「(共に生きるとは)障害者が学校のクラスにいる,同僚や部下や上司に障害者がいる,家に帰れば,隣には障害者が住んでいると言うことだと思うんです.今はほとんどそうなっていないじゃないですか」渋谷治巳さん  朝日新聞神奈川版2017/1/29 (長すぎる付録:「節分について」)

朝日新聞2017年(平成29年)1月29日神奈川版 「共に生きる やまゆり園事件から半年  3」

の記事をそのまま記載します.

語り手は渋谷治巳(しぶやはるみ)さん.

(渋谷さんの意見については,以前,1月15日のブログでは,ご出演したNHK首都圏ネットワーク(今年1月12日放映)の内容を記事をまとめたことがあります.今回の新聞記事とは違った視点のご意見です.http://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2017/01/15/010010

 

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http://hamajiritsu.blog110.fc2.com/

 

『優しい社会』差別覆い隠す.僕らを権利と責任の主体として見てほしい

渋谷治己さん(60)一般社団法人 REAVA理事長

横浜市磯子区にある一般社団法人「REAVE(ラーバ)」の理事長,渋谷治巳(しぶやはるみ)さん(60)は脳性小児まひで全身に重い障害がある.食事や入浴など,生活全般に介助が必要だ.

15年ほど前に実家を出て,一人暮らしを始めた.年齢を重ね,「そろそろ出ないと,一人暮らしに移れなくなる」と思ったからだ.今は午後9時になるとヘルパーが帰り,翌午前7時まで自宅でひとりで過ごす.

 

やまゆり園の事件以降,「ともに生きる」という言葉がよく使われるようになった.その言葉は何を意味するのだろう.記者の問いに,渋谷さんは言った.

「障害者が学校のクラスにいる,同僚や部下や上司に障害者がいる,家に帰れば,隣には障害者が住んでいると言うことだと思うんです.今はほとんどそうなっていないじゃないですか」

 

 障害者が親元や施設を離れ,地域で暮らそうと思っても,バリアーフリー物件は極めて少ない.

「住むところも学ぶところも働くところも別.日常生活を共有できないと,お互いに理解することはできないと思うのです」

 

渋谷さんは横浜で生まれ育った.養護学校を出て19歳で施設に入った.山奥の施設の暮らしにプライバシーはなく,規則に縛られた生活.「ここで暮らして何になるんだ」.数年で実家に戻った.

やがて障害者運動と出あう.仲間らとともに自立や自己表現を目指し,1988年に作業所を作った.

実家がある保土ケ谷から磯子まで電車で通った.エレベーターの少ない時代.階段前で通行人に駅員を呼んでもらった.時には通行人も協力し,車いすをかついでもらい階段を上下した.

駅員も渋谷さんもお互いに大変だ.「こんな時間に来ないでくれ」「人手のある時間ならば」

けんかしたり譲歩したり,コミュニケーションがあった.

 

運動の成果で,駅や公共施設のバリアフリー化が進んだ.駅員とけんかすることもなくなった.

「でもそれは『ともに生きる』ことに結びつかなかった」と言う.

車いすが来ると駅員は行き先を聞き,乗る位置を決めて付き添う.ホームと車両の段差が少ない駅なら自分だけで乗ることだってできるのだ.

「すごく優しいけれど,管理です.僕が駅員の付き添いを断って事故が起きたなら自己責任だと思うんですけど,そうならない.保護するのではなく,権利と責任の主体として見てほしい

 

一見,障害者に優しい社会になった.車いすでどこにでも行ける.入店を断られることもない.一方で,新型出生前診断が広がり,染色体異常がわかった人の9割が中絶を選ぶ.事件の根っこに,優生思想が生きている.

「僕たちが社会に受け入れられたかといえばそうではない.差別が見えづらくなっているのです.障害者は存在を主張し続けなければ生きていけない.これからますますそうなっていくと思います」

(太田泉生)

 

節分

 

今日の長すぎる付録

節分について

1. 節分とは

日本国語大辞典では,

初めに「(季節の分かれ目の意)」と記され,

「①季節の変わり目.四季それぞれの季節の分かれる日.立春立夏立秋立冬の前日をさす.」

とあります.実際立冬立秋の前日を示した11世紀の使用例が添えられていました.

そして,

「②特に立春の前日.四季のうち,冬から春になる時を一年の境と考えた時期があり,大晦日と同類の年越し行事がおこなわれる.近代はこの夜,ヒイラギの枝にイワシの頭を刺したものを戸口にはさみ,節分豆と称して,煎った大豆をまいて,厄払いの行事をおこなう.」

と書かれています.

現在,節分といえば,もちろん②です.①は今でも意味としては正しいものの実際には使われていません.

2. なぜ立春の前日だけが節分として残ったのか?

これは上記日本国語大辞典にある「冬から春になる時を一年の境と考えた時期があり」で説明が付きます.

立春の前日は「一年の境」という特別な日と考えられたのですね.旧正月立春と近いため混乱も生じていたようです(神崎宣武 しきたりの日本文化 角川ソフィア文庫).

3. 節分の行事

上記日本国語大辞典

「大晦日と同類の年越し行事がおこなわれる」とあるように,現在の節分の行事は,もともとは「年越し行事」

そして,年越しの行事の原型は中国から伝わった追儺(ついな)」に基づく「節祓い(せつばらい)」(節気祓い)とのこと.

節祓いは,陰陽道の除夜行事で,そこでは,疫鬼(やっき)を退治する模擬演技「鬼やらい」が行われるそうです(神崎宣武 しきたりの日本文化 角川ソフィア文庫).

現在でも皇室では大晦日にこの追儺の儀式が行われており

  http://heiankyo.co.jp/choice/radio/sousi/03a.html にその詳細が書かれています.

ただし,追儺の行事では豆まきはしていません.

上記のウェブサイトでは

「(豆まきは)京では平安時代から始まったとされ、全国化するのは室町時代ごろからだと思われます」と書いています.鬼やらいが社寺に広まった後の節分会で豆まきが行われるようになり,そのまま,民間にも広まったようです.

4.なぜ大豆を使用するのか?
前田和美氏は「豆 」(法政大学出版局」で,「タンパク質栄養を大きく支えてきたダイズがもつ呪力,あるいは,威力への信仰があり,『潔め(きよめ)』に塩をまくことにも共通するものだと考えられる」としています.
神崎宣武氏によれば「物忌みやヒイラギ・イワシによる魔除けのまじないに比べるとより攻撃的な呪法----豆を持って邪気悪霊を打ち払うのである.ゆえに豆まきを豆打ちともいう」(しきたりの日本文化 角川ソフィア文庫)とのことです.