優生保護法(48~96年)の源流となった法律の制定を進めたのが前身の日本民族衛生学会だった.およそ80年の時がすぎた今,学会は自らの歩みを検証し,見解をまとめようとしている.門司和彦・長崎大教授「不健康な人を排除する方向に行かないよう過去を知らなければならない」.しかし日本産婦人科医会(日本母性保護医協会の後継)は実態調査に二の足を踏み,日本精神神経学会も91年に旧法を批判したが,自らの対応は検証していない.科学の名の下に・旧優生保護法を問う /4 毎日新聞2018年6月7日

科学の名の下に・旧優生保護法を問う

/4 不作為の歴史省みず

 

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毎日新聞2018年6月7日 東京朝刊

https://mainichi.jp/articles/20180607/ddm/041/040/141000c

 

 「ずっと重荷を背負っている感覚だった.優生学には絶対戻らないとの共通認識があったが,恩師や先輩の過去は問えなかった」.

日本健康学会の理事(67)がため息をつく.

 

 ナチス・ドイツの断種法に倣い,日本で初めて「優生」を冠した国民優生法(1940~48年).

優生保護法(48~96年)の源流となった法律の制定を進めたのが前身の日本民族衛生学会だった.およそ80年の時がすぎた今,学会は自らの歩みを検証し,見解をまとめようとしている.

 

  戦争が近づき,国を挙げて国力の強化を目指していた時代に学会は誕生した.

 

 初代理事長に就任した東京帝国大教授で生理学者の永井潜氏は,精神医学者や遺伝学者らと優生思想を学問として究めようとした.

優生学の始祖である英国の遺伝学者フランシス・ゴルトンを「偉大なる天才」と称賛し,遺伝性疾患を不妊手術の対象とする断種法案を36年に起草して国会議員に働きかけた.

 

 だが,永井氏が植民地だった台湾に転任すると,路線は徐々に変わり,戦後は公衆衛生学や保健学などから人々の健康を幅広く考える学会となった.

会員も若返り,ルーツは忘れられていった.

 

 昨年春,学会名の「民族衛生」を「健康」に改めたのは,活性化を図るためだった.

一方で,理事の門司和彦・長崎大教授(65)は「歴史の忘却」に危機感を覚えたという.

 

 「『集団の健康』を考えた先人たちが,結果的に個人の人権を踏みにじった.

不健康な人を排除する方向に行かないよう過去を知らなければならない」.

健康という概念は,価値観に左右され,人や時代によって変わりうる.学会が自らの歴史を検証する理由だ.

 

 しかし,日本では健康学会のような取り組みは進まない.

 

 旧法に基づく人工妊娠中絶の指定医団体・日本母性保護医協会は不妊手術の大半を担った.

その実態調査について,後継の日本産婦人科医会は「国から指示があれば協力は惜しまないが,現場は混乱する」と二の足を踏む.

強制手術の申請に関わった精神科医の多くが所属する日本精神神経学会も91年に旧法を批判したが,自らの対応は検証していない.

 

◇ 

 ドイツの精神医学精神療法神経学会が2010年,ナチス政権下であった不妊手術や障害者ら25万人の安楽死への精神医学者の関与を検証し,謝罪した.

当時は合法だったが,被害者の脳を研究材料にしたことが発覚していた.

フランク・シュナイダー会長(当時)は,被害者や遺族に「苦しみを与え,長年沈黙を続けた」事実を「罪」だと認めた.

 

 ナチス以上に強制手術の対象者を広げ,根拠が疑われながら続いた旧優生保護法

次々と明らかになる実態は,科学者たちの「不作為」も物語る.

 

=つづく

 

ことば

日本民族衛生学会

 1930年,優生学を学術・政策の両面で推進する目的で創設.精神医学の第一人者だった吉益脩夫らも参加した.民族衛生学は人種衛生学とも言い,疾患対策などさまざまな方法で,特定の民族や人種の健全性や優位性確保を目指した.