の影響のあったことも確かであろうが,家持の内的「生」が既にそうなっていたとも看ることが出来る.「うらがなし」を第三句に置き休止せしめたのも不思議にいい.

朝顔は朝露おひて咲くといへど夕影にこそ咲きまさりけれ」(巻十・二一〇四),「夕影に来鳴くひぐらし幾許も日毎に聞けど飽かぬ声かも」(同・二一五七)などの例がある.なお,「醜霍公鳥,暁のうらがなしきに」(巻八・一五〇七)は同じく家持の作だから同じ傾向のものと看るべく,「春の日のうらがなしきにおくれゐて君に恋ひつつ顕しけめやも」(巻十五・三七五二)は狭野茅上娘子の歌だから,やはり同じ傾向の範囲と看ることが出来,「うらがなし春の過ぐれば,霍公鳥いや敷き鳴きぬ」(巻十九・四一七七)もまた家持の作である

 

 

雲雀あがる春べとさやになりぬれば都も見えず霞たなびく 大伴家持 万葉集巻二十 四四三四

 これは家持作だが,天平勝宝七歳三月三日,防人を----集える飲宴で,兵部少輔大伴家持の作ったものである.一首は,雲雀が天にのぼるような,春が明瞭に来たのだから,都も見えぬまでに霞も棚びいている,というので,調がのびのびとして,苦渋が無く,清朗とでもいうべき歌である.「さやに」は清に,明かに,明瞭に,はっきりと,などの意で,この句はやはり一首にあっては大切な句である.なぜ家持はこういう歌を作ったかというに,その時来た勅使(安倍沙美麿)が,「朝なさな揚る雲雀になりてしか都に行きてはや帰り来む」(巻二十・四四三三)という歌を作ったので其に和したものである.勅使の歌が形式的申訣的なので家持の歌も幾分そういうところがある.併し勅使の歌がまずいので,家持の歌が目立つのである.なお此時家持は,「含めりし花の初めに来しわれや散りなむ後に都へ行かむ」(同・四四三五)という歌をも作っているが,下の句はなかなか旨い.

 
 

チューリップを詠んだ短歌  鬱金香(チュウリップ)のにほいのもとにわづかなる眩暈(めまい)をおぼえ昼もおもひぬ 北原白秋  起きてみて,/また直ぐ寝たくなる時の/力なき眼に愛でしチュリップ! 石川啄木  チューリップを幾百種類咲かしめて朝(あした)明るき公園の径(みち) 細川謙三  身を爆ぜて咲かば咲きなむ乙女子のしろじろと群れて見るチューリップ 馬場あき子  チューリップの花咲くような明るさであなた私を拉致せよ二月 俵万智

藤沢市長久保公園へ行って来ました.

 

どの様な公園か?というと---

公式の的確な紹介文がみつからないので,鎌倉藤沢茅ヶ崎の紹介をしているサイト「かまふち」の紹介文をお借りすると:

https://www.shonan-kamafuchi.com/nagakubo_park/#i

長久保公園は、正式には藤沢市長久保園都市緑化植物園といい、藤沢駅辻堂駅のほぼ中間付近に位置しています。訪れる人が気軽に自然と触れあえる公園として、また、みどりの普及啓発活動の拠点として、平成元年に開園しました。

「植物園」という名前がついていることもあり、園内にはさまざまな植物が季節ごとに花を咲かせ、来る人の目を楽しませてくれます。

 

春たけなわの今日,桜は満開.

芝生でくつろぐ方々で賑わっていました.

 

園の中央花壇は,かなり立派で,多種類の花々が,春の日を謳歌していました.

 

多種類の春の花の中で,ひときわ目立っていたのはチューリップ.桜と並んで,もう一つの代表的な春の花.

以下,園で見かけたチューリップの花を並べてみます.

 

チューリップを詠んだ短歌

(古今短歌歳時記より)

 

鬱金チュウリップのにほいのもとにわづかなる眩暈(めまい)をおぼえ昼もおもひぬ  北原白秋 桐の花

 

起きてみて,/また直ぐ寝たくなる時の/力なき眼に愛でしチュリップ!  石川啄木 悲しき玩具

 

チューリップ花のいみじき一日の暮れて大きく月がのぼりぬ  松本滋代  晩紅花

 

(く)れぎはに見し前庭のチューリップあらしとなりてあざやかに顕(た)つ  君島夜詩 暗い川

 

久しぶりに来し花畠に実をつけしチューリップ醜く長けて居たりき  近藤芳美 早春歌

 

