今年は梅の開花が早いように思っていましたが---
この何日かの寒波.日本海側は大雪.我が家も外はずっと冷蔵庫の温度.雪もちらほら---
でも,各地の梅の開花日は,京都・大阪・熊本など一部を除いて軒並み早いとの報告が.奈良,鳥取,高松などは例年より30日以上も早い.気象庁 | 生物季節観測の情報 梅の開花日
我が家の梅はつぼみも残っているものの,そろそろ見頃と言ってもいい状況---.
梅は春を忘れていません.
東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな
梅といって思い出す人物は?と聞かれたら,なんといってもこの菅原道真.道真を祀った各地の天神様には必ず梅が植えてあるのでは?
多くの天満宮は梅の名所にもなっていて,
るるぶトラベルの最新2017ランキングでは,3.京都北野天満宮,5.東京湯島天満宮(湯島天神) 20.東京亀戸天神社 梅の名所へでかけよう2017 - 観梅・梅まつり特集:るるぶ.com
北野天満宮2017:るるぶ.com 湯島天満宮2017:るるぶ.com 亀戸天神社2017:るるぶ.com
ほかにも福岡太宰府天満宮 鹿児島薩摩川内藤川天神 香川綾川町滝宮天満宮 大阪道明寺天満宮 大阪天満宮 神戸北野天満神社 神戸綱敷天満宮 愛知岡崎岩津天満宮 東京国立谷保天満宮 等々
飛梅伝説,道真が上記の和歌を詠み、その梅が大宰府に移動したという伝説は余りにも有名.道真の墓所あとに建てられた太宰府天満宮には神木「飛梅」があり,境内には6000本の梅.
「太宰府天満宮」の梅2017 hana's 太宰府天満宮の飛梅開花
しかし,梅-太宰府でもう一人忘れてはいけない万葉歌人がいます.
太宰師(そち 長官)に任ぜられ,当地で観梅パーティーを主催.
その日の詠われた歌は「梅花歌32首」として万葉集に収められています.
「梅花歌32首」は,万葉集で最も早い時期に詠われた梅の歌.万葉集では梅が萩に次いで多く117首も詠われる花となってますが,その内の32首が一挙に作られた.和歌世界への梅のデビューは鮮烈なものだったのですね.
大伴旅人は万葉集全4500余首のうち78首も収録されている代表的な万葉歌人の一人で,息子は家持,異母妹は大伴坂上郎女.
ちなみに万葉歌人歌数ベスト5は以下の通りだそうです.
大伴家持479首,大伴坂上郎女84首,柿本人麻呂84首,大伴旅人78首,山上憶良76首,
グラフふくおか (その他の方々では,山部赤人50首,高橋虫麻呂34首,高市黒人18首,額田王12首---)
旅人兄妹&息子で600首以上の歌が収められているとは!
大伴旅人はとても妻思いであったとされ,先立たれた妻を詠んだ歌はとても有名.三首目に梅が詠まれており,三首続けると,より心にしみる様に思われます.
故郷の家に還り入りて
人もなき空しき家は草枕旅にまさりて苦しかりけり (第3巻 451)
妹としてふたり作りし我が山斎(しま)は木高く茂くなりにけるかも (第3巻 451)
我妹子が植ゑし梅の木見るごとに心咽(む)せつつ涙し流る (第3巻 451)
有岡利幸氏は著書「梅 I (法政大学出版局)」で次のように書いています.
大伴旅人は老年になってから,太宰師(そち)に任じられ,長官として妻をともなって赴任したが,その地で愛妻を亡くした.その悲嘆ぶりは,やがて任をおえて都に帰ったときに詠んだ「故郷の家に還り入り手」と詞書のある三首の歌に示されている.
二首目の山斎(しま)とは,林泉,庭園のことである.
愛妻と二人で相談し,指図しながらつくった庭園には,妻が植えた梅の樹があり,花が咲いている.それを見るたびに,「心咽(む)せつつ涙し流る」と旅人は詠うのである.三首目の歌を読むと,我が家の庭園に植えるほど大伴家の女主人は,梅を好んでいたことがわかる.また,日常眺める庭に,梅の木を植えようという妻の提案を,承諾した旅人も梅が好きでたまらなかったのではないか.公務多忙の旅人は,自分自身で植えることができなかったので,妻に庭園に梅の樹を植えるように頼んでのではなかったか.
梅 / 万葉集(3)
わぎもこが、うゑしうめのき、みるごとに、こころむせつつ、なみだしながる
我妹子(わぎもこ)が、植ゑし梅の木、見るごとに、心咽(む)せつつ、涙し流る 大伴旅人 (第3巻 451)
我妹子が、植ゑし梅の木、見るごとに、心咽せつつ、涙し流る
▽折口信男 万葉集
死んだ妻が植えた,梅の木を見る毎に,壓(おさ)えていようと思うても,辛抱ができないで,心底からむせかえって,涙が出ることだ
(第一首は,旅人の客観力が思われる.同様なつきつめた感じを,こう平気で歌うこととの出来る人はあるまい)
いとしいあの子が植えた梅の木,その木を見るたびに,胸がつまって,とどめなく涙が流れる.
▽斎藤茂吉 万葉秀歌
妹としてふたり作りし我が山斎(しま)は木高く茂くなりにけるかも (第3巻 451) について
旅人が家に帰って来て,妻のいない家を寂しみ(寂しいと思い),太宰府で亡くした妻を悲しむ歌で,このほかに,「人もなき空しき家は草枕旅にまさりて苦しかりけり」「我妹子が植ゑし梅の木見るごとに心咽(む)せつつ涙し流る」の二首を作っているが,共にあわれ深い.
この一首は,
亡くなった妻と一しょになって,二人で作った庭は,こんなにも木が大きくなり,繁茂するようになった
というので,単純明快の内につきぬ感慨がこもっている.結句の「なりにけるかも」というのは
「秋萩の 枝もとををに 露霜置(つゆしもお)き 寒くも時は なりにけるかも」(巻十・2170)
「竹敷(たかしき)の うへかた山(やま)は 紅(くれなゐ)の 八入(やしほ)の色(いろ)に なりにけるかも」(巻十五・3703)
「石(いわ)ばしる 垂水(たるみ)の上の さ蕨(わらび)の 萌え出づる 春になりにけるかも」(巻八・1418)
等の如くに成功している.同じく旅人が
「昔見し 象(きさ)の小川を 今見れば いよよさやけく なりにけるかも」(巻三・316)
という歌を作っていて効果をおさめているのは,旅人の歌調が概ね直線的で太いからだろうか.