古事記,岩戸隠れの物語にある5つの植物を取り上げてきましたが,
最後は
ササ 小竹.
アメノウズメが手草(たぐさ/たくさ)として,手に持って踊ります.
“三浦祐介著 口語訳古事記”
アメノウズメが,天の香山(かぐやま)の天のヒカゲを襷(たすき)にして肩に掛けての,天のマサキをかずらにして頭に巻いての,天の香山(かぐやま)の小竹(ささ)の葉を束ねて手草(たぐさ)として手に持っての,
ササを手にもって踊ることがある伝統歌舞が現代にも残っています.
神楽です.
神楽には,宮中で行われる「御神楽」と,民間で行われる「里神楽」がありますが,どちらにもササを持つ踊りが伝わっています.
ただし,ササも認められはしていますが,実際に舞われるときには,ほとんどの場合,榊の様ですが.
「御神楽」とササ
御神楽ではササは「採物(とりもの)」の一つとして位置づけられています.
以下は,日本大百科全書の“神楽(かぐら)“神楽(かぐら)とは - コトバンク” ,“採物(とりもの)”採(り)物(トリモノ)とは - コトバンク ,日本国語大辞典の“神楽”神楽(かぐら)とは - コトバンクを主な情報源とした関連事項の簡単なまとめ.
神楽は,アメノウズメの子孫とされる猿女(さるめ)が行った鎮魂術として始まり,古語拾遺(807)に「猿女君氏、神楽(かぐら)の事を供(たてまつ)る」とあります.
宮中の御神楽は各地の古神楽が母胎となり、11世紀初頭に整理、統一されたもの.
舞人は手に「採物(とりもの)」を持って踊ります.この「採物(とりもの)」は,下記の9種と決められていて,この 採物(とりもの)の歌をうたう「採物の部」が,「試楽」の次に用意されています.
「採物(とりもの)」:
榊(さかき)・幣(みてぐら)・杖(つえ)・篠(ささ)・弓・剣(つるぎ)・鉾(ほこ)・杓(ひさご)・葛(かずら)
今日では榊の歌を選んで歌うとのことですが,上記の一覧には榊,葛とともに,ササの名前が!
アメノウズメが身につけていた物がしっかり入れられています.
そして,これら「採物(とりもの)」は,本来は,神霊の依(よ)りつく依り代(しろ),正月松飾りの松に当たるもの,としての意味を持っています.
なお,日本大百科全書「神楽」では,ササを「篠」と表記しています.口語訳古事記(三浦祐介著)で,「小竹」と書いてササと読ませる植物群は同じ物と考えてよいでしょう.
篠 しの:稈(かん)が細く,群がって生える竹類.篠の小笹.篠竹.しぬ.しのべ(日本国語大辞典)篠(しの)とは - コトバンク.
種類としては,ヤダケ,メダケなどですね.我々がササと聞いて思い浮かべる「笹」(クマザサ等)とは異なり,まさに小竹.
ヤダケ - Wikipedia メダケ Pleioblastus simonii イネ科 Poaceae メダケ属 三河の植物観察
「里神楽」とササ
民間で奏される神楽で,古くは石清水,加茂,祇園などの諸社で宮廷の楽人が奏した神楽も里神楽と称したとのこと.
形態の上からは,巫女(みこ)神楽、出雲流神楽、伊勢流(いせりゅう)神楽、獅子(しし)神楽の4種に分類されています.
そして,巫女神楽には,ササを手にした舞が残されているとのこと.
---古態(「神懸かり系」)を残すところもあるが,現在では優雅な神楽歌にあわせた舞の優美さを重んじた後者(「八乙女系」)がほとんどである.
千早・水干・緋袴・白足袋の装いに身を包んだ巫女が太鼓や笛,銅拍子などの囃子にあわせて鈴・扇・笹・榊・幣など依り代となる採物(とりもの)を手にした巫女が舞い踊る.
ただし,巫女舞の検索画像からは,ササを持って踊る巫女の姿は見付けられませんでした.榊 / 鈴を手にした画像がほとんど.
