横山晃久さんへのインタビュー(2)
保坂展人(ほさかのぶと)
第2章障害当事者は事件をどう受け止めたか」より )
相模原事件とヘイトクライムの通販/保坂展人 岩波ブックレット - 紙の本:honto本の通販ストア
私が区長を努める世田谷区には,障害のある人たちが数多く住んでいます.事件後最初に会いたいと思ったのは,横山晃久(よこやまてるひさ)さん(「自立生活センターHANDS世田谷」理事長)でした.
横山晃久さんへのインタビュー(1)
親の意識という問題
横山晃久さんへのインタビュー(2)
入所施設とはどんなところか
保坂 施設の問題とはどういうものですか.
横山 僕もかつて施設に入っていました.
施設というのは特別な空間です.誰ひとり来ない.家族も友だちも来ない.
僕が入っていたのは,重い身体障害者の施設です.職員には逆らうことができません.たとえば,今日はお腹が痛いと言っているのに,口に食べ物を無理やり入れてくる.誰にだって食べたくないときはあります.それを確認しないで,口を無理に開けさせ,食べ物を放り込む.
僕は,今六二歳ですが,小さいときから社会運動に興味があって,一人で熊本県に出かけて行き,公害病[水俣病]の当事者に会ったりしていました.ですが,当事者の方から,障害者なのになぜ自分の問題に取り組まないのかと言われてしまった.障害の問題をやりながら,水俣病を語ってくれ,と言われたんです.
HANDS世田谷は相談支援事業を行っています.
僕が関わったなかに,首都圏出身で,障害者施設に何十年も入っていた人がいました.
あるとき,その人から僕にSOSの電話がかかってきたので,会いに行き,そこで相談を受けました.ですが,ご本人は足音がするたびに息が止まってしまう.足音で誰が来ているかすぐわかるというんです.職員の足音がすると話すのを止めてしまう.
その人は三十五年もの間,障害者施設に入っていましたが,親は一度も会いに来ていません.親は電車で一時間もあれば会いに来ることができる距離のところに住んでいます.
彼が障害者施設を出るにあたって僕がサポートに回ったけれど,親には怖くて言えないというんです.
そこで,怖かったら手紙を書けばいいということになり,思いきって手紙を出しました.
そうしたら,手紙を書いた三日後に親がHANDS世田谷に飛んで来て,「うちの子を騙すな(だますな).悪知恵をつけたのは誰だ」と怒鳴りちらしました.
彼は結局,八年かけて障害者施設を出て,今はアパートを借りて暮らしています.
このように親の意識はものすごく大きいのです.
(以下続く 予定)