オリエント急行 スイーツ列車紀行 西欧(NHKBSプレミアム2020年4月初回放送)
“ヨーロッパの歴史あるお菓子から最先端のデザートまで魅惑のスイーツを味わう列車の旅”
より.
ケルンのカフェアイゲル(Cafe Eigel)店主「そんなにバームクーヘンが食べたければ,ザルツウェーデルに行くと良いですよ.あの町ならいつも食べてますよ」
https://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2023/11/24/235144
高島礼子さん「いくしかないじゃない!」
オリエント急行のラインを外れて,ドイツ北部のザルツウェーデル(Salzwedel)を目指します.
https://www.google.com/search?q=Zug-Wagenkasten+von+K%C3%B6ln+nach+Salzwedel
https://www.google.co.jp/maps/place/ドイツ+〒29410+ザルツヴェーデル
「電車を乗り継ぎ5時間!着きましたザルツヴェーデルです.ちょっと淋しい---」
人口二万三千ほどの町.
https://www.google.com/search?q=Blick+auf+die+Stadt+Salzwedel
https://www.google.com/search?q=+Bahnhof+Salzwedel
ザルツヴェーデルで一番古いバウムクーヘンの店.
https://www.google.com/search?q=First+Salzwedel+Baumkuchen+Factory
「巡り会いました」
ドイツを縦断すること約430Km.ようやく見覚えがあるバームクーヘンが.
https://www.google.com/search?q=Erste+Salzwedeler+Baumkuchenfabrik&client=safari&sca_esv
バームクーヘンがギザギザなのは,切り分ける際の目印とするため.
横に薄くそぐように切るのがドイツ流.
https://landurlaub-sachsen-anhalt.de/portfolio/erste-salzwedeler-baumkuchenfabrik/
バームクーヘンシャイベンBaumkuchen Scheibenと言って,縦に切るより口当たりが柔らかくなります.
https://landurlaub-sachsen-anhalt.de/portfolio/erste-salzwedeler-baumkuchenfabrik/
「来た〜.さっそくいただきます」
「しっとり.甘さは控えめです.このシンプルさがすごく美味なんですよ.全然飾り気がない.素材で勝負みたいな,昔からずっとこの味を守り続けてきた味」
ザルツウェーデルのバームクーヘンは,イギリス王朝やロシアのロマノフ王朝にも届けられていました.
(放送では何故か触れませんでしたが,1865年ドイツヴィルヘルム1世から「皇室・王室御用達」の命を受けています https://baumkuchen-salzwedel.de/)
かつて市民の間では,結婚式などお祝い事に欠かせないスイーツでした.
200年以上続くザルツヴェーデルのバームクーヘンは,今では普段のお菓子として根付いています.
来店客「毎月欠かさず食べています.この店が一番美味しいの」
ザルツヴェーデルがあるドイツ北東部は,バームクーヘン発祥の地と言われています.
では,何故,ケルンなど,ドイツの他の地には広まらなかったのか?その理由がよく分かる現場を見せてもらいます.お店の工房です.
このお店は,ドイツで最も古いバームクーヘンのレシピを所有しています.細かいレシピは極秘.普段は銀行の金庫に保管されています.
https://landurlaub-sachsen-anhalt.de/portfolio/erste-salzwedeler-baumkuchenfabrik/
特別に作業の様子を見せてもらいました.
「熱い.炎が思いっきり来るんで---」
https://www.hna.de/leben/reise/kuchen-baum-1515528.html
案内してくれたのは,ハイケ・ヘニッヒさん.姉と一緒に伝統の店を切り盛りしています.
200年前と変わらぬ作り方.直火で焼くバームクーヘン.窯の温度は300℃に達します.
「菓子職人の誰もが,バームクーヘンを焼けるわかではありません」
もともと,ドイツのマイスター制度の下で作られる特別なお菓子でした.菓子職人になるにはバームクーヘンを作れなくてはいけませんでした.そんな厳しい制約があったため,バームクーヘンはドイツ全土には広がらず,発祥の地に止まったとも言われています.
職人には,独特の型にする技が求められます.
生地は砂糖に小麦粉.卵とバター.分量は秘密.生地を芯に紐状に巻き付けます.これがギザギザした形の元になります.表面がきつね色になったら,すかさず生地をかけていきます.焼いてはかけるの繰り返しです.
「ローラーが回転する際の遠心力も利用してギザギザを成長させます.生地をかける量が多くても少なくてもダメなんです」
直径が大きくなるにつれ,火との距離が近くなり,焦げやすくなります.火加減の調整も難しいのです.
