年取り魚/正月魚としての鰤(ブリ)
新年を迎えるための年越しの食膳に用意する魚.
これを年取り魚とか正月魚というそうですが,山深い地域では魚の入手に苦労した時代が長かった中で( 神々の歳時記 小池淳一【飯塚書店】),昨日取り上げた塩鰤(http://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2018/12/31/ )が,かつて,年取り魚/正月魚として重要な意味を持っていたことは,想像に難くありません.
塩ぶり Archives | カネツル砂子商店カネツル砂子商店
「さかなクンも食べたことがなかった」(12月20日NHK総合午後ナマ)塩ブリは,現在では,富山・岐阜・長野県限定になっているようにみえますが,紀文が2011年に実施したアンケートによれば,鰤(ブリ)が西日本の各地の年取り魚/正月魚であることには,変わりがないようです.
そして,かねてから言われてきた,西は鰤,東は鮭の傾向も維持されているとのこと.
現代の正月|正月と魚 〜ハレの日の家庭の食文化〜|お正月に関するデータベース|紀文のお正月
ただし,鰤,鮭に加え,祝い魚のチャンピオン鯛も,正月魚の座にあります.西日本ではブリを凌駕する県も見られます.
また,関東地方は鮭の地位が低く,ブリに負けていますね.紀文のサイトでは,様々な地方からの人々の流入が一因としていますが,鮭があまりにも日常の食卓の魚になったためかもしれません.
現代の正月|正月と魚 〜ハレの日の家庭の食文化〜|お正月に関するデータベース|紀文のお正月
柳田国男は, “イワイの場では、禁戒すなわち精進を終えて自由な祝賀へと移行するうえで、「まなくい(魚食い)」の儀式が必須だった” としているそうです(年取り魚の変遷と正月の魚食文化|正月と魚 〜ハレの日の家庭の食文化〜|紀文のお正月 ).
普段あまり手に入らない魚を食べることに年取り魚/正月魚の意味があるということですね.
とすると,養殖技術の発展で,大きなブリも日常に食べられるようになってきた昨今.年取り魚/正月魚の地位をブリは保てるかどうか?
大晦日の晩と正月は,クリスマスイブとクリスマスの関係と同じか?年越しの膳は一年最初の食事?
今,バックには紅白歌合戦が流れています.今年ブレークした「チコちゃんに叱られる」コンビが,たびたび登場しているよう.
先日には「クリスマスイブのイブって何?」で,ボーっと生きてんじゃねーよ!が炸裂.
ネット上に関連した記事が多数掲載されています.「チコちゃん,クリスマスイブ」で検索してみて下さい.
簡単に言えば,「クリスマスイブはクリスマス当日の晩のこと.日没とともに一日が終わるとされており,夜から一日が始まるとされてきたため」
では,大晦日って何?これはわかりきったこと.
晦日は陰暦30日を意味し,大晦日は大三十日とも書かれるように,一年の最後の日.
クリスマスイブと違って,間違えようがない.と思っていたら---
民俗学の研究からは,
大晦日の年越しの膳
:かつては,大晦日には現在の元旦と同じような豪華な膳を用意して,年神様を迎えた.現在でも大晦日にこのような膳を用意する地方は,残っている.
を考えると,大晦日の晩は一年最後の夜かどうか分からなくなりそうな雲行き.
小池淳一氏の「神々の歳時記」( 神々の歳時記 小池淳一【飯塚書店】 )
には,次のように書かれています.
1. 一年の区切りが大晦日から正月朔日の間にあり,除夜の鐘で一年を締めくくるというのは新しい感覚である.
新年を冬から春への季節の変移ととらえるならば,その区切りは節分である.あるいは新暦は古くからの季節感とそれらに支えられた行事の意味を反映してはいないことを考えれば 旧暦の正月こそが区切りとなる.
この記述には「それぐらいなら知ってるよ」と思われる方も多いでしょう.
しかし次はどうでしょうか?
少し長くなりますが---
2. さらに一日の始まりはいつか,というのも実は問題がある.
時間感覚が時計によって普遍的に律せられるようになってからは午前零時という理解が生まれたが,それ以前の感覚を史資料から掘り起こして検討すると,夕方が一日の区切りとなっていたことが推察されている(平山敏治郎「一日のはじめ」『歳時習俗考』、一九八四年).
日が沈むと一日が終わり,夜の闇とともに新しい一日がはじまるという感覚がかつてはあったらしい.
各地の古風な祭りでは祭日の前の晩から供物が整えられる場合が多いが,これは一日のはじまりに際して神事がスタートすることを示しているのだろう.
同じように大晦日の年越しの膳が慎重かつ周到に準備されるのも一年の締めくくりではなく,新しい年の最初の食事であるためであろう.
日が暮れるとともに新たな年神に捧げる供物というのが年越しの膳の古い本来の意味であったと考えられる.
「古風な祭りでは祭日の前の晩から供物が整えられる場合が多いが、これは一日のはじまりに際して神事がスタートすることを示しているのだろう」
「同じように大晦日の年越しの膳が慎重かつ周到に準備されるのも一年の締めくくりではなく、新しい年の最初の食事であるためであろう」
とは!
・正月の行事は,年神様を迎え祀るもの.
(現在でも広く残っている正月の習慣,門松や雑煮は,かって広く行われていた「年神をまつる正月の儀礼」の一つ)
http://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2016/12/30/023530
http://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2017/12/31/021147
http://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2018/01/01/005727
・年神は大晦日にやってくる.
(年神は,その年の恵方から大晦日に来訪.精選日本民族辞典 吉川弘文館)
という広く認められている民俗学の成果と組み合わせて考えると,
「夜の闇とともに一日が始まるという感覚があった」
「年越しの膳は新しい年の最初の食事」
という説には,かなり説得力があります.
大晦日の晩と正月は,クリスマスイブとクリスマスの関係と同じ!?
大晦日の豪華な膳が,過去の話になった現在,チコちゃんの設問とするには,なかなか難しい話題ですが---
正月の意味(年神様を来訪を歓迎する)と現在でも一部の地方で残っている大晦日の豪華な膳を改めて考えることには,意味があるように思います.