桜は,短歌に最も多く詠まれた花といえるのではないでしようか.
一昨年,NHKBSプレミアム/Eテレで,「完全保存版 絶対覚えておきたい!究極の短歌・俳句100選」という番組がありました.
https://www.nhk.jp/p/tankahaiku100/ts/L8R11WY878/
その冒頭のナレーションは
桜花 ちりぬる風の なごりには 水なき空に 浪ぞたちける
(穂村弘評
さくらの花に風が吹いて,その風が去った後,水がないはずの空に,花吹雪の浪がたっているという歌だと思うんですけれど,花が本当に浪に見えているという感じとは違うと僕には思える.
あえて,水のない空に花が浪のようになったと見立てることで,言葉によって一つの別世界を作り出そうとしている気がする.
「水なき空に浪ぞたちける」と初めて見た時に,かっこいいと思ったんですけれど,これは何か美意識の幻想空間みたいなものじゃないかなというふうに思いました.)
この番組で取り上げられた50首の短歌の内,3首が桜を詠んだ短歌!
他の二首は,古歌ではなく,明治期,昭和期が一首ずつ.
山川登美子・明治時代
後世は猶 今生だにも 願はざる わがふところに さくら来てちる
馬場あき子・昭和戦後
夜半さめて 見れば夜半さえ しらじらと 桜散りおり とどまらざらん
桜は,短歌に最も多く詠まれた花といえるのではないでしょうか?
万葉集では,ハギ(140首余り),ウメ(120種近い)と比較するとそれほど多いとはいえません.それでも40首は詠まれています.(ニッポニカ https://kotobank.jp/word/サクラ-1538660)
今日の為と思ひて標(し)めしあしひきの峰(お)の上(え)の桜かく咲きにけり 大伴家持 万葉集 巻一九・四一五一
(楽しい万葉集 今日のこの日のためにと思って,しるしをつけておいた,峰の桜がこんなにも咲きました.)
同じ大伴家持は,庭の桜も歌にしていることから,当時から鑑賞用として桜が植えられていたことがわかります.
我が背子(せこ)が古き垣内(かきつ)の桜花いまだ含(ふふ)めり一目見に来ね 大友家持 巻18,4077
(折口信夫 万葉集 あなたの以前の屋敷内の桜が,まだ莟んで(つぼんで)います.せめて一目,見にいらっしゃい.)
古今集になると
その後の勅撰集,さらには,明治・昭和の歌人によっても,桜は多くの歌の歌題となっています.
桜を詠んだ短歌2
(古今短歌歳時記より)
かぐわしき桜の花の空に散る春の夕べは暮れずもあらなむ 良寛 布留散束
八またのちまたの桜花咲きて都の空は夕曇りせり 正岡子規 竹の里歌
交番の上にさしおほふ桜咲けり子供らは遊ぶおまはりさんと 佐佐木信綱 椎の木
ブルガリアのソフィアに桜が咲くといふその桜ばな一日(ひとひ)おもへり 斎藤茂吉 霜
咲きのかぎり咲きたるさくらおのづからとどまりかねてゆらげるごとし 三ヶ島葭子 三ヶ島葭子全歌集
桜の花ちりぢりにしも/わかれ行く 遠きひとりと 君もなりなむ 釈迢空 春のことぶれ
わが宿の夕光(ゆうかげ)桜散るを惜(をし)み麦酒飲みぬ暮れはつるまで 吉野秀雄 苔径集
うはしろみさくら咲きをり曇る日のさくらに銀の在処(ありか)おもほゆ 葛原妙子 薔薇窓
よきものは一つにて足る高々と老木の桜咲き照れる庭 窪田章一郎 素心臘梅
ひといろに青みを帯びて咲く桜夕べとなりて見通す街に 近藤芳美 埃ふく街