障害者を不幸な存在,社会のお荷物と見る考え方は珍しくない.むしろ,ありふれています.私たちの社会は,優生思想を克服していないのです./ 社会保障と財政をどうやって維持するかは日本の最も重要な課題です.しかし,同時に「みなさん安心して生きてください,政府はしっかり支えます」というメッセージを届けないと,弱い人々をお荷物と見る感覚を広げるおそれがあります.それとも財務省や政府は実際に,弱い人々をお荷物と考えているのでしょうか. 原昌平 yomiDr. / ヨミドクター 2017年3月17日

yomiDr. / ヨミドクター(読売新聞)2017年3月17日 より,原昌平記者の記事をそのまま転載させて頂きます.

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【3月11日】市民講演会|藤沢市

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相模原事件再考(下)「乱暴な正義」の流行が、危ない素地をつくる : Page 2 : yomiDr. / ヨミドクター

 

 津久井やまゆり園で起きた殺傷事件が衝撃的だったのはなぜか.19人という犠牲者の多さ,弱い立場にある知的障害者が一方的に標的にされた点はもちろんですが,障害者の存在を否定する差別思想による犯行だった点にこそ,過去の事件とは異なる恐ろしさがあったのではないでしょうか.

 差別思想について考えるには,被告個人の特殊性よりも,被告が持った考えの普遍性に目を向ける必要があります.

 日本社会の状況を見渡して浮かんでくるのは,障害者だけでなく,弱い立場にある人々が社会的な攻撃を現実に受けていること,そして差別的な言動がさまざまな分野で横行していることです.相模原事件では知的障害者の施設が襲われましたが,たとえば今後,高齢者施設,病院,生活保護施設,在日外国人学校などが標的にされても,不思議ではありません.

 攻撃する側が正当化の理由として使っているのは,もっぱら社会保障の財政負担です.社会保障は弱い状況に陥った人を助けるためにあるのに,その費用負担を理由に弱い人々が攻撃されるのは,まったく本末転倒です.私たちは,社会保障の意味を根本から再確認する必要があります.

書き換えられた中間とりまとめ

 相模原事件で,政府の対応は素早いものでした.発生2日後の昨年7月28日には関係閣僚会議を開き,措置入院をめぐる問題と施設の安全確保を中心に再発防止策を検討する方針を安倍首相が表明しました.8月には厚生労働省を事務局にして,精神科医を中心とする検討チームを設けました.

 事件の約5か月前,植松聖被告が衆院議長公邸へ殺害計画の手紙を届けた後,措置入院になっていた時期があったためですが,まだ捜査が始まったばかりで,精神鑑定も裁判もまったく行われていない段階で,措置入院精神科医療にばかり焦点を当てるのは,はたして適切だったでしょうか.

 検討チームによる中間とりまとめ(9月14日)は,そういう政治主導の既定方針に沿って作成されました.関係者によると,検討チームの8月30日の会合では,措置入院やその解除に特段の問題はなかったという意見でいったん一致し,事務局の厚労省もそういう内容の報告案を作ったのですが,目を通した塩崎恭久厚労大臣の指示を受け,入院先の病院や相模原市の対応を問題にするトーンに事務局が書き換えました.「制度的対応が必要不可欠」という文言も,上からの指示で事務局が付け加えたものでした.自分の意に沿うように書き直させた報告を,大臣は丁重に受け取ったわけです.

問題を矮小化した政府

 その後,検討チーム内の議論や関係団体からのヒアリングでは,差別思想や警察の対応を含めて幅広く検証・検討すべきだという意見が出ました.しかし,最終報告書(12月8日)に書かれた「共生社会の推進」という項目は,政府広報や学校教育の充実を挙げた程度で,形ばかりのおざなりな内容にすぎません.刑事司法の対応も,施設の実情も検証されませんでした.

 そして政府は,措置入院中の診療や支援の強化,措置解除後の継続的支援を柱とする精神保健福祉法改正案を今年2月末,国会へ提出しました.おかしな人間が大事件を起こした,診察や治療が不十分だった,措置解除が安易だった,解除後のフォローがなかったのがいけない,というとらえ方です.

 相模原事件を個人の特殊性と精神科医療のあり方に帰結させるのは,問題の矮小(わいしょう) 化と言わざるをえません.法改正案にある退院後の継続的支援は,終了時期が示されておらず,いったん自傷他害のおそれで措置入院になった人は,保健所のリストに載り,転居しても追跡されます.支援の名の下にずっと管理・監視されかねません.それは共生社会の理念に合うでしょうか.なぜ政府は,差別思想の問題とその対策を,真剣に取り上げないのでしょうか.

優生思想を克服できていない私たち

 障害者はいないほうがいいという考えは,はたして私たちの日常から,かけ離れたものでしょうか?

 ダーウィンの進化論を背景にした「優生思想」は,20世紀初めに英国のゴルトンが提唱し,世界各国に広がりました.不良な子孫の出生を減らし,優秀な子孫を増やそうという考え方です.ベースには,役に立たない人間はいないほうがよいという発想があります.当時は遺伝学に基づく科学的で革新的な考え方として受け取られました.

