ナツメグ1 植物としてのナツメグとその歴史. ナツメグは,ニクズク属(Myristica 肉豆蔲 )のMyristica fragansの種子から採られます.種皮からは,もう一つのスパイス,メース(mace)が採られるという珍しい植物で関連した言葉の語源は,香りが良いことを表しています.原産地はインドネシアのモルッカ諸島/バンダ諸島.バンダ諸島をめぐっては,スペイン,ポルトガル,オランダ,イギリスが熾烈な争奪戦を繰り広げたことがよく知られています.

スパイス(スパイス&ハーブ)について,まとめています(すでに取り上げたシソ目シソ科のハーブは省きます).

今日はナツメグ

 

スパイス(スパイス&ハーブ)10

ナツメグ1 植物としてのナツメグとその歴史.

使ったことのある数少ないハーブの一つナツメグ.教わったレシピはハンバーグ.

しかし,欧米では,挽肉にも使うものの,より一般的なナツメグの使い方は別にあるようです.

あるレシピサイトでは,「ほとんどの食料品店にある一般的なスパイスであるナツメグは、塩味と甘みの両方のレシピに使われます。ナツメグを使ったお気に入りのレシピをいくつかご紹介ししましょう!」とし,紹介されていたのは次の画像:

https://www.savoryexperiments.com/ingredient/nutmeg/

ナツメグのレシピについては話題は明日取り上げます.

 

今日は,植物としてのナツメグとその歴史.

スパイスのナツメグは,ニクズク属(Myristica )のMyristica fragansという植物(この植物自体もナツメグと呼ばれます)の種子から採られます.

より正確には,種子を覆う外皮=(仮)種皮arillusを除いた部分からとられるのがナツメグで,種皮からは,もう一つのスパイス,メース(mace)が採られるという珍しい植物です.

https://en.wikipedia.org/wiki/Nutmeg

https://www.sbfoods.co.jp/sbsoken/jiten/search/detail/00047.html

https://delishkitchen.tv/articles/122

https://www.google.com/search?ナツメグ

https://www.google.com/search?メース

 

▽ニクズクは漢名「肉豆蔲」の日本語読み.

漢方では「収斂、止瀉、特に芳香性健胃薬として使用されます」(https://www.uchidawakanyaku.co.jp/kampo/tamatebako/shoyaku.html?page=281)とのこと.

 

▽植物ナツメグに関連した言葉の語源は,香りが良いことを表す言葉です.

・nutmeg 

 < note(=NUT)+ mugede(後期ラテン語 muscāta 麝香じゃこうの香りのするから) ランダムハウス英語辞典

・学名のMyristica fragans:

属名のラテン語Myristicaは,もとは,ギリシャ語 myristikḗ(myristikós「香りのよい」の女性形) ランダムハウス英語辞典

種小名fragransは「芳香のある」という意味 (https://www.uchidawakanyaku.co.jp/kampo/tamatebako/shoyaku.html?page=281

 

ナツメグの原産地はインドネシアモルッカ諸島とされていますが,モルッカ諸島の更に狭い地域であるバンダ諸島とするサイトもあります.

https://www.google.com/maps/place/バンダ諸島

 

ナツメグの歴史

このバンダ諸島をめぐっては,スペイン,ポルトガル,オランダ,イギリスが熾烈な争奪戦を繰り広げたことがよく知られています.

オランダは,第二次英蘭戦争の末期,ニューヨーク(当時はニューアムステルダム)とイギリスに譲る形で,バンダ諸島の権益を手に入れました.オランダは,独占的な収益を上げるため,島民のほとんどを虐殺または追放したといわれています.

 

New World Encyclopedia "Nutmeg"によれば

https://www.newworldencyclopedia.org/entry/Nutmeg

(DeepL翻訳)

ローマ時代の司祭が,ナツメグを香として焚いたという証拠がいくつかあるが,中世の料理では,高価なスパイスとして珍重されていたことも知られている.

聖テオドール修道士(C.E.758年頃~826年頃)は,修道士たちがピースプディングを食べる際にナツメグを振りかけることを許可したことで有名である.エリザベス朝時代には,ナツメグがペストを追い払うと信じられていたため,ナツメグは非常に人気があった.ナツメグは,中世にはアラブ人によって,収益性の高いインド洋貿易で取引されていた.

 

15世紀後半,ポルトガルはスペインとのトルデシリャス条約とテルナテのスルタンとの別個の条約に基づき,ナツメグを含むインド洋貿易を開始した.しかし,バンダ諸島のナツメグ栽培の中心地に対するテルナテの権限は極めて限られていたため,この貿易の完全な支配は不可能であり,ポルトガルは支配者というよりはむしろ参加者にとどまった.

 

ナツメグ貿易はその後,17世紀にオランダが支配するようになった.イギリスとオランダは,当時ナツメグの唯一の産地であったラン島の支配権を得るために,長期にわたる争いと陰謀を繰り広げた.第二次英蘭戦争の末期,オランダはイギリスが北米のニューアムステルダム(ニューヨーク)を支配することと引き換えに,ラン島の支配権を獲得した.

 

オランダは,1621年に島民のほとんどを虐殺または追放するという長期にわたる軍事作戦の末,バンダ諸島の支配権を確立することに成功した.その後,バンダ諸島は一連のプランテーション農園として運営され,オランダ人は他の場所に植えられたナツメグの木を駆除するため,地元の軍艦で毎年遠征を行った.

 

ナポレオン戦争中のオランダの空位の結果,イギリスはオランダからバンダ諸島の一時的な支配権を奪い,ナツメグの木をザンジバルグレナダなど他の植民地に移植した.現在,グレナダの国旗には,ナツメグの実を割ったような形が描かれている.