今日(11月27日)は72候で朔風払葉.
「朔風払葉」?読めませんよね.
「さくふう はをはらう」「冷たい北風が木の葉を散らす頃」の意とのこと.
落葉樹の葉が降り積もっている今日この頃ですね.我が家でも,柿・あんず・梅・ボケなどは殆ど全ての葉を落としています.
ネット上の解説では,例えば
七十二候で楽しむ日本の暮らし (広田 千悦子 角川ソフィア文庫)では
◎北風が吹き木々の葉を散らします.「朔風」の朔は北を表すことから,北風の意.木枯らしには一号二号と名がつけられ,時期は10月から11月限定の風.葉を吹き飛ばされた街路樹の向こう側には冬の空が広がります.花色少ない中,太陽色の花はツワブキ.山形県鶴岡の出羽三山神社では100日修行を終えた山伏が法螺貝を吹き家々をまわります.寒さには昔ながらの懐炉を試してみては.
(我が家の前のお宅のツワブキ)
気候という言葉は24節気72候から生まれた言葉のようです
しかし,先日,友人から,
「24節気72候って,もともと旧暦に書いてあったものを今の暦に書き写したんでしょう?実際の季節感に合わないのでは?」と言われました.
実は,私も何年か前まではほぼ同じように考えていました(あまり気にしたこともありませんでしたが.24節気72候のカレンダーをもらうまで).
確かに24節気72候は旧暦のものを「そのまま」今の暦に移してあるようです.
でも,上記のように.72候は季節感をかなりしっかり表現してる.今の生活,特に都市部ではなじみの少ない内容もあるとはいえ.
「旧暦に記載されている24節気72候は,今の暦では季節感を反映していないのでは」と,私が思ってしまった主な理由は多分次の二点.(以下日付は2016年)
1. 色々な行事を旧暦と比較すると,例えば,旧暦正月1月1日は今の暦で2月8日,旧暦桃の節句3月3日は今の暦で4月9日,旧暦7月7日七夕は今の暦で8月9日.
桃の節句や七夕は旧暦のままならば季節を反映している!4月9日なら桃は咲くし,8月9日なら,夏真っ盛りで夕涼みに最適(しかも上弦の月の日とのこと:星空を見るのに適度の明るさ).⇒結論「旧暦の日付をそのまま移し替えた今の暦では,季節感がずれる」
2. 24節気のうち,立春(2月4日)立夏(5月5日)立秋(8月7日)立冬(11月7日)は季節感と全く合わない.⇒結論「旧暦の日付をそのまま移し替えた今の暦では,季節感がずれる」
でも,正解は次の通りのようです.
1.「旧暦の日付をそのまま移し替えた今の暦では,節句については季節感がずれる」
2.「旧暦に記載されている24節気72候は,太陽の黄道を元に作られており,今の暦に無理なく書き入れることが出来,季節感を反映できる.
ただし,24節気72候は春分・夏至・秋分・冬至をもとにつくられている.そして,立春,立夏,立秋,立冬はその中間点に定められた.そのため,気温からは各季節の始まりとは実感できない」
解説:1日で一番暑いのは正午ではなく,午後2時頃.
同様に,一年で一番暑いのは夏至6月21日ではなく7月後半から8月初め.当然,立夏5月5日は『夏の始まり』とは感じられない.立春,立秋,立冬も,気温からは季節が始まるという実感からほど遠い.
私の理解の範囲でさらに補足すれば
「旧暦の基本は太陰暦と同じ月の運行で,1日はいつも新月.しかし,月の満ち欠けを元にした太陰暦は,太陽の動きで決められる1年と大きくずれてしまうため,旧暦ではこのずれを調整してある.そのため太陰太陽暦と呼ばれる」
「月の運行を元にした太陰暦で失われてしまう季節感&一年の長さ.これを示すために導入されたものが24節気72候.月の満ち欠けとは関係なく太陽の黄道を元に定められている.もともと中国で定められ,それぞれを三つに分けた24x3=72候の呼び方は,日本の気候を反映するように江戸時代様々な工夫が凝らされた」
感覚的にまとめれば,
「旧暦を用いていた頃,人々は,日付と一月はお月様の満ち欠けで知り(月齢⇒日付⇒太陰暦),季節と一年は太陽の位置/日照時間で確認していた(太陽の位置⇒24節気72候⇒太陽暦)」と言って良いような気がします.
24節気72候のよりわかりやい,もしくは詳細な説明は書籍やネット上にたくさんあります.繰り返しになりますが,私の書き方よりベターなので,以下引用します.