 極端な形でそれを実行したのがナチス・ドイツでした.ユダヤ人の収容・殺害より前の1939年から,精神障害者知的障害者,神経疾患の患者などを安楽死させる「T4作戦」を秘密に進め,20万~30万人を「価値なき生命」として抹殺しました.ただし優生思想はナチスの専売特許ではなく,米国や北欧諸国でも,断種法による障害者への強制不妊手術が第2次大戦後も長く行われていました.

 日本では38年に設置された旧厚生省が「民族優生方策」を掲げました.戦時中は本格的に実行されませんでしたが,戦後の48年に制定された優生保護法により,精神障害者知的障害者らに約1万6500件の強制不妊手術が行われました.ハンセン病患者にも事実上の強制不妊手術が行われました.いくつかの地域では「不幸な子どもの生まれない運動」が行政主導で展開されました.

 「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」ことをうたった優生保護法は,96年に母体保護法に改正されるまで存続していました.わずか20年ほど前のことです.その後も優生保護法に関する公的な検証や謝罪はまったく行われていません.

 現行の母体保護法に,胎児の障害を理由に中絶を認める条項はありません.しかし,現実には出生前診断が広く行われています.近年は母親の血液検査で精度の高い染色体異常の判定が可能になり,胎児の障害を知った親の多くが中絶しています.

 障害者を不幸な存在,社会のお荷物と見る考え方は珍しくない.むしろ,ありふれています.私たちの社会は,優生思想を克服していないのです.

社会保障の負担と関連づけた弱者への攻撃

 近年の社会風潮で特徴的なのは,障害者,高齢者,病者,貧困者といった社会的弱者を,社会保障の財政負担をもたらす否定的存在と見る傾向です.

 たとえば障害者への見方.重度障害児を育てる野田聖子衆院議員が「生まれてからの息子の医療費は,医療制度によって支えられています.高額医療は国が助けてくれるもので,みなさんも,もしものときは安心してください」と雑誌のインタビューで発言したのに対し,作家の曽野綾子氏は「この野田氏の発言は,重要な点に全く触れていない.それは自分の息子が,こんな高額医療を,国民の負担において受けさせてもらっていることに対する,一抹の申し訳なさ,感謝が全くない点である」と,2013年に出版した新書の中で批判しました.

 高齢者についても曽野氏は今年2月,週刊誌のインタビュー記事で「高齢者は『適当な時に死ぬ義務』を忘れてしまっていませんか?」と発言しました(自身は85歳).また,時期は古いですが,東京都知事だった石原慎太郎氏は01年に「文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものはババア.女性が生殖能力を失っても生きてるってのは,無駄で罪」と会議の場で発言しました.

 終末期医療に対するムダ論もしばしば主張されます.患者の自己決定として生命維持の措置を選ばないことはありうるでしょうが,それが医療費を減らすために当然のように言われると,高齢者や難病患者が生き続けることへの社会的圧力になります.

 病気の人への攻撃もあります.元アナウンサーの長谷川豊氏は昨年9月,「自業自得の人工透析患者なんて全員実費負担にさせよ! 無理だと泣くならそのまま殺せ」とネット上で発信しました.糖尿病や人工透析への無知に基づく暴言ですが,医療費の社会的負担を論拠にしていました.

 生活保護の利用者に対するバッシングも吹き荒れています.生活保護だけではなく,昨年8月にはNHKテレビで貧困世帯の苦境を訴えた女子高校生も攻撃を受けました.ヘイトスピーチをする連中が主張する「在日特権」も,在日コリアン生活保護を受けやすいというデマを中心に据えています.

 貧困関係で忘れてならないのは,ホームレス状態の人々です.以前から差別を受け,しばしば少年グループなどから「役に立たない人間」「じゃまな存在」として襲撃され,現実に相当数の人たちが命を奪われてきたのです.

 

「お荷物論」の発信源はどこか

 社会保障にかかる費用が増えて財政が大変だ,そういう発表や議論を日常的に展開しているのは,どこでしょうか.最大の発信源は財務省であり,政府です.それをマスメディアがしょっちゅう伝えます.実際,年金も医療も介護も生活保護も,抑制が続いています.

  たとえば,それらを見聞きする高齢者は,どう感じるでしょうか.長生きは迷惑だというメッセージを日々,浴びているようなものではないでしょうか.

 財政がどうでもいい,というつもりはありません.社会保障と財政をどうやって維持するかは日本の最も重要な課題です.しかし,同時に「みなさん安心して生きてください,政府はしっかり支えます」というメッセージを届けないと,弱い人々をお荷物と見る感覚を広げるおそれがあります.それとも財務省や政府は実際に,弱い人々をお荷物と考えているのでしょうか.

 

差別的・攻撃的な言動の横行

  社会風潮のもう一つの問題は,差別的・攻撃的な言動が目立つことです.

  ヘイトスピーチをする連中が在日コリアンなどに投げつける罵倒・侮辱・憎悪は,ネット上の発信を含めて本当にひどいものです.彼らには,強固な思い込みによる被害者意識があり,正義感の発露として一方的な攻撃を正当化します.罵倒,敵視,デマ,扇動,圧力,個人攻撃といった手法を用います.最初から敵と味方に分ける発想なので,まともな議論が成立しません.

