「不幸な子どもの生まれない運動」しかし,兵庫県のこの運動は,障害者本人たちからの激しい反発を引き起こします.抗議活動を行った古井正代さん.脳性マヒと診断された一歳半の時.母親は障害を悲観し,古井さんに手をかけようとしたといいます.「生きてる障害者を殺すのも,お腹の中で(障害が)わかって殺すのも,いらない存在やと思うから殺すわけでしょ.いる存在やったら誰も殺さへんわけや」NHK ETV特集「私は産みたかった~旧優生保護法の下で~」3

NHK ETV特集「私は産みたかった~旧優生保護法の下で~」3

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ETV特集 - NHK

 

NHK ETV特集「私は産みたかった~旧優生保護法の下で~」1

「何も告げられないまま子どもをうめなくされたんで,ずっと今日に至るまで,毎日苦しい思いできたんで,うん----(涙)」,知能テストを受けました.まもなく,知的障害の子どもが集まる施設に入所しました.軽度の知的障害があるとされたからです.そして,16歳のあの日---.退院後,実家で両親が話すのを聞いて初めて,私は不妊手術を受けたと知りました.何一つ知らされないままの事でした.NHK ETV特集「私は産みたかった~旧優生保護法の下で~」1 - yachikusakusaki's blog

NHK ETV特集「私は産みたかった~旧優生保護法の下で~」2

「できれば16歳にもどして欲しい」飯塚淳子さん(仮名 70代)が手術を受ける理由となった“優生保護法”.「逆淘汰」の考えのもと,妊娠中絶を解禁する一方,障害者への強制不妊手術が法律に盛り込まれた.優生保護法がなくなって20年目,相模原市の障害者施設で入所者が殺傷された.「社会的弱者が“敵”だとされると,突然,その人たちを攻撃するようになってしまう」NHK ETV特集「私は産みたかった~旧優生保護法の下で~」2 - yachikusakusaki's blog

 

日本で優生保護法がつくられたのは,戦争が終わってからのこと.------

人口爆発を防ぐためにも,当時,法律で禁止されていた妊娠中絶を求める声が高まります.

しかし,中絶の解禁に対して,国会で懸念の声が上がりました.------

優生保護法を提案した議員の一人・谷口弥三郎「よほど注意せんと,子孫の将来を考えるような,比較的優秀な人が普通産児制限を行い,無自覚者や低脳者などはこれを行わんために,国民資質の低下,すなわち民族の逆淘汰が現れてくる恐れがあります」

「逆淘汰」.この考えのもと,妊娠中絶を解禁する一方,障害者への強制不妊手術が,法律に盛り込まれたのです.

1948年.優生保護法は全会一致で成立しました.

「----素質の悪いものはどんどん優生手術をして,今後そういう不良分子の出生を防止するというように活動するようして頂きたい」------

1950年代,強制不妊手術は,年間1000件以上のペースで行われて行きました.------

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障害者が生まれないことを目的とした優生保護法

1960年代後半,不妊手術以外にも障害者の誕生を妨げる手段が現れます.日本で出生前診断の技術が確立されたのです.

妊婦の羊水を採取して調べる羊水検査.ダウン症など胎児の障害の一部が生まれるまえに判別できるようになりました.

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研究チームに所属していた佐藤孝道医師です.出生前診断は,限られた人が悩んだ末に使う技術だと考えていました.

「圧倒的に多かったのはですね.一人目のお子さんがダウン症.ということでもう一人子どもがほしい.---まえのお子さんのことは,すごくかわいい,かわいがって育てておられるんだけども,もう一人同じようなお子さんができると困ることになるなっていうのが背景にあるような人たちが多かった.でもそういう検査をどんどんやりたいっていうふうには思ってなかった.だから,宣伝というか,そういうことはしていない」

産婦人科医の仕事って,基本的には子どもを安全に産ませることなんだと思うんですね.子どもを安全に産ませることが大事なことなんで,こんな子どもは生まれない方がいいっていう考え方があるわけではないです」

 

ところが,この技術は予期せぬ形で広がります.

