黙ってしまうと植松に負けたことになる 1
尾野剛志 津久井やまゆり園家族会前会長
(創 2017年 9月号 相模原障害者殺傷事件1年)
事件の朝 体育館には4枚の紙があった
事件からもう1年ですが,考えてみればあっという間でした.1日1日を考えた時はすごく長くて,やっと今日も終わったという感じでした.
僕は2015年3月まで17年間,津久井やまゆり園の家族会の会長を務めてきました.園や家族のほとんどが実名を出さず,取材も受けないという中で,僕だけは話をしなくちゃいけないという気持ちに駆られて名前を出しました.
多くのマスコミの方から取材していただいて,1日1日,事件について聞かれるのが辛かったです.でもこうして1年経ってみると,早かったなというのが今の気持ちです.
昨年の7月26日は,朝7時半に園へ行きました.
---中略---
僕は自分の息子の一矢のことが心配だったので,体育館に行ったのですが、そこにはA4の紙が4枚あって,1課,2課,3課,4課と書いてありました.息子がいる施設は4課なんですが,その4課を見たら,○が書いてあるのが5つ,×が書いてあるのが4つあって,何も書いてないのが8つか9つ.その何も書いてないところに息子の名前があって,立川の災害医療センターと書いてあったんです.
---中略---
一矢は結局、23日間入院しました.
もともとお父さんとかお母さんとは喋らない,自分の言いたいことしか言わない子でした.
それが,入院した時,4日めに行った時,急に「お父さん」という言葉を出してくれて,僕も感動しました.退院してきて,今は「お父さん」とか「お母さん」と言って,話をしてくれるんです.だから,一矢のために,生きている間は頑張ろうと思いました.
犠牲者が全て匿名になった背景
その後,遺族はいっさい匿名になってマスコミの前で名前と顔を出すことはないのですが,僕はその事に反対なのです.
7月26日,僕が行く前に遺族の方が5時半くらいにいらしてて,---園長に絶対に名前を出さないで下さいとお願いをしたらしいんです.
---中略---
警察署は最初断ったようです.被害者の方は実名報道ですよ,ということで断られた.
でも遺族の方が園長と会長に懇願して,もう一度津久井署に電話をしました.それで警察署の方は本庁とも協議したんでしょう.「今回だけは障害者なので特例として匿名を認めます」ということで,匿名になったというんです.
しかも遺族だけじゃなくて負傷者の家族までいつのまにか匿名になってしまった.家族で実名を出して取材に応じたのは僕ともう一人だけでした.
僕はそれが納得できなくて,警察が「障害者だから匿名にします」というのは差別じゃないかと思うんですね.
僕は障害者という言葉自体も嫌いなんですけれど,健常の方も障害を持っている方もそれぞれ個性,特性があるんです.
この事件で「障害者だから匿名を認める」となると,犠牲になった方は名前が出ないわけですよ.
19人の中には津久井やまゆり園で何十年も暮らしていた人もいたのに,そこにいたことにならなくなってしまう.
彼とか彼女の人生は何だったのかなと思うと,植松にも殺されて家族にもまた殺されてしまったという気がするんです.
(以下続く 予定)