I
日経ビジネス,”小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」〜世間に広がる意味不明”というコラムがあります.
私が,常々不思議に思っていることをかなりズバッと指摘してくれています.
日本学術会議新会員105名の内6名を任命から除外した問題.これに関連した文章の内,幾つかさわりの部分を以下に抜き書きしてみます.
有料会員限定記事のため,ほんの一部だけにとどめます.切り取った文章ですから,誤解を招いたり,伝わらない文章になると思いますので,できれば原文を参照してください(月3本までは無料です).
何度驚いても驚き足りないのは,官房長官を取り囲む官邸記者クラブの面々が,「次の矢」の質問を決して口にしないことだ.
彼らは官房長官の
「お答えを差し控えさせていただく」という,
「君たちに回答するつもりはない」 と解釈するほかにどうしようもない,極めて不誠実な回答をアタマから浴びせられて,その回答を押し頂く形で,おとなしく黙り込んでいる.
まるでママに叱られた小学二年生みたいに,だ.
私は,官邸記者クラブのメンバーたちが官房長官に黙らされている動画を見るたびに,必ず
「君たちは子供の使いなのか?」
「いったいどこの世界の御用聞きなんだ?」
という疑問でアタマがいっぱいになる.
これほどまでに記者がバカにされている国を,果たして文明国と呼んで良いものなのだろうか.
(2020年10月16日 日本人は「学力」によって分断されている
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00090/ )
▽任命除外の判断について:
「(学術会議の)総合的・俯瞰的な活動を確保する観点から,今回の任命について判断した」という回答に至っては,日本語としての意味すらなしていない.
仮に,任命を拒んだ6人が「総合的・俯瞰的な活動を確保する」ための妨げになると判断したのであれば,その6人のどこがいったいマズいのかをきちんと説明しなければならないはずだ.
私の耳には,「総合的・俯瞰的」は,「具体的・個別的」な説明を回避するために持ち出してきた言い方にしか聞こえない.
というよりも,勉強のできない中学生が大人ぶった言い方で大人をダマそうとしているように見える.
そこのところが果てしなくダサい.
きちんと目を開いてものを見ることさえ面倒くさがっているような目つきで,「総合的・俯瞰的」だとかいう,まるで自分が賢い人間であるかのような言明とともに敢行したのが,今回のこれ見よがしな恫喝であったのだからして,そのマッチョぶりのダサさは筆舌に尽くしがたい.
やくざの事務所から30メートルほど離れた路上で,聞こえない声量できょろきょろしながら言いがかりをつけているみたいな,見ているこっちが恥ずかしくなるほどのダサさだ.
(2020年10月9日日経ビジネス かくして,全国民がダサくなる
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00089/ )
II
誰に対しても,思ったことをストレートに,時には皮肉たっぷりにズバッと言い,その言葉に笑いもこみ上げてくる先輩格? 同志社大学・浜矩子さん.
例えば次の文中の「管総理のぎこちない笑みに隠された本音」.どのようにしてこのような言葉を考えつくのでしょう?
小田島隆氏の「きちんと目を開いてものを見ることさえ面倒くさがっているような目つき」もかなり強烈ですが.
▽「露骨に “いい人アピール” をしていますが,菅首相の素顔は,悪巧みに長けたマキャベリスト(⇒*)です.いい大人は,あんなものに騙されません.『若者が騙されてくれればいい』ぐらいの考えなのかもしれません.
悪い奴を笑い飛ばす気持ちを忘れず,菅総理のぎこちない笑みに隠された本音を,洗い出していきたいですね.腕が鳴ります」
(2020年10月12日 SmartFlash 浜矩子,炎上は気にせず「私が『スカノミクス』と戦わねばならぬ理由」 )
⇒*
“マキャベリスト”については,浜さんは「奸佞(かんねい)」「スカノミクス」という言葉と共にサンデー毎日への寄稿文で紹介/解説しています.
少し長くなりますが,ネット上に公開されている文章を以下に掲載します.
菅義偉新首相の映像がテレビ画面に登場する度に,我が母が吐き捨てるように言い放つ言葉がある.官房長官時代からそうだった.
