yomiDr. / ヨミドクター(読売新聞)2017年3月10日 より,原昌平記者の記事をそのまま転載させて頂きます.
相模原事件再考(上) yomiDr. / ヨミドクター(読売新聞)
神奈川県相模原市の県立津久井やまゆり園で昨年7月に起きた障害者殺傷事件で,植松聖容疑者が殺人などの罪で2月24日に起訴されました.捜査段階の精神鑑定の結果として「自己愛性パーソナリティー障害」という診断名が報道されました.
政府は,再発防止策として,措置入院後の継続的支援を中心とする精神保健福祉法の改正案を2月28日,国会に提出しました.「おかしな人間が起こした事件」というとらえ方です.
それでよいのでしょうか? この事件の本質は被告個人の特異性なのか? 精神障害や措置入院の問題なのか? 焦点を当てるべきところが大きくずれている気がしてなりません.
相模原事件の犯行動機は,「障害者はいないほうがよい」とする差別思想でした.それは精神障害の症状として生じるわけではありません.施設で働いていた時の状況,そして弱者をお荷物と見る社会の風潮にこそ,根本的な背景要因があると考えます.
▽「妄想」による犯行ではなかったことになる
植松被告に対する診断は,昨年2月19日の緊急措置入院時が「そう病」,2月22日の正式の措置入院時は1人の医師が「大麻精神病・非社会性パーソナリティー障害」,もう1人の医師が「妄想性障害・薬物性精神病性障害」,2月29日の院内カンファレンスでは「大麻使用による脱抑制」,3月24日の外来受診時は「抑うつ状態,そううつ病の疑い」と,ころころ変わっていました.
そして,月単位の時間をかけた精神鑑定では「自己愛性パーソナリティー障害」.詳しい内容はまだ明らかにされていませんが,検察側は,完全な刑事責任能力があったと判断しています.
精神科では客観的な診断方法が乏しく,診断名や診断基準は,解釈や分類のために医師たちがこしらえてきたものです.しかも精神科医の多くは,いろいろな人物や現象に診断名を付けたがる人たちです.あらゆる問題行動には何らかの診断名をつけることが可能です.したがって診断や鑑定は絶対的なものではなく,担当医師による「ひとつの解釈」にすぎません.
ただ,起訴前の精神鑑定が,精神病でも薬物の影響でもなく,パーソナリティーの影響による犯行と判断したのであれば,重要な意味を持っています.
「障害者はいないほうがよい」「障害者は不幸しか作れない」という犯行動機は,事件の発生当初に一部で言われたような「妄想」ではなかったということです.
▽パーソナリティー障害とは何か
パーソナリティー障害は,病気ではなく,傾向の問題,程度の問題です.かつては「精神病質」や「人格障害」と呼ばれていました.脳の異常が見あたらず,精神病でもないけれど,考え方や行動の特性が極端で,自分または周囲が困っている場合に,そう診断されることがあります.
制度的には,広い意味でとらえた精神障害に含まれ,精神科の診療の対象になりえますが,長い間かけて形成された特性なので,治療は容易ではありません.本人が治療を望むことが重要です.
イメージをつかんでもらうために,どんなタイプがあるのかを見ましょう.米国精神医学会の診断基準(DSM-5)では,以下の種類を挙げています.なお,措置入院時の病名にあった「非社会性パーソナリティー障害」は,この診断基準ではなく,国際疾病分類(ICD-10)による名称です.
▽自己愛性で,どこまで説明できるか.
自己愛性パーソナリティー障害とは,いわゆるナルシストの極端なタイプです.誇大性,称賛されたい欲求,共感の欠如などが特徴とされ,次のような診断基準が示されています.
報道された植松被告の過去の言動や,衆院議長にあてた手紙の内容から考えると,彼の思考や行動のパターンには,自己愛性の特性にあてはまる点が,たしかにあるように思えます.自分が特別なことをできると確信し,障害者の殺害によって政府から評価されることを期待し,犯行後の特別な計らいを望んでいた点などです.
しかし疑問なのは,自己愛性パーソナリティーの特性から障害者抹殺の思想が生まれるか,という点です.思考や行動のパターンの説明にはなっても,「障害者はいないほうがよい」という確信まで抱いた理由の説明には,足りないように思われます(親和性はあるでしょうが……).
