日本の洋食(1)「このハンバーグの素晴らしいところは,やっぱり肉のそのもののおいしさを,後から押し上げるような,いろんなうまみがギュッと凝縮---.で,そこにごはんを追いかけさせる.西洋のものと日本が誇るお米を,さも当たり前のように合流させ,さらにそこに味噌汁もつく」(小山薫堂さん / NHKBS美の壺) +日本の「洋食」の成立

NHKBSプレミアム美の壺「みんな大好き 日本の洋食」(1)

NHKBSプレミアム「美の壺」は私が良く視聴する番組の一つ.

芸達者な草刈正雄さんと心地よい木村多江さんのナレーションで進行.私が全く知らない分野のエッセンスを教えてくれ,また名前は知っていても浅薄な知識しかない分野については,新しい視点からの見方を肩がこらない形で提供してくれます.

12月8日に取りあげられたのは「洋食」.知っているようでほとんど知らなかったことがたくさん!

ただ,今回は放送内容については,

冒頭の小山薫堂さんの言葉:「洋食」の神髄をズバリ指摘,にとどめ(残りはいずれまた),このブログ後半では,日本の洋食についての基礎的知識を石毛直道先生の「日本の食文化」から,少しまとめてみました.

  

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美の壺 - NHK

「草刈さん,どうしたんですか?その格好」

「いやね,この家をね,レストランにしようと思いましてね.名付けて洋食『草刈邸』---もちろんオーナーシェフは僕自身です----お任せあれ」

 

親子3人で切り盛りしている町の洋食屋さん.確かな腕と家庭的な雰囲気が愛されるお店です.

その味を求めて,また一人常連さんが.

放送作家で脚本家の小山薫堂さん.

 

かの有名な大ヒット料理番組(料理の鉄人)を手掛けた食通.

糸井重里とさんとの対談http://www.1101.com/koyama/index.html

(「おくりびと」の脚本では日本アカデミー賞最優秀脚本賞などマルチな活躍をされていて,現京都造形芸術大学副学長・芸術学部教授)

 

世界中の料理を食べ尽くしてきた小山さん.イチオシの洋食屋さんがこちら.

 

「今晩は」「お待ちどおさまです」 

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http://ure.pia.co.jp/articles/gallery/41644?img=55b72616abee7b4aa8000004

「このハンバーグの素晴らしいところは,やっぱり肉のそのもののおいしさを,後から押し上げるような,いろんなうまみがギュッと凝縮されていて,それで,一口食べるとまたついもう一口食べたくなる.

で,そこにごはんを追いかけさせる.『ごはんこっち.お米さんこっちに来なさい』っていうような,そういう手招きをしている感じがありまして.

この西洋のものと日本が誇るお米を,さも当たり前のように合流させ,さらにそこに味噌汁もつく.

今,違うものがなかなか交わらなかったり,国々が敵対している中で,握手をしっかりしている姿勢が,洋食の偉いところだな,と思います」

 

西洋料理のエッセンスを和の美意識で見事に変身.今日は誰もが大好きな洋食をご紹介します.(以下続く)

 

 

 

肉食の普及,牛鍋・スキヤキ,そして日本の「洋食」の成立

石毛直道「日本の食文化史」を短時間でかなり大胆にまとめました.乱雑なところが多々あります.原文を是非お読み下さい)

 

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日本の食文化史 旧石器時代から現代までの通販/石毛 直道 - 紙の本:honto本の通販ストア

肉食の普及

長い間日本で続いた肉食の禁忌は,仏教・神道が肉食を禁じた事による影響が大きい.しかし,江戸時代,幕府は宗教的権威の上位に位置したため,宗教の活力は弱まり,また,オランダの書物を通じて西欧文明を吸収した知識人が現れ「肉食をしないと虚弱になる(=肉は薬 yachikusakusaki注)」とするに及び,江戸時代後期,肉食のタブーが緩やかになっていった.

