とんかつ(トンカツ,豚カツ)2(世界の肉料理6) 日本の「洋食」の代表「豚カツ」は,無限とも言えるバリエーションを生み出し,その内のカツ丼,カツカレーも世界的に人気のある料理になっています.石毛直道氏によれば,「天ぷらの伝統に則って大量の油脂で揚げるディープフライの料理」に改変し,「ステーキと同じ厚さにしても内部まで熱が通る技術」をほこり,「一口大に切ることで箸で食べられるようにすることで,トンカツは日本国籍を得た」

日本の「洋食」(明治の末〜大正期に町のコックがくふうして生み出した日本式西洋料理)の代表といってよい豚カツ.

https://en.wikipedia.org/wiki/Tonkatsu

その後の改良もあってか今や世界的にも人気が高まり,2024年のTasteatlasの肉料理評価ランキングでは,世界で92位.日本肉料理の中では3位の評価を受けています.

そして,Tasteatlasの解説にあるように「他の食材と組み合わせると,ほぼ無限ともいえるバリエーションの料理に変身」することができ,バリエーションであるカツ丼,カツカレーも,それぞれ101位(日本肉料理5位),130位(日本肉料理では6位)に.

https://www.tasteatlas.com/meat-dishes

 

カツ丼がいつ頃,どこで生まれたかについては諸説あるようですが,大正時代には提供する店が現れたようです.

https://www.nikkei.com/article/DGXZZO17006300Z20C17A5000000/

カツカレーもその原形は大正期に生まれたと考えられていて,

https://www.oya-bunko.or.jp/magazine/introduction/tabid/987/Default.aspx

大正期の日本の文化的活力が,このような所からも知ることができます.

 

Tasteatlasによるそれぞれの解説は,次の通り.

それぞれしっかり解説されていると思いますが,カツカレーの肉が関西では牛肉というのは本当でしょうか.私は知りませんでしたが---

 

カツ丼は丼物のひとつで,煮込んだ具材を乗せたご飯料理です.トッピングには日本人が大好きなとんかつが使われています.とんかつは,豚肉の薄切り肉をパン粉を付けて揚げたものですが,ここでは,卵でとじた味付けソースで野菜と一緒に煮込んであります.

この料理に関する最も古い記録は1921年にまで遡り,それ以来,オリジナルレシピの具材を追加したり入れ替えたりして,数多くの種類が開発されてきました.最も有名なのは,ウスターソース,味噌,醤油を使ったカツ丼ですが,豚肉を牛肉や鶏肉に置き換えたものもあります.

 

 

カツカレーは,とんかつ(豚肉または鶏肉のパン粉を付けて揚げたカツレツ)とカレーソースを組み合わせた日本のカレーのバリエーションです.この料理は,カレーソースのみで供されることもあれば,肉や野菜を含むフルカレーで供されることもあります.

一方,ご飯と一緒に,またはご飯にかけられて供されることがほとんどです.関西地方では,鶏肉や豚肉の代わりに牛肉のカツレツが一般的です.

 

 

このような豚カツについて,昨日は日本政府によるまとめの記事を転載しました.

今日は,石毛直道氏の「日本の食文化(岩波書店)」から,豚カツについての部分を転載します.「日本の食文化」は日本人の食の有りようを見事にまとめた一冊ですが,豚カツについての記述も素晴らしいと私は思っています.

「テンプラの伝統にのっとって,大量の油脂をいれた深い揚げ鍋のなかで衣をつけた肉が泳ぐようにして揚げるディープ・ フライ (deep fry)の料理に」

「ステーキとおなじくらいに厚切りにしたブタのヒレ肉やロース肉を,内部まで熱が通るように揚げる技術を誇った.」

「揚げたトンカツをまな板のうえで一口大に切って供し,客はこれを箸で食べたのである.

箸で食べる食べものとなったことによって,トンカツは日本国籍を得て,以後,日本料理の宴会にも供されるようになった」

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石毛直道「日本の食文化」 岩波書店 pp285-288

日本料理となったトンカツ

二〇世紀になってから流行した,あたらしい揚げ物料理が「トンカ ツ」である.仔ウシやヒツジの切り身にパン粉をまぶしてつくる料理を,英語で「カットレット (cutlet)」という.これが,なまってカツレツというようになり,豚肉のカツレツが普及すると,略してトンカツとよぶようになった.

カットレットや,ドイツやオーストリアのシュニッツェルのような西欧の肉料理は,仔ウシ肉や仔ヒツジ肉,豚肉の薄切りをたたき,コムギ粉をまぶして溶き卵をつけ,パン粉をまぶしてから,バターやラードをフライパンにいれて焼く. トンカツのような揚げ物料理ではなく,「シャロウ・フライ (shallow fry)」 といって,少量の油脂で焼きつけて加熱するのが定法である.

明治初期の西洋料理の本にカツレツが紹介されているが,二〇世紀にさしかかる頃,日本化した洋食として,ポークカツレツが東京の洋食店で流行するようになった.これは,テンプラの伝統にのっとって,大量の油脂をいれた深い揚げ鍋のなかで衣をつけた肉が泳ぐようにして揚げる「ディープ・ フライ (deep fry)」の料理に変化してしまった.バターではなく,牛肉にはヘッド,豚肉にはラードがもちいられ,テンプラとおなじくゴマ油で揚げる店もあった.

明治二八(一八九五)年に,銀座の西洋料理店「煉瓦亭」では,キャベツのせん切りを添えたトンカツをポークカツレツという名称で供したという.トンカツという名称は,大正一〇(一九二一)年に, 新宿の「王ろじ」という店からはじまったという.

一九二〇年代には,東京の下町に豚カツ専門店が何軒も誕生した.トンカツ専門店では,ステーキとおなじくらいに厚切りにしたブタのヒレ肉やロース肉を,内部まで熱が通るように揚げる技術を誇った.揚げたトンカツをまな板のうえで一口大に切って供し,客はこれを箸で食べたのである.

箸で食べる食べものとなったことによって,トンカツは日本国籍を得て,以後,日本料理の宴会にも供されるようになったのである.トンカツには,キャベツのせん切りと,伝統的な和カラシを添えるのが定法となった.これは,西洋のマスタード(洋カラシ)とはことなるものである.

トンカツやコロッケには,既製の国産ウスターソースをじゃぶじゃぶかけた.当時の日本人にとって,ウスターソースは西洋の醤油にあたる調味料と考えられ,醬油が万能の調味料であるように,西洋料理には,なんでもウスターソースをかけて食べたのである.

トンカツ屋の後を追ってできたのが,串カツ屋である.大正一二(一九二三)年,神戸に最初の串カツ専門店ができ,その後,大阪を中心に大衆的居酒屋兼串カツ店が流行するようになった.関西流の 「串カツ」の特色は,豚肉だけではなく,牛肉,鶏肉,魚,エビ,貝,野菜,コンニャクなど,なんでも小さな串に刺してパン粉をつけて揚げてしまうことにある.

かつての家庭では,パン粉をつけた揚げ物料理であるトンカツやコロッケは,近所の肉屋がつくったものを買ってきて食べた.一九六〇年代になると,植物油で揚げるだけの半製品のトンカツが売り出され,家庭でよくつくられるようになった. トンカツ専用のトンカツ・ソースが生産されるようになり,家庭の食卓の必需品となっている.

名古屋周辺では,八丁味噌を使用したたれをかけた味噌カツの人気がたかいが,これはトンカツの郷土料理化である.

トンカツから派生した料理に,カツ丼,カツカレーがある.また,トンカツづくりの技術を適用した料理に,牡蠣フライとエビフライがある.パン粉をまぶしたカキやエビを大量の植物油で揚げる料理は,海外にない日本起源の洋食である.ながいあいだ,トンカツと同じくウアスターソースをつけて食べたが,現在ではタルタルソースで食べることが普及しつつある.トンカツとカキフライ,エビフライは,海外の日本料理店でも人気の料理となっている(1)

 (1)岡田哲「トンカツの誕生—明治洋食事始め」講談社

 

 

 

とんかつ(トンカツ,豚カツ)1(世界の肉料理5) Tasteatlasの肉料理評価ランキングでは,92位.日本の肉料理の中では3位.19世紀末に西洋の影響を受けた日本料理である洋食の一種として登場しました.時代とともに,とんかつはますます日本化され,大衆に広く浸透し,よりポピュラーな料理となりました.その一翼を担ったのは「ポークカツレツ」の生みの親,銀座の煉瓦亭.とんかつは他の食材と組み合わせると,ほぼ無限ともいえるバリエーションの料理に変身します.

日本の料理の評価が高まるにつれ,肉料理も注目されるようになりました.

