「衣ほすてふ」vs「衣ほしたり」 百人一首と万葉集(3) 「春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山  」「春過ぎて 夏きたるらし 白妙の 衣ほしたり 天の香久山」 持統天皇

百人一首で取りあげられた万葉の歌

小倉百人一首には「万葉集」から”選ばれた歌”はありません.

しかし万葉集に元歌がある歌が推定を含めて四首あります.(四首は本ブログ最後尾に記載)

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1078662745

http://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2017/01/01/013532

yachikusakusaki.hatenablog.com

四首とも.とてもよく知られた歌ですが,百人一首万葉集では細部に異なった表現が用いられ,斎藤茂吉氏によれば「比較して味わうのに便利」とのこと.

そのうちの一つ,山部赤人の歌については,昨年とりあげたので

http://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2017/01/02/005644

 

今年は,持統天皇の歌を,主として,百人一首小池昌代 訳)と万葉秀歌(斎藤茂吉)に拠って(「写すだけ」ですが)比較してみます.

 

万葉集の歌は次の通り.

春過ぎて 夏きたるらし 白妙の 衣ほしたり 天の香久山

万葉集 巻一 二十八)

 

 

百人一首/新古今集と比較の前に,歌の背景となる事項を幾つか.

持統天皇: 

天武天皇の皇后で、日本の第41代天皇.実際に治世を遂行した女帝 持統天皇 - Wikipedia歴代天皇一覧 - 日本史資料室

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現在でも多くの方々の興味を惹きつけてやまず,

沢山の書籍が今も出版され続けられ https://www.amazon.co.jp/s/?ie=UTF8&keywords=持統天皇,また,里中満智子氏のライフワーク「天上の虹」の主人公としてもよく知られています.天上の虹 - Wikipedia

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https://www.amazon.co.jp/天上の虹-1-講談社漫画文庫-里中-満智子/dp/4062606828

 

▽歌が詠まれた場所

斎藤茂吉氏は,この歌が詠まれた場所を藤原宮と推定し,土屋文明氏は飛鳥淨海原宮としているそうです(万葉秀歌).

藤原京は,持統天皇飛鳥宮から遷都した,日本初の本格的な唐風都城( 藤原京 - Wikipedia )で,その地で営まれた宮殿が藤原宮(藤原宮 - Wikipedia ).現在本格的な発掘調査が行われている最中のようです.

 

飛鳥京

 飛鳥岡本宮(630 - 636年)

 飛鳥板蓋宮(643 - 645、655年)

 後飛鳥岡本宮(656 - 660年)

 飛鳥浄御原宮(672 - 694年)

藤原京(694 - 710年)

平城京(710 - 784年)

長岡京(784 - 794年)

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Google マップ

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とても熱心な方が,藤原宮跡からの天香具山を画像としてアップしていました.歌の感じをとらえるための貴重な資料になります.

 http://www2u.biglobe.ne.jp/~wing38/desnara/114/114.html

お借りして掲載します.

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百人一首  2

はるすぎて なつきにけらし しろたへの ころもほすてふ    あまのかぐやま

春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山   

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 ▽小倉百人一首の全首を見る|小倉百人一首殿堂 時雨殿

 歌意

いつの間にか春が過ぎて夏が来たらしい.どうりで,夏になると白い衣を干すと言い伝えのある天の香具山の麓に,目にも鮮やかな真っ白な衣が干してあるのが見えるよ.

It seems that spring has already given way to summer. It is said that in the summertime the white robes can be seen hanging out to dry at the foot of Mt. Amanokaguyama. At the moment I see white robes so bright that they stun the eyes.

 

百人一首 小池昌代 訳 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集02)

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なんてことかしら

春は いつの間にか過ぎ

もう夏ですって

ごらんなさいよ

香具山に干してある 白い衣

夏が来れば真っ白な衣を干すという

尊い香具山のいい伝えのとおりね

 

大和三山の一つ,香具山は,天から下りてきたという謂われ(いわれ)もある神聖な山.

夏が来た証(あかし)に白い衣を干すといういい伝えがあったらしい.白い衣とは何だったのか.巫女(みこ)の装束(しょうぞく).あるいは卯の花(うのはな)の比喩(香具山は,卯の花が多く咲く場所だった)など,諸説がある.

本来,季節は微妙に移ろっていくものだ.しかし,白い衣=夏の到来という「共通認識」あるいは「約束事」が,季節に透明な仕切りを入れ,そこに人々は「詩」を確認したのだろう.空は青く,緑濃き山,風が吹けば,旗のように翻る(ひるがえる)白い衣.純粋な視覚一つが,風景を切り開き,そこから詩情が大胆に汲み出されている.

