相模原殺傷事件から5年.あの日,命を奪われかけた尾野一矢さんは,今,この社会の中で,周囲と関わり合いながら,新たな暮らしを始めています. 5年の記録です. 「自己主張をかなりはっきりする場面が出てきた」 課題も見えてきました.一矢さんは,障害の特性で,時間をとわずの大声で叫んでしまうことがたびたびあります. 同じアパートの住人から,うるさくて眠れないと,苦情が寄せられたのです.

相模原殺傷事件から5年 

NHK おはよう日本 2021年7月15日

高瀬耕造  桑子真帆

 

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NHK おはよう日本 公式 (@nhk_ohayou) | Twitter

 

相模原市知的障害者施設,津久井やまゆり園で19人が殺害され24人が重軽傷を負った事件からまもなく5年.

「意思疎通の人間は生きる価値がない」

事件を起こした元職員の言葉は,当時,社会に衝撃を与えました.

事件で被害に遭った尾野一矢さん.

首や腹などを刺されて,一時,意識不明の重体となり,事件直後は混乱した状態にありました.

 

(一矢さんの映像.「うるさい」)

あの日,命を奪われかけた一矢さんは,今,この社会の中で,周囲と関わり合いながら,新たな暮らしを始めています.

5年の記録です.

 

一矢さんは,去年8月から,施設を出てアパートで暮らしています.

 

(ドリンクを飲む一矢さん)

支援者「もうちょっとね.これでお終い」

重い知的障害と自閉症があるため,重度訪問介護という国の制度を使って,15人の介護者が交代で24時間付き添っています.

「暮らしていて楽しいですか?」

一矢さん「楽しい」

「何がいちばん好きですか?」

一矢さん「一矢んち」

 

やまゆり園で20年以上暮らしてきた一矢さん.

事件後,ほとんどの人が施設に戻る中で,両親は,施設以外で生きる道もあるのではないかと考えるようになったと言います.

父親の剛志たかしさん「一矢,障害だからしょうがない.って全然一矢の本心を見ようとしなかった.

街中行ったり,もっといろんなとこ行ったり,自分の意志をきちんと主張できたり,やっぱり,これが幸せだろうね,って」

 

そうして始まった新しい生活.

 

介護者「コロッケ,別にいいの?」

一矢さん「チョコレート」

「チョコもあったかな」

 

介護者たちは日々の暮らしの中で,一矢さんが何をしたいのか,一つ一つ聞き取っていきます.

「最後だよ」「はい」

「ごちそうさまだからね」「終わり」

「まだ食べるの?終わりは?」「食べる」

「終わりって自分で言ってたじゃん」

 

買い物でも,何を買うかを決めるのは一矢さんです.

「まあ,いいんじゃない.買っとく?1個だけにしとこうか」

「お刺身とかは?」「やめとく」「刺身は止めとく?」

「鰻は,丑の日も近いから,買っとくのね」

 

「カレー食べる?おかわりする?」

最も付き合いが長い介護者の大坪寧樹(やすき)さんは,アパートで暮らすようになって,一矢さんに変化が出て来たと言います.

「自己主張をかなりはっきりする場面が出てきた.自分がこの生活の主体なんだという,強い意志が,やっぱりあるんじゃないかと思います」

 

「うう〜うう〜」

ただ,地域での暮らしの中で課題も見えてきました.

一矢さんは,障害の特性で,時間をとわずの大声で叫んでしまうことがたびたびあります.

同じアパートの住人から,うるさくて眠れないと,苦情が寄せられたのです.

介護者「それは怒るだろうな.至極まっとうな感覚だし,むしろ,我々の方が連携不足や力不足のために,そういう実害を蒙らせているのは大変申し訳ないなって」

 

「ここに防音シートを貼って--」

部屋の防音工事をするなど,できるだけ,声が響かないように工夫していますが,完全におさえることはできません.

 

(大声を出す一矢さん)

「わかったわかった」

どうしてもおさまらないときは,仕方なく部屋から離れることもあります.

「本人も,きけば,声を出しちゃいけないんだなと頭では分かっている.分かっていてもどうしようもない.っていうことで,すごく葛藤が本人もあるので」

 

せっかく始まったこの生活を続けていけないか.少しでも状況を変えようと,介護者たちが考えたのが,“かずやしんぶん”です.

生い立ちや事件のこと.鰻や板チョコが好きなこと.一矢さんの人となりを伝えます.

 

一矢さんと介護者たちは,近くの店や住宅を訪ねて,かずやしんぶんを配り始めました.

「いつもお世話になっています」「かずやさん.同じ名前です.また来てください」

 

「時々,もしかしたら,声聞こえているかも」「聞こえています.ははははは」「ご迷惑をかけて---」「いや,とんでもないです」

 

「へ〜,でも一人でね.施設とか入らないでね.すごいよね.よろしく」

 

「知ってもらえて,理解してくれる人が増えれば,一矢さんにとってもいいので,少しでもやっていけたら」

 

アパート暮らしを始めておよそ一年.

一矢さんの部屋を尋ねてくる人も増えています.

この日は,学生たちが,地域で生きる選択をした一矢さんのことを知りたいと訪れました.

 

学生「一矢さんの手が温かいことが私の印象に残って.けっこう笑顔を見せてくれる」「特別視する必要もないのかな〜」

 

あの日,不幸しかつくらないと,決めつけられ,命を奪われかけた一矢さん.

地域での生活の中で出会いを重ねる中で,少しずつ,人とのつながりを紡いでいこうとしています.

 

介護者大坪さん「一矢さんが,存在で示してくれていること,それに触れることで,随分変わるんじゃないかと思います.やっぱり,生きてていいんだと.いなくていい存在なんてないんだと.

どれだけ多くのメッセージを発信しているのか,ってなことを考えずにはおれないですよね」

 

 

「はい,一矢さんのことは,これまでもたびたびお伝えしておりますけれど,アパート暮らしを始めて,ほんとうに,くつろいだ穏やかな表情が印象的でした.あの「かずやしんぶん」,出てきましたけれど,受け取った近所の男性が,後日,一矢さんが好きなチョコレートをもって,部屋に遊びに来てくれたんだそうです」

「そうですか.一矢さんのご両親は,あの事件のあと,多くの人が協力してくれて,こうしてアパート暮らしができるようになったけれども,そうでなければ難しかった.施設でも地域でも,選択肢が広がって,希望に合わせて生きられる社会になってほしいとおっしゃっていました」