今まで取り上げた外国人にも人気の,チャーシュー,唐揚げ,ジンギスカンは,中華料理起源と考えられますが,ヨーロッパ起源の人気肉料理としては,とんかつ(トンカツ,豚カツ)があげられます.

https://en.wikipedia.org/wiki/Tonkatsu

 

2024年のTasteatlasの世界の肉料理評価ランキングでは,92位.

日本の肉料理の中では3位の評価を受けています.

https://www.tasteatlas.com/meat-dishes

 

Tasteatlasによる解説は次の通り.

https://www.tasteatlas.com/tonkatsu

Tonkatsu

(豚カツ, とんかつ, トンカツ, Pork Katsu)

パン粉を付けて揚げた豚肉のカツレツであるとんかつは,歴史の浅い日本料理です.19世紀末に西洋の影響を受けた日本料理である洋食の一種として登場しましたが,時代とともに,とんかつはますます日本化され,大衆に広く浸透し,よりポピュラーな料理となりました.

トンカツはそれ自体が料理ですが,他の食材と組み合わせると,ほぼ無限ともいえるバリエーションの料理に変身します.サンドイッチにしたり,ラーメンやご飯と組み合わせたり,名古屋風に濃厚な味噌ダレをかけたり,カツカレーのようにカレーと組み合わせたりします.

このような人気の結果,ハム,牛肉,ひき肉,鶏肉などを代用した多くの揚げ物料理が開発されました.

とんかつはスライスされ,千切りキャベツとともに皿に盛られます.ご飯と味噌汁は別々の器に盛り付けられ,漬け物と柑橘系のソースは皿の横に添えられます.

欠かせない要素は,伝統的にはソースと呼ばれる濃厚なウスターソースの一種,またはマスタードです.

 

 

英語による豚カツの紹介も沢山ありますが,上記Tasteatlasのものは例外的に外国人の執筆で,その他の「Tonkatsu 」の紹介は,英語で書かれていても日本人の手によるものが大部分です.

92位のランクとはいえ,Karaage,Chasu等に比べ,外国人への知名度はまだ低いのかな,などと思わされますが---

 

「Tonkatsu 」の日本人による英語での紹介の代表は,その歴史について記載した日本政府の手による紹介.今日の稿の最後にDeepL翻訳で掲載します.

とてもしっかり書かれていますが,1つ気になるのは,豚カツが,銀座煉瓦亭一軒による発明のように書かれている点.確かに煉瓦亭が様々な工夫をしたことは確かで,メニューに初めてポークカツレツをのせたのも煉瓦亭でしょう.しかし煉瓦亭からトンカツが広まっていったという証拠は示されていませんし,それを物語るエピソードもネット上には見当たりません.同時多発的に生まれ広まっていった可能性も大かと思います.

 

もう一つ気になるのは,「とんかつ」の起源を,フランスの「côtelette de veau」としている点.

なぜなら,「côtelette de veau」をグーグル検索すると,骨付き肉をそのまま焼いたものばかりで,パン粉を付けたカツレツ(英語ではBreaded cutlet)の画像は得られない!

明治期は分かりませんが,少なくとも現代では,フランスでのBreaded cutletは,Escalope(エスカロープ)と呼ばれる,多くの場合より薄い肉(時には中に詰め物も入れた)を揚げたものになっているようです.

ただし,よく知られているミラノ風カツレツをはじめ,ヨーロッパには,沢山の種類のBreaded cutletがあり,それぞれ人気があるようで,その料理法の起源はフランスということかもしれません.そして,現代のフランスではやや廃れた料理法になっている?

https://www.google.com/search? côtelette de veau

https://www.google.com/search? escalope

ヨーロッパのパン粉をつけて揚げたBreaded cutlet様々.

https://en.wikipedia.org/wiki/Schnitzel

https://en.wikipedia.org/wiki/Veal_Milanese

https://en.wikipedia.org/wiki/Escalope

https://en.wikipedia.org/wiki/Cachopo_(dish)

https://www.divinacocina.es/hacer-filetes-empanados-perfectos/

 

それでは,少し長くなりますが,日本政府による「Tonkatsu」の紹介を引用します.

 

The Roots of Tonkatsu: A Delicious Fusion of East and West

https://www.gov-online.go.jp/eng/publicity/book/hlj/html/201810/201810_08_en.html

とんかつのルーツ:東西の美味なる融合

一般の人々に広く愛されているパン粉を付けて揚げたトンカツは,もともと西洋のレシピを日本風にアレンジした料理のひとつで,この場合はフランスの子牛肉のカツレツ(仏:côtelette de veau)でした.日本で初めてメニューに載せたレストランによるとんかつの歴史をご紹介します.

 

明治時代(1868年~1912年)に始まり,近代国家として急速な発展を遂げた日本は,その過程で西洋から多くの食文化を取り入れました.その頃に日本に伝わった西洋料理のひとつに,仔牛肉のカツレツをパン粉を付けてバターで揚げたフランス料理のコートレットがありました.

1895年に銀座で開業し,現在も営業を続ける西洋料理店「煉瓦亭」は,この調理法ではカツが油っぽくなりすぎて,日本人の好みに合わないと考えました.そこで,煉瓦亭は日本の伝統料理である天ぷらの技法を取り入れ,パン粉をまぶしたカツをフライパンで焼くのではなく,大量の油を入れた鍋で揚げるという方法を採用しました.こうして誕生したのがとんかつです.衣がサクサクとして軽くなり,日本人の口により合うようになりました.衣に使うパン粉も,古いパンから柔らかいフレッシュなパン粉に変わり,天ぷら風に肉全体にパン粉をまぶすことで,より柔らかくなり,美味しくなりました.また,仔牛肉の代わりに比較的安価な豚肉の部位が使われるようになりました.とんかつは1899年に「ポークカツレツ」という名称で煉瓦亭のメニューに登場しました.

 

煉瓦亭のとんかつは,時代の好みに合わせて進化を続けました.調理人の不足に対処するため,肉に添えていた手切りのかぼちゃやじゃがいもを,細かく刻んだキャベツで代用しました.また,独自のデミグラスソースを,2種類の輸入ウスターソースを混ぜ合わせたソースに置き換え,日本人好みのすっきりとした酸味のある味を生み出しました.

 

スタッフ不足が主な原因で進化を遂げたにもかかわらず,とんかつは,今ではすっかり愛される定番メニューとなった和風洋食の素晴らしい一例です.また,とんかつは,まったく新しい料理の数々を生み出すきっかけにもなりました.とんかつをサンドイッチの具材として使用したカツサンドや,客の要望に応えるためにシェフがこっそりとメニュー外の品を作った結果生まれたカツカレーなど,とんかつから派生した奇抜な料理は数多くあります.

 

「最も大切なのは,お客様が懐かしく,親しみのある味だと感じてくださることです」と,四代目店主の木田浩一郎氏は語ります. レシピは,実際には特定の時代のニーズに合わせて改良を重ねた結果ですが,れんが亭の目標は,時代を超えた味のトンカツを提供することです.

 

例えば,木田氏は品種改良により,現在使用されている豚肉は明治,大正,昭和の時代に利用されていたものよりも質が向上していると主張していますが,品質が向上しても味は変わらないべきだと述べています.完璧なとんかつを揚げる秘訣について尋ねられた料理長の正木氏は,昔の味と現代のニーズのバランスを取っていると答えました.

 

「使用済みの油は捨てずに保存して,より深い味わいを引き出します.また,肉の片面だけに塩と胡椒を振りかけ,一晩冷蔵庫で寝かせることで,うま味と柔らかさを引き出します.これらの技術は,れんが亭の創業以来,変わっていません.一方で,豚ロース肉の脂身を取り除いてヘルシーにするなど,時代の流れに沿った工夫もしています」と説明してくれました.

 

明治時代には関東でも養豚が盛んになりましたが,肉はまだ庶民には高嶺の花で,なかなか手に入らないものでした. そして,結果的に,仔牛の骨付き肉料理は日本人の口には少し脂っこすぎました.しかし,試行錯誤の末に,煉瓦亭はとんかつを生み出しました.とんかつは,家庭で調理される料理として,また外食の人気メニューとして,100年以上にわたって多くの人々に愛され続けています.

 

 

 

 

ジンギスカン(世界の肉料理4) ジンギスカン(料理)の品質の評価がとても高く,Tasteatlasの世界の肉料理ランキングでは,全体の11位,日本の肉料理の中ではトップにランクされています.「ジンギスカンは,羊肉または子羊肉のグリル料理で,北海道の名物です.この料理は,凸型の鉄板を使ってテーブルで調理します.---」起源については諸説あるようですが,日本の満州進出などを機に,中国の烤羊肉から着想を得たものが日本人向けに改良され,現在の形となったものとみられます.

