完全保存版 絶対覚えておきたい!究極の短歌・俳句100選に選ばれた万葉秀歌1 熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は榜ぎ出でな 額田王  斎藤茂吉評:当夜は月明であっただろう. 月が満月でほがらかに潮も満潮でゆたかに,一首の声調大きくゆらいで,古今に稀なる秀歌として現出した.そして五句とも句割がなくて整調し,句と句との続けに,「に」,「と」,「ば」,「ぬ」等の助詞が極めて自然に使われている--- 

1200年の歴史の短歌.世界に誇る日本文学の粋を,短歌界の最高の知性が集まり,50首を選び抜く.

NHKが仕掛けた「粋」な番組.実際には俳句と組み合わせた番組ですが.

 

完全保存版 絶対覚えておきたい!究極の短歌・俳句100選

これさえ覚えれば、あなたも短歌・俳句通!?

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完全保存版 絶対覚えておきたい!究極の短歌・俳句100選 - NHK

1200年の歴史の短歌、350年の歴史の俳句。世界に誇る日本文学の粋を、短歌界、俳句界の最高の知性が集まり、短歌50首、俳句50句を選び抜く史上初の試み。今、覚えておきたい珠玉の短歌、俳句合わせて100作品を一挙に公開します。「古池や蛙飛び込む水の音」、「白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」は100選の中に選ばれるのか!?番組を見るだけで俳句、短歌のエッセンスが全てわかる3時間スペシャル!

 

 

50首の一覧は次のウェブサイトに公表されています.

《発表!》究極の短歌 50選 - 完全保存版 絶対覚えておきたい!究極の短歌・俳句100選 - NHK

 

このブログを始めたとき,短歌など何も知らぬまま,万葉集を写しはじめました.

「写すだけ万葉集」シリーズとして.

このシリーズはいつの間にか103回になりましたが,私の好きな植物を詠んだ歌を集め,植物情報(ウェブ上にあったものに山田卓三先生のブックレットなどからの情報を加えて)を加えたもの.必ずしも有名な歌を集めたのではありません.

そこで,今後は、シリーズを植物には限定せず,「秀歌」とされるものを集めてみたいと思います.

今日は,方針変更後の第一回.「完全保存版 絶対覚えておきたい!究極の短歌」に選ばれた短歌から.

「写すだけ」の方針は変えようがありません.短歌を知らないままですから.

 

 

熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は榜ぎ出でな 巻一・八〕 額田王

にぎたづにふなのりせむとつきまてばしほもかなひぬいまはこぎいでな

 

斎藤茂吉 万葉秀歌 解説

斉明天皇が(斉明天皇七年正月)新羅を討ちたまわんとして,九州に行幸せられた途中,暫時伊豫の熟田津に御滞在になった(熟田津いわゆ湯の行宮).其時お伴をした額田王の詠んだ歌である.熟田津という港は現在何処かというに,松山市に近い三津浜だろうという説が有力であったが,今はもっと道後温泉に近い山寄りの地(御幸寺山附近)だろうということになっている.即ち現在はもはや海では無い.

 

 一首の意は,

伊豫の熟田津で,御船が進発しようと,月を待っていると,いよいよ月も明月となり,潮も満ちて船出するのに都合好くなった.さあ榜ぎ出そう,というのである.

 

「船乗り」は此処ではフナノリという名詞に使って居り,人麿の歌にも,「船乗りすらむをとめらが」(巻一・四〇)があり,また,「播磨国より船乗して」(遣唐使時奉幣祝詞)という用例がある.

また,「月待てば」は,ただ月の出るのを待てばと解する説もあるが,此は満潮を待つのであろう.月と潮汐とには関係があって,日本近海では大体月が東天に上るころ潮が満始るから,この歌で月を待つというのはやがて満潮を待つということになる,また書紀の,「庚戌泊二于伊豫熟田津石湯行宮一」とある庚戌(かのえいぬ)は十四日に当る.三津浜では現在陰暦の十四日頃は月の上る午後七,八時頃八合満となり午後九時前後に満潮となるから,此歌は恰(あたか)も大潮の満潮に当ったこととなる.

すなわち当夜は月明であっただろう.

月が満月でほがらかに潮も満潮でゆたかに,一首の声調大きくゆらいで,古今に稀なる秀歌として現出した.そして五句とも句割がなくて整調し,句と句との続けに,「に」,「と」,「ば」,「ぬ」等の助詞が極めて自然に使われているのに,「船乗せむと」,「榜ぎいでな」という具合に流動の節奏を以てし緊めて,それが第二句と結句である点などをも注意すべきである.

