菅義偉首相は,その先に何を狙っているのだろう.異論が表に出るのを封じること自体が,自己目的化しているのではなかろうか.隣の中国は,何でも即決と強権で実行に移している.憲法や法律や学術や倫理を都合に応じて無視する,「決められる政治」を歓迎する風潮が強まるのには,その影響もあろう.しかし,その先にあるのは「日本政治の中国化」に過ぎないのではないだろうか.  藻谷浩介 「菅政権1カ月 民主主義の本質は議論」 毎日新聞 時代の風

時代の風

菅政権1カ月 民主主義の本質は議論

藻谷浩介

日本総合研究所主席研究員

毎日新聞2020年10月25日 東京朝刊

https://mainichi.jp/articles/20201025/ddm/002/070/086000c?cx_fm=mailasa&cx_ml=article&cx_mdate=20201025

 

 菅政権が発足して1カ月余り.新聞の「首相動静」欄に,ぎっしりと文字が詰まるようになった.新首相は広範に話を聞き,得失を冷ややかに計算して決断するという点で,存分にすごみを発揮している.

 

 政府の「Go Toキャンペーン」で,「トラベル」の対象を東京に拡大しての継続しかり.「イベント」で横浜スタジアムの席を段階的に満席まで埋める社会実験しかり.

どちらも「新型コロナウイルスの感染拡大は,大筋で『密集×飲酒×大声での会話×換気の不全』が重なったところでしか起きていない」と見切った上での政治判断だろう.

筆者は結論には賛同するが,その判断経緯を説明しないのはいかがなものか.

「議論すれば反対が増えて実行できなくなる」という開き直りなのか,単に説明が苦手なのか.

 

 福島第1原発から出る汚染処理水を海洋放出する方針も,腹の据わった話だ.

確かに汚染水に含まれるトリチウム放射性物質だが,自然界にも存在し,各人の体内にもある.本当にトリチウム以外の放射性物質が完全に除去されているなら,薄めて海に流すこと自体は不合理ではない.

ただし以前,除去済みと言いながらできていなかったケースがあり,検証には念を入れねばならない.

風評被害対策についても,「放射能汚染の懸念は当たらない」と断言を繰り返すだけでは効果が期待できない.

だが,きちんと理由を説明しようという姿勢は,ここでも見えてこない.

 

 説明がないのに加え,行っていること自体も法律に反しているのが,日本学術会議への人事介入だ.

政権ににらまれたくない評論家や一部マスコミが黙り込むのは良い方で,多くは「民主的に選ばれた首相が,任命権者として被任命者を選ぶのは当然」という援護射撃にいそしんでいる.反対者は一括して「左翼」呼ばわりされる始末だ.

 

 だが,法律にのっとった運営は政府組織の基本である.

法律の運用を変える際には,理由を挙げた公論が必要だ.

この一般常識を右だの左だのの「イデオロギー」と見なすのは,法治国家の否定に等しい.

 

 それでも介入を強行するのは,学界のみならず官界や自民党関係者に政権へのそんたくをさせることが目的だからだろう.

「任命拒否は学問の自由には反しない」というのは詭弁(きべん)で,政府の補助金が頼みの学界や大学は,今後さまざまな場面で萎縮,自粛をせざるを得ない.

官房副長官の人事統制下にある官界も震え上がっただろう.

そして何より,年明けにもありそうな総選挙で公認を外されては元も子もない自民党議員からの,異論雑音を封じる効果は大きい.

 

 次の標的は,NHKと地方自治体なのだろうか.

菅義偉首相は,その先に何を狙っているのだろう.

ひょっとして「シャンシャン総会」に全精力を注ぎこむ大企業総務部のごとく,異論が表に出るのを封じること自体が,自己目的化しているのではなかろうか.

その過程で,八百万(やおよろず)の神を持つ日本古来の「多様性」という価値を,ぶち壊しにしているのではないか.

 

 そもそも「民主主義イコール多数決」という発想は間違いだ.

何事も多数派の裁断に従うというのは,絶対王制における「王様」を,「民衆の中の多数派」に替えただけのことである.王様だけでなく,折々の多数派も間違える.

だから人類は憲法を考え,法体系を整備し,多数意見とは異なるかもしれない事実を発見すべく学術を発展させ,さらには権力を持つ者にも内省を促すべく倫理規範を創り上げてきた.

多数決の前に議論を尽くすことで,論点を明確にし納得感を増すという方法も編み出した.

説明も受けずにそんたくにいそしむ者は,そうした多年の知恵の蓄積を否定し独裁横行の時代に退行している.

 

 確かに法手続きや慣例を尊重すると,何かを決めて変えることは難しくなる.