その言葉は「奸佞(かんねい)」である.
奸佞は,「心がねじけていて悪賢いこと」を意味する.
本多正純という歴史上の人物がいる.徳川家康の側近だった.この人のことを,司馬遼太郎が小説『城塞』の中で,「奸佞を絵に画いたような男」と表現している.これも母からの受け売りだ.
奸佞首相の誕生で,何がどうなっていくのか.
奸佞首相は,「安倍前首相が進めてきた取り組みをしっかり継承し,さらに前に進めたい」と言った.となれば,この間,筆者がひたすら打倒対象としてきたアホノミクスも,継承されるというわけだ.
ただ,アベ首相のアホノミクスから,スガ首相の経済運営に移行したのであるから,これからは「スカノミクス」という名称でいくことにしたいと思う.
スカノミクスは,どこまでスカスカか.その背後には何があるのか.アホノミクスの背後には,21世紀版大日本帝国づくりという下心があった.
スカノミクスの大将の下心は何だろう.
一見したところでは,大それた下心がないことに,スカノミクスの大将の最大の特徴があるように見える.こういう失礼な言い方はしていないが,多くのジャーナリストが同じように感じているようだ.各種のメディア上に,「菅首相のビジョンが見えない」とか,「理念なき菅首相」というような言い方が登場する.
だが,奸佞なる者には,下心が付き物であるはずだ.何かを達成しようとしているから,悪知恵を巡らして悪巧みをするのである.奸佞首相の悪巧みはどのようなものか.
このように問題設定してみると,少し見えてくるものがある.
自民党総裁選に向けた候補者たちの共同記者会見,そして日本記者クラブが主催した討論会の場で,菅氏は自分が基本方針として打ち出したい内容を掲げたボードに「自助・共助・公助」と書いていた.
まずは,自分の力で何とかしろ.それでダメなら身内に頼れ.それでもダメな時だけ,しょうがないから政策が何とかしてやる.こういうわけだ.
そこには,自助能力なき者に対する限りなき侮蔑が込められている.自分で自分の面倒が見られない者どもは,二流人間,三流人間だ.そう言わんばかりである.
政策の役割は弱者救済だ.だが,こんな極限的に「天は自ら助くる者を助く」的感性で政策に携わられたのでは,弱者救済どころではない.弱者切り捨てだ.
この弱者切り捨てに,奸佞首相の下心の一端があるのではないか.
なぜなら,この人は,かの権謀術数の代名詞男,ニコロ・マキャベリの信奉者だ.
マキャベリは,ルネサンス期の政治思想家だ.16世紀のフィレンツェ共和国で外交官を務めた.思えば,本多正純は日本のマキャベリだと言えるかもしれない.この辺を我が母が察知して,スカノミクスの大将の本性を「奸佞」と断定したものと思われる.
マキャベリの論理は力の論理だ.彼の代表的著作『君主論』は力の論理に満ちあふれている.
君主たる者,いかにして権力を奪取し,権力を保持するか.敵をいかに効果的に撃破するか.いかにすれば,彼らから逆襲の余地をとことん奪い去れるか.いかにして,民衆を知らしむることなく,依(よ)らしむるか.
数々の悪知恵が事細かく精緻に開陳されている.
力の論理を貫徹しようとする者にとって,自助能力なき民はひたすら足手まといだ.できる限り切り捨てていきたい.
脆弱(ぜいじゃく)なる部分を可能な限りそぎ落とし,強靱(きょうじん)で効率的に機能する国家を構築する.マキャベリに及第点をもらえるような国を築き上げる.
それが,奸佞首相の目指すところなのではないか.
何しろ,この人は自著『政治家の覚悟 官僚を動かせ』の中で,「マキャベリの言葉を胸に歩んでいく」と書いているくらいだ.
そのマキャベリ愛は,並大抵のものではない.
(サンデー毎日 2020年10月11日号 アホノミクスからスカノミクスへ 奸佞首相のマキャベリ的国家像 浜矩子)
東京新聞 2020年10月18日朝刊