札幌の名物料理であり,現在では,各地の町おこし等にも取り入れられているジンギスカン

https://ja.wikipedia.org/wiki/ジンギスカン_(料理)

世界的にその品質の評価がとても高く,Tasteatlasの世界の肉料理ランキングでは,全体の11位,日本の肉料理の中ではトップにランクされています.

https://www.tasteatlas.com/meat-dishes

Tasteatlasによる解説は次の通り.

Jingisukan

(ジンギスカン, Genghis Khan, Genghis Khan Mongolian BBQ)

https://www.tasteatlas.com/jingisukan

ラム肉料理 マトン肉料理

ジンギスカン

(Jingisukan, Genghis Khan, Genghis Khan Mongolian BBQ)

ジンギスカンは,羊肉または子羊肉のグリル料理で,北海道の名物です.この料理は,凸型の鉄板を使ってテーブルで調理します. 客にはスライス肉が提供され,肉はプレーンまたは漬け汁につけたもののどちらかです.そして,玉ねぎ,キャベツ,ねぎ,ピーマンなどのさまざまな野菜と一緒に,自分で肉を焼くよう勧められます.

一般的な付け合わせには,醤油ベースの特製調味料,チリソース,おろしニンニクなどがあります.

羊肉を日本で食べるようになったのは,1918年に政府が羊の牧場を推進したことがきっかけですが,その習慣は北海道にのみ残り,ジンギスカン料理専門店は北海道以外にも見られるものの,この料理は北海道,特にその中心都市である札幌で今でも人気です.

ジンギスカンという名称は,モンゴル帝国創始者チンギス・ハーンに由来すると言われています.名称の由来については諸説ありますが,最も有力な説は,鉄板の凸状の形が戦士の帽子に似ていること,またモンゴル人が羊を好んで食べていたことで知られていたことが影響しているというものです.

日本国外では,台湾,中国,タイでもこの料理が食べられています.

 

日本人から見ても,しっかり解説されていますね.

帽子型のジンギスカン鍋と共に特製醤油ベースのタレがジンギスカンの味を決めているように思いますが,ウィキペディアによれば,「タレには醤油,味噌,砂糖,リンゴ果汁,ショウガ,ニンニク,ごま油などが配合される」

https://ja.wikipedia.org/wiki/ジンギスカン_(料理)

とあります.

気になるのは「台湾,中国,タイでもこの料理が食べられています.」という部分.

それぞれの国でのラム/マトン料理を調べてみました.確かにそれぞれの国で,ラム/マトンは名物料理としてあるようですが,日本のジンギスカンとはかなり違うことが,その画像からうかがえます.

最も似ているのは台湾の「モンゴルバーベキュー」かと思いますが,かなり新しい料理で,1951年に考案されたとのこと.

https://en.wikipedia.org/wiki/Mongolian_barbecue

https://www.google.com/search? chinese grilled mutton

https://www.asiaculturaltravel.co.uk/inner-mongolian-cuisine/

https://www.marionskitchen.com/thai-style-panang-grilled-lamb-cutlets/


ジンギスカンの起源については,諸説あるようですが,日本語版のWikipediaが,引用文献もかなりしっかりしていて,信用できそうなので,以下一部を改変引用します.

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/ジンギスカン_(料理)

ジンギスカンの歴史

ジンギスカン料理の起源自体は,現在の中華人民共和国に当たる地域にあるとされ,日本陸軍満州(現中国東北部)への進出(1931年)などを機に,中国の烤羊肉から着想を得たものが日本人向けに改良され,現在の形となったものとみられる.なお,烤羊肉は現在の北京では羊肉だけではなく牛肉も使う炙子烤肉として普及している.

「成吉斯汗鍋」(じんぎすかんなべ)という言葉が初めて掲載されたのは1926年(大正15年)の『素人に出来る支那料理』で,支那(中国)在住の日本人が命名したもので「本当の名前は羊烤肉と云う回々料理」とあり,当時のものは屋外で箱火鉢や鍋に薪の火をおこし,上に金網や鉄の棒を渡して羊肉をあぶり,現地の醤油をつけて食べた「原始的な料理」としている.

 

 

なお,ジンギスカンについて,論文としてまとめた記事がネット上にありました,その要約部分を以下に引用します.

 

From Chinese food to Japan’s Hokkaido heritage: The transformation of the grilled mutton or lamb dish ‘Jingisukan’

中華料理から日本の北海道遺産まで:羊肉または子羊肉のグリル料理「ジンギスカン」の変遷

https://routledgeopenresearch.org/articles/3-2

Kazuhiro Iwama

要約

ジンギスカンは,中央が凸状に盛り上がった独特の形状の鍋を使い,羊肉や野菜を焼く料理です.

この料理は,中国で人気の高い「羊肉のグリル(烤羊肉)‘Kao Yang Rou’ (grilled mutton),」を起源とし,北京で日本人が発見し,改良を加えたことで,独特の名称「ジンギスカン」が生まれました.その後,満州国として知られる中国東北部の日本人社会に伝わり,満州国の名物料理として知られるようになり,日本軍にも重宝されました.

第二次世界大戦後の敗戦により,ジンギスカンは北海道の郷土料理となり,2004年には「北海道遺産」に認定されました.ジンギスカンが日本で広く普及した背景には,ジンギスハーンGenghis Khanとジンギスカンが関連付けられていることが挙げられます.

 

本研究では,ジンギスカンを「植民地料理」の一種と捉え,イギリス料理のカレーなどを例に比較しながら,その普及の過程を明らかにします.さらに,この料理を評価するのが難しい「遺産」と捉え,第二次世界大戦後の日本人がジンギスカン帝国主義の関連性をどのように認識し,それを北海道の郷土料理へと変容させていったかを検証しています.

 

ジンギスカン第二次世界大戦後に広く普及し,当初は中華料理と認識されていました.この関連性は,日本帝国が戦前・戦中に影響力を拡大していた中国本土への郷愁を呼び起こします.北海道では,ジンギスカンは屋外での食事として特に好まれるようになりました.1960年代には,海外から羊肉が輸入されるようになり,ジンギスカンは全国的に知られるように.同時に,ジンギスカンは札幌や北海道全体の観光名所として積極的に宣伝されるようになりました.

 

 

 

世界で人気の日本肉料理/Tasteatlas “Meat dishes in the world” トップ500以内の日本の肉料理(世界の肉料理3)  「TasteatlasのよるMeat Dishes in the World」ランキングで,唐揚げは28位,チャーシューは188位にランキングされていますが,日本の肉料理として取り上げられているのは,この2つだけではありません. 500位以内のものを取り出すと,19種類の料理がランクインしていました.この19種を表にして掲載しました.

外国人にも人気の「日本の肉料理」として,

チャーシュー(Chashu)

https://www.tasteatlas.com/chashu

https://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2024/12/29/235808

 

唐揚げ(Karaage)

https://www.tasteatlas.com/karaage

https://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2025/01/03/235716

 

を取り上げてきました.

「外国人にも人気」の根拠は,主に,「TasteatlasのよるMeat Dishes in the World」ランキング

https://www.tasteatlas.com/meat-dishes

にもとめました.

 

唐揚げは28位,チャーシューは188位にランキングされていますが,日本の肉料理として取り上げられているのは,この2つだけではありません.

500位以内のものを取り出すと,19種類の料理がランクインしていました.この19種を表にして掲載して,今日のブログを閉じたいと思います.

入るかなと思われる料理は,ほぼ網羅されているかと思います.

(和牛ステーキなど入っても良いと思われますが,料理というより肉そのものの善し悪しの評価なので,Tasteatlasでは,「肉用の品種」ランキングの対象となっていて,ここではwagyuは世界第2位にランクされていましたhttps://www.tasteatlas.com/cattle-breeds

ただ,順位は私の好みとかなり違いますが,皆様はどうでしょうか?例えば,ジンギスカンが日本の肉料理のトップ?すき焼きは低すぎない?等々.

なお,「このランキングをどのようにして決めているか」という重要な点をまだ調べていません.分かりましたら,いずれ掲載したいと思います.

https://www.tasteatlas.com/meat-dishes

 

 

 

鶏の唐揚げ/空揚げ/から揚げ/Karaage(世界の肉料理2) Karaageは,日本人だけではなく,外国人にも人気の肉料理で,Tasteatlasの「世界の肉料理ランキング」で28位にランクされています.中華料理店で普及したものが家庭料理となり,今は全国の居酒屋,コンビニの定番料理,さらには唐揚げ専門店も急激に増加しています.中華の鶏の揚げ物(炸鸡)との違いは,つけ汁の味付け,鶏肉のカットのしかた,揚げるときの衣にあります.

