二〇一六年七月二十六日.「恐怖の集合体のようなものが,ドボッと障害のある一人一人の上に落とされた」「現代は『できる,できない』で選別する能力主義が強まっている.基準や役割からはみ出す人を追い落とす分断線が内面化し,優生思想が隅々にはびこっている」「せっかく旧優生保護法をなくしたのにね---」ある先輩は,施設入所時,生理の介助で迷惑をかけないよう手術を受けさせられた,と打ち明けてくれた. 安積遊歩さん 旧優生保護法撤廃に尽力 東京新聞

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東京新聞2018年(平静30年)6月29日

「優生思想がはびこっている」

安積さん 旧優生保護法撤廃に尽力

 

 体からずーっと血の気が引くのを感じた.二〇一六年七月二十六日.

骨や歯がもろく折れやすい「骨形成不全症」の安積遊歩(あさかゆうほ)さん(六十二)=札幌市=は,相模原の障害者施設殺傷事件を知った時の感覚を振り返る.

「恐怖の集合体のようなものが,ドボッと障害のある一人一人の上に落とされた」

 

事件の被告は「障害者は不幸.抹殺することが救う方法」と供述した.

安積さんは「現代は『できる,できない』で選別する能力主義が強まっている.基準や役割からはみ出す人を追い落とす分断線が内面化し,優生思想が隅々にはびこっている」と語る.

「せっかく旧優生保護法をなくしたのにね---」

 

 

 安積さんは,一九九四年,エジプト・カイロで開かれた国際人口開発会議で,障害がある女性の立場から,障害がある人への不妊手術を認めた旧法の撤廃を訴えた.

国際世論の批判を喚起し,九六年の法改正につなげたと評価されている.

 

 福島県の出身.生後四十日で診断を受け幼い頃から骨折を繰り返した.一日に何本も注射を打たれ,浴び続けたエックス線検査時の光が脳裏にこびりついている.怒りと無力感,骨折の痛み,相次ぐ手術.いつも泣き叫んでいた.

 

 小学五年で施設に入り,併設の養護学校(当時)へ.

「社会に迷惑をかけないよう健常者に少しでも近づけ」と言われた.

ある時,「重度の障害がある人は医学研究のモルモットになれば役に立つ」と文章を書いた.慌てた教師に「そう思っているでしょ?」と言い放った.追い詰められていた.

 

 施設を飛び出し,中学卒業後は自宅に引きこもるように.

だが,十九の春,友達に誘われた花見で人生が変わった.

障害がある男性と,障害がない男性が取っ組み合いのけんかを始めた.「おれたちを差別するな」「だったら街にでろよ」.泣きながら殴り合っていた.脳性まひ当事者「青い芝の会」の集まりだった.

 

 障害者は親元か施設でひっそり暮らす他に選択肢がなかった七十年代.ぶつかり合いながら,ありのままに生きようとする姿を見て「革命だ」と思った.

 

 幼少時からの病院通いで気になっていた看板がある.「優生保護法指定医」.

中学時代に本で調べ「不良な子孫の出生防止」を掲げた旧法を知り衝撃を受けた.「子を産み育てる存在ではない」と烙印を押された気がした.

 

 「障害者をあってはならない存在として否定している」.花見で出会った青い芝の会の主張に共感し,旧法の撤廃が目標となった.

 

 安積さんの友人にも不妊手術を強いられた女性障害者が何人もいる.

ある先輩は,施設入所時,生理の介助で迷惑をかけないよう手術を受けさせられた,と打ち明けてくれた.「赤ちゃん産みたいよ.産めないかなぁ」.うろたえていた表情が目に焼き付いている.

 

 九四年のカイロでの会議では,仲間の思いを背負って旧法の差別生を訴えた.

九六年五月,遺伝的に同じ障害がある長女宇宙さんを出産.「十九歳の花見の日のような衝撃.喜びとわくわくがあった」.

旧法は翌月,改正によって姿を消した.

 

 

東京新聞2018年(平静30年)6月29日

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