現在のスイカに最も近い野生種は,アフリカスーダンの「コルドファンメロン」であることが明らかにされました.
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この系統の野生種から,古代エジプトで栽培種が選抜され,墓に描かれることになります.
https://academic.oup.com/aob/article/116/2/133/180059
ただし,当時のスイカは,まだ赤くなく,おそらく水分の補給がその第一の役割だったと考えられています.古代エジプトから現在とほぼ同じ赤いスイカが生まれるまでの歴史が,5年前のナショナルジオグラフィックの記事としてまとめられています.
スイカ、知られざる5000年の歴史 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
以下は,主にこの記事をもとにして,簡単にまとめてみます.
なお,この記事は,野生種のスイカの遺伝子解析が進む以前の記事であるため,現在のスイカにつながる野生種は,アフリカ北東部原産の種で、学名Citrullus lanatus var. colocynthoidesという植物である可能性が高いとしています.
から.
赤いスイカが生まれるまで
エジプトの墓に描かれた絵の中には,楕円形のスイカが大皿に載せられているものがあります.(上図 下の絵画)
生のまま供されていたということは,切っただけで食べられるほどスイカが柔らかかったということ.
古代エジプト人がスイカを栽培するようになったのは,水分を貯蔵するためと考えられています.スイカは日蔭の涼しいところにおいておけば,数週間から数ヶ月保存できます.
墓からスイカの遺物が見つかる理由も同じ.死後の長旅の道中で水分が必要として供えられたと思われます.
また,野生のスイカは苦いものが多いのですが,苦味の原因遺伝子は一つであるため,苦味のないスイカを選抜していくことはそれほど難しくはなかったでしょう.
紀元前400年〜紀元500年頃の文献から,スイカは,アフリカ北東部から地中海に広まっていったことが読み取れます.
古代ギリシャでは,ヒポクラテスやディオスコリデスといった医師たちが,スイカの医学的効能を高く評価しており,利尿剤として用いたり,あるいは熱射病になった子供の額に冷やした皮を当てたりしていました.
200年頃に書かれたヘブライ語の文献の中では,スイカはイチジク,ブドウ,ザクロと同じ仲間に分類されています.こうしてスイカは甘い果物への仲間入りを果たし,3世紀には立派なデザートになっていました.
ただし,この頃の文献には,熟したスイカの果肉は黄色だと書かれています.イスラエルにある425年頃のビザンチン時代のモザイクにはスイカの断面が描かれており,こちらもやはり黄色っぽいオレンジ色.
選抜育種により,スイカの果肉は徐々にその色を変えていきました.スイカの赤い色の遺伝子は,糖度を決定する遺伝子とペアになっているため,糖度を元に選抜した結果かも知れません.
赤いスイカの絵が最初に登場するのは中世ヨーロッパの書物『健康全書』です.『健康全書』とは11世紀のアラビア語の書物を元にした健康的な生活のための指南書で,14世紀イタリアの貴族たちは豪華な図版入りの写本を作らせました.
この書物には園芸に関する記述が豊富に含まれ,楕円形で緑色の筋の入ったスイカが収穫され,販売される様子を示す図版には,スイカの赤い断面が見てとれます.
また別の場面では,スイカの一端に口をつけておいしそうに果汁を飲む農夫の姿が描かれています.スイカはこうして長い年月をかけ,天使にふさわしい味へと進化してきました.