昨日に引き続いて,オウィディウス「転身物語」から「ドリュオペとロティス」の物語を引用します.
その前に,
ドリュオペが描かれているギリシャ神話原典には,他に,アントーニーヌス・リーベラーリス「変身物語」があります.
ドリュオペが木と森のニンフに変えられたとはっきり記載しているのは,リーベラーリス版「変身物語」.ドリュオペは黒ポプラの木に変身させられます,
オウィディウス「転身物語」で描かれるドリュオペは,“ロトゥスの木”に変身させられますが,そのままニンフとなったかどうかははっきり示されていません.リーベラーリス版「変身物語」,さらには月桂樹に変身したダフネ(ダプネー)と同じように考えれば,ドリュオペはニンフに変身したと考えていいと思います.が,これは素人考えで,植物に変身させられることがニンフになることを意味しないこともあるのかもしれません.
オウィディウス「転身物語」のドリュオペの最期の言葉は悲しすぎますし,その中で「死んでいくわたし」と語っています.
『どうかわたしの眼にさわらないでください.あなたがたの手をわずらわさなくても,樹皮がひとりでにあがってきて,死んでいくわたしの眼をとじでくれるでしょう』
ドリュオペとロティス
(語っているのは,ヘルクレス/へーラクレースの息子ヒュルスの嫁イオレ.聞き手はヘルクルスの母アルクメナ/アルクメーネー)
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「でも,おばあさま.あなたがこころを痛めているいらっしゃるのは,ご一家とは血のつながりのない女の転身です.わたしの姉妹の不思議な身の上をお話申したら,何とおっしゃるでしょう.でも,涙と悲しみにさまたげられて,思うように言葉が出てきそうにもありません.
ドリュオペはかの女の母親の一人娘で(わたしとは腹ちがいなのです),オエカリアの女たちのなかでもその美しさはとびぬけておりました.
かの女がアンドラエモンの妻になったのは,デルビとデロスを治めたまうアポロ神のために,処女の誇りを力ずくでうばわれたあとのことでしたが,アンドラエモンは,この妻をえて幸福であるとおもわれておました.
さて,ある湖がありまして,そのなだらかな岸は,海の浜辺をおもわせ,岸の上の方には,桃金嬢(ミルテ ギンバイカ:本来はテンニンカのこと)がいちめんにはえていました.ドリュオペは,どんな運命が待ちうけているかも知らず,この湖の所にやってきました.それどころか,かの女がうめた運命からすると気の毒千万なことなのですが,じつは妖精たちに花輪を送ろうとおもってやってきたのです.
生まれてまだ一年もたたない子どもをやさしい荷物として胸にだき,あたたかい乳をのませていました.
湖からほど遠からぬところに,水の友である蓮(*)が,テュルスの緋いろにまがうばかりの花をいちめんに咲かせ,やがてゆたかにみのるにちがいない実を約束していました.
ドリュオペは,子供のおもちゃにしようとおもって,その花を二つ三つ摘みました.わたしも,おなじように摘みとろうとしましたが(ええ,その場にいっしょにいたのです),ふと見ると,その花からはまっ赤な血がしたたり,茎は,身ぶるいして震えているではありませんか.
といいますのは,あとの祭ながら土地の人から聞いたところによると,これは妖精のロティスであって,プリアプス(生殖・豊穣の神)のみだらな行為をのがれて,名前だけはそのままにして,もとの姿からこの植物に変わったのでした.
むろん,姉,そんなことはゆめにも知りませんでした.
すっかりこわくなって,花にのばした手をひっこめ,妖精たちに礼拝をささげたのち,この場を立ち去ろうとしましたところ,脚に根が生えて,土にしっかりとくっついsてしまいました.そして,足の方からしだいにやわらかい樹皮が上の方まで生えてきて,胴をすっかりつつんでしまいました.
これを見ると,姉は両手で髪の毛をかきむしろうとしましたが,その手には葉がいっぱいに生え,さらに頭も葉に覆われてしまいました.
おさないアムピッスス(これは,この子のおじいさんにあたるエウリュトゥスがつけた名前です)は,母の乳房が固くなっていくのを感じ,いくら吸っても乳がでてきません.
ああ,お姉さま,わたしは,こんなおそろしい出来事を目の前にしながら,あなたをすこしもお助けすることはできませんでした.わたしは,力のかぎり幹を枝をしっかりだきしめて,それらが大きくなるのをすこしでもくいとめようとしました.ほんとうのことを申しあげますと,自分もいっしょにおなじ樹皮のなかにとじこめられてしまいたいとさえおもいました.
すると,そこへ良人のアンドラエモンと気の毒な父親のエウリュトゥスとがやってきて,ドリュオペをさがしもとめました.わたしは,ドリュオペの姿をもとめるふたりに,ひともとのロトゥスの木(*)を指しました.
ふたりは,まだあたたかいその幹に接吻をし,根もとに身を投げてしかとだきしめました.
お姉さま,あなたは,もうすっかり木になってしまって,顔だけが残っていました.気の毒なからだから生じた木の葉の上には,はらはらと涙が落ちかかりました.
そして,口がまだものを言うことができるあいだに,姉はつぎにようなかなしい思いを大気の中にもらしました.
『不幸な人間の言葉でも信用していただけるならば,わたしは,神々にちかって,自分がこんなおそろしい目にあわされるおぼえがないことをはっきりと申しあげます.わたしは,なんの罪もないのに罰をうけるのです.これまで清浄潔白なせいかつをしてきたわたしです.それが嘘だというなら,この身が枯れはてて,生い茂る葉をうしない,斧に伐(き)りたおされて,炎に焼きつくされてもかまいません.
けれども,どうかこの子だけは,小枝となった母の手からひきはなして,いい乳母をつけてやってください.そして,坊やがしばしばこの木の下で乳をのみ,わたしの木かげで遊ぶようにしてください.
この子がものを言えるようになったら,母に挨拶をし,悲しげに「ぼくのお母さんは,この木のなかにいるんだ」といわせるようにしてください.
しかし,池や沼をおそれ,けっして草木から花を摘みとらないようにし,やぶや木立はすべて神々のご聖体であると考えるようにしてください.
では,ごきげんよろしく,いとしい良人よ,それに妹とお父さま!あなたたちはまだわたしを愛してくださるなら,どうかわたしの枝葉がするどい利鎌(とがま)に傷つけられたり,家畜どもの餌食になったりすることがないようにおまもりください.
わたしはあなたがたの方に身をかがめることができませんから,あなたがたが身をのばして,まだわたしの唇にふれることができるあいだに,この唇のところまで来てください.
それから坊やもここまでだきあげてください.
ああ,もうこれ以上口をきくことができません.やわらかい樹皮は,わたしの白い首のところまで伸びてきて,そこから上も,梢のなかにかくれていきます.
どうかわたしの眼にさわらないでください.あなたがたの手をわずらわさなくても,樹皮がひとりでにあがってきて,死んでいくわたしの眼をとじでくれるでしょう』
やがて,姉の口は,語るのをやめるとともに見えなくなってしまいました.
そして,こうして姿が変わってしまってからも,姉のあたらしい小枝は,まだしばらくはからだの温みをたもっていました」