日本で大人気の鶏の唐揚げは,外国人にもよく知られる「日本の肉料理」となっています.

例えば,Tasteatlasの「世界の肉料理ランキング」では,Karaageは,なんと28位!

https://www.tasteatlas.com/meat-dishes

https://www.tasteatlas.com/karaage

年末に取り上げたChasyu(チャーシュー)も外国人に人気ですが,同じTasteatlasの「世界の肉料理ランキング」で187位.

https://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2024/12/29/235808

今や唐揚げは日本だけでなく,世界を制する勢い!?

 

日本の唐揚げの歴史について,英語版ウィキペディアは次のように記載しています.

他のサイトの記述ともおおよそ合っているように思います.ただ,唐揚げ人気は,大分県からというのは,関東に住むものにとってはかなり疑問.何十年も前から,若者・子供の唐揚げ人気は絶大でしたが,当時,宇佐や中津の唐揚げは全く知りませんでしたから.宇佐や中津が現在急激に数を増やしつつあり唐揚げ専門店の先駆けとなったというのならわかります.

 

Karaage

https://en.wikipedia.org/wiki/Karaage

歴史

唐揚げ(空揚げ/から揚げ)と呼ばれる揚げ物のスタイルに関する最初の言及は,17世紀末の元禄時代にありましたが,鶏の唐揚げは,1930年代に「中華風」レストランの料理(唐揚と表記し,唐は唐を意味する)として普及しました.

唐揚げという言葉は修飾語句を伴わない場合,通常は鶏肉の唐揚げを指します.これは,第二次世界大戦後に家庭でから揚げを作るのが一般的になって以来,最も一般的な調理法です.

戦後のから揚げ人気は,大分県宇佐市中津市で始まったと言われています.毎年開催される中津市の「からあげ祭り」には,60店以上の店舗が参加し,それぞれ独自のからあげを提供しています.「中津からあげ」を名乗る店舗は日本全国で見られます.

 

「中華風」レストランの料理として普及という記述は納得です.唐揚げは中華料理だとばかり思っていましたから.チューシューと同じですね.

実際,中国台湾にも鶏の揚げ物が何種類もあります.

いくつかの例を示すと:

https://www.tasteatlas.com/crispy-fried-chicken

https://www.tasteatlas.com/orange-chicken

https://www.tasteatlas.com/taiwanese-popcorn-chicken

 

これらの中国台湾の鶏の揚げ物(炸鸡)と日本の唐揚げの違いについて,GoogleAIは次のようにまとめてくれました.参考文献としてあげられているのは次の記事です.

https://www.japantimes.co.jp/life/2021/03/20/food/fried-chicken-kara-age-zangi/

https://sakura.co/blog/karaage-the-story-of-japanese-fried-chicken#

https://www.food.com/recipe/chinese-style-fried-chicken-381962

https://www.thecookingguy.com/recipes/japanese-fried-chicken

https://japan.recipetineats.com/japanese-fried-chicken-karaage-chicken/#

https://medium.com/@gurashii/fried-chicken-vs-karaage-what-s-the-difference-ecbae652faf1

https://www.youtube.com/watch?v=3SCZZmqlT_o

https://en.wikipedia.org/wiki/Karaage

 

中国のフライドチキンは日本のフライドチキンとどこが同じで,どこが違いますか?

What is the same and what is different about Chinese fried chicken and Japanese fried chicken?

https://www.google.co.jp/search? What is the same and what is different about Chinese fried chicken and Japanese fried chicken?

(グーグルAIによるまとめ)

中国フライドチキンと日本の唐揚げ(英語ではKaraageとして知られています)はどちらも鶏肉を揚げたものですが,大きな違いは漬け汁(marinade マリネ)にあります.日本のからあげは通常,生姜,酒,みりんなどの材料を使ったあっさりとした風味豊かな漬け汁を使用するのに対し,中国フライドチキンには,醤油を多く使った濃厚で風味豊かなソースがかけられ,地域によってはさらにスパイスが加えられることもあります.また,日本の唐揚げは通常,一口大の小さめの鶏肉を使い,中国フライドチキンよりも薄めの衣が使われます.

類似点:

調理法:どちらも鶏肉をつけ汁につけてから揚げます.

基本材料:どちらもつけ汁の共通の材料として醤油,にんにく,生姜を使用します.

相違点:

漬け汁の味付け:日本風唐揚げは,酒やみりんを加えるため,より甘く繊細な風味になりがちです.一方,中華風フライドチキンは,醤油を多く使用するため,より塩辛くしっかりとした風味になることが多いです.

鶏肉のカット:日本のから揚げは,通常,鶏のもも肉の小ぶりの肉片を使用しますが,中国フライドチキンは,鶏のさまざまな部位の大きな肉片を使用することがあります.

衣:日本のから揚げは,小麦粉と片栗粉を混ぜ合わせた薄めの衣をまとっていることが一般的ですが,中国のから揚げは,コーンスターチを多く使った厚めの衣をまとっていることがあります.

 

最後に改めて,日本のKaraage についてのtasteatlasの解説を掲載しておきます.

 

https://www.tasteatlas.com/karaage

Karaage日本

4.5

(唐揚げ,空揚げ,から揚げ,ドライフライ

唐揚げは,別名「dry-frying 空あげ」とも呼ばれ,さまざまな食材をまず片栗粉で薄くコーティングし,その後揚げるという日本の調理法です. 片栗粉を使うことで,揚げ物の自然な水分が保たれ,外側の表面がカリッとした仕上がりになりますが,小麦粉,タピオカ,または片栗粉など,他のコーティング材料を使うこともできます.

から揚げは,さまざまな肉や魚を揚げるのに使われますが,最もよく知られているのは鶏肉を使ったもので,鶏肉を日本酒,醤油,砂糖を混ぜ合わせたものに漬け込み,片栗粉を薄くまぶして揚げる「竜田揚げ」と呼ばれる特別な調理法もあります.

この調理法により,肉は内側はジューシーに,外側は特にクリスピーに仕上がります.特に指定がない場合,から揚げは通常,鶏肉のから揚げを指しますが,鶏肉以外にも,アブラコ(カレイ),イカ,ゴボウなどの食材にこの調理法が用いられることもあります.

日本のから揚げ料理は,通常,ニンニクと生姜で味付けされ,醤油を添えて供されます. から揚げは,日本の居酒屋と呼ばれるカジュアルな飲食店で定番のメニューであり,仕事帰りの一杯や軽食に最適な場所ですが,揚げたてをテイクアウトできる店も数多くのスーパーマーケットやコンビニエンスストアにあります.

 

 





あらたまの年,年立つ,新年(にいどし)を詠んだ短歌2  今日はご近所の龍口寺,常立寺,諏訪神社へ初詣.  年の立つあかとき起きの星かげに堅き雪ふみて心ととのふ 中村憲吉  新年(にひどし)の新日(にひひ)来にけりと長寝(ながね)よりさめてぞ一人酒瓶(みか)の酒のむ 尾山篤二郎  あたらしき年を迎へて平凡といへども我はしづかに居たし 鹿児島寿蔵  追ふべくもなき時ゆきて老(おい)づきし日をつむために年改まる 佐藤佐太郎  すすき野の冬のさびしさあたたかさ音なく人なく年新たなり 馬場あき子

正月二日.

今日はご近所の,龍口寺,常立寺,諏訪神社へ初詣.

https://www.google.co.jp/maps

 

龍口寺は,日蓮の弟子・日法が室町時代初期に日蓮「龍口法難」の刑場跡に草庵を開いたことに由来しています.

https://shonan-el.co.jp/rekishitansaku/200627-rekishi/

https://www.yoritomo-japan.com/gyoji-maturi/botamoti3.htm

https://temple.nichiren.or.jp/0061029-ryukoji/

その後,篤信者であった島村采女が慶長6年(1601)に土地を寄進したことで,諸堂・境内地が整い,現在まで連綿と法灯を継承しています.

日蓮は文永8年(1271)9月12日の夜に,「龍ノ口」で鎌倉幕府の命令で処刑されそうになりました. この出来事を「龍口法難」と呼び,毎年9月11日~13日を「龍口法難会」として大法要が行われます.12日の夜には万灯が奉安され,門前には夜店が並び,法要の後に名物の「ご難ぼたもち」が堂内にまかれます.

 

実をたわわにつけた栴檀の向こうが常立寺.明治19年まで住職がいなかった龍口寺の輪番寺の一つ.