200年前と変わらぬ職人の技が受け継がれています.
そんなザルツヴェーデルのバームクーヘンですが,かつて存続の危機がありました.
それは,ヘニッヒさんが子供の頃の話です.
ヘニッヒさんの父親はバームクーヘン職人でした.当時この店の経営者だったクルーゼ夫婦のもとで働いていました.
そんな工房に,ヘニッヒさんはよく遊びに行っていました.
「私が,工房を覗いて須磨実食いしたりするのを,クルーゼさんはいつも許してくれました.私は,バームクーヘンと共に育ったようなものです.あの頃はいい時代でした」
しかし,そんな幸せだった生活が一変します.
東西ドイツの分断です.
第二次大戦後の1949年,自由主義の西ドイツと,社会主義の東ドイツに分かれました.ザルツヴェーデルは東ドイツ領に組み込まれます.
ある日のこと,店の様子をうかがる人影が.実は,東ドイツ政府が秘密警察を使って儲かる店を調べていたのです.国営化して店の収益を奪おうとしていたのです.
「でも,クルーゼおばさんは『個人の店としてやっていく.東ドイツ政府に店は渡さない』と突っぱねたのです」
すると,あろうことか,経営を担当していた,クルーゼおばさんだけが逮捕され,刑務所に入れられてしまったのです.
「バームクーヘンを勝手に作り,国民の貴重な食料を横取りしたという罪でした.店はその後,政府に強制的に収用されました」
政府の管理下に置かれると,レシピまで変えさせられました.
バターの代わりにマーガリン.チョコの代わりにカカオと油を混ぜるなど,およそバームクーヘンとは呼べない物でした.
「東ドイツ政府から,『戦時下レシピ』という物が渡され,パン屋など沢山の店で作られ始めました.大量生産された質の悪いバームクーヘンは,外貨獲得のために輸出され,市民の口に入ることが困難になりました.
思い通りのバームクーヘンが作れない.そして,市民のもとに届けられない悔しさがつのりました.
「いろんなことを諦めざるをえませんでした.本当につらい時期でした」
二年後にクルーゼおばさんは釈放されましたが,1985のドイツ統一まで,この体勢が続きました.
クルーゼさん夫婦は,ドイツ統一の五年前に亡くなったため,昔ながらのバームクーヘンの復活を見ることは叶わなかったのです.
高島さん「すみません」(涙をふいて)「ビックリ.すごいビックリしました.そうか」
ヘニッヒさんが,クルーゼさんの下で子供の頃つまみ食いをしていた幸せの時間.
「こっち,こっち?いっていい?わお〜」
高島さん,端をつまみ食いさせてもらって---
「あったかい.湯気が出ている」「幸せ!」
つらい時代の味を知るからこそ,昔ながらの味を守り抜きたい.お世話になった夫婦への感謝を胸にバームクーヘンを焼き続けていきます.
https://baumkuchen-salzwedel.de/unsere-chronik/
バウムクーヘンの歴史
バウムクーヘンは200年以上前に焼かれたお菓子で、特別な日やお祭りの時に食べられていました。1807年、菓子職人の巨匠ヨハン・アンドレアス・シェルニコフがリューネブルクで美味しいレシピを学び、故郷ザルツヴェーデルに持ち帰りました。ここで、このレシピは改良され、当時のスパイスで味付けされていました。
1865年、ザルツヴェーデルのバウムクーヘン工房は、その功績を認められ、ヴィルヘルム1世から「皇室・王室御用達」に任命されました。
このレシピは代々受け継がれ、現在はザルツヴェーデルのヘンニッヒ家が所有しています。レシピは長い間変わることなく、ヘンニッヒ家は今日でも1807年のレシピに忠実にバウムクーヘンを焼き続けています。 レシピは昔も今も秘伝です。
ドイツ民主共和国時代には、バウムクーヘンは「緊急レシピ」に従って焼かれました。
1990年まで分離していた2つのドイツ国家が再統一された後、当時のレシピの持ち主であったオスカー・ヘニッヒが「第一ザルツヴェーデル・バウムクーヘン工場」を設立しました。
現在、彼の娘であるベッティーナ・ヘンニッヒが会社を経営し、1807年からのレシピに従ってバウムクーヘンを焼いています。 このユニークなケーキは、当社で、回転する木製ローラーの上で直火にかけながら手焼きされ、その風味と軽さは、このケーキが200年前に始めた世界への凱旋行進を続けています。