アプロディーテー(ウェヌス / ヴィーナス)6 いきりたった野猪は,すぐさま血にそまった槍をはらいおとすと,アドニスに追いすがり,かれの股に牙を根もとまでつきさし,褐色の砂の上に息もたえだえのかれをおし倒した. 空からすでに意識をうしなって血のなかをころげまわっているアドニスを見つけると,いそいで地上に降りたち,胸をはだけ,髪をむしり,はげしくわれとわが胸を打った. オウィディウス 転身物語 巻一〇 アドニスの誕生〜アドニスの転身 ダイジェスト4

オウィディウス 転身物語

田中秀央・前田敬作訳  人文書院

巻一〇 アドニスの誕生〜アドニスの転身

ダイジェスト4

 

アプロディーテー(ウェヌス / ヴィーナス)5 「キュテラの女神がわたしの計画をたすけ,わたしの胸におつけになった炎をまもってくださるよう,せつにお願い申しあげます」 ここから黄金の林檎を三個もぎとって,それをもっていきました. 勝ったヒッポメネスは,その褒賞である妻を故郷につれて帰ったというわけです.ふたりは獅子となって,おとなしくキュベレの車を牽いています. オウィディウス 転身物語 巻一〇 アドニスの誕生〜アドニスの転身 ダイジェスト3 - yachikusakusaki's blog

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「『愛しいアドニス,こうした獅子や,背を見せて逃げることなく,面とむかってとびかかってくるあらゆる種類の野獣たちには,よく気をつけてくれなくてはいやですよ.

でないと,あなたの軽はずみな勇気が,わたしたちにとってとりかえしのつかないことになりますからね』

 ウェヌスは,このようにいいきかせると,白鳥のひく車にのって,天空はるかに翔けさった.

 

けれども,アドニスの勇気は,女神の忠告とは反対の方向に向かったのである.

あるとき,犬どもは,野猪の足跡を性格につけていって.ついにそれを寝所(ねや)から追い出した.そして,野猪が森からとびだそうとするところを,アドニスは,側面から投槍を命中させた.

いきりたった野猪は,すぐさまそりかえった鼻づらで血にそまった槍をはらいおとすと,おどろいて逃げ場をさがしているアドニスに追いすがり,かれの股に牙を根もとまでつきさし,褐色の砂の上に息もたえだえのかれをおし倒した.

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File:Ermitáž (39).jpg - Wikimedia Commons

 

----キュテラの女神は----

瀕死の若者の呻き声を聞きとめると,すぐさま白鳥たちの頭をもとの方向に向けた.

そして,空からすでに意識をうしなって血のなかをころげまわっているアドニスを見つけると,いそいで地上に降りたち,胸をはだけ,髪をむしり,はげしくわれとわが胸を打った.

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File:Nicolas-Bernard Lépicié - Adonis changé en anémone - 1782.jpg - Wikimedia Commons

 

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File:The Awakening of Adonis - John William Waterhouse (1899).jpg - Wikimedia Commons

そして運命をうらみ,こういった.

『しかし,なにもかもおまえたち(運命の三女神フリアエのこと)の言いなりにはさせないぞ.おお,アドニス,わたしの悲しみの記念がいつまでも残るようにしましょう.

あなたの死が年ごとにくりかえされて,そのたびにわたしの悲しみをも人びとが真似るようにしましょう(*).

しかし,あなたの血は,やがてひとつの花となるでしょう.ペルセポネよ,そなただってすでにある女を香りたかい薄荷(はっか)に変えることをゆるされたというが,このわたしがキニュラスの若い息子にあたらしい姿をあたえたとて,どうして嫉まれることがあろう』

こういうと,女神は,若者の血の上に芳醇な神酒(ネクタル)をそそぎかけた.

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File:Poussin - Vénus pleurant Adonis - musée de Caen.jpg - Wikimedia Commons

 

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Changing Stories: Ovid’s Metamorphoses on canvas, 56 – The death of Adonis – The Eclectic Light Company

 

血は神酒にふれると,ちょうど褐色の泥沼の底から透明な気泡がたちのぼってくるように,ふくらんだ.やがて一時間もたたないうちに,その血からおなじ色の花が咲きでた.それは,かたい外皮の下に種を隠している柘榴(ざくろ)の花に似ている.

しかし,この花をながいあいだ愛でることはできない.というのは,この花はくっつき方がよわくて,あまりにも華奢なのでおちやすく,その名のもとになった風に散らされてしまうからである」

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【アネモネのまとめ!】寄せ植えや花言葉など18個のポイント! | 植物の育て方や豆知識をお伝えするサイト

 

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アドニス祭のこと.

毎年7月末に行われ,アドニスウェヌスの像をもちだし,アドニスの死とウェヌスの悲しみ,さらにアドニスの蘇生を象徴する神事を行う.

アドニスは元来農業神で,植物の芽生えと繁茂と冬のあいだの死滅を象徴し,とくに女性間で崇拝された.

オウィディウス 転身物語 田中秀央・前田敬作訳  人文書院 脚注)