境内はとてもきれいに整備されているお寺で,坐る場所もあって,ゆっくり休むのにお薦めのお寺.しだれ梅でも知られています.

 

 

 

諏訪神社は,奈良時代に建てられたと言われる由緒のある神社.諏訪大社の御分霊をまつり,諏訪大社と同じく上社・下社があります.

こちらが上社.階段を上らないと本殿まで到達しません.本殿と言ってもとてもかわいらしいお社ですが.

 

下社の鳥居はとても立派.

お社は,上社ほど小さくありませんが,鳥居のわりには小さいように思います.

 

 

 

 

あらたまの年,年立つ,新年(にいどし)を詠んだ短歌2

(古今短歌歳時記より)

 

年かへる日に逢ふ今日か。旅にして 巷の人を出でゝ 見むとす  釈迢空 遠やまひこ

 

年の立つあかとき起きの星かげに堅き雪ふみて心ととのふ  中村憲吉 しがらみ

 

新年(にひどし)の新日(にひひ)来にけりと長寝(ながね)よりさめてぞ一人酒瓶(みか)の酒のむ  尾山篤二郎 まんじゅしゃげ

 

あたらしき年を迎へて平凡といへども我はしづかに居たし  鹿児島寿蔵 麦を吹く嵐

 

水仙を挿せる李朝(りてう)の徳利壺かたへに据ゑて年あらたなり  吉野秀雄 寒蝉集

 

追ふべくもなき時ゆきて老(おい)づきし日をつむために年改まる  佐藤佐太郎 形影

 

年明けの星みな青く静けくて長き夜道の果に垂れたり  宮柊二 多く夜の歌 

 

水平線(うみのうえ)深紅に染めて新年は海より来たる希望(のぞみ)の帆はらみ  赤尾鈴子 甲斐の国うた日記

 

新年の岩おこしゐる山人(やまびと)ら掛け声さやに陰処(ほと)(ほ)むる唄  前登志夫 霊異記

 

すすき野の冬のさびしさあたたかさ音なく人なく年新たなり  馬場あき子 月華の節

 

 

 



 

 

あらたまの年,年立つ,新年(にいどし)を詠んだ短歌1  今年の初詣は藤沢遊行寺へ行つて来ました. かくのみや息づきをらむあらたまの来経行(きへゆ)く年の限りしらずて 山上憶良  新しき年の初めはいや年に雪踏み平(なら)し常かくにもが 大伴家持  あら玉の年の三年を待ちわびてただ今宵こそ新枕すれ 在原業平  年明くるあしたの日ざし届きけり雪に埋もるる谷々の家 島木赤彦  今しいま年の来(きた)るとひむがしの八百(やほ)うづ潮に茜かがよふ 斎藤茂吉

元旦の今日は,藤沢遊行寺—正式名称は藤沢山(とうたくさん)無量光院清浄光明寺に初詣に行って来ました.

遊行寺は,時宗の総本山.

http://www.jishu.or.jp/yugyouji-engi/fujisawa/

藤沢の地では,宗派を超えて大きな役割を持っていて,江戸時代の藤沢宿は,この遊行寺門前町として発展し,参勤交代の大名の宿泊所としても利用されました.

遊行寺」の名前は,明日行われる箱根駅伝で名前が出るので,全国的に知られているかと思います.

https://www.yomiuri.co.jp/hakone-ekiden/course/

 

本堂斜め前のイチョウが境内のシンボルツリーになっています.

 

本堂の横にある宇賀弁財天.鎌倉の銭洗弁天ほど有名ではありませんが,同じ御利益があるとか.

信徒会館と太鼓堂.

 

 

あらたまの年,年立つ,新年(にいどし)を詠んだ短歌1

(古今短歌歳時記より)

 

かくのみや息づきをらむあらたまの来経行(きへゆ)く年の限りしらずて  山上憶良 万葉集 巻五 八八一

 

新しき年の初めはいや年に雪踏み平(なら)し常かくにもが  大伴家持 万葉集 巻一九

 

あら玉の年の三年を待ちわびてただ今宵こそ新枕すれ  在原業平 伊勢物語

 

年の明けてうき夜の夢の覚むべくは暮るともけふはいとはざらまし  慈円 新古今集

 

あらたまのとしの明け行く山かづら霞をかけて春はきにけり  順徳院 続千載集

 

年明くるあしたの日ざし届きけり雪に埋もるる谷々の家  島木赤彦 柿蔭集

 

新しき年立つ今日を広き見む遠き望まむと家出でつわれ  窪田空穂 鏡葉

 

今しいま年の来(きた)るとひむがしの八百(やほ)うづ潮に茜かがよふ  斎藤茂吉 赤光

 

 

 

年のおわり,大年,大晦日を詠んだ短歌2  大晦日の午後の鶴岡八幡宮.迎春の字が掲げられた本宮,美しい柳原神池の緋鯉と紅葉の落葉. 大年の炉火あかあかと炊きたてておもひは返る亡き母のこと 穂積忠  甃(いしだたみ)の雨の溜まりの底澄みて大つごもりの雲行き迅し 安永蕗子  ゆるやかに年の終りを湛へたる河の面とほく差す茜あり 清原令子  火のめぐり水のめぐりを浄めおり大晦日(おおつごもり)の雪は降りくる 中野照子  風をもて天頂の時計巻き戻す大つごもりの空が明るし 永井陽子 

晦日の昼間の鎌倉鶴岡八幡宮を参拝しました.

今日は,年二回行われる大祓の日にも当たっていて,舞殿の前に,お祓いを受ける方々が集まっていました.

精選版日本国語大辞典

おお‐はらい/おほはらひ【大祓】

「おおはらえ(大祓)」の変化した語。《季・夏/冬》

おお‐はらえ/おほはらへ【大祓】

①人々の罪やけがれをはらい清めるための神事。

中古には、毎年六月と一二月のみそかに、親王、大臣以下百官の男女を朱雀門すざくもん前の広場に集めて行なった。

現在でも宮中や各神社の年中行事になっている。臨時には、大嘗祭だいじょうさい、大神宮奉幣、斎王卜定ぼくていなどの事ある時にも行なわれた。中臣なかとみの祓え。おおはらい。《季・夏/冬》

 

本宮には「迎春」の文字が掲げられ,新年の参拝客への準備は万端のようです.

源氏池は,海の鳥,カモメに占領されていました.池本来の水鳥,鴨はチラホラ.

鯉の餌を狙ってきているのだと思います.

平家池を訪れる参拝客はほとんどいないので,喧騒を逃れてゆったり過ごすには最適の場所.

カルガモも,カモメにジャマされることなく,ゆったりとした時の中に浮かんでいました.

 

今日の八幡宮で,一番美しいと思ったのは,柳原神池(やないはらしんち)の緋鯉と紅葉の落葉.

 

年のおわり,大年,大晦日(おおつごもり/おおみそか)を詠んだ短歌2

(古今短歌歳時記より)

 

大年の雪は降りけりこの冬に初めて降りて積もらずして消えぬ  尾山篤二郎 清明

 

大年の炉火あかあかと炊きたてておもひは返る亡き母のこと  穂積忠 雪祭

 

この一年襲ふことなし痛風をよろこびとしておほつごもりの酒  吉田正俊 朝の霧

 

つくすべき一事を遂げし大歳ぞ去るものは疎くなりて清しき  大岡博 南麓

 

(いしだたみ)の雨の溜まりの底澄みて大つごもりの雲行き迅し  安永蕗子 藍月

 

晦日の個室に夜の雨聴けば去年より鋭くこころどどろく  滝沢亘 白鳥の歌

 

ゆるやかに年の終りを湛へたる河の面とほく差す茜あり  清原令子 繭月

 

火のめぐり水のめぐりを浄めおり大晦日(おおつごもり)の雪は降りくる  中野照子 花折峠

 

すさまじく芽立つ玉葱も馬鈴薯もくらひつくして十二月尽  石川不二子 牧歌

 

風をもて天頂の時計巻き戻す大つごもりの空が明るし  永井陽子 ふしぎな楽器

 

年のおわり,大晦日を詠んだ短歌1  今年もあと二日.夕方のニュースは,既に大晦日の内容に.  ふる年は今宵ばかりになりにけりわが身のはてもいつとしらばや 六条院宣旨  ぢりぢりと,/蝋燭(らふそく)の燃えつくるごとく,/夜となりたる大晦日かな 石川啄木  みづうみの厚き氷のひびく音をおほつごもりの夜ふけて聞く 久保田不二子  大歳の日ざし をどめる/牀(とこ)のうへ。/身を思ふ力も なくなりにけり 釈迢空  大晦日の夜まで働きつづけたる心さみしも灯(ほ)なかを帰る 中村憲吉

雲の多い少ないはあるものの,江の島では,夕焼けの見える日が毎日続いています.

