ポテトチップス  日本人は1日300万袋のカルビーポテトチップスを食べている!人気トップはうすしお味.アメリカでレシピに登場したのは1817年.1853年の有名な逸話を残したクラムが普及の立役者であると認められています.現在アメリカ人は年間ひとりあたり3キログラムのポテトチップスを食べている!国全体として年間100億ドルがポテトチップスに消費されているとか.トップブランドのレイズは2023年に約41億3,000万米ドル相当の売上高を計上しています.

フライドポテトと同じぐらい日本人に人気があると思われるポテトチップス.

 

日本では,カルビーによる独占状態になっている?

商品の人気ランキングでは,トップ30中13商品をカルビーが占めているそうです.

(2022年)https://www.cccbiz.jp/columns/cccdata17

ただ,トップの「うすしお味」でも大袋・普通サイズ合わせて7.3%のシェアですから,個別の商品としての人気は分散していて,湖池屋の商品もベストテン入りしているとか.

2023年トップ5

https://nkpos.nikkei.co.jp/ranking/ポテトチップス

カルビー ポテトチップス うすしお味 ビッグバッグ 152G カルビー ポテトチップス うすしお味 60G カルビー ポテトチップス コンソメパンチ ビッグバッグ 152G カルビー 堅あげポテト うすしお味 65G

カルビーによれば,

2022年の年間生産袋は約9億3千万袋(1日平均約約310万袋)

日本人は1日300万袋のカルビーポテトチップスを食べている!

 

なお,カルビーがポテトチップスを販売しはじめたのは,意外に遅く,1975年.

https://hicbc.com/magazine/article/?id=news-ronsetsu-post-2351#google_vignette

戦後直ぐに,浜田音四郎さんという方が「フラ印(じるし)」を売り出したのが日本のポテトチップの始まりで,その後,1952年に湖池屋が販売開始したとのこと.

 

 

日本でも人気とはいえ,ポテトチップスと言えばアメリカ.

袋数は調べきれませんでしたが---

アメリカ人は年間約18.5億ポンド(1ポンドは約0.45キログラム),一人当たり約6.6ポンドのポテトチップスを消費している(https://www.smithsonianmag.com/arts-culture/curious-history-potato-chip-180979232/)とのこと.

金額としては,100億ドルを越えているとされ,

ブランドとしては,

レイズが,2023年に約41億3,000万米ドル相当の売上高を計上し,米国の主要ポテトチップスブランドとなっています.ラッフルズが売上高18億ドルで第2位.

https://www.statista.com/statistics/188222/top-potato-chip-brands-in-the-united-states/

 

アメリカで,はじめにポテトチップスを広めたのは,ジョージ・クラム.

「1853年,海運王・鉄道王コーネリアス・ヴァンダービルトに苛立ったジョージ・クラムがポテトチップスを作り上げた」という逸話が,もっともらしく伝わっています.(*下記参照)

ただこの逸話は,かなり眉唾でのちに作られたものとされ,ポテトチップスのレシピはそれ以前にできあがっていたとのこと.はじめにポテトチップスの記録があるのは,ウィリアム・キッチナーというイギリス人医師が出版した料理本The Cook's Oracle』(1817年).

https://www.smithsonianmag.com/arts-culture/curious-history-potato-chip-180979232/

ただし,クラムがポテトチップスを普及させたという点では学者の間でも意見が一致しているそうです.今日,サラトガ・チップスという名前でクラムの創作品を買うことができるとのこと.

(ただし,当時袋詰めのポテトチップスは売り出されておらず,大量生産されるようになったのは20世紀になってから.オハイオ州デイトンを拠点とするマイクセルズ・ポテトチップス・カンパニーは1910年に設立され、「米国最古のポテトチップス会社」と認定されています https://en.wikipedia.org/wiki/Potato_chip

https://www.smithsonianmag.com/arts-culture/curious-history-potato-chip-180979232/

*クラムの逸話

 https://hicbc.com/magazine/article/?id=news-ronsetsu-post-2351#google_vignette

1853年,アメリカのニューヨーク州.ホテルのレストランで出されたフライドポテトに客のひとり(海運王コーネリアス・ヴァンダービルトとされている)が文句を言った「ポテトが分厚すぎる」.薄く切って出しても文句,さらに薄く切っても文句,客があまりにくどいため,コック長は超薄切りにスライスして,カリカリに揚げたポテトを出したところ,その客は声を上げた.

「美味い!」.

ポテトチップスが誕生した瞬間だった.すぐにレストランのメニューにも仲間入り.そのコック長ジョージ・クラムさんは“ポテトチップスを発明した名コック”となった.ご多分に漏れず「ポテトチップス」発祥についても諸説あるが,このエピソードは何とも楽しい由来である.この“超薄切りフライドポテト”は20世紀に入ると,袋詰めで売り出された.

 


**アメリカにおけるポテトチップスの歴史

まとめたサイトのDeepL翻訳を以下に掲載しておきます.

 

How the Potato Chip Took Over America

https://www.smithsonianmag.com/arts-culture/curious-history-potato-chip-180979232/

ポテトチップスはいかにしてアメリカを征服したか

小うるさい大企業,ムッとしたシェフ,そして私たちが愛してやまないコンフォート・フードの不思議なルーツ

ブランドン・テンズレー 2022年1月

 

Covid-19で人々が家に閉じこもることを余儀なくされたとき,私たちの多くはポテトチップスというスナックに慰めを見出した.ポテトチップスは,2019年から2020年にかけて約3億5000万ドルの売上増を記録した.ポテトチップスが落ち込むと,アメリカ人はガツガツ食べるようだ.