片や隣の中国は,何でも即決と強権で実行に移している.

憲法や法律や学術や倫理を都合に応じて無視する,「決められる政治」を歓迎する風潮が強まるのには,その影響もあろう.

しかし,その先にあるのは「日本政治の中国化」に過ぎないのではないだろうか.

 

 と書いていたら,石破茂氏の派閥会長辞任の報道が流れた.若手の公認を守るための決断だろう.「中国化」の針がまた進むのか.

=毎週日曜日に掲載

 

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#排除する政治~学術会議問題を考える

行革や効率性で「文句を言う人」飛ばす怖さ 菅政権の新自由主義 重田明大教授

 

毎日新聞2020年10月24日 19時41分(最終更新 10月24日 19時41分)

#排除する政治~学術会議問題を考える:行革や効率性で「文句を言う人」飛ばす怖さ 菅政権の新自由主義 重田明大教授 - 毎日新聞

 

 日本学術会議の新会員候補6人が菅義偉首相から任命されなかった問題を巡り,政府は日本学術会議行政改革の対象とし,自民党は会議自体のあり方を検討するプロジェクトチームを発足させた.任命拒否の理由は依然明らかにされないままで,「論点のすり替えだ」といった批判も上がる.明治大の重田園江教授(政治思想史)は,こうした流れについて「経済効率性に排他的な思想が結びつき,学術界への抑圧につながりかねない」と警鐘を鳴らす.どういうことなのか.【古川宗/統合デジタル取材センター】

 

法制局,日銀,検察の次は学問

 ――日本学術会議の新会員6人が拒否された問題をどう見ますか.

 ◆内閣法制局日本銀行検事長の定年延長など,安倍政権時代からの人事を巡る問題の延長上にあると思います.2013年に安倍政権は内閣法制局長官に,これまでの内閣法制次長を昇格させてきた慣例を破り,外務省出身の小松一郎氏(故人)を起用し,安保法制の解釈変更につなげました.そして今年1月には,政権に近かった黒川弘務・東京高検検事長(当時)の定年を半年間延長する閣議決定をし,検事総長になる道を残そうとしました(後に黒川氏は辞任).これは現行法の解釈変更でしたが,13年の異例の人事によって内閣法制局による法解釈の歯止めが事実上なくなったことが布石としてあります.今回の問題も同様で,従来の日本学術会議法の解釈からすれば,会議が推薦した委員を首相が任命拒否できないはずなのですが,解釈を突如変更し,それができると主張しています.

 

 ――なるほど.日銀の人事との相似点はどうですか.

 ◆制度の独立性の観点から言えば,今回の問題は,日本銀行のそれに近いとも言えます.日銀法では金融政策の独立性が掲げられているように,日銀の金融政策が政治利用されないように人事は政府から切り離されていなければいけません.しかし,安倍晋三前首相は13年に,以前から積極的な金融緩和政策を唱えてきた黒田東彦氏を日銀総裁に起用しました.黒田氏は「アベノミクス」に歩調を合わせ「異次元の金融緩和」を進めました.日本学術会議も組織の位置づけとしては内閣法制局より日銀に近く,行政の傘下にあっても独自の法律の下で独立していることに意味がありました.にもかかわらず,政府はそこにも人事で介入してきました.政府から一定の独立性を保つ公的機関を認めないという前政権からの流れをさらに推し進めたとも言えます.

 

 ――法,経済の世界に手を突っ込んだ後は,次の矛先は学問というわけですね.

 ◆その通りです.学術に矛先が向くのはある意味必然で,安倍政権時代の安全保障関連法制定の時から,政府に刃向かう目障りな学者がいるという認識があったのでしょう.そして,学者集団の中で直接手を出せる組織はどこかというと,それが日本学術会議だったわけです.

 

能力や業績に関係なく簡単に拒否される怖さ

 ――それにしても,なぜこの6人を拒否したのかがわかりません.重田さんは,その中の一人である東大教授の宇野重規さんとは親しいそうですね.

 ◆なぜこの6人なのかは,私にもわかりません.政府側は安全保障関連法制定に反対した学者や「立憲デモクラシーの会」の名簿と照らし合わせて,この6人を選んだのかもしれませんが,政府側は少なくとも,それぞれの著作を読んではいないだろうし,読む必要もないと思っているのではないでしょうか.

 

 宇野さんとは同い年で,大学院生時代からの友人であり,同じ政治思想史研究者です.宇野さんは,一言で言えば,非常にバランス感覚に優れた学者です.政治的なスタンスは全く過激ではないし,能力も高く,業績も申し分ない.学会運営への関与や後進の育成という点を含めて,政治思想研究の世界で,宇野さんより優秀な人は私の世代でほとんどいないです.でも,だからこそ怖いのです.能力や業績に関係なく,簡単に政府から拒否されてしまう怖さ.宇野さんが拒否されるなら,どんなに優れた研究者でも,官邸中枢の誰かが気に入らないと思えば,理由がわからないまま拒否されることになってしまいますから.

