相模原殺傷事件3年 共生への取り組み(1)
読売新聞 7月26日 金曜日 朝刊
神奈川県相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で起きた殺傷事件から3年.園では今,入所者123人を対象とした「意思決定支援」が進む.重度障害がある入所者たちの意向をくみ取りながら,今後の住まいの選択を手伝う取り組みだ.事件が社会に投げかけた「障害者と健常者の共生」への道のりはなお険しいが,園職員らは,入所者が自ら生活の形を決めていく試みを,その第一歩と位置づけている.
生き方 自分で選ぶ 居住先 思いくみ取る
意思を尊重
やまゆり園は1964年,重度障害者らを受け入れるため,相模原市緑区に県が設立した.
事件後,「地域社会から隔離されがちになる旧来型の大規模施設」との批判の声が上がり,県は,園を小規模化した2施設に分散させる計画を決めた.
事件の現場となった旧園舎(解体済み)跡地に再建する「千木良園舎」と,南東に40キロほど離れた横浜市港南区に新設する「芹が谷園舎(仮称)」だ.
入所者たちは現在,芹が谷園舎予定地の近くにある旧福祉施設などで暮らす.県は2021年度から,入所者を2園舎(定員各66人)で受け入れる方針だが,入所者を決めるプロセスは,園側と家族だけで決めてきた従来とは異なる.
郊外の大規模施設と違い,住宅街の中で少人数が共同生活を送るグループホーム(GH)への転居なども選択肢としたうえで,入所者本人の意思を尊重しながらの作業だ.
地域社会に踏み出し,共生していくことを目指すには,暮らしたい場所を本人が選ぶことが前提となる.
表情,しぐさで
どこに出かけ,何をしている時にうれしそうな様子を見せるか.園職員らは一人ひとりの表情や身ぶり手ぶり,発する言葉をつぶさに記録する.千木良園舎のような自然に囲まれた地域と,芹が谷園舎のような都市型の写真を示し,反応を確認したりもする.
根気のいる作業だが,繰り返していくうちに発見がある.
長年,園で暮らす70歳代の男性は,見学したGHを気に入り,体験入所を続ける.姉は自宅に近い芹が谷園舎を希望していたが,男性の楽しげな顔を見て,思い直したという.
園職員の一人も「私たちは入所者の発信を見落としてきたかもしれない」と話す.
現時点では,以前から少人数での行動を好む傾向があった4人がGHに移ることが決まった.2園舎には全体の3分の1ずつが入る見通しだが,残りの3分の1は模索中だ.
車いすに座ったまま表情の変化に乏しい人,話しかけられた言葉をそのまま言い返すだけの人もいて,意思の把握には時間がかかる.
GHなどに関心はあっても,差別や偏見にさらされることを恐れて,ためらう家族もいる.
「好きなように」
事件で首や腹を刺され,重傷を負った尾野一矢さん(46)も,父・剛志さん(75),母・チキさん(77)と検討を続けている.
事件の犠牲者や被害者の中で,実名で報道各社の取材に応じてきた数少ない一家だ.意思決定支援は,園や県,実家がある同県座間市の職員らが担当し,一矢さんをサポートするNPO職員で介護福祉士の大坪寧樹(やすき)さん(51)らとも話し合いを重ねている.
両親は事件後,一矢さんを頻繁に園から連れ出すようになった.
20年余り園で過ごしてきた一矢さんは当初,知らない人に会うとおびえ,興奮したが,今では,1度会った人を覚え,2度目には名前を呼んで表情を和らげる.
園以外の建物に入るのは実家でも嫌がったのに,レストランにも慣れ,好物のハンバーグを自分で指さして注文する.
多くの人とふれあえるようになり,使える単語も笑顔も増えた.殺人罪などで起訴された園の元職員植松聖(さとし)被告(29)は,
「意思疎通できない障害者はいらない」との主張を続けているが,
剛志さんは
「今の一矢を見て同じことが言えるのか」と反論する.
両親は,一矢さんが訪問介護サービスを活用し,アパートで一人暮らしをする日を夢見ている.
地域で受け入れてもらえるか,経済的にやっていけるのか.
「簡単ではないと分かっているが,一矢はそれを望んでいるように思えてならない」と剛志さんは言う.
「私たちの死後も,あの子には自分の好きなように生きてもらいたいです」
続く