ミント3 ニホンハッカ(和薄荷 Japanese mint)は,Canada mint, American wild mint, Chinese mintと同じ種で,日本以外では特別視されることは少ないようです.しかし,この和薄荷はメントール生産で主役を果たす種で,商品作物としてのハッカの本格的な生産は日本で始まり,天然メントールは明治から昭和初期(太平洋戦争前)にかけての日本の貴重な輸出品の1つとなっていました.現在の主要栽培国はインドですが,合成メントールの大規模生産により苦境にあるようです.

ニホンハッカ(和薄荷)

日本全国に分布するそうですが,私はまだ見つけたことがありません.

探したことがないので,気づかなかっただけで,身近にあったのかもしれませんが--

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 ニホンハッカ - Wikipedia

 

日本語版ウィキペディアには

Mentha canadensis L. var. piperascens

の学名が挙げられています.

が---

英語版ウィキペディアでMentha canadensisを見て見ると---

 

In North America, it is commonly known as Canada mint, American wild mint, and in Asia as Chinese mint, Sakhalin mint, Japanese mint, and East Asian wild mint.

(北米では,カナダミント,アメリカワイルドミント,アジアでは,中国ミント,サハリンミント,日本ミント,東アジアワイルドミントなどと呼ばれています.)

 

Japanese mint ニホンハッカを特別な変種としては扱っていません.

これが世界から見たニホンハッカの位置づけ.特別視されていないのかなとも思います----.

 

しかし

Mentha canadensisはメントール生産で主役を果たす種.

しかもその地位に押し上げたのは日本!

知りませんでした.Japanese mintを特別な名前として記憶されてもいいように思いました.

 

メントールは歯磨きペーストをはじめとする口腔ケア商品,ガム,薬品の香料,タバコのフレーバー,などなど,日常生活に身近なスッとする味,香りの本体.

その生産を初めて軌道に載せ,世界一の生産量をあげたのが戦争前の日本でした.

戦争による食料生産へのシフトにより,日本のメントール工業はすたれ,ブラジル・中国そして1995年以降,現在まではインドと生産主要国は変遷していきました.

しかし,どの国においても,原料はMentha canadensis(日本ハッカ,和種薄荷).

メントールを特に沢山含んでいる種として,メントール生産に適していました.

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https://www.tokusanshubyo.or.jp/pdf/jouhoushi_21.pdf/21-20.pdf

 

精油とは,ハーブ類から水蒸気蒸留等で得られる特有の芳香をもつ揮発成分.

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エッセンシャルオイル(精油)の生産方法

 

なお,ドイツを中心にメントールの化学合成が盛んになり,インドのハッカ栽培は岐路に立たされつつあるようです.

https://www.downtoearth.org.in/news/agriculture/synthetic-influx-56197

 

 

以下,メントール生産(ハッカ生産)についての解説から.

筆者は長岡工業の技術者の方です.

 

https://www.tokusanshubyo.or.jp/pdf/jouhoushi_21.pdf/21-20.pdf

商品作物としてのハッカの本格的な生産は日本で始まった.

ハッカは原産国が中国または東南アジアで,日本には中国から渡来したという説が有力である.

日本各地で盛んにハッカが栽培されるようになったのは18世紀に入ってからである.当初は水蒸気蒸留で精油をとる技術がなかったので,乾燥葉を生薬として利用するのみであった.

19世紀中頃の江戸末期から明治にかけて,水蒸気蒸留の技術が本格的に導入されて精油を取り出すことができるようになり,ハッカ栽培は日本各地に広がった.

その後天然メントールの再結晶技術が導入され生産が始まると,天然メントールは明治から昭和初期(太平洋戦争前)にかけての日本の貴重な輸出品の1つとなった.北海道や岡山県を中心にハッカ栽培が盛んとなり,昭和13年 (1938年)頃にはハッカ原油の国内生産高は約870 トンのピークに達した.

しかし太平洋戦争を前に食料増産の為に減反を余儀なくされ,ハッカ栽培は壊滅的状況となった.