豆腐 3
日本国産大豆の60%近くは豆腐に使われています.豆腐は日本の食卓に欠かせません.そんな豆腐がどのような思いで作られ,また,どのように日本人の日々に寄り添ってきたかのか?
NHK新日本風土記(「豆腐」2017年1月13日放送)のオムニバス項目にそって,見ていくことにします.
各地に豊かで個性的な食文化を育んできた豆腐3.
食い倒れのまち,大阪.
江戸時代,この街で日本初のレシピ本が誕生しました.そのテーマは豆腐.
今から230年あまり前,天明二年に出版された「豆腐百珍」.100種類の豆腐料理が掲載されたこの本はベストセラーとなり,豆腐ブームに火をつけました.味の工夫に加え,遊び心もたっぷり.
二十六 鶏卵様(たまごとうふ):黄身に見立てたのはニンジン.白身は豆腐を崩して,くず粉と合わせたものです.
六十六 小倉どうふ:浅草のりを混ぜた小倉どうふ
五十八 玲瓏(こおり)とうふ :寒天を使ってデザート感覚で.
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大阪の人たちの,豆腐へのこだわりが生んだ美味珍味です.
そんな大阪で味にうるさいおばちゃんたちをとりこにする豆腐屋があります.
住吉大社に程近い粉浜(こはま)商店街.
「165円です」
明治時代から続く豆腐屋の四代目.井川清さん.
「わたし写してくれてんの?」「いちもここで豆腐買うの?」「うん,買うよ.ここの豆腐な.食べたらよその食べられへんねん」「ほかの食べられへん」
めっぽう評判がいい豆腐屋さん.中でも人気は,この徳松豆腐.一見,普通の木綿豆腐にも見えますが----.外はしっかり,中はぷるぷる.滑らかな食感とコクを楽しめます.
「一応,この徳松って名前はひいおじいちゃんの名前で,ひいおじいちゃんが作ってた頃の豆腐を再現しようっていうので,作り始めて,それで,どうにかこうにか形になったので,ひいおじいちゃんの名前を付けて,売らしてもらっているんですけど」
徳松豆腐は,一度固めたものを崩して作ります.大豆のうま味が溶け込んだ水分がたっぷり.このプルプルを保ちながら四角い豆腐にするには,技が必要です.その要となるのが圧搾.豆腐を押し固め,無駄な水を絞り出す作業です.うま味を残し,プルプルにするには,時間をかけてゆっくり圧力をくわえていきます.最初は5キロ.10分ごとに少しずつ圧力を上げ,普通の木綿豆腐の三倍の時間をかけます.
ところが
「こうめくれるでしょ.ほんま,今日のは完全に失敗ですわ」
あれっ.失敗ですか?
「いつもより若干,昨日の冷え込みで,大豆のつかりが浅かったんで,気持ちちょっとにがりのの量を減らしたんですけど,減らす必要がなかった感じですね」
大豆のつかり具合は気温に左右されます.寒い日は時間をかけないと十分につかりません.こうした大豆のつかり具合を見てにがりの量を加減します.つかりが浅いと豆乳はどろつき,にがりが満遍なく混じりにくくなります.その場合,いつもの量のにがりを使うと,むらのある豆腐になってしまいます.そこで井川さんはにがりを減らしたのですが---.その日の気温,大豆のつかり具合,にがりの量---.奥の深い豆腐づくりです.
「一年間とおして,どれぐらい高いレベルでずっと作っていけるのかっていうのが,今の課題やなと思っている.ここ何年間か.それをこれからどうやってつきつめていくかっていうのが,今のすごいおっきなテーマというか,課題というか」
先代の頃から常連のお客さんです.
「(先代より)兄ちゃんが作った方がおいしんちゃう.はははは,怒られる」
「せやけど,いつもいろんな人に,おいしい,おいしい言うて,わざわざ買って配ってくれるんですよ.ありがとう,おばちゃん」「いえいえ」「えらいことしたな.今頃通らんかったらよかった」
「やり始めたときなんかは,大きくなりたいなとか,金儲けしたいなとか思った時期もあった.やっていく内に,何か金もうけうんぬんというより,こうやって自分の目の届く範囲で商売やってる方が,楽しいなあと思って.もちろん,仕事なんで,お金もうけも大事なんですけど」
大阪のまちが育てる,豆腐の味です.
雪と風に閉ざされる冬.500年以上前から続く祭りがあります.
旧正月に行われる,王祇祭.
黒川の人達は,春夏秋冬,農作業の節目ごとに,神様に能を捧げてきました.王祇祭は,一年の締めくくりとなる,最も大切な祭り.能を舞うのも謡うのも全て地元の人たちです.
この祭りに欠かせないのが豆腐.焼いた豆腐を凍らせ,汁につけて頂きます.王祇祭の別名は豆腐祭り.2日間でおよそ300キロの豆腐が振る舞われます.
夏,緑があふれる畑.黒川は古くから大豆の産地として知られてきました.祭りに使う豆腐用の大豆は全て地元で作られます.
