完全保存版 絶対覚えておきたい!究極の短歌・俳句100選に選ばれた万葉秀歌2  楽浪の志賀の唐崎幸くあれど大宮人の船待ちかねつ 柿本人麿  「柿本人麻呂は,宮廷歌人として,宮廷の人びとの心を詠う,それを個人的な感じで歌うところに特色があった」「全体が切実沈痛で,一点浮華の気をとどめて居らぬ.---一首全体の態度なり気魄(きはく)なりに同化せんことを努むべきである.」 

昨日から,

NHKの番組「完全保存版 絶対覚えておきたい!究極の短歌・俳句100選.これさえ覚えれば、あなたも短歌・俳句通!?」

で選ばれた万葉集の歌を取り上げています.

yachikusakusaki.hatenablog.com

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完全保存版 絶対覚えておきたい!究極の短歌・俳句100選 - NHK

(50首一覧は,次のサイトに掲載)

《発表!》究極の短歌 50選 - 完全保存版 絶対覚えておきたい!究極の短歌・俳句100選 - NHK

 

今日は,二首目ですが,その前に,この「究極の短歌」がどのようにして選ばれたかを番組中のやりとりから紹介しておきます.

 

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今回1300年以上詠み続けられてきた,数多ある短歌の中から,50の短歌を厳選していただきました.

渡部泰明さん (国文学研究資料館長)

栗木京子さん (歌人現代歌人協会理事長)

穂村弘さん (歌人)

この,お三方参加していただきました,1月に行われた選考会の様子をまずご覧ください.

 

VTR

今回,番組では,短歌の専門誌に一次選考を依頼.各時代を代表する短歌1000余りから,選者はそれぞれ50首選んで,選考会に臨みました.

歌人の栗木鏡子さんは,恋や情念を詠った女性歌人の歌に注目.「とにかく,なんか濃厚な歌をとりたいと思って---」

短歌界に新風を吹き込んだ穂村弘さん.歌選びにもこだわりが.「反論の余地のない歌は好きじゃないんで---」

渡部泰明さんは,万葉集古今集など古典和歌の専門家.現代短歌選ばないで,全て古典にしようかとも思ったんですが---」

 

それぞれこだわりの50首.

3人が共通して選んだ歌は,わずか3首.

栗木「3首しかなかったの?」 

渡部「こういう場合はどうやって決めれば良いんでしょうね」

穂村「好きな歌,全然入れられないなあ」

 

8時間半に及んだ選考会.

こうして究極の50選が決定したのです.

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穂村「難しかったです.50人なら,多分,30人以上一致したと思うんですけど,例えば与謝野晶子はみんな選ぶだろう.でも,その中の,彼女のどの歌っていうのは,もうとても決められなくて,もめました.」

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穂村「偏愛する歌ってあるんですよ.心の中で大事にしている.でも絶対にずれるんですよ.みんなが好きな歌と」

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なお,昨日取り上げた

額田王「熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は榜ぎ出でな」

は,選者三人が共通して選んだ三首の内の一つでした.

 

番組でのこの歌に対する解説は,次の通り.

 

選考会では:

渡部額田王は初期万葉の代表的な歌人ですし,もう外せないんじゃないか--」

穂村「何か異様な臨場感がありますよね」

栗木「女性の歌というのがいいですよね」

 

スタジオでは:

栗木「熟田津っていうのは,今の愛媛県松山市辺りなんですけれども,白村江の戦いというのに,これから船でこぎだそうとする兵士たちに,天皇に成り代わって額田王がちょうど月も良い頃になった,潮もちょうどいい,さあこぎ出しましょうというふうに,言祝いで励ますという,そういう歌なんですね.

当時,宮廷に仕える女性歌人が,こういう士気を高めるような,そういう和歌を詠んで送り出していたというのも注目したい点です」

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穂村「自分も下っ端の兵士の一人になって,どきどきしながら,その場で待ってるみたいな臨場感があるんですよね」

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今日新たに紹介する万葉集からの二首目は,万葉集最大の歌人と言われる柿本人麻呂の次の歌:

 

楽浪の志賀の唐崎幸くあれど大宮人の船待ちかねつ 〔巻一・三〇〕 柿本人麿

ささなみのしがのからさきさきくあれどおほみやひとのふねまちかねつ 

 

 

番組でのこの歌に対する解説:

渡部「楽浪(ささなみ)も志賀の唐崎も,琵琶湖の塩害の地名ですね.幸(さき)くあれどは,そのままでいる,無事でいるといういみで,大宮人,宮廷に仕える人が船を待ちかねてしまう,この主語は志賀の唐崎なんですね.

擬人法となっていますけれど,これは,大津の都が遷都されて,荒廃してしまった,そこを訪れていった柿本人麻呂が,跡はあるけれど,昔の繁栄はまるで夢のように去って行ってしまった.ということを歌にしたわけですね.

柿本人麻呂は,宮廷歌人として,宮廷の人びとの心を詠う,それを個人的な感じで歌うところに特色があったかなと思います.」

 

 

斎藤茂吉 万葉秀歌 解説

柿本人麿が,近江の宮(天智天皇大津宮)址(あと)の荒れたのを見て作った長歌反歌である.

大津宮(志賀宮)の址は,現在の大津市南滋賀町あたりだろうという説が有力で,近江の都の範囲は,其処から南へも延び,西は比叡山麓,東は湖畔迄(まで)至っていたもののようである.

此歌は持統三年頃,人麿二十七歳ぐらいの作と想像している.「ささなみ」(楽浪)は近江滋賀郡から高島郡にかけ湖西一帯の地をひろく称した地名であるが,この頃には既に形式化せられている.

一首は,

楽浪(ささなみ)の志賀の辛崎は元の如く何の変(かわり)はないが,大宮所も荒れ果てたし,むかし船遊をした大宮人も居なくなった.それゆえ,志賀の辛崎が,大宮人の船を幾ら待っていても待ち甲斐(がい)が無い,というのである.

「幸(さき)くあれど」は,平安無事で何の変はないけれどということだが,非情の辛崎をば,幾らか人間的に云ったものである.

「船待ちかねつ」は,幾ら待っていても駄目だというのだから,これも人間的に云っている.

歌調からいえば,第三句は字余りで,結句は四三調に緊(し)まっている.

全体が切実沈痛で,一点浮華の気をとどめて居らぬ.

現代の吾等は,擬人法らしい表現に,陳腐(ちんぷ)を感じたり,反感を持ったりすることを止めて,一首全体の態度なり気魄(きはく)なりに同化せんことを努むべきである.作は人麿としては初期のものらしいが,既にかくの如く円熟して居る.