19世紀初頭になると,「薬食い」用の獣肉を売る店が増加し,イノシシ,シカ,キツネ,ウサギ,カワウソ,オオカミ,クマ,カモシカなどの肉が売られた.ただし,このような肉食は都市部の一部の人々に限られ,機会も少なかったと推定される.

明治維新時,欧米の事情に通じた知識人は,日本人の体格が貧弱な理由の一つは,肉食をしないこと,乳製品を食べないことにあると考え,肉を食べることが奨励された.

しかし,農耕のための家畜を殺して食べることには抵抗が強かったため,その普及は,はじめ,官主導で行われた.

軍隊の食事には肉を使用した献立が採用されるようになり,明治5年には天皇が肉を食べたことが報道された.また,官営の牛馬会社が設立され,戊辰戦争の負傷兵には牛肉を食べさせ,体力の回復をはかった.

兵士たちは,強制的に食べさせられて肉食の美味しさを知ったが,一般の人びとが肉の味を覚えたのは,都市の外食店を通じてであった.当時,ほ乳類の肉を提供したのは,ホテルの食堂,西洋料理専門のレストランと牛鍋屋であった.ホテルや西洋料理専門店は外国人居留地で始め開業したが,やがて大都市でも開業するようになった.

 

牛鍋・スキヤキの普及

初期の西洋料理は高価であり,訪れる人は限られたが,牛鍋屋は比較的安価で,牛肉を親しみのある醬油や味噌で日本風に味付けし,箸で食べさせるので,民衆でも比較的気安く利用することが出来た.

牛鍋屋の開業は東京で明治維新の二年前で,当初,「俺は牛肉を食った」と自慢の種にするぐらいで人気があったわけではないが,明治政府が国策として西洋文明を導入し始めると次々に開業され,都市民の流行となった.

一方,農村部では,牛を殺して食べることに強い抵抗感があり,その浸透は遅れた.初めのうちは牛肉の匂いで神仏が穢されないような配慮も行われ,屋外で調理されたり,肉専用の鍋が用意されたりした.農具のスキの金属部分で魚や豆腐を焼くことは江戸時代にも行われたが,関西では,牛肉をスキの金属部分で料理したので「スキヤキ(鋤焼き)」という名称になったという.

そして,二十世紀はじめ.肉食に抵抗を示した人々が老人になり,若い世代によって牛鍋が広まり,日常の食事より上等な食事を見なされるようになった.

 

日本的洋食の成立

牛鍋・スキヤキが民衆側の料理システムに牛肉を取り入れてつくった料理であるのに対し,伝統的な日本料理はこの新たな食材を取り入れることに長い間興味を示さなかった.そこで,伝統に欠如する肉や油脂を使用した料理を食べさせる場として,西洋料理のレストランという,新しい外食施設が成立した.

ホテルの食堂は,高価で上流階級を顧客にしたが,1880年代後半になるとホテルやレストランで西洋料理を習った日本人コック達が,「洋食屋」という都市の民衆を対象とする西洋料理店を開業し始め,1900年前後には東京の洋食屋は1500〜1600軒に達した.

洋食店で提供されたのは,日本人の嗜好に合わせて変形された西洋料理である.西洋皿にのせた日本式に炊いた米飯を食べるのが普通であり,それに合うような醬油をベースとした和風ソースが工夫され,また,多くの場合どんな料理にも,「西洋の醬油」とみなされたウスターソースがかけられた.ウスターソースの原料の一つに醬油が使用されていた.

調理にも日本の技法が取り入れられ,例えば,本来,油で焼き付ける(panflying)カツレツは,天ぷらの手法で揚げる(deep flying)料理に変形され,トンカツとなった.

この様な洋食屋のでの主要な料理は「ライスカレー」「ハヤシライス」「チキンライス」「オムレツ」「ビフテキ」「トンカツ」「コロッケ」「フライ」などであった.