アカネ科の植物.
ハクチョウゲ,ヤエムグラ,ヘクソカズラ,クチナシ,トコン(吐根),ペンタスとサンタンカに続いて,今日は----
コーヒーノキ(コーヒーの木).
コーヒー豆(種)をとる木という意味で,このような和名がつけられていますが,やや不細工な名前のようにも---.
コーヒーノキ属(Coffea コフィア属)には,120種以上属していますが,コーヒー豆を採る木は二種.
▽アラビカ種
Coffea arabica L. アラビカコーヒーノキ
コーヒー生産量の60-80%.
アラビカの原産地はエチオピアの高地とスーダンのボマ高原で、C.canephoraとC.eugenioidesの交配により誕生したとされています.
▽ロブスタ種(カネフェラ種 )
Coffea canephora (Coffea robusta ) ロブスタコーヒーノキ
コーヒー生産量の20-40%.
高温多湿の気候にも順応するため,アラビカ種の栽培に不向きなアフリカやアジアで栽培されています.
他にリベリカ種 (C. liberica Bull ex Hiern.、リベリカコーヒーノキ)からもコーヒー豆が採られるものの,全体の1%以下とのこと.
コーヒーの木の栽培は,どのような歴史を経てきたか?
日本大百科全書の記述を元にまとめると,次の通り.
▽アラビカ種の原産地はエチオピアとされています.
この地域では,古くから葉や青豆を煎(せん)じて薬用や飲用にする習慣がありました.
▽アラビアへ.
そして9世紀にはペルシアから,さらにイラクやシリアへ.これらの地域では,コーヒー豆を熱湯で煮出して飲んでいたようです.
一方,多くのアラビア地方(エジプト,トルコ等)では,果実からつくられるカワーKahwa(ブナBuna,カオバCaova)というアルコール飲料がつくられ,酒がわりに売られていました.
15世紀になってイスラム教の支配者ダバニがペルシア風コーヒーの飲用を広めて以来,一般の嗜好品として急速に普及していきました.
▽アジアへ
アラビアの商人たちはコーヒーの独占を図っていましたが,16世紀にインドのメッカ巡礼者が種子7粒をひそかに持ち出し,インドのマイソール州(現カルナータカ州)で栽培を始め,これが海外流出の最初とみられています.
1699年には,オランダがイエメンからコーヒーノキを持ち出してジャワ島に導入.
同じころモカからもセイロン(現スリランカ)に持ち出され,これらが母本となって,インドネシアのジャワ,スマトラ,チモールなどオランダの植民地で組織的な栽培事業が開始されました.
1830年には,イギリス人のキャノンがインドに組織的なコーヒー園を開き,アジアのコーヒー栽培は1862年ころには最盛期を迎えます.
ところが1867年にセイロンでコーヒー葉さび病が発生し,数年のうちにアジア全域に広がり,全盛を極めていたアジアのコーヒー産業は1879年には壊滅.
▽アメリカ大陸へ
1706年にジャワのバタビア(現ジャカルタ)からオランダのアムステルダムに苗が送られ,その一部が1713年にフランスのルイ14世に献上されました.
ここで育てられた苗3本が西インド諸島のマルティニーク島に送られたが,途中で2本が枯れ,残った1本が母本となってジャマイカ,グアドループ島,プエルト・リコ,メキシコ,コスタリカ,コロンビアなどカリブ海沿岸諸国や中南米全域に広がりました.
ブラジルのコーヒーは,ベルギー人の僧侶(そうりょ)モークによってブラジル北部マラニョン州からリオ・デ・ジャネイロの寺院に植えられ,信者の組織を通じて栽培が拡大され,今日の隆盛をみるに至っています.
▽ロブスタ種の導入
葉さび病によってアラビアコーヒーノキが全滅したアジアでも,病害に強い品種ロブスタ種が導入されて,1915年にはふたたび栽培が始められました.
アフリカのウガンダでも1912年には栽培が始まり,その後アジア,アフリカ全域に広がっています.