障害レベルまでいかなければ,自己愛性の傾向を持つ人は,それほど珍しいわけではありません.たとえば政治家,芸能人などは,表舞台に立って自分を売り込む必要があり,ある程度は自己愛の傾向がないと,やれないでしょう.だからといって,そういう職業の人たちの多くが差別思想を抱いているとは言えません.思想の内容については,別のところに原因を探る必要があります.
かりに,そう状態や大麻の影響があった場合でも同様です.それらは気分の程度や行動のコントロールに影響するでしょうが,思想の内容をもたらすわけではないのです.
▽劣等感,挫折感はなかったか
植松被告の生育歴に,特段の事情はなさそうです.大学入学まで,それほど問題行動もなかったようです.大学入学後に入れ墨,大麻,脱法ドラッグといった逸脱行動をするようになり,それを誇示します.顔には自信がなかったようで,美容整形を繰り返していました.
大阪教育大付属池田小学校事件(2001年)など過去の拡大自殺的な事件と違って,本人の「生きづらさ」はうかがえませんが,衆院議長への手紙からは,承認への欲求が感じ取れます.
政府から評価されたい,承認されたいと思うのは,自己愛というより,劣等感,挫折感,不遇感の裏返しではないのでしょうか.教師になりたいという希望の挫折,施設職員の待遇や社会的な評価の低さが,心理形成に影響した可能性もあると思います.
▽障害者施設の職員として働いていたことは重要
差別思想をなぜ抱いたかを考えるうえで,植松被告がやまゆり園の職員だったことは欠かせません.園で働くうちに差別的な思想を抱き,殺害計画を立て,その考え方を問題にされて退職させられ,さらに措置入院になった後,5か月近くたって,実行に移したのです.
やまゆり園の職員の労働実態や入所者の日常生活は,ほとんど明らかにされていません.気になるのは,衆院議長への手紙に「障害者は人間としてではなく,動物として生活を過ごしております」「施設で働いている職員の生気の欠けた瞳」という記述があることです.これらは,彼のゆがんだ見方として片づけられるのでしょうか.
施設の職員による障害者への虐待事件は,残念ながら,全国各地で後を絶ちません.仕事上のストレスもあるでしょうが,実質的な「権力」を持つ施設職員が,入所者に差別意識を抱くケースは,しばしば見られます.かつて米国の社会学者ゴッフマンは,刑務所・障害者施設・精神科病院といった「全制的施設」(閉鎖的な入所施設)では,職員と入所者の力関係の差が大きく,入所者は無力化されていくと指摘しました.
やまゆり園の内情は,どうだったのでしょうか.大規模な施設で,入所者はどこまで大切にされていたのか,施設内の状況が,きちんと検証される必要があります.しかし,この点は厚生労働省の検討チームも神奈川県の第三者委員会も,ろくに調べていません.
▽障害者の「お荷物論」「不幸論」は社会に存在する
衆院議長への手紙を読み返すと,文章自体は,ていねいで冷静です.使命感も見られます.フリーメーソン,イルミナティーカード,第3次世界大戦といった妙な言葉は登場しますが,おかしな思い込みを持つ人は世の中にけっこういるものです.精神障害という印象を筆者は受けませんでした.
手紙の中で彼が主張したのは,「障害者は社会のお荷物だ」という考え方と,「障害者は本人も不幸だ」という考え方です.かわいそうだから殺してしまえ,という後者の思想は,生命倫理学では「慈悲殺」と呼ばれます.
いずれも,昔から社会に存在する考え方で,とっぴな妄想とは言えません.それらの差別思想を大量殺人という極端な形で実行したのが,事件の本質だと思います.何らかの診断名をつけられる状況が植松被告にあったとしても,動機の核心部分は,精神障害とは関係ないのでは,という意味です.
▽医療・福祉を治安目的に使わない
そう考えてくると,相模原事件で措置入院の解除が早すぎた,退院後のフォローが弱すぎた,という問題認識に立った法改正には,ひっかかりを覚えます.治安目的が事実上,重視されて,措置入院が長期化し,退院後も継続的支援の名の下に長期にわたって監視が続く可能性があります.そうなるとかえって,患者の心理状態の悪化,病状の悪化につながるかもしれません.
医療も福祉も,本人のためにあります.そして思想は治療できません.差別思想と闘い,なくしていくのは,医療ではなく,社会的な取り組みです.
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以下続く:「相模原事件再考(下)「乱暴な正義」の流行が、危ない素地をつくる」
http://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2017/03/31/002709