・七十二候で楽しむ日本の暮らし (広田 千悦子 角川ソフィア文庫)では
太陽の動きを目処(めど)に季節を24に分けたのが24節気ですが,その24節気の一つの節気をさらに三分割して細かく季節を表したのが72候です.一つの候が約5日になっており,-----一つ一つの候にはその時期の気象や生き物などについての短い説明のような名前がついています-----
・より詳細な説明は例えば 二十四節気(太陰太陽暦)巌松堂出版
長くなりますが引用させてもらいます.興味・時間があればご一読を
太陰太陽暦(月暦)は月の運行を元にした暦で、季節との整合性を持たせるため、太陽の運航を加味した暦であることは前述したとおりですが、それでも、季節とのズレは厳然と残ったままです。
月暦では一月~三月までを「春」、四月から六月までを「夏」、七月~九月までを「秋」、十月~十二月までを「冬」と定めていますが、たとえば、2004年の正月は1月22日から始まり、2005年の正月は2月9日から、2006年の正月は1月29日から始まるというように、毎年まちまちです。比べて、太陽暦では●月▲日といえば、毎年同じ季節になります。気温もその年によって、多少の違いがあるにしても平均することができます。
このようなズレを解消するため太陰太陽暦(月暦)では「二十四節気」が取り入れられています。
二十四節気とは、古代中国で成立したもので、当初、冬至を計算の起点にして、1太陽年を24等分した約15日ごとに設けられました。これを平気法または時間分割法といいます。しかし、地球の公転軌道は楕円であることと、太陽の黄道上での運行速度が一定ではないため、実際の春分点や夏至などにズレが生じていました。このため、中国では清朝の時の憲暦から、日本では天保暦から、黄道を春分点を起点とする15度ずつの24分点に分け、太陽がこの点を通過する時を二十四節気とすることにしました。これを定気法または空間分割法といいいます。従って、必ずしもその日数の長さは等分ではありません。
二十四節気の基本的な考え方は、実際の一年(1太陽年)をまず二至二分(冬至と夏至で二分し、さらに春分と秋分に二分した四等分)を定め、その真ん中に四立(しりゅう=立春、立夏、立秋、立冬の四等分)が定められ、これを八節と呼びその間隔は約45日間です。さらにそれを3分割したのが二十四節気となるわけです。
この考え方でも分かるように、二十四節気とは、太陰太陽暦(月暦)の太陽暦にあたる部分で、月の満ち欠け(朔望月)とは全く関係がありません。
また、この二十四節気をやり玉に挙げて旧暦の季節感を非難したり、疑問視する方も少なくありません。
その代表的なものが8月7、8日の立秋です。夏真っ盛り、「暦の上では秋ですが・・・」といったように、さも旧暦はおかしいといったニュアンスが込められています。確かに8月7、8日の立秋は早すぎるきらいはありますが、ここにはいくつかの勘違いと、誤りがあります。
二十四節気の名称は、古代中国で発明された当時のものがほぼそのまま使われています。季節感は当時の文明の中心であった黄河の中・下流域の気候を反映してます。日本よりも寒冷で大陸的な気候の地で生まれたものであるため、日本の気候とは一部ずれがあり、批判的に捉えられたりして、太陰太陽暦いわゆる旧暦を批判する具にされたりしています。たとえば、気象情報などで、立秋の日に「暦の上では秋です」などという場合があり、そこにはあきらかに「まだ暑いのに・・・」という非難がましい語感がこめられています。たしかに8月7、8日頃の立秋を考えれば「秋はないだろう」ということも頷けます。しかも、昨今問題になっている異常気象のお陰で、特に7~8月ごろの暑さは際だっているので、恨みがましく「なにが立秋だ」という気分になるのももっともなことです。さらに、日本は北から南へ細長いために沖縄と北海道ではたいぶ気候が異なります。当然四季の長さもことなります。
秋きぬと目には清かに見えねども 風の音にぞ驚かれぬる(古今和歌集 藤原敏行)
これは、立秋を詠ったものとして有名ですが、ここには、日本人の繊細な季節感、いわゆる季節の兆しを敏感に感じとる感性を読みとれないでしょうか。
北半球ではもっとも太陽の高度がきつくなり、昼の長さが最も長くなる夏至(6月21、22日頃)も過ぎ、秋分に向かう中日、着実に太陽の照射角は小さくなっているわけで、ここに立秋をおくことは暦学上道理に叶った考え方といえると思います。実際の気温は太陽が南中にある時より、やや傾きかけた午後2時頃のほうが高くなることがあるように、実際の暑さは立秋の頃がピークを迎えるわけですが、考えようによっては、「ここがピークですよ」と言われているわけで、あとは、「秋の兆しであるとか、気配を感じ取ってください」ということです。
また、太陰太陽暦を日本の文化に取り入れた日本人は、
暑さ寒さも彼岸まで
といって、雑節などを取り入れてこれらの気候のズレを調整する能力も育んできました。
※彼岸=春分、秋分の日を中日としてその前後7日間をいう。もともとは仏教用語で、此岸の対語。