お味噌汁(3) 味噌汁の始まりは? 日本人はまず味噌をそのまま食べていました/ 現在の味噌のルーツ?大徳寺納豆/ 大豆の発酵食品の名前が初めて登場するのは大宝律令(701年)「豉(くき)」「醬(ひしお)」「未醬(みそ)」/ 味噌汁が普及するのは,戦国時代から

お味噌汁(3)

日本の味噌のルーツ

 

1.「NHKBSプレミアム井川遥 驚きのみそ汁 一杯の幸せな旅」

番組の初め,井川遥さんは,宮崎の味噌蔵と亀戸佐野みそ本店を訪ねました.

お味噌汁(1)  NHKBS井川遥 驚きのみそ汁 一杯の幸せな旅 - yachikusakusaki's blog

hh.pid.nhk.or.jp

その後,番組では,今若い女性を中心に大人気という「みそまる」を紹介.なかなかのアイデアです.

「みそまる」の詳しい内容はホームページに載っていますので,覗いてみて下さい.みそまる普及委員会

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その続きから〜「みそのルーツを今に残す『大徳寺納豆』」までの番組を再録します.

 

ナレーション:日本人と味噌汁のつながりは古くて深い.そんなことを物語る伝統が今も残されています

高野山金剛峯寺

厳かにお膳が運ばれる先は弘法大師空海が眠る場所.1日2回,毎日続けられています.お膳に必ずあるのが野菜の味噌汁.

 

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高野山奥之院で毎日弘法大師に食事を届ける「生身供」を見よう | 和歌山県 | トラベルjp<たびねす>

 

奈良県御所市野口神社

味噌汁にまつわる不思議な祭りがあります.

失恋をした村の娘が,情念から大きな蛇に姿を変えてしまう.そこに通りがかった村人はビックリ仰天.弁当の味噌汁を浴びせかけ蛇を退治します.味噌汁は邪気を払う特別な力を持った食べ物の象徴です.

そしてお供えしたあと,皆に振る舞われます.まさに味噌汁は日本人にとって単なる食事以上の意味を持っているんです.

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蛇穴の地名由来 – 奈良の宿大正楼 蛇穴の汁かけ祭り 本番 : 奈良の風景と無形民俗文化財

 


野口神社・汁かけ祭 (奈良県御所市蛇穴)

 

では味噌汁の始まりは?

日本人はまず味噌をそのまま食べていました.

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第2章 食文化にみる大豆こばなし|本の万華鏡 第21回 大豆 -粒よりマメ知識-|国立国会図書館

 

味噌汁の誕生は鎌倉時代.(酒飯論絵巻の図の映像:しかしこの絵巻の作成は16世紀といわれる)僧侶がみそをすり鉢で溶いたのが始まりといわれます.

それから800年以上長い関係を築いてきたんですね.

はたしてそんな味噌汁の源流に触れることができるのでしょうか?

京都に500年前から変わらぬやり方で味噌を造り続けている店がありました.

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お店の紹介 | 大徳寺前で京都名物「大徳寺納豆」の本家磯田

18代目の店の主人磯田佳宏さんです.

「これがほぼ出来上がりの状態に一番近いものなんですけども,こういう風になってきます」

真っ黒い不思議な塊.これが元々中国から伝えられた古代の味噌です.

「このまま食べられるんですけどね.味としては塩辛いですけれど」

現在の味噌のルーツ,大徳寺納豆.

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商品詳細 大徳寺粒納豆100g(はかり売り) | 大徳寺前で京都名物「大徳寺納豆」の本家磯田

納豆と名前は付いていますが,れっきとした豆味噌です.

大豆を発酵させるときに,はったい粉をまぶすのが独特の作り方です.はったい粉は煎った大豆を粉末状にしたもの.

はったい粉をつける理由は,豆だけで麹菌発酵するのは非常に難しい」あとは置いておくだけ.どこからか麹菌がついてやがて豆味噌になります.「自然に任せる」これが秘訣のようです.

「歴代ね.ここで発酵している段階で,ずっとここに居続ける菌がいるんだと思う.ここでもそこでもこの上でも屋根裏でも,全部にこびりついているというか---.

いっぺんキレイにしようと思ってすごく頑張って雑巾とかで拭いて掃除したことがあったんですけど,その年は発酵が全然進まなくてえらい目にあったことがあったので,あっ,やっぱりいるんだなっていうことがそれで分かりました.

