日本人の食生活には,なくてはならない食品,大豆
昨日の味噌に続いて,今日は醤油の歴史を取り上げます.
大豆から作られた醤油は,日本において,万能の調味料としての地位を占め,醤油なしでは日本料理は成立しないと言われています.
醤油の出荷量は近年,減少傾向にあり,特に家庭用醤油の消費が落ち込んできています.
https://sugar.alic.go.jp/japan/user/user0810a.htm
しかし,代わって,醤油をベースとしたつゆ/たれの出荷は増えてきています.
醤油は,現在でも日本の味の基本であり続けていると言って良いでしょう.
家庭用の醤油とつゆ/たれの金額ベース消費量は1994年に逆転しています.
また,上記のデータは,2006年までですが,家庭用醤油の出荷はの減少とつゆ/たれの消費の増加傾向は,現在でも続いています.
https://www.s-shoyu.com/knowledge/0804
https://urahyoji.com/expenditures-for-soup-and-sauce/
ニッポニカ「醤油」(河野友美・山口米子 https://kotobank.jp/word/しょうゆ-794882 )
「味噌のふるさと」(前田利家 古今書店)
から,醤油の歴史をたどってみます.
醤油の歴史
醤油・味噌の原形「醤(ひしお)」
味噌と同様,醤油は大豆を主要な原料として,塩とコウジ(麹,糀)を加えて発酵させた食品です.醤油の歴史は,味噌の歴史と重なったものとなります.
穀類や鳥獣肉、魚,野菜・海藻などの材料に塩を加えて発酵させた食品は「醤(ひしお)」と呼ばれました.原料に従って,それぞれ穀醤(こくびしお)、肉醤(ししびしお),魚醤(ぎょしょう),草醤(くさびしお)とよばれますが,醤油・味噌はこのなかの穀醤から変化発展したものです.
中国の醤(主に前田による)
「醤」は,中国で製法が確立しました.
「醤」の文字は,周礼(紀元前10世紀頃/漢代に書かれたとする説もある),論語(春秋時代 紀元前751〜404)に書かれていますが,この醤は肉醤と考えられています.
大豆の発酵食品の記録としては,年代測定で紀元前165〜145年(前漢前期)とされた竹簡にある「豉(し,くき)」(大徳寺納豆などの原形)が最古のものとのこと.
醤油・味噌につながる「豆醤」については,前漢の急就編(紀元前49年〜34年)に,「醤はダイズに麥粉をあわせてつくる」とあるのが,最古の記録とされています.さらに,後漢の四民月令(158〜166)に「清醤」とあり,これが醤油の原形と考えられます.
醤の製法については,後魏の斉民要術(532〜549)に書かれているとのこと.肉醤,魚醤,麦醤などの製法と同時に豆醤の製法が詳しく書かれ,その利用法としては「モロミごとの直食で,タマリとして調味料に用いられる例は非常に少ない」(前田)そうです.
日本の醤
日本で,「醤」の名前が登場するのは,大宝律令(701年).昨日の味噌の歴史でも取り上げました.
それ以前に,どのような形で日本に伝えられたかについては,記録もなく,はっきり分かっていません.前田利家氏は,朝鮮半島から日本への移住民とともに伝えられたのではないかとしています.
大宝律令にある醤は,「ダイズに多くの場合コムギや米などの穀類とコウジ,塩,酒を混ぜて発酵させたペースト状の調味料で,醤油の原形にあたる」(石毛).朝廷では主醤(ひしおのつかさ)が製造にあたり,平安時代になると都の醤店が,一般の人にも売るようになったとのこと(河野・山口).
製造の基本原理からすれば,味噌と醤油はよく似たもので,最終製品がペースト状か,液体かが一番の違い.味噌より液体部分が多い醤の汁を調味料としたのが醤油の原形と考えられています.
ただし,石毛は「製法は味噌より複雑で,高価であるため醤汁を調味料とすることはなかなか一般化しなかったと思われる」としています.
醤油の登場と醤油産業の発展
醤油の文字が記録に表れるのは室町時代.大草料理書(天文年間1532〜1554年)と節用集(1597年)に記載があります.
この頃,関西で醤油を製造する企業が成立し(例えば,紀州湯浅醤油等),醤油運搬船をもつ業者も現れました.「日常の料理に醤油を使用することが,商品経済に依存して生活している都市民から始まった」(石毛).
江戸へは,はじめ,関西から醤油が大量に運搬されましたが,17世紀中頃以降,現在の銚子と野田に醤油産業が発達し,濃厚で香りの高い「濃口醤油」を作り出し,江戸の醤油は千葉県産にとってかわられました(石毛).一方,関西での醤油工業は和歌山から西宮へ,さらに播磨龍野へ移り,今までと違う淡口(うすくち)醤油が作り出され,大阪・京都で消費されるようになりました(河野・山口).
そして,18世紀になると,都市の料理は,主に醤油で味付けされるようになります.ただ,辺鄙な農村部では日常の料理の味付けには,20世紀初頭になっても,自家製造した味噌が使われ続けたとのこと(石毛).
石毛は,「200年以上の歳月をかけて,日本の料理の味は味噌味から醤油味へと変化したのであり,それは都市の味が農村に普及していく過程でもあった」としています.
醤油の登場が新しい料理を生み出した(石毛)
醤油は,単なる塩味だけではなく,うまみと香りを食物に付加する機能を持ちます.
石毛によれば,このような醤油の普及により,醤油の使用を前提とした新しい料理が生み出されていったとのこと.
生魚の食べ方が,ナマス(膾)から刺身に変化したのも醤油の普及と関係しています.そして,料理法としても,魚肉の切り方・盛り付け方が料理人の腕の見せ所になりました.
日本料理として,海外でも人気のある「にぎり寿司」「天ぷら」「照り焼き」は,いずれも江戸時代に普及した,醤油ベースの料理です.
そして,どのような料理にも用いられる醤油の味は,いわば「中立の味」とみなされ,むしろ素材そのものが味の主役であり,自然の味を活かすためには複雑な味つけは排除すべきと考えられるようにさえなりました.
日本の麹
日本の醤油・味噌は,中国のものと異なる,独自の味・香りを進化させてきました.
いくつかの要因がある中でも,日本の麹が果たす役割は大と考えられています.東京農業大学の前橋健二氏は,日本の麹について次のように述べています.
https://www.maff.go.jp/j/pr/aff/2211/spe1_01.html
「自然に生えてくる菌を育てて使う文化はどこの国にもあったのですが,日本ではいち早く種麹(麹菌の種,胞子)を純粋培養する技術を確立しました.それよりずっと昔は,種麹に灰などを入れて雑菌を殺して純化するなど,工夫して種麹をつくっていました.日本の発酵技術は科学的な裏付けが取れない時代から,先人が試行錯誤して経験値によってつくり上げてきたものなのです.
麹菌にしても自然界に存在する野生麹菌とはまったく異なるもので,選び抜かれた安全な種を純粋培養して保管しています.
日本では増殖させて麹をつくり,ほかの菌(微生物)を巧みに組み合わせて,発酵食品をつくりあげてきたわけです.和食の素晴らしいところは,発酵調味料によって食材から味を引き出し,それだけで複雑な味をつくりあげる点ですね.」