相模原殺傷事件3年 共生への取り組み(2) 障害者も,好きな場所で,社会参加をしながら生きられるように─. そんな理念の元,施行された障害者総合支援法では,常に介護を必要とする在宅の重度障害者に対し,公費負担でヘルパーを派遣する「重度訪問介護」の対象が,知的障害などにも拡大された.重い知的障害がある小林利之さんは,地元のNPOどのサポートを受け,05年から一軒家で「一人暮らし」をしている.生活を続けるうちに,できることが増えた.掃除ではちりとりを担当し,スーパーにも一緒に行く. 読売新聞7月26日

相模原殺傷事件3年 共生への取り組み(2)

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神奈川県相模原市知的障害者施設「津久井やまゆり園」で起きた殺傷事件から3年.園では今,入所者123人を対象とした「意思決定支援」が進む.重度障害がある入所者たちの意向をくみ取りながら,今後の住まいの選択を手伝う取り組みだ.事件が社会に投げかけた「障害者と健常者の共生」への道のりはなお険しいが,園職員らは,入所者が自ら生活の形を決めていく試みを,その第一歩と位置づけている.

 

 

一人暮らし 買い物,音楽も  重い知的障害 西東京の男性

 

 障害者も,好きな場所で,社会参加をしながら生きられるように─.

そんな理念の元,2013年に施行された障害者総合支援法(旧・障害者自立支援法では,常に介護を必要とする在宅の重度障害者に対し,公費負担でヘルパーを派遣する「重度訪問介護」の対象が,身体障害のみから知的障害などにも拡大された.

 

 厚生労働省によると,重度訪問介護の利用者は3月現在,全国で1万1253人と10年前の1.5倍.

福祉施設と比べ,自立的な生活ができるアパートなどで暮らす人が増えている.

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 重い知的障害がある東京都西東京市の小林利之さん(40)は,地元のNPO・自立生活企画などのサポートを受け,05年から一軒家で「一人暮らし」をしている.

 

日中は通所施設で過ごし,夜間や週末は約10人のヘルパーが交代で付き添う.

 

 生活を続けるうちに,できることが増えた.

掃除ではちりとりを担当し,スーパーにも一緒に行く.

ヘルパーと組んだバンドのボーカルも務め,サビに入ると,「ブランコ〜♪」と楽しそうに口ずさむ.

10年近く介護をする丸岡健太さん(41)は

「トシは歌うことで言葉が増え,意思表示もうまくなった」と目を細める.

 

 だが,重度訪問介護の利用者のうち,知的障害者はまだ6%余りだ.

 

あるNPOのスタッフは

「差別や偏見を怖がる家族は依然として多く,知的障害者を迎え入れる社会の理解も足りない.

限られた語彙や表情から感情を読み取れる経験豊富なヘルパーの確保,養成など課題は多い」と語る.

 

 

通所施設 地域との30年

 

 国内初の重症心身障害者の通所施設「朋」は,福祉関係者の間で「共生」実現の先進例として知られる.

すぐ近くに小中学校や幼稚園もある閑静な住宅街で開所したのは1986年.周辺住民との距離を,施設側が積極的に地域に出て行くことで縮めてきた.

 

 「街のイメージに合わない」「ここじゃなければいけないのか」.

施設ができる前には,一部の住民から厳しい反対意見が出た.

住民説明会でも不安の声が相次いだが,初代施設長の日浦美智江さん(81)らが反対派の住民を何度も訪問.施設に通う予定の人たちの名前や人柄を伝え,理解を得ていった.

 

 開所後も,日浦さんらスタッフは,利用者と買い物や散歩に出かけ,地域の夏祭りや運動会に参加.

「私たちの方からどんどん近づき,あいさつもしよう」と心がけた.やがて顔なじみが増え,近隣の多くの主婦らが利用者の送迎を手伝ってくれるまでになった.

 

 地元の連合町内会の細田利明さん(77)は,

「当初の不安も反対も,住民が利用者のことを知らなかったから.今では,そばにいるのが自然」と話す.

 

 日浦さんは開所間もない頃に開いた小学校での交流会が忘れられない.

ある男性利用者が「あーあー」と,児童たちに懸命に語りかけると,男児の一人が「僕はぜんそくだけど,頑張ります」と応じたという.

施設と小中学校の交流会は現在も続き,施設の職員になった卒業生もいる.