日本人の食生活には,なくてはならない食品,大豆.
しかし,「国内自給率は3~4%程度で、大半は輸入されています」(日本豆類協会)とのこと.
ただし,「国産大豆はほぼ全量が食品用に仕向られているため、製油用を除いた食用自給率は2割強となっています」(日本豆類協会).
農水省の令和5年版「大豆をめぐる事情」の図では,次のようになります.
https://www.maff.go.jp/j/seisan/ryutu/daizu/attach/pdf/index-1.pdf
少し前の平成29年版の図がよりわかりやすく,また国産大豆の用途も図示してくれています.
国産大豆の用途(平成27年度):豆腐56%,納豆17%,煮豆惣菜9%,味噌醤油8%,その他10%.
http://jsapa.or.jp/pdf/soy_info/index-23.pdf
他の豆類と異なり,大豆の用途は多岐にわたっています.
大豆油は世界中で利用され,搾油後の大豆粕は飼料として,これも世界中で利用されていますが,国産大豆の主な用途となっている豆腐,納豆,煮豆惣菜,味噌・醤油は,日本独自の大豆食品で,これらなくして日本の食文化は語れません.
豆腐と味噌の歴史については,このブログで既に取り上げていますが,以下,一部改変し,再掲します.
なお,納豆の歴史については,ニッポニカに記事があります.ご参照下さい.
https://kotobank.jp/word/納豆-108219
(この記事によれば,納豆には,現在「納豆」と聞いて思い浮かべる「糸引き納豆」:室町時代に現れ江戸時代に広まった,と,蒸した大豆と麹(こうじ)で麹豆をつくり,塩水に浸(つ)けて発酵させたあと乾燥した「塩辛納豆」があり,後者は味噌の歴史にも取り上げられる「豉(くき)」のこととされています.)
▽豆腐の歴史
参考文献・ウェブサイト
「日本人は何を食べてきたか」(原田信男,角川ソフィア文庫) 「日本の食文化」(石毛直道,岩波書店) 「ものと人間の文化史 豆」(前田知美 法政大学出版局) 日本豆類協会 豆類協会 mame.or.jp 全国豆腐連合会 豆腐のことなら全豆連
中国における豆腐の発明
豆腐は漢王朝の劉邦の孫が発明したという中国の伝説があるそうですが,「中国の文献に豆腐の文字が現れるのは9世紀末から10世紀初頭」とのこと(石毛,原田).
その少し以前の唐代の中頃(8〜9世紀)チーズ状の食品「乳腐」にヒントを得て,中国で豆腐が発明されたと推測されています(石毛,原田).
大豆食品は,殺生戒を守ろうとした中国の精進料理で重要な役割を果たし,中でも豆腐はその発展に最大の寄与をしたと考えられています.
原田氏によれば,
「豆腐は良質な蛋白質を含み.味付けも自由であることから,独特の味覚が得られる」
「しかも,豆乳・湯葉・油揚げなど,いわば二次的食品の利用により,植物性の食材で多彩な味の世界をつくりだすことが可能となった」
「こうした新しい精進料理の体型が,中国の唐代から宋代にかけての禅宗寺院で確立され,これが日本に伝えられることになる」
なお,豆腐の「腐」は腐るという意味ではなく,乳製品の胡語に対する当て字でブルンブルンという意(石毛),もしくは大豆を水に入れてふやかす意(前田)とのこと.
日本への豆腐の伝播・普及
日本で初めて豆腐が記載されたのは1183年の神職の日記(「唐符」と記載)で,その後,中世,最も豆腐が食べられたのは仏教寺院,特に禅宗寺院でした(原田,前田,石毛).
普及初期の豆腐は高級食品で,江戸時代初頭には農民の自家製造が禁じられたこともあるとのことですが,江戸の中頃には都市部には多数の豆腐店が出現し,一般的な食べ物になり,料理本『豆腐百珍』シリーズも刊行されました.
しかし,豆腐屋のない農村部では豆腐料理はハレの日のたべものとみなされていたそうです.(以上,石毛による)
▽味噌の歴史
以下,「日本の食文化」(石毛直道 岩波書店)の記述に沿って.味噌のルーツを簡単に紹介してみます.
大豆発酵食品の原型が生まれたのは,漢代中国で,朝鮮半島を経由して日本へ伝わったと考えられています.
日本で大豆発酵食品の名前が初めて登場するのは大宝律令(701年).ここには三種類の名前が見られ,それぞれ「大徳寺納豆」等,醤油,味噌の原型と考えられます.
1.「豉(くき)」:ダイズの粒の形をのこした固形の塩味のする発酵食品で,「大徳寺納豆」「浜納豆」「寺納豆」(一般名は「塩辛納豆」)の原型と考えられています.
2.「醬(ひしお)」:ダイズに,コムギや米などの穀類とコウジ,塩,酒 混ぜてペースト状としたもの.次の未醬より液体部分が多く,その醬(ひしお)汁を調味料としたと考えられます.味は味噌より洗練されたもので,醬油の原型とみなせますが,味噌より複雑で高価なため,なかなか一般化しなかったようです.
3.「未醬(みそ)」=味噌
(なお,他の食文化の書籍では,醬と未醬をこの様にはっきりとは分けていません)
味噌は中世において,副食(「なめ味噌」として食べる),または,調味料(味噌煮,味噌和え 等に)として用いられていました.
また,味噌から液体の調味料を取る工夫がなされ,「生垂(なまだれ)」(生の味噌と水を袋に入れてぶら下げ,滴り落ちる液体を集めたもの)「垂れ味噌」(水とともに煮立てたもの)としても利用されました.
一方,味噌を利用した食品の代表,味噌汁の登場はかなり遅れてから.
『延喜式』(927年)にはスープの材料としての味噌の記録がり,味噌汁は10世紀には存在していたと考えられますが,民衆の日常の食事に味噌汁を食べることはあまりなかったようです.
そして,「味噌汁が普及するのは,戦国時代からのことである」とのこと.