 

――首相は拒否の理由をかたくなに明らかにしていませんが,その点はどう見ますか.

 ◆「理由を説明しないこと」と「任命しなかったこと」は,切り分けないといけません.「説明しないこと」に批判が集中してしまうと,もし仮に政府が拒否の説明をしてきた際に,その説明をどう評価するかに論点が移ってしまいます.でも,それは本末転倒です.本論は「任命をしなかったこと」で,「説明しないこと」はあくまで付随的な問題なのですから.私は,政府には6人を提出された名簿どおりに任命することを強く求めていかないといけないと考えます.

 

 ――説明しさえすれば,任命拒否が正当化されかねないということですね.

 ◆説明したからということで,すでにある法とその運用に違反した行為がまかり通ってはいけません.それは,立憲主義の原則を脅かすものです.長年積み重ねてきた法解釈に合理性があることをまず認めることが立憲主義の基本です.保守的な考え方に聞こえるかもしれませんが,日本学術会議の問題に関して言えば,保守することが重要なのです.長きにわたって維持されてきた法解釈の前例というのは,合理性があるから前例となっているわけで,それを踏襲しないことは,これまで妥当とされた合理性の毀損(きそん)にあたります.

 

「前例踏襲打破」小泉改革で多用された語り方

 ――一方で,河野太郎行政改革担当相は,日本学術会議を行革の対象とし,自民党は会議のあり方を検討するプロジェクトチームを発足させています.論点のすり替えのように感じます.

 ◆論点のすり替えですが,この議論の中に何が潜んでいるかに注意しないといけないでしょう.菅政権の特徴としては,前例踏襲を打破して,無駄を省くことに重きを置いていますが,これはかつて小泉政権時代の改革で多用された新自由主義の語り方です.そして,それを非常に不寛容なやり方で適用してくる.どういうことかというと,無駄として攻撃する対象に「自由な言論空間」が含まれているのです.「効率性」といった言葉に「国に対して文句を言うような集団に税金を使ってはいけない」という右派の考えがつながってくる.

 

 ――政府に都合の悪い研究は,経済的効率や有用性の名目で排除されていくのでしょうか.

 ◆自民党杉田水脈衆院議員が,従軍慰安婦に関する研究内容を「活動家支援に科研費(科学研究費)を流用している」などと誹謗(ひぼう)中傷した問題もそうですが,政府に反対するようなことを言う学者は「国のためになっていないのに,そんなものに税金を使うのは駄目だ」といった議論に溶かし込まれてしまう.効率性を重視し,税金の無駄づかいを許さない新自由主義的な言い回しの中で,「国に文句を言う人」に研究費を支給し公費を少しでも払うことは「税金の無駄づかい」とされてしまう.前政権からの特徴ですが,本来は異質なはずの経済の言語と政治の言語が非常に雑に結びついていくことに怖さを覚えます.

 

 ――菅政権では,その新自由主義的なやり方がさらに強まりそうですね.

 ◆強まると思います.安倍前首相はナショナリズムが強い政治家で,憲法改正によって自衛隊を合憲にすることを大きな目標にしてきましたが,菅首相はそういった点でのこだわりはあまり強くない.ただ,政策運営上,新自由主義の用語が便利でわかりやすく,人気取りに使えることを熟知しています.菅首相自身が新自由主義者なのか,その言い回しを利用しているだけなのか,またそもそも真正の新自由主義者とはどういう人かについては,今は脇に置くとして,「行革」や「効率性」といった言葉で,自分の気に入らない人間を人事で飛ばしていくといったことをさらに続けていくと思います.

 

 これまでも,ずっと大学の予算も削られてきていて,それも「重点配分」といった言葉で地方国立大学が標的になり,また「役に立たない」とされた学問分野はさまざまに攻撃を受け,学問の世界は厳しさを増してきています.ただ,今回の問題は一線を越えたと思います.直接の人事介入なわけで,まさに学問の自由につながる問題です.「任命拒否はおかしい」という基本の認識は,これから先も決して忘れてはならないです.

 

おもだ・そのえ

 明治大政治経済学部教授.専門は政治思想史,現代思想.1968年,兵庫県生まれ.早稲田大卒業後,日本開発銀行(現・日本政策投資銀行)を経て東京大大学院博士課程単位取得退学.著書に「統治の抗争史」(勁草書房),「隔たりと政治」(青土社),「フーコーの風向き」(同)など.

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