エストニアの首都タリン歴史地区はユネスコ世界文化遺産に登録されています.また,タリンからやや離れたペルノ地方沿岸にあるキヒヌ島の伝統文化はユネスコ無形文化遺産に登録されました.NHK「エストニアのクリスマス」では,この二つの文化遺産の街/島を取り上げ,人びとのクリスマスへの想いを紹介.どこか郷愁を呼び起こすエストニアのクリスマス. 人びとは夜ごと家族のぬくもり,再会の喜びを分かち合います.

エストニア.私がほとんど何も知らなかった国.

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NHKBSプレミアムカフェ(2021年12月23・24日)で,昨年本ブログで取り上げたドイツアウクスブルクのクリスマス(2014年製作)https://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2020/12/24/234228 に続けて,エストニアのクリスマス(2013年製作)を放映していました.

https://www.nhk.jp/p/pcafe/ts/LR4X1K4WV7/episode/te/KZ731R9W9N/

 

エストニアの首都タリン歴史地区ユネスコ世界文化遺産に登録されています.(⇒*)

また,タリンからやや離れたペルノ地方沿岸にあるキヒヌ島の伝統文化はユネスコ無形文化遺産に登録されました.(⇒**)

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エストニアのクリスマス」では,この二つの文化遺産の街・島を取り上げ,人びとのクリスマスへの想いを紹介.

 

中世から商業が栄え,現在ではヨーロッパでも有数のIT先進国エストニアの首都タリンのクリスマスマーケットは,世界で2番目に古く,そのクリスマスツリーは,公的なものとしては世界最古のものとのこと.

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https://www.nhk.jp/p/pcafe/ts/LR4X1K4WV7/episode/te/KZ731R9W9N/

 

アザラシ漁が衰退した後,島の男性の大部分が船乗りとなって一年中島を離れてしまうキヒヌ島は,残された女性たちによって島の生活が守られ,独特な工芸,ダンス,音楽などの伝統が形づくられてきました.そして,クリスマスは船乗りたちの多くが島に戻り,家族で祝う祝うことができる重要な休日になります.

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https://www.nhk.jp/p/pcafe/ts/LR4X1K4WV7/episode/te/KZ731R9W9N/

 

番組は,その二つの伝統が現在でも息づいていることを,美しく伝えていました.最後は次のように締めくくられていました.

 

 

キヒヌ島.

12月24日午後5時.教会に人びとが集まってきました.クリスマスのミサが行われます.鮮やかな色のスカート.女性たちはこのミサに1年で最も着飾って参加します.夫や子供への想いをスカートに託すのです.

船乗りの男たちは,無事に故郷に帰れたことを神に感謝します.

ミサが始まりました.クリスマスのミサでも司祭はいません.女性たちが歌でクリスマスを祝ってきました.

“清き母より,生まれし救い主.家族の誓いが,今こそ成れり,この日よ”

ミサの後は家々でクリスマスパーティーです.そこでは島独特の風習が生きています.

なんと,今夜は,どの家も出入り自由.招き入れるのは島に戻った船乗りの男たち.クリスマスの時期,お酒やごちそうを振る舞って海の男たちの労をねぎらうのです.

「踊れ」「踊れ」船乗りの無事な里帰りをにぎやかに喜び合います.

そして,女性たちが歌いはじめたのは,この島で最も愛されているという「船乗りの歌」です.

 

“3月には海に出る.その時には花嫁を置いてゆく.海が俺たちの住処.楽しみも希望も命懸け---”

長くきびしい航海に旅立つ男たちを送る歌.家のことは気にせず,頑張ってほしいという気持ちと,必ず無事に帰ってきてほしいという気持ちとが混ざり合った切ない歌です.

“海の藻屑となるならそれまで.神さまに後はまかせるぜ.神さまは何でもお見通しだ.花嫁を泣かせること以外は.でもどうか許してくれ.おれは最後まで生きていたいんだ.でもどうか許してくれ.おれは最後まで生きていたいんだ.”

 

休暇が終われば,再び海に出ていく男たち.これも何百年も変わらない,島のクリスマスです.

 

翌日12月25日,キヒヌ島を飛行機で発ち,タリンへと戻りました.

