日本の「洋食」(明治の末〜大正期に町のコックがくふうして生み出した日本式西洋料理)の代表といってよい豚カツ.
https://en.wikipedia.org/wiki/Tonkatsu
その後の改良もあってか今や世界的にも人気が高まり,2024年のTasteatlasの肉料理評価ランキングでは,世界で92位.日本肉料理の中では3位の評価を受けています.
そして,Tasteatlasの解説にあるように「他の食材と組み合わせると,ほぼ無限ともいえるバリエーションの料理に変身」することができ,バリエーションであるカツ丼,カツカレーも,それぞれ101位(日本肉料理5位),130位(日本肉料理では6位)に.
https://www.tasteatlas.com/meat-dishes
カツ丼がいつ頃,どこで生まれたかについては諸説あるようですが,大正時代には提供する店が現れたようです.
https://www.nikkei.com/article/DGXZZO17006300Z20C17A5000000/
カツカレーもその原形は大正期に生まれたと考えられていて,
https://www.oya-bunko.or.jp/magazine/introduction/tabid/987/Default.aspx
大正期の日本の文化的活力が,このような所からも知ることができます.
Tasteatlasによるそれぞれの解説は,次の通り.
それぞれしっかり解説されていると思いますが,カツカレーの肉が関西では牛肉というのは本当でしょうか.私は知りませんでしたが---
カツ丼は丼物のひとつで,煮込んだ具材を乗せたご飯料理です.トッピングには日本人が大好きなとんかつが使われています.とんかつは,豚肉の薄切り肉をパン粉を付けて揚げたものですが,ここでは,卵でとじた味付けソースで野菜と一緒に煮込んであります.
この料理に関する最も古い記録は1921年にまで遡り,それ以来,オリジナルレシピの具材を追加したり入れ替えたりして,数多くの種類が開発されてきました.最も有名なのは,ウスターソース,味噌,醤油を使ったカツ丼ですが,豚肉を牛肉や鶏肉に置き換えたものもあります.
カツカレーは,とんかつ(豚肉または鶏肉のパン粉を付けて揚げたカツレツ)とカレーソースを組み合わせた日本のカレーのバリエーションです.この料理は,カレーソースのみで供されることもあれば,肉や野菜を含むフルカレーで供されることもあります.
一方,ご飯と一緒に,またはご飯にかけられて供されることがほとんどです.関西地方では,鶏肉や豚肉の代わりに牛肉のカツレツが一般的です.
このような豚カツについて,昨日は日本政府によるまとめの記事を転載しました.
今日は,石毛直道氏の「日本の食文化(岩波書店)」から,豚カツについての部分を転載します.「日本の食文化」は日本人の食の有りようを見事にまとめた一冊ですが,豚カツについての記述も素晴らしいと私は思っています.
「テンプラの伝統にのっとって,大量の油脂をいれた深い揚げ鍋のなかで衣をつけた肉が泳ぐようにして揚げるディープ・ フライ (deep fry)の料理に」
「ステーキとおなじくらいに厚切りにしたブタのヒレ肉やロース肉を,内部まで熱が通るように揚げる技術を誇った.」
「揚げたトンカツをまな板のうえで一口大に切って供し,客はこれを箸で食べたのである.
箸で食べる食べものとなったことによって,トンカツは日本国籍を得て,以後,日本料理の宴会にも供されるようになった」
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日本料理となったトンカツ
二〇世紀になってから流行した,あたらしい揚げ物料理が「トンカ ツ」である.仔ウシやヒツジの切り身にパン粉をまぶしてつくる料理を,英語で「カットレット (cutlet)」という.これが,なまってカツレツというようになり,豚肉のカツレツが普及すると,略してトンカツとよぶようになった.
カットレットや,ドイツやオーストリアのシュニッツェルのような西欧の肉料理は,仔ウシ肉や仔ヒツジ肉,豚肉の薄切りをたたき,コムギ粉をまぶして溶き卵をつけ,パン粉をまぶしてから,バターやラードをフライパンにいれて焼く. トンカツのような揚げ物料理ではなく,「シャロウ・フライ (shallow fry)」 といって,少量の油脂で焼きつけて加熱するのが定法である.
明治初期の西洋料理の本にカツレツが紹介されているが,二〇世紀にさしかかる頃,日本化した洋食として,ポークカツレツが東京の洋食店で流行するようになった.これは,テンプラの伝統にのっとって,大量の油脂をいれた深い揚げ鍋のなかで衣をつけた肉が泳ぐようにして揚げる「ディープ・ フライ (deep fry)」の料理に変化してしまった.バターではなく,牛肉にはヘッド,豚肉にはラードがもちいられ,テンプラとおなじくゴマ油で揚げる店もあった.
明治二八(一八九五)年に,銀座の西洋料理店「煉瓦亭」では,キャベツのせん切りを添えたトンカツをポークカツレツという名称で供したという.トンカツという名称は,大正一〇(一九二一)年に, 新宿の「王ろじ」という店からはじまったという.
一九二〇年代には,東京の下町に豚カツ専門店が何軒も誕生した.トンカツ専門店では,ステーキとおなじくらいに厚切りにしたブタのヒレ肉やロース肉を,内部まで熱が通るように揚げる技術を誇った.揚げたトンカツをまな板のうえで一口大に切って供し,客はこれを箸で食べたのである.
箸で食べる食べものとなったことによって,トンカツは日本国籍を得て,以後,日本料理の宴会にも供されるようになったのである.トンカツには,キャベツのせん切りと,伝統的な和カラシを添えるのが定法となった.これは,西洋のマスタード(洋カラシ)とはことなるものである.
トンカツやコロッケには,既製の国産ウスターソースをじゃぶじゃぶかけた.当時の日本人にとって,ウスターソースは西洋の醤油にあたる調味料と考えられ,醬油が万能の調味料であるように,西洋料理には,なんでもウスターソースをかけて食べたのである.
トンカツ屋の後を追ってできたのが,串カツ屋である.大正一二(一九二三)年,神戸に最初の串カツ専門店ができ,その後,大阪を中心に大衆的居酒屋兼串カツ店が流行するようになった.関西流の 「串カツ」の特色は,豚肉だけではなく,牛肉,鶏肉,魚,エビ,貝,野菜,コンニャクなど,なんでも小さな串に刺してパン粉をつけて揚げてしまうことにある.
かつての家庭では,パン粉をつけた揚げ物料理であるトンカツやコロッケは,近所の肉屋がつくったものを買ってきて食べた.一九六〇年代になると,植物油で揚げるだけの半製品のトンカツが売り出され,家庭でよくつくられるようになった. トンカツ専用のトンカツ・ソースが生産されるようになり,家庭の食卓の必需品となっている.
名古屋周辺では,八丁味噌を使用したたれをかけた味噌カツの人気がたかいが,これはトンカツの郷土料理化である.
トンカツから派生した料理に,カツ丼,カツカレーがある.また,トンカツづくりの技術を適用した料理に,牡蠣フライとエビフライがある.パン粉をまぶしたカキやエビを大量の植物油で揚げる料理は,海外にない日本起源の洋食である.ながいあいだ,トンカツと同じくウアスターソースをつけて食べたが,現在ではタルタルソースで食べることが普及しつつある.トンカツとカキフライ,エビフライは,海外の日本料理店でも人気の料理となっている(1).
(1)岡田哲「トンカツの誕生—明治洋食事始め」講談社.