チューリップを幾百種類咲かしめて朝(あした)明るき公園の径(みち)  細川謙三 驢鞍集

 

身を爆ぜて咲かば咲きなむ乙女子のしろじろと群れて見るチューリップ  馬場あき子 雪木

 

チューリップの花咲くような明るさであなた私を拉致せよ二月  俵万智 かぜのてのひら

 

 

 

ネット上には,チューリップの開花状況の報告が---

今年のチューリップの開花は早い?

https://www.blumenooka.jp/post-13150/

https://okazaki-kanko.jp/okutono-jinya/news/11045

 

https://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2020/04/08/234815

甘納豆  マロングラッセやフリュイ・コンフィと同じ蜜漬けの和菓子で,豆を用いるところは日本独自.日本全国で作られていて,老舗店も知られていますが,その内の榮太樓の三代目細田安兵衛(榮太樓の屋号を初めて用いた)が江戸時代に考案したとされています.名称は,塩味の寺納豆として当時名が通っていた浜納豆/浜名納豆をもじって付けられたと伝わっています.

甘納豆は,豆を煮て糖蜜につけ砂糖をまぶした和菓子.

イタリアのマロングラッセ、フランスのフリュイ・コンフィ(果物の蜜漬け)も蜜漬けのお菓子ですが,豆を使うのは日本独自ですね.https://torokuya.com/amanatto

https://www.google.com/search?甘納豆

 

改訂新版世界大百科事典 

https://kotobank.jp/word/甘納豆

アズキ,ウズラマメ,青エンドウ,インゲン,ソラマメなどの豆を煮て最初は薄いみつ(糖蜜)に漬け,しだいに糖度を増して3回ほどみつ漬を行い,じゅうぶん甘味をしみこませてからみつを切り,砂糖をまぶして仕上げる.

それぞれの豆の持味を生かし,外皮とともに軟らかく食べられるようにする.(池田 暉)

 

 

手許にあればいつの間にか食べてしまう和菓子といえば,柿の種と並んで,この甘納豆があげられるのでは?

少なくとも私の場合は当てはまります.

甘納豆は日本全国で作られていて,ネット上に掲載されているランキングも多数.

例えば

https://ranking.rakuten.co.jp/daily/201173/

https://my-best.com/7804

 

老舗店も知られていて,例えば東では榮太樓總本鋪,花園万頭,西は京都岡女堂などの名前が挙げられています.https://my-best.com/7804

https://www.google.com/search?甘名納糖

 

この内,榮太樓總本鋪は,甘納豆を初めて作った店として,ほぼ全ての記事で名前が挙げられているお店.

例えば,

ニッポニカ https://kotobank.jp/word/甘納豆

事典和菓子の世界(中山圭子 岩波書店

デジタル大辞泉 https://kotobank.jp/word/甘名納糖-692971

 

現在でも,榮太樓總本鋪の甘納豆は江戸時代の名称「甘名納豆」の商品名で販売され,豆も小豆ではなくササゲを用いているとのこと.

考案したのは,榮太郎の屋号を初めて用いた三代目細田安兵衛.https://www.eitaro.com/ryohan/history/

「甘名納豆」という名称は,交友のあった文人墨客の田中平八郎氏が『遠州浜松(静岡県)名物「浜名納豆」をもじって「甘名納糖」と名付けたらどうか』と言われて決めたと伝えられています.https://www.eitaro.com/exclusive/

初めの名前は「淡雪」だったとか.この名前では,現在の隆盛は望めなかったかもしれませんね.https://hugkum.sho.jp/289454

 

甘納豆は,発酵食品ではありませんが,名前のもととなったとされる浜納豆/浜名納豆は,塩味の発酵食品です.

ただし,浜納豆/浜名納豆は納豆菌ではなく麹を用いていますから,大徳寺納豆と同じ寺納豆で味噌に近いと言えます.

浜納豆/浜名納豆

納豆の一種.煮た大豆に麹こうじ・小麦粉をまぶして発酵させ,塩汁に漬けたのち乾燥してサンショウ・ショウガなどの香料を加える.浜名湖北岸にある大福寺で作り始めた.(デジタル大辞泉

 

 

付録

アズキとササゲ

子実:https://www.mame.or.jp/syurui/photogallery/shijitsu.html

花:https://www.mame.or.jp/syurui/photogallery/hana.html

莢:https://www.mame.or.jp/syurui/photogallery/saya.html

豆類の植物分類