春深し / 山吹を詠んだ歌 春のさなかを過ぎた頃を表す言葉に「春深し」という語があります.桜が散り山吹が咲くころにあたります.  春深み嵐の山の桜花咲くと見しまに散りにけるかな,おのづからあはれとも見よ春ふかみ散りゐる岸の山吹の花 源実朝  春深み井手のかわ水かげそへばいくへか見えむ山吹の花 大江匡房  春日影移るともなく照り渡るさ庭まばゆき山吹の花 今井邦子  春はやも闌(た)けゆく花の山吹にいくつ小蜂の翅音澄みたり 木俣修 

今年の春は,すざましい勢いで進んでいます.鎌倉では3月には桜が散りはじめ,今日のニュースでは,青森弘前の桜が満開になっているとのこと.

https://www.hirosakipark.jp/sakura/2023/04/13888/



「春深し」と詠った短歌

桜が散り,春のさなかを過ぎた頃を表す言葉に「春深し」という語があります.(古今短歌歳時記)

次の実朝の短歌は,この季節をキッチリと捉えています.「春深み」は,「春が深くなったので」の意味で,「み」は原因・理由をあらわす接尾語.

 

春深み嵐の山の桜花咲くと見しまに散りにけるかな  源実朝 金槐集

 

 

桜が散った頃,咲く花は多数ありますが,日本人が古来より愛でてきたのが山吹.

平安時代末期の歌人たちは,「春深み」と「山吹」を合わせて詠っています.

 

春深み神南備川(かむなびがわ)にかげみえてうつろひにけり山吹の花  藤原長実 金葉集

 

春深み井手のかわ水かげそへばいくへか見えむ山吹の花  大江匡房 千載集

 

今の季節,関東地方ではどこへ行っても咲いている山吹に出会えます.昨日のブログで取り上げた横浜里山ガーデンでも,外周路で一番目立っていたのは山吹でした.

また白山吹は大花壇に植えられていて,それなりの存在感を示していました.

そして,山吹は,万葉の頃から好まれた歌題と言えます.

 

山吹を詠った短歌

 

山吹(山振)の立ちよそひたる山清水くみに行かめど道の知らなく 高市皇子 万葉集巻二 158

(山吹の花が美しくほとりに咲いている.山の泉の水を汲みに行こうとするが,どう通っていったら好いか,その道が分からない.

というのである.山吹の花にも似た姉の十市皇女が急に死んだので,どうして好いか分からぬという心が含まれている. 斎藤茂吉

 

河蛙(かはづ)鳴く神名備川(かむなびがわ)に影見えて今か咲くらむ山吹の花  厚見王 万葉集巻八 一四三五

 

吉野川岸の山吹咲く風に底の影さへ移ろひにけり  紀貫之 古今集

 

春深み井手の河浪立ち返りみてこそゆかめ山吹の花  源順 拾遺集

 

七重八重花は咲けども山吹のみの一つだになきぞあやしき  兼明親王 後拾遺集

(ヤマブキの歌には,花の美しさ,散りやすさ,実がならないことなどが詠い込まれます.しかし,実がならないのは八重のヤマブキで,5弁のものは結実します.ヤマブキは本来,山振(ヤマブキ)で,枝が細く風に吹かれて揺れやすいことによります. 山田卓三)

樹木図鑑(ヤマブキ) 一部改変:

鷹狩りに出てにわか雨にあった太田道灌は,雨宿りをしながら蓑を借りようとした.すると農家の娘が出てきて,黙って一輪の山吹の花を差し出し,微笑むだけだった.道灌は訳がわからなかった.その後,家臣にその話をすると,物知りの家来がいて謎を解いてくれた.

七重八重 花は咲けども 山吹の 実の一つだに なきぞ悲しき

に掛け,「こんな山あいの茅葺きの家であり蓑のひとつもありません」と答えたのでしょう.と.道灌は,自分が古歌を知らなかったことを恥じ,その後詩歌に励み,歌人としても有名になったとされる)

 

吉野川岸の山吹咲きにけり峯の桜は散りはてぬらむ  藤原家隆 新古今集

 

おのづからあはれとも見よ春ふかみ散りゐる岸の山吹の花  源実朝 金槐集

 

山吹の厨(くりや)の窓にたけのこ売(うり)竹の子売りて今去らむとす  伊藤左千夫 左千夫歌集

 

山吹の咲きしだれたる窓際は子が顔出して空見るところ  北原白秋 風隠集

 

春日影移るともなく照り渡るさ庭まばゆき山吹の花  今井邦子 紫草

 

春はやも闌(た)けゆく花の山吹にいくつ小蜂の翅音澄みたり  木俣修 流砂

 

山吹の黄金むらがり咲きいづるに明日への希望なほわれ捨てず  宮原阿つ子 黒曜