新年の歌  初日の出は,今年は美しかったようです.明治〜昭和の歌人は詠います:春ここに生(うま)るる朝の日をうけて山河草木みな光あり 佐佐木信綱  はつ春やほの紫の天地にいなゝき高し牧(まき)のあけぼの 釈迢空  今しいま年の来(きた)るとひむがしの八百うづ潮に茜がかよふ 斎藤茂吉  ただ独り,野に佇む新年を詠んだ歌も:すすき野の冬のさびしさあたたかさ音なく人なく年新たなり 馬場あき子

昨日,友人から初日の出の写真が送られてきました.お借りして掲載します.

関西は少し雲があったようですが---美しい.久しく見ていませんでしたが,来年は久しぶりに拝むことにトライしてみようかと思わされました.

 

春ここに生(うま)るる朝の日をうけて山河草木みな光あり  佐佐木信綱 山と水と

 

「山河草木みな光あり」! 

 

今日は,新年を詠んだ歌を取り上げてみます.出典は,いつもの「古今短歌歳時記(鳥居正博 教育社)」.

佐佐木信綱と同時代の代表的歌人お二人も,初日の出を歌っています.

 

はつ春やほの紫の天地にいなゝき高し牧(まき)のあけぼの  釈迢空 釈迢空短歌綜集

 

今しいま年の来(きた)るとひむがしの八百うづ潮に茜がかよふ  斎藤茂吉 赤光

 

「古今短歌歳時記」を見るかぎり,江戸時代以前には初日の出を取り上げた歌はありません.江戸時代の物見遊山が起源の風習(https://otokonokakurega.com/learn/secret-base/53972/)との記事がありました.新年の重要な習わし(=歳神さまを迎える)は,前日の夜からの始まるとされていたことからも,旧暦下では,少なくとも初日の出=新年の始まりではなかったことは確かでしょう.https://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2019/01/01/010436

源実朝は,かすんだ山を見て「来る春」を詠います.一方,西行はあたりを照らす月に初春を見る.こちらは大晦日の月かもしれませんね.

 

けさ見れば山もかすみてひさかたの天の原より春は来にけり  源実朝 金槐集
 

初春を隈なく照らす影を見て月にまづ知る御裳濯(みもすそ)の岸  西行 山家集

 

正月の集い

正月は,人が集うときでもあります.これは万葉の時代から変わっていないようです.

 

正月(むつき)立つ春の初めにかくしつつ相し笑(ゑ)みてば時じけめやも 大伴家持 万葉集一八 四一三七

(正月の春の初めに,このようにして集まって共に笑い合えば,いつだっていいでしょう.楽しい万葉集

 

正月(むつき)立つすなはち花のさきはひを受けて今年も笑ひあふ宿  橘曙覧 志濃夫廼舎歌集

 

一月になればなべての人は楽しくて狂者のむれもしばし怒らず  斎藤茂吉 つきかげ

 

 

正月の飾り・食事

正月に飾り・食事はつきものですが,正月らしい豪華なものを詠んだ歌は掲載されていませんでした.

いく鉢かたまひし蘭に求めたる一鉢を加へ正月迎ふ  中野菊夫 陶の鈴

 

水仙を挿せる李朝(りてう)の徳利壺かたへに据ゑて年あらたなり  吉野秀雄 寒蝉集

 

すこやかにしてたのしきろかも正月の炬燵に慈姑(くわゐ)を食ひつつゐたり  石黒清介 樹下

 

新年の想い

新しい年には「ことしこそ」と意気込みを新たにする方も多いかと思いますが---

 

あたらしき年を迎へて平凡といへども我はしづかに居たし  尾山篤二郎 まんじゅしゃげ

 

追ふべくもなき時ゆきて老(おい)づきし日をつむるための年あらたまる  佐藤佐太郎 形影

 

何となく,/今年はよいことあるごとし./元日の朝,晴れてかぜなし  石川啄木 悲しき玩具

 

 

ただ独り,野に佇む新年を詠んだ歌も

 

すすき野の冬のさびしさあたたかさ音なく人なく年新たなり  馬場あき子 月華の節