結句は八音に字を余し,「今は」というのも,なかなか強い語である.この結句は命令のような大きい語気であるが,縦(たと)い作者は女性であっても,集団的に心が融合し,大御心をも含め奉った全体的なひびきとしてこの表現があるのである.供奉応詔歌の真髄もおのずからここに存じていると看(み)ればいい.

 

 結句の原文は,「許芸乞菜」で,旧訓コギコナであったが,代匠記初稿本で,「こぎ出なとよむべきか」という一訓を案じ,万葉集燈でコギイデナと定めるに至った.「乞」をイデと訓(よ)む例は,「乞我君(イデアギミ)」,「乞我駒(イデワガコマ)」などで,元来さあさあと促がすことば詞であるのだが「出で」と同音だから借りたのである.一字の訓で一首の価値に大影響を及ぼすこと斯くの如くである.また初句の「熟田津に」の「に」は,「に於(おい)て」の意味だが,橘守部(たちばなのもりべ)は,「に向って」の意味に解したけれどもそれは誤であった.斯(か)く一助詞の解釈の差で一首の意味が全く違ってしまうので,訓詁(くんこ)の学の大切なことはこれを見ても分かる.

 なお,この歌は山上憶良の類聚歌林によ拠ると,斉明天皇舒明天皇の皇后であらせられた時一たび天皇と共に伊豫の湯に御いでになられ,それから斉明天皇の九年に二たび伊豫の湯に御いでになられて,往時を追懐遊ばされたとある.

そうならば此歌は斉明天皇の御製であろうかと左注で云っている.若しそれが本当で,前に出た宇智野の歌の中皇命が斉明天皇のお若い時(舒明皇后)だとすると,この秀歌を理会するにも便利だとおもうが,此処では題どおりに額田王の歌として鑑賞したのであった.

 橘守部は,「熟田津に」を「に向って」と解し,「此歌は備前の大伯(オホク)より伊与の熟田津へ渡らせ給ふをりによめるにこそ」と云ったが,それは誤であった.併し,「に」に方嚮(ほうこう到着地)を示す用例は無いかというに,やはり用例はあるので,「粟島(あはしま)に漕ぎ渡らむと思へどもあかし明石のとなみ門浪いまだ騒げり」(巻七・一二〇七).この歌の「に」は方嚮を示している.

 

 

 

日本大百科全書(ニッポニカ)「額田王」の解説

額田王とは - コトバンク

額田王

ぬかたのおおきみ

生没年未詳.『万葉集』初期の代表的女流歌人.作品は長歌三,短歌九首.『日本書紀』(天武(てんむ)紀下)に「天皇初メ鏡王ノ女(むすめ)額田姫王ヲ娶(め)シテ,十市皇女(とをちのひめみこ)ヲ生ム」とある.

父の鏡王は伝未詳だが,姫王(皇女=内親王に対して2世~5世の女王を示す)とあるので皇族である.若いころ大海人皇子(おおあまのおうじ)(天武天皇)に召されて生んだ十市皇女の年齢などから推して,舒明(じょめい)朝(629~641)なかばごろの生まれか.持統(じとう)朝(686~697)の作があるので,60歳ぐらいまで生存し,長期の作歌活動を続けたが,主要作品は斉明(さいめい)・天智(てんじ)両朝の14年間に集中する.

初め斉明天皇に仕え,主として天皇の意を代弁して呪歌(じゅか)(祝意あるいは願望などを込めて祈る歌)を詠じたらしく,雄渾(ゆうこん)で格調高い作がある.斉明の崩御で一時宮廷を離れていたらしいが,天智天皇の近江(おうみ)遷都のころ,ふたたび召されたようで後宮に列した.おそらく歌人としてであろう.

天智時代は,開明的気風のもとに大陸的みやびの世界を和歌に導入し,優美,繊細な新風で宮廷サロンの花形的存在となった.春秋の美の優劣を判定する歌「冬こもり 春さり来れば 鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ……秋山われは」は有名であり,衆を代表して歌う立場などとともに,次代の柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)を呼び起こす先駆をなす点で評価が高い.その経歴および作品から,天智,天武両天皇との間に,王をめぐって深刻な三角関係があったとする見方が一部にあるが,おそらく誤りであろう.