年末年始も,晴れた寒い日が太平洋側では続くとの予報.

 

 

今年もあと二日.夕方のニュースは,既に大晦日の内容になっています.

 

晦日に使われている漢字「晦」.

晦日以外にはほとんど使われない字になっていますが---

「晦」一字で「みそか/つごもり=月の終わり」を表しています.

https://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2021/12/31/234721

 

旧暦では,月の終わりと月初めは新月

「晦」は特に「月のない闇夜」の意味も持つことになり,さらに「夜」「闇」「くらい」「はっきり見えない」(⇨最近はあまり見ないものの,まだ生き残っている言葉「晦渋」に使われている)という意味も併せ持つ漢字となっています.

 

角川字源

なりたち 形声(日と,音符每バイ⇂クワイとから成る)

意味

みそか.つごもり.陰暦で,月の最終日.月のないやみ夜.朔さく

❷よる.やみ.類夜.

❸くらい(くらし).類昏こん・暗.対明.→付・同訓異義.

❹はっきり見えない.類微.

❺くらます.見つけられないようにする.ごまかす.「韜晦とうかい」

❻おろか.類愚.

❼草木が枯れしおれる.

 

晦と対をなす「朔」は「毎月の一日」の意味を持ち,こちらは「はじまる」「はじめ」「あさ」の意味を併せ持ちます.

 

晦/晦日

みそか」は,「三十日」とも書かれる場合があり,「みそか」の語源とみなされています.

一方の読み方「つごもり」は,“ "月が隠れる日"すなわち「月隠〔つきごもり〕」が訛ったもので、どちらも毎月の末日を指します(ニッポニカ)”という説が有力.

日本国語大辞典は「上代の複合語形成の原則からは、ツキタチ・ツキゴモリよりもツクタチ・ツクゴモリの方が自然であり、従ってツクゴモリ→ツウゴモリ→ツゴモリという変化過程も考えられる」としていますが.

 

現代の新暦では,月日と月の満ち欠けが連動していないので,「晦」「晦日」の意味も薄れてきた様に思います.

しかし,「大晦日」だけは,一年の終わりを表す唯一の日本語として生きながらえています.

 

 

年のおわり,大晦日(おおつごもり/おおみそか)を詠んだ短歌1

(古今短歌歳時記より)

 

あらたまの年のをわりになるごとに雪も我が身もふりまさりつつ  在原元方 古今集

 

物思ふとすぐる月日もしらぬまに今年は今日にはてぬとかきく  藤原敦忠 後撰集

 

今日ごとに今日をかぎりと惜しめども又も今年にあひにけるかな  藤原俊成 新古今集

 

ふる年は今宵ばかりになりにけりわが身のはてもいつとしらばや  六条院宣旨 夫木集

 

正月(むつき)より月々ありし月のはて年のはてにもなりにけるかな  大隈言道 草径集

 

ぢりぢりと,/蝋燭(らふそく)の燃えつくるごとく,/夜となりたる大晦日かな  石川啄木 悲しき玩具

 

みづうみの厚き氷のひびく音をおほつごもりの夜ふけて聞く  久保田不二子 苔桃

 

大歳の日ざし をどめる/牀(とこ)のうへ。/身を思ふ力も なくなりにけり  釈迢空 春のことぶれ

 

晦日の夜まで働きつづけたる心さみしも灯(ほ)なかを帰る  中村憲吉 軽雷集

 

 

 




チャーシュー/Chashu と 叉燒/Char Siu (世界の肉料理1) ラーメンやおせち料理のチャーシューは,多くの場合日本風にアレンジされたチャーシュー.英語では,日本のチャーシューをChashu,中華のチャーシューをChar siuと表記してはっきり区別しています.英語のサイトから違いを改めて整理してみました. 豚バラ肉/豚肩ロース肉またはロース肉,醤油,酒,みりん,砂糖,にんにく,しょうが---/醤油,海鮮醤,米酢,八角----,煮込み/ロースト,柔らかくしっとり/しっかり・乾燥,

おせち料理には,チャーシューが欠かせなくなっていて,私も大好き一品として楽しんでいます.

以前ならば代わりに魚料理が入っていたように思いますが---

https://mi-mollet.com/articles/-/21184

https://www.kyousaimi-shop.com/SHOP/osechi-katsura.html

このチャーシュー.中華料理と思っていましたが---

実際,例えば日本国語大辞典「チャーシュー」は中華料理のチャーシューの解説になっています.

精選版日本国語大辞典

チャー‐シュー【叉焼

( 中国語から ) 中華料理で,豚肉の固まりを,しょうゆ,酒,香辛料を合わせたたれにつけて焼いたもの.焼き豚.

 

しかし,最近のおせち料理やラーメンに入っているチャーシューは,多くの場合に,—どれぐらいの割合かは定かではありませんが—,日本風に改変したチャーシューとなっているように思います.

そして,この日本のチャーシューは日本独自の料理として広く認められるようになってきています.

日本語のサイトでも日本のチャーシューは中国料理と異なると記載されるようになってきていますが,分かりやすいのは,むしろ英語のサイト.完全に別の料理として扱っています.

 

今日は英語のサイトの記事を引用して,日本のチャーシューと中国のチャーシューの違いを解説してみたいと思います.

なお,英語表記では,「Chashu」が日本チャーシュー,「Char siu」が中国のチャーシューです.

 

単純にDeepL日本語翻訳すると,どちらも「チャーシュー」とされてしまうので:

日本チャーシューは,チャーシュー(Chashu)

中国チャーシューは,叉燒(Char siu)

と記載します.

ただし,中華料理のチャーシューは英語ではChinese BBQ pork(Char siu)の表記がよく使われます.

 

チャーシュー(Chashu)とは.叉燒(Char Siu)の違いは?

チャーシュー(Chashu)とは?(原文英語,DeepL翻訳後に要約)

チャーシュー(Chashu)は,日本の煮豚の一種で,人気の麺料理であるラーメンのトッピング等として一般的に使用されています.

チャーシュー(Chashu)は中国が発祥で,中国では叉焼Char Siu)と呼ばれます.「フォークで焼く」という意味で,豚肉を串に刺して火で焼く伝統的な調理法を指します.

ラーメン,餃子,シュウマイなどとともに,19世紀後半に中国からの移民によって日本に伝えられましたが,チャーシュー(Chashu)は,日本人の味覚と調理法に合わせてアレンジされ,叉焼Char Siu)とは異なる料理となりました.

 

チャーシュー(Chashu)と叉焼Char Siu)の違いを列記すると次の通り:

チャーシュー(Chashu)は豚バラ肉から作られますが,叉燒(Char Siu)は豚肩ロース肉またはロース肉から作られます.

チャーシュー(Chashu)は醤油,酒,みりん,砂糖,にんにく,しょうが,ネギから作ったタレで煮込まれますが,叉燒(Char Siu)は醤油,海鮮醤,米酢,八角などの材料を混ぜたタレに漬け込んだ後にローストされ,照りがつけられます.

チャーシュー(Chashu)は色が濃く茶色がかっていますが,叉燒(Char Siu)は,赤みがかった色です.

チャーシュー(Chashu)は香ばしくうま味のある風味があります.叉燒(Char Siu)は甘くねっとりとした風味です.

チャーシュー(Chashu)は柔らかくしっとりとした食感.叉燒(Char Siu)はよりしっかりとした乾燥した食感.

チャーシュー(Chashu)はラーメンやご飯,サラダなどと一緒に供されます.叉燒(Char Siu)はご飯や麺,肉まんなどと一緒に供されます.

 

チャーシュー(Chashu)と叉燒(Char Siu)はどちらも美味しく食べ応えのある料理で,さまざまな方法で楽しむことができます.

しかし,両者は互いに置き換えられるものではなく,それぞれ独自の特性と魅力を持っています.

 

 

tasteatlasによる「MEAT DISHES,Best rated」では,

チャーシュー(Chashu)は187位,叉燒(Char Siu)は109位にランクされています.

https://www.tasteatlas.com/meat-dishes

https://www.tasteatlas.com/best-rated-meat-dishes-in-the-world

それぞれの解説は次の通り:

 

https://www.tasteatlas.com/chashu

187

豚肉料理

チャーシュー(Chashu)

(チャーシュー,焼豚,Nibuta,Chāshū)

日本

チャーシュー(Chashu)は,醤油と酒の伝統的な風味が効いた,日本の定番料理である,じっくり煮込んだ豚バラ肉です.この料理は平らな豚バラ肉で作ることもできますが,より洗練されたバージョンを作るために肉を巻いて,より均一に火を通すこともできます.

