没薬(もつやく)になったミュラ ダイジェスト(上) ミルラの変身を取り上げているギリシャ神話原典は,いくつかありますが,ミルラ(またはスミルナ)が父親に恋をし,結果として没薬の木(ミルラの木)へ変身するという点では一致しているものの,その他のストーリーは,それぞれ,かなり異なっています.例えば父親に恋するきっかけ,等.今日と明日・明後日,オウィディウス・転身物語「没薬(もつやく)になったミュラ」を,かなりはしょったダイジェスト版で3回にわたってお届けしたいと思います.

ミルラが没薬の木(ミルラの木)に変身したとする物語を取り上げているギリシャ神話原典は,いくつかありますが---

 

今,日本語訳が私の手もとにあるのは,次の三編.

 

1. 偽アポロドーロス「ギリシャ神話(ビブリオテーケー)」 高津春繁訳 岩波文庫

2. アントーニース・リーベラーリス「メタモルフォーシス」 安村典子訳 講談社文芸文庫

3. オウィディウス「転身物語」 田中秀央・前田敬作訳 人文書院

 

この三編に記された物語は,ミルラ(またはスミルナ)が父親に恋をし,結果として没薬の木(ミルラの木)へ変身するという点では一致しているものの,その他のストーリーはかなり異なっています.

 

例えば父親に恋するきっかけ.

偽アポロドーロスでは,アプロディーテーによる母親(娘がアプロディーテーより美しいと自慢した)への罰とされていますが,リーベラーリスは,何の理由も記さず,オウィディウスは復讐の女神フリアエがその思いを吹き込んだと記しています.

 

またミルラの木への変身は---

神のなした技という点では一致していますが,偽アポロドーロスは「神々」,リーベラーリスは「ゼウス」,オウィディウスは神の名は記さず,「悔いる者の祈りに耳を傾けてくれる神があった.すくなくとも彼女の祈りの最後の言葉(変身を願う)は,神々の心を動かしたにちがいない」としています.

記録を主眼とする他の二編とは違って,オウィディウス「転身物語」は,ミルラの欲望と変身の物語を完成度の高い文学にまで高めているように思われます.

 

以下,今日から3回にわたって,転身物語「没薬(もつやく)になったミュラ」を,かなりはしょったダイジェスト版でお届けしたいと思います.

伶人オルペウスhttps://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2020/06/13/000500

が語る一連の物語の一つとして配置されています.

 

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Commiphora myrrha - Wikipedia
 

転身物語

田中秀央・前田敬作訳  人文書院

巻一〇 七 没薬(もつやく)になったミュラ 

ダイジェスト(上)

(語り手:オルペウス)「この娘(ピュグマリオンと作られた象牙の人形,ウェヌス女神により人間となる)から,キニュラスという息子が生まれた.

もしかれに子どもがなかったなら,キニュラスは,幸福な人たちのひとりにかぞえられたことであろう.私の口は,いまその怖ろしい物語をうたおうとおもう.

世の娘たちよ,また父親たちよ,ここを遠くはなれるがよい.さもなければ,わたしの歌がおんみらのこころを惹くことがあっても,けっしてこの話に信をおいてはならないし,このような大罪があったとおもってもならない.しかし,もしもそれをほんとうだと信じるならば,その罪にくわえられた罰をも信じなくてはならない.

-----中略

 

あの三人姉妹(復讐の女神フリアエ ギリシャ神話ではエリニュエス/エリニュス/エリーニュス)のひとりが,地獄の炬火棒(きょかぼう)と毒にふくらんだ蛇とでもっておまえにその罪をふきこんだのだ.

父親を憎むことは,たしかに罪であるが,おまえのようにおのが父を愛することは,それ以上に大きな罪である.

四方,八方からえりぬきの男性たちがおまえをもとめ,東方のすべての国々からさえ,若者がおまえの寝床をかちえようとして集まってきた.

ミュラよ,これらすべての人たちのなかからひとりをえらんで,良人と定めればよいのだ.ただし,ひとりだけ,これらの求婚者たちのなかに加えてはならぬ人物がいる.

 

ミュラもこのことはよくわかっていて,道ならぬ恋とたたかい,つぎのようにひとりごちた.

『わたしの情熱は,わたしをどこへ引きずっていくのであろう.おお,神々よ.孝心よ,親の神聖な権利よ,どうかわたしの道ならぬこころをおしとどめてください.それがほんとうに罪であるならば,どうぞこの罪を妨げてください.

----中略

 

ああ,いまわしい欲望よ.去ってしまうがよい.あのひとは,ほんとうにわたしの愛にふさわしい方だけれど,それは父としてなのだ.ああ,強大なキニュラス王の娘でなかったら,わたしはキニュラスと寝床をともにできるのに.

-----中略』

 

ミュラは,このようにひとりごちた.一方,キニュラスは,いずれもりっぱな求婚者たちのだれを婿に選ぶべきか決めかねていた.

------中略

 

やがて夜はふけて真夜中になり,眠りは,人びとの心労と五体をやすませた.しかし,キニュラスの娘は,おさえがたい情炎のとりこになって寝もやらず,たえず狂おしい情欲に悩まされていた.絶望したかとおもうと,どうしても望みを遂げたいと思う.

-----中略

 

死よりほかには,もう胸のうちをやすめる方法はないようにおもわれた.彼女はついに死を選んだ.

そして,われとわが首をくくろうと決心すると,寝床から起きあがって,帯を柱の上に結びつけてこういった.『さようなら,いとしいキニュラス!どうぞ,わたしがなぜ死んだのかをわかってください』

----中略

 

以下続く