言葉一つひとつが絵の具のようだ.遙かな遠景が描かれている.そして,最後,脳髄に残るのは,白,青,緑の抽象画.読むだけで,視力がぐんと良くなるような気がする.

原歌は『万葉集』にある,「春過ぎて 夏きたるらし 白妙の 衣乾したり 天の香久」.こちらは,「衣ほしたり」と,現前の風景を直線的に歌っている.

 

斎藤茂吉 万葉秀歌

はるすぎて なつきたるらし しろたえの ころもほしたり あまのかぐやま

春過ぎて 夏きたるらし 白妙の 衣ほしたり 天の香久山 (巻一 二十八)

 

持統天皇の御製で,藤原宮址(あと)は,現在高市郡鴨公村(かもきみむら)大字高殿小学校隣接の伝説地土壇を中心とする敷地であろうか.藤原宮は持統天皇の四年に高市皇子御視察,十二月天皇御視察,六年五月から造営をはじめ八年十二月に完成したから,恐らくは八年以後の御製で,宮殿から眺めたもうた光景ではなかろうかと拝察せられる.

一首の意は,

春が過ぎて,もう夏が来たと見える.天香具山の辺りには今日はいっぱい白い衣を干している,

というのである.

「らし」というのは,推量だが,実際を目前にしつついう推量である.「来る(きたる)」はラ行四段の動詞である.(ー中略ー)

この歌は,全体の声調は端厳(たんげん)ともいうべきもので,第二句で,「来る(きたる)らし」と切り,第四句で,衣ほしたり」と切って,「らし」と「たり」でイ列の音を繰り返し一種の節奏を得ているが,人麻呂の歌調のように鋭くゆらぐというのではなく,やはり女性にまします御語気と感得することが出来るのである.

そして,結句で「天の香具山」と名詞止めにしたのも一首を整正端厳にした.

天皇の御代には人麻呂,黒人をはじめ優れた歌人を出したが,天皇にこの御製あるを拝誦すれば,決して偶然ではないことが分かる.

この歌は第二句ナツキニケラシ(旧訓),古写本中ナツドキヌラシ(元暦校本・類聚古集)であったのを,契沖がナツキタルラシと訓んだ(よんだ).第四句コロモサラセリ(旧訓),古写本中コロモホシタリ(古葉略類聚抄),コロモホシタル(神田本),コロモホステフ(細井本)等の訓があり,また新古今集小倉百人一首には,「春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香久山」として載っているが,これだけ僅かな差別で一首全体におおきな差別を来すことを知らねばならぬ.

現在鴨公村(かもきみむら)高殿の土壇に立って香具山の方を見渡すと,この御製の如何に実地的即ち写生的だがということが分かる.

馬淵の万葉考に

「夏のはじめつ比(ころ),天皇埴安(はにやす)の堤の上などに幸し(いでまし)給ふ時,かの家らに衣を懸ほして(かけほして)有(ある)を見まして,実に夏の来たるらし,衣ほしたりと,見ますまにまにのたまへる御歌也.

夏は物打しめれば,万づの物ほすは常の事也.さては余りに事かろしと思ふ後世心より,附そへごと多かれど皆わろし.古への歌は言には風流なるも多かれど,心はただ打見打思ふがままにこそよめれ」

といってあるのは,名言だから引用しておく.

(ー後略)

 

折口信夫 口訳万葉集

春がすんで,今夏が来ついたに違いない.真白な栲(たえ)の衣を乾してあるのが見える.天の香久山の辺で.

 

 

百人一首の中の万葉の歌

 藤原定家は,勅撰和歌集から100首選んだのですが,勅撰和歌集万葉集の歌が入っていたため,結果として,次の四首(推定を含めて)が小倉百人一首に.

持統天皇

 【春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香久山】(百人一首/新古今集

 【春過ぎて 夏きたるらし 白妙の 衣ほしたり 天の香久山】(万葉集

 

山部赤人

 【田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ】(百人一首/新古今集

 【田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にぞ 富士(不尽)の高嶺に 雪は降りける】(万葉集

 

柿本人麻呂

 【あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む】(百人一首/拾遺和歌集

 :「拾遺和歌集」では柿本人麻呂歌とされていた

 【あしひきの 山鳥の尾のしだり尾の 長々し夜を ひとりかも寝む】(万葉集

作者未詳歌と同じ表現:万葉集巻十一‐2802番歌「思へども 思ひもかねつ あしひきの 山鳥の尾の 長きこの夜を」の「或る本の歌に曰はく」にある.

 

天智天皇

 【秋の田の 仮庵の庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ】(百人一首/後撰和歌集

 :「後撰和歌集」で天智天皇とされた歌

 【秋田刈る 仮庵を作り 我が居れば 衣手寒く 露ぞ置きにける】(万葉集)巻十-2174 作者未詳歌が元歌と指摘されています.