富士を詠んだ短歌1 この3日間は快晴.江の島弁天橋,江の島稚児ヶ淵,鎌倉稲村ヶ崎からは,夕焼けの富士を望むことができました.  田子の浦ゆうち出でてみれば真白にぞ不尽の高嶺に雪は降りける 山部赤人  富士の嶺に降り置く雪は六月の十五日に消ぬればその夜降りけり 高橋虫麻呂歌集  富士の嶺を高み畏み天雲もい行きはばかりたなびくものを 高橋虫麻呂歌集  我妹子に逢ふよしをなみ駿河なる富士の高嶺の燃えつつかあらむ 作者未詳

GW後半は,晴天に恵まれ,藤沢・鎌倉からは,この3日間,毎日,富士を望むことができました.

 

5月3日,弁天橋入口から富士を望む

5月4日,江の島稚児ヶ淵から富士を望む

5月5日稲村ヶ崎から富士を望む

 

富士を詠んだ短歌1

(古今短歌歳時記より)

古今短歌歳時記(鳥居正博 教育社)には,富士と文学についての解説があります.

ほんの一部を抜粋して以下掲載していきます.

---古くから霊山として崇められ,平安時代から信仰登山も盛んである.

富士・不尽・不二とも書き,富士の嶺,富士が嶺・富士の高嶺をはじめ----呼称も多い.

日本文学では,富士は広く取材され,物語・日記・紀行・小説などから,和歌・俳句・漢詩・詩に及び,絵画・美術工芸等々とどまる所をしらない.

古くは常陸風土記に「神祖の尊、諸の神の処みもとに巡り行でまして、駿河の国福慈フジの岳に到りまし」とあるのをはじめ----

 

天地の別れし時ゆ 神さびて 高く貴き駿河なる富士の高嶺を 天の原振り放け見れば 渡る日の影も隠らひ 照る月の光も見えず 白雲もい行きはばかり 時じくぞ雪は降りける 語り継ぎ言ひ継ぎ行かむ 富士の高嶺は  山部赤人 万葉集 巻3 318

 

田子の浦ゆうち出でてみれば真白にぞ不尽の高嶺に雪は降りける  山部赤人 万葉集 巻3 318

折口信夫 口訳万葉集

田子の浦をば歩きながら,ずっと端まで出て行ってみると,高い富士の山に,真っ白に雪が降っている事だ.

斎藤茂吉 万葉秀歌

山部宿禰赤人(やまべのすくねあかひと)が不尽山(ふじのやま)を詠んだ長歌反歌である.「田子の浦」は.古えは富士・廬原(いおはら)の二郡に亙った(わたった)海岸をひろくいっていたことは前言のとおりである.「田子の浦ゆ」の「ゆ」は,「より」という意味で,動いてゆく詞語に続く場合が多いから,ここは「打ち出でて」につづく.「家ゆ出でて三年がほどに」,「痛足(あなし)の川ゆ行く水の」,「野坂の浦ゆ船出して」,「山の際(ま)ゆ出雲の児ら」等の用例がある.また,「ゆ」は見渡すという行為にも関聯(かんれん)しているから,「見れば」にも続く.「わが寝たる衣の上ゆ朝月夜(あさづくよ)さやかに見れば」,「海女(あま)の釣舟浪の上ゆ見ゆ」,「舟瀬(ふなせ)ゆ見ゆる淡路島」等の例がある.前に出た,「御井(みゐ)の上より鳴きわたりゆく」の「より」のところでも言及したが,言語は流動的なものだから,大体の約束による用例に拠って(よって)極めればよく,それも幾何学の証明か何ぞのように堅苦しくない方がいい.つまり此処(ここ)赤人はなぜ「ゆ」を使ったかというに,作者の行為・位置を示そうとしたのと,「に」にすれば,「真白にぞ」の「に」に邪魔するという微妙な点もあったであろう.

赤人の此処(ここ)の長歌も簡潔で旨く(うまく),その次の無名氏(高橋連虫麿か)の長歌より旨い.また此(この)反歌は,人口に膾炙(かいしゃ)し,叙景歌の絶唱とせられたものだが,まことにその通りで赤人作中の傑作である.赤人のものは,総じて健康体の如くに,清潔なところがあって,だらりとした弛緩がない.ゆえに,規模が大きく緊密な声調にせねばならぬような対象の場合に,他の歌人の企て及ばぬ成功をするのである.この一首中にあって最も注意すべき二つの句,即ち,第三句で,「真白にぞ」と大きく云って(いって),結句で,「雪は降りける」と連体形で止めたのは,柿本人麿の,「青駒の足掻(あがき)を速み雲居にぞ妹があたりを過ぎて来にける」(巻二・一三六)と形態上甚だ(はなはだ)似ているにも拘わらず(かかわらず),人麿の歌の方が強く流動的で,赤人の歌の方は寧ろ(むしろ)浄勁(じょうけい)とでもいうべきものを成就している.古義で,「真白くぞ」と訓み(よみ),新古今で,「田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ」として載せたのは,種々比較して味わうのに便利である.また,無名氏の反歌「富士の嶺に  降り置く雪は  六月(みなづき)の  十五日(もち)に 消ぬれば、その夜 降りけり」(巻三・三二〇)も佳い(よい)歌だから,此処に(ここに)置いて味わっていい.

 

 

富士の嶺に降り置く雪は六月の十五日に消ぬればその夜降りけり  高橋虫麻呂歌集 万葉集 巻三 三二〇 

 

富士の嶺を高み畏み天雲もい行きはばかりたなびくものを  高橋虫麻呂歌集 万葉集 巻三 三二一

 

我妹子に逢ふよしをなみ駿河なる富士の高嶺の燃えつつかあらむ  作者未詳 万葉集 巻一一 二六九六

 

妹が名も我が名も立たば惜しみこそ富士の高嶺の燃えつつわたれ  作者未詳 万葉集  二六九七

 

天の原富士の柴山この暗の時ゆつりなば逢はずかもあらむ  作者未詳 万葉集 巻十四 三三五五

 

富士の嶺のいや遠長き山道をも妹がりとへばけによばず来ぬ  作者未詳 万葉集 巻十四 三三五六

 

霞居る富士の山びに我が来なばいづち向きてか妹が嘆かむ  作者未詳 万葉集 巻十四 三三五七

 

さ寝らくは玉の緒ばかり恋ふらくは富士の高嶺の鳴沢のごと  作者未詳 万葉集 巻十四 三三五八

 

時知らぬ山は富士の嶺(ね)いつとてかかのこまだらに雪の降るらむ  在原業平 伊勢物語

 

世の人の及ばぬ物は富士のねの雲居に高き思ひなりけり  後村上天皇 拾遺集