コロナで何が変わるのか
障害者「棄民」政策,あらわ 支援なく,ケアは家族任せ
児玉真美
日本ケアラー連盟代表理事
毎日新聞2020年8月25日 東京朝刊
https://mainichi.jp/articles/20200825/ddm/012/040/098000c
コロナ禍で介護サービスが制約された結果,障害のある子どもをケアする親たちは一段と厳しい立場に追い込まれている.
重度重複障害のある娘の親で,海外の生命倫理にも詳しい児玉真美・日本ケアラー連盟代表理事(63)は,家族任せの日本の障害者福祉の現状を,「棄民にされたよう」と指摘する.コロナ禍があぶり出したものについて聞いた.【聞き手・上東麻子】
「トリアージ」に怖さ
――新型コロナウイルスの感染拡大で,ケアラー(家族などを無償で介護する人⇒*)たちが一番大変だったことは何ですか.
▽コロナ禍による事業所の閉鎖やサービス縮小によって,多くの家庭が支援のない状態で放置されました.
私たちの連盟がケアラーに調査したところ,約4割の人が平均5・7時間,介護時間が増えていたことが分かりました.
私の周りでも,医療的ケアが必要な成人の子どもをみている家庭で,ヘルパーが2~3週間来なかったと聞きます.うつになりそうだったという声をたくさん聞きました.
報道は医療,介護崩壊について取り上げますが,親が子どもを介護しているケースにはなかなか目が向けられません.
特に,生活の変化が苦手だったり,外に出られない理由を理解しにくかったりする障害特性を持つ知的障害者や精神障害者はケアが複雑化し,それが不穏な状態や暴力を招きかねません.負担の大きい生活を強いられているのに,目が向けられない.
障害者と家族は,社会の周縁に置かれていると改めて感じました.
――医療資源の不足を受け,治療の優先順位を決めるというトリアージの議論も起きました.
▽「この事態なら命の選別が起こっても仕方ない」という方向性が作られつつある怖さを感じます.
トリアージの議論は,障害者が殺傷された津久井やまゆり園事件を思い起こさせます.
多くの人があの事件から「優生思想」と言い出しましたが,はるか前から優生思想は世界中で広がっていました.
もう一つは,予後が不良だったり重篤な障害があったりする人に治療をしても無駄という「無益な治療論」です.
――植松聖死刑囚は裁判などで,重度障害者について「いる意味があるのか」などと発言しています.
▽それまでひそひそとささやかれていた「障害者なんて生きていても仕方ない」といった声を,あの事件はとんでもない形で表面化させました.
トリアージの議論も同じです.医療の分配をめぐる議論は,それまでも生命倫理学の議論としては,じわじわと広がりを見せていましたが,コロナ禍によって思いがけない形で社会の表層に飛び出してきた.
そして,出てくるなり国民的なコンセンサスを得そうなことに不気味さを感じます.
――児玉さんはかねて,日本の障害福祉は母親を「含み資産」にしていると表現しています.
▽私たち障害児の親がずっと言われてきたのが,「お母さんだからやって当たり前」という言葉です.
娘が生まれた時,大学講師をしていましたが,障害児だと預ける場所がないのです.月に1回小児科の外来,月1,2回整形外科の受診,2週間に1回のリハビリ,2カ月に1回の健康訓練…….全部平日の昼間で,親がやらなくてはなりません.
障害児の医療・福祉の前提は,母親が働いていないことなのです.
世間の人は「明るくがんばってえらいね」と言う.
自分でも障害がある子を産んだ罪悪感があるし,自分の中にも「母性神話」がある.
だから「しんどい」と言えず,「大丈夫」と言ってしまう.
母親たちは世間の善意の言葉をじわじわと内面化していき,己を捨ててでもがんばるという構図にはめられていくし,自分からもはまっていってしまう.
でも,私たちだって本当はしんどい,一人の人間なのだと言いたいのです.
――近著「私たちはふつうに老いることができない」は,障害のある子どもを抱える高齢の親たちの声をまとめています.伝えたかったことは何ですか.
▽こうした母親依存をどうにかしてほしいということです.
コロナ禍であぶり出された社会の意思とは結局,障害がある人のケアは,家族と地域の事業所でなんとかしなさいということ.
国が行っている政策は,「支援なき地域の中で,障害者が棄民にされている」と見えます.
厚生労働省が障害福祉・介護の事業所に出した最初の通知は,コロナ禍でサービスが通常通りに利用できなかったり,本人や家族が感染したり濃厚接触したりした際,相談支援員,地域の事業所,かかりつけ医に相談しなさいというものでした.
それぞれが手いっぱいなのに.
それは「家族でみろ」というのと同じです.
アンケートでケアラー自身が感染した時にどうするか尋ねたところ,一番多かった回答が「考えられない」「どうしていいかわからない」でした.
これは昨年の私のインタビューで,親亡き後どうするかを尋ねた時に多くの人の口からこぼれ出た「考えられない」という言葉と重なります.
平時から介護サービスが空洞化していて使えないのに,コロナでも,「親亡き後」でも,受け皿が想像できないのだと思います.
理想は「地域で自立」
――改めて国にどんな制度を求めたいですか?
▽障害がある人のニーズは多様です.年齢,家庭環境,障害の種類や重さにかかわらず,どんな人でも安心安全に暮らせる受け皿が必要です.
理想は障害があっても成人したら家族から自立して地域で暮らせること.
それが公的な責任によって保障されてこそ,家族依存から脱却して,当事者も家族もその人らしく暮らすことができるのです.
⇒*
埼玉県条例におけるケアラーの定義
https://www.pref.saitama.lg.jp/a0609/chiikihoukatukea/kaigosya-kouhou.html
ケアラーとは高齢,身体上,精神上の障害又は疾病等により援助を必要とする親族,友人その他の身近な人に対して,無償で介護,看護,日常生活上の世話その他の援助を行っている人のことを言います.
ケアラーの中でも,18歳未満の人はヤングケアラーと定義されています.
児玉真美(こだま・まみ)氏
広島県在住.京都大卒業後,米カンザス大で修士取得.翻訳・著述業.介護する人を支える活動をする日本ケアラー連盟の代表理事.著書に「殺す親 殺させられる親」(生活書院)など.