ある自治体のキャンペーンに使われることになったのです.

「不幸な子どもの生まれない運動」

1966年に,全国に先駆け,兵庫県が始めた取り組みです.運動の目的は,安全なお産の普及と障害児が生まれないようにするという“発生予防”.

その中で導入された出生前診断兵庫県では,費用の半額を補助し,推進しました.

運動を始めたのは,当時の県知事,金井元彦.

障害がある人やその家族の苦しみを減らしたいと,取り組みを始めました.

金井元彦兵庫県知事(当時)「精神薄弱,あるいは先天性の身体障害というのは,予防はできるということが明らかになりました.

幸いこのお話は,ご婦人方に非常に熱心に受け入れをされておりまして,これがもっともっと広がることによりまして,精神薄弱あるいは先天不遇の子が一人でも少なくなるようにということを,心から念願しておるのでございます」

 

しかし,兵庫県のこの運動は,障害者本人たちからの激しい反発を引き起こします.

「この辺でビラまいてました.信号待ってる人にね.読んでくださいって渡してた」

当時,抗議活動を行った古井正代(ふるいまさよ)さんです.

「その頃は,障害者がビラ渡したら,わりにみんな受け取ってたんです.何事かと思って」

 

出生前診断を進める県の運動に抗議したのは,幼少期の経験があったからでした.

脳性マヒと診断された一歳半の時.母親は障害を悲観し,古井さんに手をかけようとしたといいます.

「昔の国鉄はドア自分で開け閉めができて,そのドア開けて,私抱えて飛び降りようとして.こんなかわいそうな子を生かすことはかわいそうやいうのを,そういう正義や,思ってはるからね」

「不幸な子どもを産まないようにしようと考えた元の人も,別に憎くて殺そうと思ったわけじゃないと思うよ.『この子のために』と思って,作ったんだと思うよ.

でも,生きてる障害者を殺すのも,お腹の中で(障害が)わかって殺すのも,いらない存在やと思うから殺すわけでしょ.いる存在やったら誰も殺さへんわけや」

 

生まれる前に,障害の有無が分かる出生前診断の技術.それは優生保護法にも影響を及ぼします.

 

以下 続く.

 

付記

2016-08-22 に書き始めたブログ.

興味ある記事/報道等を集めたり,知りたいことをまとめたりしながら,今日2018-08-22で二年になりました.

迷ったあげく公開としましたが,最近ではそれなりの人数の方がこのブログサイトを訪れてくださっているようです(最も時間を割いてまとめた2017年の記事を中心に).

自らの意見を主張することはほとんどなく,新規の情報を提供しているわけでもありませんが,何らかの興味を引き,お役に立てているのなら幸いです.

 

内容のほとんどは,他の方の記事/報道等で,お金儲けの手段にしていないからかろうじて許されているのかな(めんどくさいのでクレームをつけないだけ?)などと思いつつ,

一方では,まとめることで,元の記事/報道等を,情報の洪水に流されてしまわぬようピンで留め,また,できればより広く知らしめる事ができたらいいなとも考えています.

特に今日の話題のように,カテゴリー「相模原 障害者 優生思想 旧優生保護法 差別 抵抗」に分類した記事/報道は,「相模原障害者施設殺傷事件」に心底怒り.悲しみながら亡くなった元妻を弔う気持ちも込めて集めてきました.

また,少なくともこの分野に関しては,引用させていただいた記事を書かれた方々,番組を作られた方々ご自身が,その内容がより広く「拡散」していくことを望んでおられるようにも,自分勝手に,思っています.

 

このブログの言い訳のようなことをくどくど書いてしまいました.

今日は亡き元妻の誕生日.改めて冥福を祈っています.

そして.今日は,延び延びになっていた母親の退院日,すんわち「本格介護」初日となりました.

このブログを毎日書くことは難しくなるかと思います.今後は,無理に毎日書くことをせず,でもより楽しみながらまとめていけたらと思います.