共に その先へ
共生の実相 旧優生保護法
旧法の残り火 くすぶっている
女性運動家・米津さん 新出生前診断に懸念
東京新聞 2018年(平成30年)7月6日(金曜日) 朝刊
一九九六年六月十八日,参議院本会議場.
旧優生保護法の改正案が可決され,差別的条項が削除された.
車いす用の傍聴席にいた女性運動家の米津知子さん(六九)は,障害者運動の伝説と呼ばれる脳性まひ当事者団体「青い芝の会」の故横田弘さんと握手を交わした.だが,七十年代から共に法撤廃を目指してきた二人の表情は険しかった.
米津さんは「うれしさもあったけれど,それ以上に複雑でした」と振り返る.
政府による謝罪や賠償が無いことへの不信感.そして,女性運動の目標である「生殖の自己決定権」が無視されたことが不満だった.
米津さんは三歳になる前,ポリオの後遺症で歩行障害が残った.家族はショックから障害がないかのように振る舞い,自身も向き合うことを恐れた.
美大に通っていた七〇年ごろ,女性解放運動に参加.旧法の問題を知り,障害の問題にも立ち向かうことになった.
この時期,政府は旧法を巡り二点の改正を目指していた.
一つは,胎児の障害を理由にした中絶を認める「胎児条項」導入案.
もう一つは,中絶の条件から「経済的理由」を外す案だった.高度経済成長の時代.福祉コスト削減と労働人口増を望む政財界の声が背景にあったとされる.
胎児条項に,青い芝の会などが,「障害者の存在否定につながる」と反発.
女性運動団体は「産む産まぬは女が決める.国が人口政策として決めることではない」と訴えた.
改正反対を目標に交わった二つの運動.
だが,「障害がある胎児なら産まない,というのも女性の権利なのか」と女性側は厳しく迫られた.「俺は親に殺されかけた!」と怒鳴る障害者の迫力に圧倒された.
なぜ女性ばかり,母ばかりが責められるのか.そんな思いを抱きながらも向き合った.
やがて旧法の優生思想は単に障害者差別というだけでなく,女性自身の問題だと捉えるようになった.
「女性は健康な子を産み育ててこそ価値がある」という女性を縛る圧力.抵抗すべきものが見えてきた.
米津さんは「障害児を産まないように誘導され,選ばされる構造を変えなくてはならない.産まない女性も尊重され,どの子も無条件に迎えられてこそ,女性の権利は成り立つ」と語る.
中絶禁止反対から始まった旧法を巡る女性運動のスローガンは「産める社会を!産みたい社会を!」に発展した.
国は二点の改正を断念した.
「難しい相手だったけれど,お互いを手放さなかった」
米津さんは,葛藤しながらも力を合わせた二つの運動の歴史を誇りに思う.
旧法を巡る国家賠償請求訴訟の初弁論が開かれた今年三月.妊婦の血液で胎児の染色体異常を調べる新出生前診断の一般診療化が決定された.
米津さんは「旧法の残り火がくすぶっている」と感じる.
検査が当たり前になれば結果が出るまで妊娠を喜べなくなるし,障害の有無で命を選ばされる女性の問題でもあるから.
だが動きを止める議論に発展しなかった.
「旧法があった時代に,中絶問題のみならず,不妊手術の被害の問題を深めるべきだった.今起きていることも,いつか問われる気がする」.
表情が曇った.