えびすガール特別編(5月) 美保神社【巫女舞】|美保関町観光公式サイト|島根県松江市美保関町
なお,各地の神社には,笹踊りという神事舞(じんじまい)が残されています.
神楽をどれぐらい引き継いだ舞なのか調べることはできませんでした.画像などを見る限り,朝鮮通信使などの影響が見受けられる舞のようです.
いずれにせよ,笹舞いでは,笹は手に持つものではなく,踊り手とは別の者が捧げ持つ形で, 舞が進行しているように見受けられます.
ササを取り上げるのは,このブログで二回目です.初回は「写すだけ万葉集シリーズ」の一つとして,二年以上も前にのもの.
http://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2016/11/20/002251
yachikusakusaki.hatenablog.com
以下に後半部分を再掲.
竹と笹 / 万葉
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山田卓三先生の「万葉植物つれづれ(大悠社)」の説明は次の通りです.
一般に,稈(かん)が太く丈の高いものを竹,細く丈の低いものを笹と言っています.このため万葉時代にはヤダケやメダケなど「篠(しの)」といわれるものも竹としています.もともと竹と笹の呼称は曖昧なので,笹と言って竹の葉を指すこともあります.
植物学的な分類では,皮が成長すると脱落するものをタケ,枯れるまでついてくるものをササとします.マダケ,ハチク,モウソウは三大有用竹と呼ばれますが,モウソウは万葉時代にはまだ入っていませんでした.
ささ/万葉集
小竹(ささ)の葉は み山もさやに さやげども(乱れども) われは 妹(いも)思ふ 別れ 来ぬれば 柿本人麻呂 (巻2-133)
◎自分が越えていく山一面に生えた小竹が,山もとよむ許り(ばかり)に,やかましく騒いで居るが,その音にも紛れないで,私はいとしい人のこと許り思うて居る.哀しい別れをして来たので. (折口信夫 口語万葉集)
◎人麿が馬に乗って今の邑智郡(おおちぐん)の山中あたりを通った時の歌だと想像している.-----
大意. 今通っている山中の小竹の葉に風が吹いて,ざわめき乱れても,わが心はそれに紛れることなくただ一向(ひたすら)に,別れてきた妻のことを思っている.
今現在山中の小竹の葉がざわめき乱れているのを,直ぐに取りあげて,それにも拘わらず(かかわらず)ただ一筋に妻を思うと言いくだし,それが通俗に堕せないのは,一首の古調のためであり,人麿的声調のためである.そして人麿はこういうところを歌うのに,決して軽妙には歌っていない.あくまでも実感に即して執拗に歌っているから軽妙に滑っていかないのである.(斎藤茂吉 万葉秀歌)
たけ/万葉集
わが屋戸(やど)の いささ群竹(むらたけ) 吹く風の 音(おと)のかそけき この夕(ゆふべ)かも 大友家持(巻19-4291)
◎自分の屋敷の,少し許りのかたまった,竹を吹く風に建てる音が,微かに(かすかに)聞こえる,今日の夕暮れであることよ. (折口信夫 口語万葉集)
◎「いささ群竹」はいささかな竹林で,庭の一隅にこもって竹林があった趣である.
一首は,
私の家の竹林に,夕方の風が吹いて,幽かな(かすかな)音をたてている.あわれなこの夕がたよ
というので,これも後世なら,「あわれ」というところで,一種の寂しい悲しい気持ちである.この句は結句で,「この夕べかも」と名詞に「かも」をつけているが,これも晩景を主としたいい方で,この歌の場合はやはり動かぬものであるかも知れない.「つるばみの解洗(ときあら)い衣(ぎぬ)のあやしくも殊に着欲(きほ)しきこの夕べかも」(巻7−1314)という前例がある.
小竹(ささ)に風の渡る歌は既に人麿の歌にもあったが,竹の葉ずれの幽かな(かすかな)寂しいものとして観入したのは,やはりこの作者独特のもので,中世期の幽玄の歌も特徴があるけれども,この歌ほど具象的でないから,真の意味の幽玄にはなりがたいのであった.---- (斎藤茂吉 万葉秀歌)