夏のある日,稲荷神社に集まってきた男たち.手にはそれぞれ風呂敷包みが.お稲荷様に,農作業の無事を感謝し豊作を祈る神事「夜ごもり」です.捧げるのは畑で摘んできたばかりの枝豆.参拝したあとは,枝豆の出来栄えを競い合います.「豆比べ」と呼ばれる習わし.
「土の関係があるもんだから,同じ作り方しても,うまいのとうまくないものがあるんだ」「いろちがうだろ,これ.これぐらいの青さだといい」「おらのはちょっと早いんだ.時期的に」
身の回りのあれこれを語り合いながらの豆比べ.神様も聞いています.
祭りの2週間前.豆腐料理の仕込みが始まりました.
出来上がったばかりの豆腐を薪の火であぶる豆腐焼きです.火をはさんで向かいに座った者同士が焼き具合を教え合います.
「これも焼けたぞ.これも」「神様のおかげでの,風邪もひかねえし,ありがてえのよ」「たのしいの,やっぱりの.みんないっぱいいるかと思うと黙っていられなくなる.はははは」
神様に捧げる豆.神様と一緒に頂く豆腐.楽しみとおいしさを分かち合います.
山形県鶴岡市 | 鶴岡食文化創造都市推進協議会 -鶴岡 食のミュージアム | 食文化を紡ぐ人々 No.009
原田信男さんの「和食とは何か(角川ソフィア文庫)」
に依って,以下,料理書・料理本の歴史と「豆腐百珍」について少し紹介してみます.
(内容は全て原田氏の書からとったものですが,間違えて理解している部分があったらごめんなさい)
日本で現存する料理書で最も古いものは鎌倉時代に書かれたものだそうです.平安時代に確立された「大餐料理」に関する公家の料理書.儀式等の記載が多いとのこと.
「一つの料理様式が成立すれば,それに見合った料理技術というものが存在する.そして,それに見合った料理書が成立する」とは原田氏のことば.
本膳料理という料理様式が室町期に確立すると,これを担った「包丁流派」はそれぞれ料理書を作成しました.
料理の技術は口伝でしたが,膳の配置や盛り付けなどの図が重要な位置を占めることから,記録が必要だったのです.これらの記録から「室町期に成立した本膳料理の内実を知ることができ,この時期にいわば和食の原型が調えられたことがわかる」とのことです.
江戸期に入ると,寛永20年(1643年)に「料理物語」が出版されます.
日本初の料理書の出版物で,今まで秘伝として特定の家に蓄えられてきた料理の知識技術をまとめたものです.「近世における自由な料理法の伝授が始まったことを意味する」とは原田氏.「料理物語」のあと,たくさんの料理書が出版され,「包丁流派」につながらないセミプロの料理人の登場を促していきました.
江戸中期になると,手軽でハンディな一冊本が出版されるようになります.
「料理書というより,料理本という方がふさわしい(原田)」もので,素人が料理を楽しむための本と言ってよいでしょう.料理が江戸の庶民たちにとっても身近になってきたのです.
そして,最も典型的な料理本が天明二年(1782年)に出版された,「豆腐百珍」です.
著者は醒狂道人・何必醇(せいきょうどうじん・かひつじゅん)と名のった大阪の儒者,曾谷学川(そたにがくせん).
はじめは大阪で出版されましたが,すぐに江戸でも出版されました.好評だったため,翌年に続編が出版され,翌々年には豆腐百珍余録なる本も.
それまでの料理書が旬の食材や献立の組み合わせが主であったのに対し,豆腐百珍は,素材を豆腐一品に限り,100の料理法を,「絶品」以下6段階に分けて示しています.
豆腐百珍 | 豆腐屋ドットコム|「豆腐」をもっと美味しくする豆腐レシピサイト
NHK新日本風土記では,初めてのレシピ本と紹介していました.しかしこの本は単なるレシピ本ではありませんでした.料理法の前後には書と図がありますが,さらに「豆腐集説」と題して豆腐に関する様々な知識が,和漢の文献を網羅した形で掲載されていました.
原田氏曰く「このことはワインスノッブが,そもそもワインとはどういうもので,このワインはどうのこうのと知識をひけらかしながらワインを楽しむのに似ている」.
蘊蓄(うんちく)を傾けながら豆腐料理を食べるための知識源を意識し,舌で味わうよりも頭の中の観念として理解することに力点が置かれた書だったのです.この本はかなりの売れいきを示したので,以後,これに倣って,鯛,柚子(ゆず),大根,卵,を素材とした本が一気に刊行されたそうです.
なお,谷崎潤一郎が豆腐百珍の料理全てを作らせ食したとのこと.グルメですね.
青大豆? 先日購入.でも,それまで全く知らず.NHK「新日本風土記」をみても,多くの地域で食べられてきたよう--.+ 豆の花/大豆あれこれ(1) - yachikusakusaki's blog
四角い姿はほぼ全国共通 / 味や風味は千差万別 : 各地に豊かで個性的な食文化を育んできた豆腐1. NHK新日本風土記 / 大豆あれこれ(2) - yachikusakusaki's blog