豚バラ肉を,醤油,みりん,酒,砂糖を混ぜ合わせた香り高いタレに浸します. このタレにはさらに,スライスした生姜とネギを加え,肉は数時間かけて弱火で煮込みます.そうすることで,豚バラ肉に染み込んだ数種類の味が混ざり合い,分厚い豚バラ肉は驚くほど柔らかく,ジューシーな肉へと変化します.

皮を肉に残したままにしておくと,煮込む間にカラメル化し,少しゼラチン状になってしまい,料理の最終的な食感に影響を与えてしまいます.この日本の定番料理の名前と由来は,おそらく人気の高い中国料理char siuから来ていると思われます.

日本の伝統的な食材と組み合わせることで,日本中で食べられているシンプルなごちそうが生まれました.スライスしたチャーシュー(Chashu)はラーメンには欠かせない具材ですが,パンやサンドイッチの具として,あるいは他の麺類やご飯料理のトッピングとしても使われます.

 

https://www.tasteatlas.com/char-siu

109

Chinese BBQ pork(Char siu)

(Chinese BBQ pork, 叉燒, Cha siu, Chashao, Chasu, Char siew, Fork roasted meat)

広東省 中国

叉焼Char Siuは,醤油,海鮮醤,米酢,八角などの材料を混ぜたタレに漬け込んだ豚肉を焼いた料理です.通常,豚肉はスライスして前菜として,または細切りにしてメインディッシュとして供されます.

叉焼Char Siu)の初期には,イノシシや豚など,手に入るあらゆる肉が使われていました.叉燒という名称は,文字通り「フォークで焼いたもの」という意味で,肉を細長いフォークに刺し,直火で焼くという調理法の起源となった方法に由来しています.

叉焼Char Siu)の最も一般的な利用法のひとつは,char siu bao(チャーシューバオ)と呼ばれる蒸しパンに挟んで提供することです.叉焼Char Siu)の人気の高さを示す証拠として,2011年にCNN Goがまとめた「世界で最も美味しい食べ物50」の28位にランクインしています.

 

 

なお,ChashuとChar Siuが,それぞれ日本のチャーシュー,中華料理のチャーシューを表すことはグーグル検索でもはっきり分かります.

https://www.google.com/search? Chashu 

https://www.google.com/search? Char siu

 

 

 

 

寒しを詠んだ短歌3/冬の湘南平  相模湾見おろす冬の湘南平.さむざむと明るい光が満ちていました.  さむざむと晴れし空より最善を尽くすがごとく陽のふりそそぐ 山下陸奥  寒ざむと日のさす道につつましくしやがみて売れり福寿草の株 鹿児島寿蔵  さむざむと夕日の門にゐる犬のふと欠伸(あく)ぶとき憎くはあらぬ 宮柊二  さむき道を何時まで従(つ)きてくる犬かわれは頒けてやる倖せもたぬ 中城ふみ子  さむざむと陰を洗へるしまひ湯の底のくらみを見つめながらに 辰巳泰子

冬の湘南平までドライブ.初めは花菜ガーデンに行く予定だったのですが,公営施設は,既に年末年始の休みに入っていました.

展望台からは相模湾を一望できます.

残念ながら富士はほとんど姿を隠していました.

 

一部紅葉が残る木があるものの,ほとんどのカエデは茶色く枯れてきていました.潮風の影響もあるのでしょう.

こちらはエノキ?存在感あり.

小さな花壇にはパンジーが植えられていて,ベンチで休む方々の目を楽しませていました.

 

ここでも,山茶花が今シーズン最後の花を付けていました.

季節外れの花を付けていたツツジ

今シーズン初めて水仙を見ました.出会うと嬉しい花です.

 

 

寒し・寒けし・寒さを詠んだ短歌2

(古今短歌歳時記より)

 

さむざむと晴れし空より最善を尽くすがごとく陽のふりそそぐ  山下陸奥 生滅

 

寒ざむと日のさす道につつましくしやがみて売れり福寿草の株  鹿児島寿蔵 麦を吹く嵐

 

蕗の薹の為めにひたすら恐れたる厳しき寒さ過ぎてはかなし  山口茂吉 高清水

 

竹叢の秀(ほ)のしづまりを見つつ居て苦しく寒きゆふべとなりぬ  佐藤佐太郎 地表

 

さむざむと夕日の門にゐる犬のふと欠伸(あく)ぶとき憎くはあらぬ  宮柊二 群鶏

 

この島に小女子(こうなご)の糶(せり)立つみればさむざむとして桶にあふるる  佐藤志満 白夜

 

夕映えて檜垣も汲みし白川の蓮台寺町ゆくに寒しや  安永蕗子  朱泥

 

さむき道を何時まで従(つ)きてくる犬かわれは頒けてやる倖せもたぬ  中城ふみ子 乳房喪失

 

さむざむと陰を洗へるしまひ湯の底のくらみを見つめながらに  辰巳泰子 紅い花

 

 

 

 

寒しを詠んだ短歌2/明月院・浄智寺へ冬探し 山茶花の終わった浄智寺横の道,北鎌倉の流れの横の芒は冬の風情.  川水の寒けくもあるか夕づく日たださすところにたてるさざなみ 岡麓  うつし身はかなしきかなや篁(たかむら)の寒きひかりを見むとし思ふ 斎藤茂吉  堂の扉(と)きしむ音ありて夕ちかし山の向ふに陽のゐる寒さ 吉植庄亮  さむざむと御堂の縁に端居して眼を放つ不二の明る妙はも 北原白秋  きしきしと寒さに踏めば板軋む/かへり廊下の/不意のくちづけ 石川啄木

明月院の冬の本堂後庭園では,三体のお地蔵様が迎えてくれますが---

 

本堂の前にも,とても素敵なお地蔵様が座しています.

「花想い地蔵」と名付けられています.

花想い地蔵

人ははなれしも,はかない花の思い出の中に生きています.

大切な人との別れ,いとおしい物との別れ.

そんな時,ふと目に止まつた花が,どんなに心を慰めてくれたことでしようか.

いつくしみ深き花地蔵.

 

 

 

明月院からの帰り路,線路をはさんでお向かいにある浄智寺へ.参拝はせず,外から眺めてきただけですが,

ここでは,まだ,最後の紅葉が楽しめました.

 

浄智寺の横の通りは,風情のある家々が並び,山茶花が楽しめる場所ですが---

もうほとんど咲き終わっていて,白の八重花だけを楽しむことができました.

 

北鎌倉駅の前の流れの辺の芒.こちらは冬の風情.

 

 

寒し・寒けし・寒さを詠んだ短歌2

(古今短歌歳時記より)

 

毎朝にならす硯のすみやかに手のうらさむき冬は来にけり  小沢蘆庵 六帖詠草

 

川水の寒けくもあるか夕づく日たださすところにたてるさざなみ  岡麓 朝雲

 

うつし身はかなしきかなや篁(たかむら)の寒きひかりを見むとし思ふ  斎藤茂吉 あらたま

 

堂の扉(と)きしむ音ありて夕ちかし山の向ふに陽のゐる寒さ  吉植庄亮 寂光

 

さむざむと御堂の縁に端居して眼を放つ不二の明る妙はも  北原白秋 海阪

 

きしきしと寒さに踏めば板軋む/かへり廊下の/不意のくちづけ  石川啄木 一握の砂

 

寒ければ朝寝(あさい)はしつつ日日の飲食(おんじき)の時も定まらなくに  古泉千樫 青牛集

 

昨日(さぞ)の夜より雨とみに寒し家のうちは妻子が不在(るす)の畳の広さ  中村憲吉 しがらみ

 

 

 

 

寒しを詠んだ短歌1/明月院へ冬探し  楓の多くは多くは冬姿.本堂後庭園の全景は冬を強く感じさせてくれます.  あしひきの山のあらしは吹かねども君なき宵はかねて寒しも 作者未詳/万葉集  み吉野の山の白雪積もるらし故里寒くなりまさるらし 坂上是則  ただしにも星合ひの空を眺めじな天の河風さむく吹くなり 和泉式部  ふもと行く舟人いかに寒からんくま山岳をおろす嵐に 西行  夜を寒み浦の松風吹きむせび虫明の波に千鳥鳴くなり 源実朝

今年もあと一週間を切った今日は,北鎌倉明月院へ冬探しに出かけました.

北鎌倉駅の前の円覚寺のカエデ.種類によってはまだきれいな紅葉を見せてはいましたが,多くは冬姿の枯れ木立.

明月院前も同様.

