NHK ETV特集「私は産みたかった~旧優生保護法の下で~」5
「私は産みたかった~旧優生保護法の下で~」3
http://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2018/08/23/002022
「不幸な子どもの生まれない運動」.運動の目的は,安全なお産の普及と障害児が生まれないようにするという“発生予防”.しかし,兵庫県のこの運動は,障害者本人たちからの激しい反発を引き起こします.抗議活動を行った古井正代さん「生きてる障害者を殺すのも,お腹の中で(障害が)わかって殺すのも,いらない存在やと思うから殺すわけでしょ.いる存在やったら誰も殺さへんわけや」
「私は産みたかった~旧優生保護法の下で~」4
http://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2018/08/24/000233
障害の有無が分かる出生前診断の技術.それは優生保護法にも影響を及ぼします.1972年に改正案が提出されたのです.妊娠中,胎児に障害が見つかれば,それを理由に中絶してもいいと,明確に定めるものでした.
これに対し,古井さんたち障害者の団体は猛抗議.激しい議論の末,法律の改正は見送られることになりました.
「私は産みたかった~旧優生保護法の下で~」2
http://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2018/07/26/001859
1996年.国際的な批判が高まる中,優生保護法は,母体保護法へとその名を変え,強制不妊手術の規定は廃止されました.
しかし,国は被害者への謝罪も補償も行いませんでした.
飯塚さん「闇に葬られては困るっていう,その思いがずっとあったんで---」
私は16歳で,子どもを産めない体にされました.その事を少しでも知って欲しい.私は自分の経験を語ることに決めました.
今年,私と同じように手術を受けた人たちが,全国で裁判を起こしました.
日本では,まだ,検討が始まったばかりの被害者への謝罪や補償.
海外では,過去の過ちを精算しようと,徹底的に取り組む国もあります.
36万人が法の下での不妊手術を受けたドイツ.----
「私は産みたかった~旧優生保護法の下で~」5
優生保護法がなくなって22年.
「不幸な子どもの生まれない運動」に抗議した古井正代さん.
最近気になっていることがありました.
きっかけは,2011年に起きた東日本大震災.地震の後,古井さんは,障害のある友人をサポートするため,原発事故の起きた福島に向かいました.
そこで出会った人たちが口にしていた言葉に,危機感を覚えました.
「福島のこの子らに,この(原発事故の)内部被ばくで,子どもが産めるんでしょうかとか,この子らは結婚できるんでしょうかとか,普通に飛び交ってて.
私はそれを聞いたときに,障害者はできたらアカンと言うことを言うてるんやなって.そういうはっそうになる,いうことは,障害者はできたら困るから,(障害者が)できる前に予防せなあかんということにつながるわけでしょ?
みんなの心の中にあるのが,ここに来て吹き出たんやなと思った」
ごく当たり前の不安として飛び交っていた言葉.
それ以来,原発に反対する集会などで,その不安が意味することを問いかけています.
(映像 集会で発言する古井正代さん)
「言われてきた言葉は,『福島の子どもたちは,結婚できるでしょうか』『子どもは産めるんでしょうか』という言葉でした.ということは,どういうことを意味するかというと,障害者はできたら困るということです」
60年代から行われてきた出生前診断.
現在では,妊婦の血液を採取するだけで,胎児の障害の可能性を調べられる検査が広がっています.
30年以上,出生前診断に携わった佐藤高道医師.
その広がり方に不安を感じるといいます.
「個々のカップルが,ある不安から出生前検査を受けようというのは,それはそれで私としては納得できる.
でも,今はどちらかというと社会がやろうとしている.受けないとなんかこう,バスに乗り遅れるような感じとかですね.
あまりよく中身も分からないのに,障害を持ってるっていうことが,どういうことかってよく分かってない(でうける)人が,多分すごく増えてるんじゃないかなって気もするんですよね.障害そのものは不幸ではないと思いますよ.障害持ってるのが不幸だと言われることが不幸なんだと思いますね」
優れた命,劣った命.
人の幸せ,人の不幸せ.
あの日から55年.
(映像 自宅でふきんを絞る飯塚淳子(仮名 70代)さん; 望まない不妊手術を受けたとして,裁判を起こした当事者
「手が痛くってだめだね,やっぱり」
もう70代.3年前にがんが見つかり,体の調子もよくありません.
「絞れなくて痛い」
心配なのは,養子として迎えた息子のこと.今は離れて暮らしています.
(映像 荷造りする飯塚さん)
「いつもこうやって送ってるんです」
2ヶ月に1度,必ず会いに行っています.
「デコポン好きなんです.ちょっと,置いてあったか」
ちゃんと食べているか,いつも心配で,つい,詰めすぎてしまいます.
「親がどんな思いで苦労してるか.まあ,分かってはいるんでしょうけど.家に帰ってくると,自分で何かしら片付けしたり,テレビ拭いたり,この前,帰ってきたとき,やってました.だから,うるさく言わないように.前,うるさく言ったら,『このくそばばあ,うるせえな』って.はははは」
「苦労はしたけど,しょうがないね.私ら,ほら,親だから」
これから,優生保護法の手術の事で,国を相手に裁判を闘います.
「ビワ1個だけ,さっきもいだの.うちのビワ」
でも弁護士の先生には,裁判は長くかかると聞きました.
「本当にいつ終わんのかね.それまで生きてればいいけど」
取材者「この裁判,提訴したけど,それで勝ったとしたら,終わりますか?」
「どうなんでしょね.晴れはしないでしょうね.いくらあれしても,心が晴れることはないです.人生がなくなってるんですもん.消えることはないです.これは」
優れた命,劣った命.
私には,どんな未来があったんだろう.
ETV特集 終