 

この特徴的なフィンガーフードの起源を探ると,19世紀にニューヨークのリゾート地サラトガスプリングスにあるムーンズ・レイク・ハウスで名を馳せた,先住民とアフリカ系アメリカ人の血を引くシェフ,ジョージ・クラム(生まれはジョージ・スペック)に行き着く.話によると,1853年のある日,鉄道王で海運王のコーネリアス・ヴァンダービルトがムーンズで食事をしていたところ,フライドポテトが厚すぎるという理由で厨房に戻すよう命じた.そのようなうるさい食べ方に激怒したクラムは,ポテトをできるだけ細長くスライスし,カリカリに揚げて,いたずらとしてヴァンダービルトに送った.ヴァンダービルトは侮辱と受け取るどころか,大喜びした.

 

他の常連客もクラムの「サラトガ・チップス」を求めるようになり,それはやがてニューヨーク州北部をはるかに超えるヒット商品となった.1860年,クラムはサラトガ近郊に「クラムズ・ハウス」または「クラムズ・プレイス」として知られるレストランをオープン.クラムは30年以上後に引退するまでレストランを監督し,1889年にはニューヨーク・ヘラルドのライターから 「アメリカ最高の料理人 」と称された.クラムは1914年に亡くなったが,シナモン&シュガーのプリングルズからフラミンホット・ディル・ピクルスのレイズまで,今日の驚くべき種類のポテトチップスは,『アメリカン・ヘリテージ』誌が 「油脂のエジソン 」と呼んだ人物へのオマージュである.

 

アメリカ人が年間消費するポテトチップスは約18.5億ポンド,一人当たり約6.6ポンドである.

 

しかし,ポテトチップスを発明したのはクラム一人ではないし,最初の発明者でもないことを,この話の皮を剥いだ歴史家たちは急いで指摘している.ポテトチップスの最古のレシピは1817年,ウィリアム・キッチナーというイギリス人医師が出版した料理本『The Cook's Oracle』に掲載されていた.クラムがヴァンダービルトをディスったとされる4年前の1849年7月,ニューヨーク・ヘラルドの記者は,サラトガスプリングスのコックであった「イライザ」の仕事ぶりについて言及した.しかし学者たちは,クラムがチップスを普及させたという点では一致している.今日,サラトガ・チップスという名前でクラムの創作品を買うことができる.

 

長い間,チップスはレストランだけの味だった.しかし1895年,オハイオ州の起業家ウィリアム・タッペンデンが,自宅のキッチンと,後に裏庭の納屋を工場にしてチップスを製造し,樽に詰めたチップスを馬車で地元の市場に配送することで,食料品店の棚に並べ続ける方法を発見した.他の無数の商人たちもこれに続いた.

 

その結果,誕生日パーティーフットボールの試合,オフィスの自動販売機に向かう旅は,これまでと同じものではなくなった.1926年,カリフォルニアの実業家ローラ・スカダーは,チップスを蝋引き紙の袋に詰め始めた.この袋には「鮮度」の日付だけでなく,「世界で一番うるさいチップス」という魅力的な自慢も書かれていた.翌年,シカゴのシェフで元格闘家のレナード・ジャップがこのスナックの大量生産を始めたとき,このスナックはさらなる飛躍を遂げた: アル・カポネは,サラトガを訪れた際にポテトチップスが大好きになり,自分の演説場でポテトチップスが売れると考えたと言われている.ジャップは,増え続ける常連客にこのスナックを供給するために工場を開設し,1930年代半ばには中西部全域の顧客に販売し,ポテトチップスはアメリカのお菓子の代表格へと上り詰めた.

 

1961年にレイズがポテトチップス初のナショナル・ブランドとなったとき,同社は『オズの魔法使い』の臆病ライオン役で有名なバート・ラーを初の有名人スポークスマンに起用した.

 

今日,アメリカ人は年間約18.5億ポンド(Ⅰポンドは約0.45キログラム),一人当たり約6.6ポンドのポテトチップスを消費している.アメリカのポテトチップス市場は,トルティーヤチップスやチーズパフやプレッツェルはともかく,ポテトチップスだけで105億ドルと推定されている.ポテトチップスをはじめとするでんぷん質の嗜好品は,肥満や高血圧などの健康状態に一役買っているとして長い間批判されてきたが,スナック業界はある程度自浄作用を発揮し,海塩入りのサツマイモチップス,タロイモチップス,トマトとバジル入りの紅レンズ豆チップスなど,脂肪分やナトリウムを抑えた選択肢を調理している.

 

それでも多くのアメリカ人にとって,ポテトチップスは常に純粋な嗜好品である.ファーストフードの話題で持ちきりの1年を経て,昨年10月,ハーシーはヨーグルトがけプレッツェル以来最も洗練されたスナックのマッシュアップを発表した: リースのピーナッツバターカップにポテトチップスを詰めたものだ.このトリプル風味のカロリー爆弾が成功するかどうかは,歴史のみが判断できる.しかし,クラムのピーなひらめきから1世紀半以上経った今,ポテトチップスは最も人気のある食品のひとつであるだけでなく,最も万能な食品でもある.