本堂へ向かう石段の両脇は紫陽花.剪定されて,来年に向けての英気を養っている?

来年一番早く咲く花木は蝋梅.まだ葉や果実が落ちきってはいませんが,今年伸びた枝には,早くも蕾が膨らんできていました.

 

「悟りの窓」からの本堂後庭園の冬景色.

 

後庭園からの「悟りの窓」

後庭園では,三体のお地蔵様が迎えてくれます.


庭園の全景は,冬を強く感じさせてくれます.

 

 

寒し・寒けし・寒さを詠んだ短歌

(古今短歌歳時記より)

 

川風の寒き泊瀬(はつせ)を嘆きつつ君があるくに似る人も逢えや  山前王 万葉集巻二 四二五

(河風の寒い泊瀬を嘆きながら君は歩いていたが、あの人と似た人に逢うとでもいうのだろうか  万葉集入門)

 

むしぶすまなごやが下に臥せれども妹とし寝ねば肌し寒しも  藤原朝臣麻呂 万葉集巻四 五二四

(柔らかなむしぶすまを掛けて寝ても、あなたが居ないと心も肌も寒いのですよ  たのしい万葉集

 

あしひきの山のあらしは吹かねども君なき宵はかねて寒しも  作者未詳 万葉集巻一〇 二三五〇

(あしひきの山のあらしは吹かねども君なき宵はかねて寒しも  万葉ナビ)

 

み吉野の山の白雪積もるらし故里寒くなりまさるらし  坂上是則 古今集

 

人心あらしの風の寒ければこのめもみえず枝ぞしをるる  伊勢 後撰集

 

たまぼこの道の山風寒からばかたみがてらにきかんとぞ思ふ  紀貫之 古今六帖

 

飛びかよふをしの羽風のさむければ池の氷ぞさえまさりける  紀友則 拾遺集

 

ただしにも星合ひの空を眺めじな天の河風さむく吹くなり  和泉式部 和泉式部

 

ふもと行く舟人いかに寒からんくま山岳をおろす嵐に  西行 山家集

 

夜を寒み浦の松風吹きむせび虫明の波に千鳥鳴くなり  源実朝 金槐集

 

河風によわたる月の寒ければ八十氏人も衣うつなり  藤原定家 拾遺愚草

 

 

 

 

枯れ芒(薄),枯れ尾花を詠んだ短歌  ビワ,ハママサカキ等の花はあるものの,冬枯れの時期.芒は最後の姿を見せています. 朽ちもせぬその名ばかりをとどめ置きて枯野の薄形見にぞ見る 西行  花すすき枯れたる野辺に置く霜のむすぼほれつつ冬は来にけり 源実朝  旅ごろも裾野のをばな霜がれてやどりし秋の露を恋ふらし 八条院高倉  枯尾花いまだ枯穂を振れる根には最早今年の芽や萌えつらむ 尾山篤二郎  垣に沿ひむらむらなびく枯尾花硝子ごしに見て思ひを凝らす 植松壽樹

江の島周辺は,午前中は晴れ間が広がり,午後になると雲が覆うという日が続いています.

昼間,買物ついでに,腰越〜片瀬漁港を回ってきました.

この時期,木々で目立つのは夏みかん

今の時期,花はとても少なくなりますが,それでも,捜せば,花を咲かせるのは今,という木々があります.

その代表の一つがビワ.実に比べて,花は目立ちませんが---

小さな木に花を咲かせていたのはハマヒサカキ.そしてトベラ

 

片瀬漁港で,よく出会うアオサギ.今日も街灯の上で休んでいました.

 

腰越漁港の周辺の野草はほとんど枯れてきている中に,ススキが最後の姿を見せていました.一部はまだ元気で,すっくと立っていて,枯れ芒とは言えない姿だったのは印象的.

 

枯れ芒(薄),枯れ尾花を詠んだ短歌

(古今短歌歳時記より)

 

朽ちもせぬその名ばかりをとどめ置きて枯野の薄形見にぞ見る  西行 山家集

 

花すすき枯れたる野辺に置く霜のむすぼほれつつ冬は来にけり  源実朝 金槐集

 

霜枯の尾花ふみわけ行く鹿の声こそきかね跡は見えけり  後鳥羽院 夫木集

 

旅ごろも裾野のをばな霜がれてやどりし秋の露を恋ふらし  八条院高倉 夫木集

 

うろくづの鰓(あぎと)にとほす冬芒未だも青くとほしけるかも  島木赤彦 切火

 

枯すすき折穂なびけり人住める崖の片側土くずれして  岡麓 冬空

 

枯尾花いまだ枯穂を振れる根には最早今年の芽や萌えつらむ  尾山篤二郎 雪客

 

垣に沿ひむらむらなびく枯尾花硝子ごしに見て思ひを凝らす  植松壽樹 渦若葉

 

二本ほど枯穂のままに立ち残る芒を切りて枯れしものなし  長谷川銀作 木原

 

 

 

 

クリスマス,降誕祭を詠んだ短歌  今日クリスマスイヴにも江ノ島展望灯台は,ライトアップ.クリスマスツリーのようにみえます.  明治屋のクリスマス飾り灯ともりてきらびやかなり粉雪ふり出づ 木下利玄  サンタクロースの様にと約せし孫の枕辺むしゃぶりつかれよろめきて立つ 五島美代子  クリスマス・イヴを持たざる童女たち凍みし路面に石蹴り遊ぶ 葛原妙子  降誕祭の夜のミサ了えし吾上に凍天の星無数に厳し 前田透  山茶花に積む雪見つつ教会に幼子と行く降誕前夜 黒田俊子

江の島シーキャンドルタワー(江ノ島展望灯台)のライトアップを,遠景に見渡せる日々が続いています.

何十年かぶりに江の島を見渡せる地域に越してきたので,このようなイベントがある事を知りませんでした.

苑内はさらに美しく彩られているようです.

https://enoshima-seacandle.com/event/shonannohoseki/

 

灯台のイルミネーションは,もともとは,クリスマスツリーをイメージしたのかとは思いますが---

クリスマスが終わったあとも,来年二月半ばまで続くとのこと.

観光地の努力も大変ですね.

 

 

町のクリスマスの飾り付けが日本で始まったのは,1900年(明治33年).

銀座に進出した明治屋の創業者によるものとのこと.

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO24460160Z01C17A2CC0000/

(大正時代の店頭の写真)

 

その後,大正期には一般家庭にもクリスマスプレゼントの風習が根付きはじめ,帝国ホテル主催のクリスマスパーティーも1919年に初めて開催されました.

https://tenki.jp/suppl/y_kogen/2017/12/20/27721.html

 

戦争の時代を経て--

再びクリスマス市場が活気を取り戻したのは1960年以降.

昨今では,クリスマス商戦は更に熱気を帯び(とはいえ,今年は物価高で「プチ贅沢」指向のようですがhttps://www3.nhk.or.jp/news/html/20241220/k10014673451000.html),大型のクリスマスツリーが全国各地に見られるようになっています.

https://www.jalan.net/news/article/693641/

https://kids.rurubu.jp/article/79692/

 

 

クリスマス,降誕祭を詠んだ短歌

(古今短歌歳時記より)

 

明治屋のクリスマス飾り灯ともりてきらびやかなり粉雪ふり出づ  木下利玄 銀

 

耶蘇誕生会(ヤソタンジャウエ)の宵に こぞり来る魔(モノ)の声。少くも猫はわが腓コブラ吸ふ  釈迢空 倭をぐな

 

サンタクロースの様にと約せし孫の枕辺むしゃぶりつかれよろめきて立つ  五島美代子 そらなり

 

クリスマスイヴをわがために一葉の生暗き画面を見終わる家族  初井しづ枝 冬至

 

クリスマス・イヴを持たざる童女たち凍みし路面に石蹴り遊ぶ  葛原妙子 橙黄

 

いつよりか霧を結べる床の上クリスマスの樹ホールに灯る  近藤芳美 埃吹く街

 

クリスマス・ツリーを飾る灯の窓を旅びとのごとく見てとほるなり  大野誠夫 薔薇祭

 

降誕祭の夜のミサ了えし吾上に凍天の星無数に厳し  前田透 断章

 

降誕祭,この夜ひそけき雑踏のみな低き黄の鼻ばかり (やす)  塚本邦雄 日本人霊歌

 

薄陽さし故国の紙の白けれやクリスマス・イヴの午後ひそけくて  前登志夫 子午線の繭

 

降誕祭(クリスマス)の雑踏に来ぬ幾年を互に知りし夫婦のごとく  島田修二 花火の星

 

山茶花に積む雪見つつ教会に幼子と行く降誕前夜  黒田俊子 花餅