 

タリンのクリスマスマーケット.クリスマス本番を迎え,家族ずれでひときわにぎやかになっています.

ヨーロッパを股にかけた中世タリンの商人たちも,この時期だけは家に戻りました.クリスマスは昔も今も家族の祭です.

この日はサンタクロースが運転する臨時列車も運行.人びとをマーケットに運びます.クリスマスのシンボルはマーケットの中央に立つ高さ12mのツリー.

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1441年から毎年ここに立てられてきました.公のものとしては世界最古のクリスマスツリーといわれます.

かつてはツリーの周りで,未婚の男女によるダンスが行われていました.故郷を離れることが多い商人にとって,クリスマスは貴重な出会いの時だったのです.

中世の頃の賑わいを思わせるタリンの夜.人びとが集まったのは大聖堂です.クリスマスのミサが行われます。13世紀エストニアで最初に築かれたこの教会.巨大なパイプオルガンは,1780年,タリンの商人たちの寄付によって作られました.200年以上曲を奏でてきたパイプオルガンにのせて,賛美歌を歌います.

こよなく歌を愛するエストニアの人びと,多くの人が出稼ぎに行った歴史の中で,家族の心の支えとなったのは共に歌った歌でした.喜びの歌声がひびきます.

 

あなたにとってクリスマスとは?

「家族と過ごすときです.普段会わない両親とも会いたくなるときです」

「家族の最も大切な瞬間です.子供たちのも絶対帰ってこいと言っています」

 

タリンを包む,いつの時代も変わらない家族のぬくもり.今年のクリスマスプレゼントは何でしょう?

 

どこか郷愁を呼び起こすエストニアのクリスマス.

人びとは夜ごと家族のぬくもり,再会の喜びを分かち合います.そして,クリスマスと言えば忘れてはならない人が一人.そう,サンタクロースです.

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世界遺産オンラインガイド

タリン歴史地区 | エストニア | 世界遺産オンラインガイド

タリン歴史地区はバルト3国のひとつ、エストニアの首都タリンの旧市街に残る歴史的遺産。1997年、世界遺産に登録されました。

タリンは、13世紀にデンマーク人によって町が建設されました。ハンザ同盟の都市として栄えましたが、その後は災害や戦争に巻き込まれた過去を持ちます。トームペア城、エストニア最古の大聖堂、聖ニコラウス聖堂、ギルドホールなどが残り、歴史的に価値のある景観が評価されています。

 

 

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visitkihnu.ee

キヒヌ島の伝統文化がユネスコ無形文化遺産に | Visit Kihnu - Estonian island

キヒヌ島の伝統文化がユネスコ無形文化遺産

ユニークなキヒヌ文化は、ペルノ地方の沿岸の島々であるキヒヌ島と近くのマニヤ (Manija) 島に600年以上続いています。2003年にユネスコ無形文化遺産に登録されたキヒヌ島の文化空間は、伝統文化や美しい自然、そして優しい人々でありますので、どの人の興味も引きます。

キヒヌ島は昔から船員、漁師やアザラシの狩猟家が住んでいた島です。数百年にわたり、キヒヌ出身の男性は仕事で長い時間を海で過ごしていたので、島にある家のことは全て女性に任せていたのです。ですから、キヒヌ島の女性たちは、島の独特な工芸術、ダンス、ゲームや音楽などの伝統を守り、次世代に伝わってきました。現代、キヒヌ島に住んでいる人々の生活スタイルは少しずつ変わってきましたが、先世代の知恵に従って暮らすことがまだまだ多いようです。

伝統文化のいくつかの民族祝祭や習慣は昔のままで、今まで変わっていません。その中で、 3日間渡って行う結婚式だけでなく、「聖ヨハネの日」や「マルディの日」や「カドリの日」などの民族カレンダーの多くのお祝いや祭りがあります。エストニアの本土から離れた島ですから、キヒヌの独特な文化や数世紀にわたる伝統は現代に伝わり、今も生き生きしています。キヒヌ島の文化空間がユネスコ無形文化遺産に認められたからには、キヒヌの島民はその古い伝統を守っていく責任を持っています。

(関連情報: 昔のままの生活が残る「女性の島」 伝統文化存続の危機 エストニア

AFPBBニュース  2020年5月10日   )