 背景のひとつはネット,SNSの普及でしょう.昔なら個人的な悪口かトイレの落書きだった言葉を,誰でもネット空間に簡単に書き込めます.ネットでは自分の気に入った情報だけを見る傾向が強いので,偏った思想が増幅されます.似た考えの人間がいることを知って仲間意識を持ちます.

 歴史問題,学校教育,外交などを標的にする極右排外主義の人々も,似たような思考と行動のパターンを持ち,人脈的にもリンクしています.ネット上では,「反日」と決めつけて激しく攻撃する「ネトウヨ」が目立ちます(本来の保守とは違うと思う).それと一緒になって攻撃している新聞,雑誌,テレビ番組もあるし,同様の感性の政治家も少なくないようです.沖縄の米軍基地建設反対運動への警備中に大阪府警の機動隊員が「土人」「シナ人」などと発言したのも,それらの影響かもしれません.

 

乱暴な正義を振りかざす

 「過激なことを言うのがカッコいい」「本音で差別的な発言をしてもかまわない」という傾向が広がっています.潮流は一色ではなく,排外主義,戦前回帰,自己責任論,既成勢力たたきなど,違いはありますが,米国のトランプ大統領,欧州で伸長する極右勢力など,世界的にも似た現象が見られます.社会的な言動が粗野になり,良識のタガが外れている気がします.敵をこしらえて激しい言葉で攻撃するスタイルという意味では,橋下徹・前大阪市長が先でした.

  知人の言葉を借りると「乱暴な正義」が,ネット空間を含めて,あふれています.

  そういう風潮から,植松被告は影響を受けていなかったでしょうか.彼の手紙の文面は,「ヘイト」や「ネトウヨ」に比べると,まだ論理的でていねいな印象ですが,障害者殺害という過激な計画を実行すれば,政府から評価されると期待していたことがうかがえます.

 

平常心の人間も,人道に反する行為をする

  前回の論考について,差別思想はともかく,行動を抑制できずに殺害に至ったのは精神障害のせいではないか,という意見が見受けられました.そういう問題ではないと筆者は考えます.

  歴史的に見ると,憎悪,恐怖など異常な心理状態で起きる事件や虐殺は確かにあります.たとえば欧州中世の魔女狩り関東大震災時の朝鮮人虐殺,連合赤軍事件,ルワンダ大虐殺などです.

 一方で,平常の意識を持った人間が,社会の空気,正当化の理由付け,使命感,上司の指示,科学的探求心などから,人道に反する行為をすることも珍しくありませんナチスのT4作戦,人体実験,ユダヤ絶滅収容所はそうでしょう.旧陸軍731部隊の人体実験,九州大の米軍捕虜生体解剖事件,旧ソ連スターリン体制下の粛正,カンボジアポル・ポト政権下の大虐殺,そして多くの政治テロ,宗教テロもそうでしょう.オウム真理教事件もこちらかもしれません.

 その変形版として,個人で突出した行動に走る人間が現れることもあります.ノルウェーで11年7月に起きた連続テロ事件(77人死亡)は極右思想の青年による犯行でした.昨年6月に米フロリダで起きたゲイナイトクラブの銃乱射事件(49人死亡)で射殺された犯人は,同性愛を嫌悪していたと伝えられました.

 相模原事件も,似たパターンに思えるのです.間違った正義感,使命感に基づいて,計画的かつ冷静に大量 殺戮 を実行した.そこに怖さがあります.事前に衆院議長への手紙を届けた時に警察が措置入院に持っていったから,精神障害という見方に結びつけられていますが,もし,予告なしで犯行に及んでいたら,どんな見方になったでしょうか.

 

すべての人に生きる権利がある

 東日本大震災の後,みんなで助け合おうという雰囲気が満ちていた時期がありました.そのころとは打って変わって,社会の空気がすさみ,足を引っ張り合い,反撃しにくい弱者をたたく風潮が強まっています.過激な正義をアピールする人物がもてはやされます.そういう状況こそ,相模原の事件をもたらした底流ではないでしょうか.

 根本的な再発防止策は,人間の価値に線引きする考え方や他者の存在を否定する言動と闘い,差別思想を持つ人間を減らしていくことです.障害者関係だけでなく,幅広い分野の連帯が欠かせません.できるだけ当事者が姿を見せ,声を上げていくことが大事です.また,政府・首長・議会・政党・公的機関が差別思想と闘うメッセージを出すことには,大きな意味があります.差別思想に対抗するために何らかの法律,制度,事業を考えてもよいかもしれません.

 差別思想との関係でカギになるテーマとして,社会保障と財政について論議を深めることは重要です.社会保障も国家財政も,社会の構成員すべてを支えるために存在するもので,制度を維持するために一部の人を犠牲にしよう,排除しようと考えるのは間違っています.

 事件直後にも書きましたが,あらゆる人に個性と尊厳がある.すべての人に存在価値があり,よりよく生きる権利がある.その理念を高く掲げ,具体化していく取り組みが求められています.

 

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