「障害はあっても,普通の子.子供は地域で育つもの」「いつ,誰と,どんな出会いをするかで人生は変わる」 容疑者が優生思想に至る前に,気づかせてくれる出会いがなかったのは残念でなりません.相模原施設殺傷事件から 親の思い(1) 宮崎裕美子さん 

相模原施設殺傷事件から 親の思い(1)

容疑者が優生思想に至る前に,気づかせてくれる出会いがなかったのは残念でなりません.出会いとは特別なことではなく,身近な当たり前の日常生活の中にあります.息子には多くの出会いの場を提供したいと思います.施設を必要としない社会,親や家族だけが責任を負わずにすむ社会の実現を目指すことこそ親の努めではないかと思います.

宮崎裕美子(みやざきゆみこ) 

青森県八戸市在住.障害児を普通学校へ・全国連絡会世話人

 

福祉労働 153

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地域で当たり前に暮らすということ

相模原で起きた障害者施設殺傷事件の本当の犯人は,障害者を分け,隔て,排除してきた差別と偏見の歴史だと私は思います.その歴史の背景には,「優生思想」と,それに付随する「能力主義」があり,私たちは,知らず知らずのうちに,それらを,あたかも「常識」のように刷り込まれて育ってきました.障害者の中でも重度知的障害者は,小さい頃から分けられた場所しか提供されず,近所に住む幼稚園や保育園児,地域の小中学校に通う子どもたちと接する機会は,全くと言っていいほどありません.地域にいながらして,その存在すら知られることがないまま,障害児通園施設,養護学校(現・特別支援学校)を経て,年齢を重ねた親なき後は,住み慣れた地域から離れた入所施設にしか居場所がないのが現状です.

 

そんな中,起きてはいけない事件が起きてしまいました.いえ,起こるべくして起きてしまった事件と言えるかもしれません.

 

弱く無抵抗な人間を狙っての犯行は,非情で残忍極まりなく,私は言葉を失いました.お亡くなりになられた方々,負傷された被害者の方々,そのご家族の心中をお察しいたしますと,怒りと悲しみに胸が痛くなします.もし,重度の知的障害と自閉症を併せ持つ息子があの場にいたら,間違いなく容疑者の標的にされていたことでしょう.事実,お亡くなりになられた方々の中には,今年満一八歳になる息子と変わらない年齢の方もいらっしゃいます.同世代の若者の多くは,まだまだ親の脛をかじって呑気に暮らしている年頃です.親元から離れた入所施設で,自分の親きょうだいよりも年の離れた大勢の赤の他人と暮らさなければならなかったことを思いますと,いかなる事情があるにせよ,同じ子を持つ親として,涙が零れて(こぼれて)仕方ありません.どうしてこんなことになってしまったのでしょう.なぜ,住み慣れた地域で,同世代の若者のように暮らせないのでしょう.

 

根強い差別と偏見

被害者のお名前は,一切公表されませんでした.被害者の家族の一人は,その理由を「日本では,全ての命はその存在だけで価値があるという考え方は特異であり,優生思想が根強いため」と説明したと言います.

 

容疑者の発したヘイトクライム.「重度障害者など生きている価値がない」.「障害があって家族や周囲も不幸だと思った.事件を起こしたのは不幸を減らすため.同じように考える人もいるはずだが,自分のように実行はできない」.容疑者の抱える心の闇まで理解できるものではありませんが,後半の「同じように考える人もいるはず」の部分で,私はちょうど一年ほど前に起きた,あの茨城県総合教育会議の席上での,同時の県教育委員の問題発言を思い出しました.

 

「妊娠初期でもっと(障害の有無が)わかるようにできないのか.(教職員も)すごい人数が従事しており,大変な予算だろうと思う」

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中略

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親は,障害当事者ではないのか

容疑者は,遺族に対しては,「突然のお別れをさせるようになってしまって,遺族の方には,心から謝罪したい」と語っているそうですが,被害者への謝罪は一切ないとのことでした.

 

おそらく,彼の意識では,親や家族は,障害当事者ではないのでしょう.容疑者自身の心の闇までははかり知ることはできませんが,ゆがんだ優生思想は,「重度知的障害者は親にも見捨てられた存在」という自分勝手な解釈をつくり出し,重度障害のある方への憎悪と偏見を募らせていったのかもしれません.親や家族は,施設に預けるしか道はなかったのでしょうか.親は,真の意味で,障害当事者であると言い切れるのでしょうか.こういった厳しい問いかけに対し,私自身,ちくりと胸が痛むのです.

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中略

-----コミュニケーションが難しく,自力では介助を使えない息子に,「親なき後」も地域に頼れる関係を築くということは並大抵のことではありません.

それでも,と,敢えて私は,地域でともに生きることにこだわり続けてみたいと思っています.

 

地域で育つ—「障害はあっても,普通の子.子供は地域で育つもの」

夫が亡くなって早九年の歳月が流れました.息子は,小中学校と地域の普通学校に通い,普通学級に在籍し,「定員内不合格」により叶わなかったものの高校合格を目指し二年間.辛い浪人生活と入院生活を経験いたしました.

 

息子と暮らす過程で,「親亡き後のことも考えた方がいい」と,暗に施設入所や「成年後見人」をつけることを勧められたこともありましたが,小さい頃から住み慣れた地域とそこに済むなじみの人たち,ありふれた日常生活から離れ,障害者だけの施設・分けられた場所に行くことは,母子共々,納得がいきませんでした.

 

生前夫は,「障害はあっても,普通の子」「子どもは子ども同士で育つ」「障害のあるなしに関わらず地域の学校に行くのが一番」「子どもは地域で育てよう」と絶えず話していました.

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中略

----そんな中にあって,取り残され,うち捨てられていったものの中に大切なものがあると教えてくれたのも,息子が三年間通った地域の中学校で培われた人間関係でした.

 

高校受験に際しては,中学校はよく頑張ってくれたと感謝しております.息子,生徒,教員,PTA,地域が一体となって,理想でない現実を「ともに生きた」義務教育九年間だったのだと思います.出会う人に恵まれたとも言えます.当たり前を生きた日々は,決して綺麗ごとでは済まされない毎日でした.トラブルや小さな軋轢を経験するたび凹むことも多く,「親が馬鹿だから」「親のエゴ」とあからさまに非難されたこともありました.

 

「出会い」—いつ,誰と,どんな出会いをするかで人生は変わる

「出会い」のもつ力は大きいと痛感しています.もし事件の容疑者に障害児や障害者たちとの違う出会いがあったなら,今とは,全く異なる人生であったかもしれないと思います.

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中略

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福祉の仕事に従事している友人は,次のようなコメントをくれました.「地域の中には,重度の障害者が存在していることすら気づかない人がほとんどなのかもしれない.その事実と現実を,もっと直視しないと行けない」.「容疑者が殺人を犯してしまったのは,社会が障害者を排除して,障害者はいないような日々が動いていく.そんな中で,ひとところに集められた重い障害のある人たちをお世話する仕事をしていたことと無関係ではないような気がする」.「歪んだ優生思想に共感していった感性は彼だけの責任ではない」と.

歪んだ優生思想に至る前に,それに気づかせてくれる出会いがなかったのは真に残念でなりません.出会いとは,何も特別なことではなく,身近な,ごく当たり前の日常生活の中にあります.

 

(続く 予定)