だからその後ちょっと大変でしたけれども」

自然の神秘まで感じる古代の味噌.なにやら,壮大な話になってきました.

 

2.味噌のルーツ

番組では味噌のルーツを現在の大徳寺納豆と同様なものと紹介していました.この番組では更に中国の『豆鼓(トウチ)』を求めて香港を訪ねる旅が続きます.

井川さんが中国の食材を使って味噌汁づくりに挑戦.試行錯誤してどうにかして出来上がったのですが---.日本の味噌汁のような味にはなりませんでした.感謝を込めて日本からもってきた味噌と出汁でアサリの味噌汁を作りました.「さっきの中国味噌汁と違っていい香り」 / 日本独自の発展を遂げた味噌は日本コメコウジがもつ独自の風味を生かしたもの(原田信男) - yachikusakusaki's blog

豆鼓はほぼ大徳寺納豆と同じなんですね.

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『井川遥 驚きのみそ汁 一杯の幸せな旅』BY 阿部櫻子NHK BSオンライン

 

「中国から現在の大徳寺納豆と同様な『鼓(チ,日本読みでは「し」または「くき」)』の製法が伝わったのがみそのルーツ」.

これが一般的な考え方で書籍やネットの情報も,ほぼ同様の記載.

いくつかのネット記事では,中国から伝来説に加えて,日本で生まれたとする説も.しかし「何でも腐るからできたはず」に近い,かなり乱暴な根拠にもとづいているようですね.最近,顕著な「和」贔屓の引き倒しになりませんように.

 

ただ,味噌の伝来のルートが幾つかあった可能性は大いにありですね.

現在の大徳寺納豆は別名「寺納豆」と呼ばれるように仏教寺院に伝わったもの.大徳寺納豆磯田のサイトでは唐代鑑真和上説を紹介大徳寺納豆うんちく | 大徳寺前で京都名物「大徳寺納豆」の本家磯田していますが寺院独自の製法伝播ルートがあってもおかしくないですね.

実際の味噌の伝来は更に古い可能性が高いようです.

例えば前田利家氏は,白村江の戦い(663年)の後に高麗人によってもたらされたという説を唱えています(「味噌のふるさと」古今書院).

 

 

しかし,大徳寺納豆の形『鼓(くき)』がそのまま現在の味噌になったのでしょか?

『鼓』から現在の味噌の形への分枝はとても早い時期だったようです.

 

味噌の原型は「未醬」,醬油の原型が「醬」

石毛直道氏は,「日本の食文化」でおおよそ次のように味噌のルーツを紹介しています.箇条書きでまとめてみました.

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▽漢代中国で大豆発酵食品の原型が生まれ,朝鮮半島を経由して日本へ伝わったと考えられている.

 

▽大豆の発酵食品の名前が初めて登場するのは大宝律令(701年).ここには三種類の名前が見られる.

1.「豉(くき)」

ダイズの粒の形をのこした固形の塩味のする発酵食品⇒現在の「大徳寺納豆」「浜納豆」:寺院で食べられたので「寺納豆」ともいう.

2.「醬(ひしお)」

ダイズ+(多くの場合)コムギや米などの穀類+コウジ,塩,酒 混ぜてペースト状とする(未醬より液体部分が多い)⇒醬(ひしお)汁を調味料とする.

味は味噌より洗練されたもの

⇒醬油の原型 製法が味噌より複雑で高価 ⇒なかなか一般化しなかった.

 3.「未醬(みそ)」

 =味噌

 (なお,他の食文化の書籍では,醬と未醬をこの様にはっきりとは分けていません)

 

▽中世において,味噌は

・副食(「なめ味噌」として食べる),または,

・調味料(味噌煮,味噌和え 等に)

として用いられていた.

また,味噌から液体の調味料を取る工夫がなされた

・「生垂(なまだれ)」:生の味噌と水を袋に入れてぶら下げ,滴り落ちる液体を集めたもの

・「垂れ味噌」:水とともに煮立てた

 

▽味噌汁の登場

延喜式』(927年)にはスープの材料としての味噌の記録がある.従って味噌汁は10世紀には存在していた.

しかし

「民衆の日常の食事に味噌汁を食べることはあまりしなかったようである」

「味噌汁が普及するのは,戦国時代からのことである」