バームクーヘン2 /スイーツ(イギリス・フランス・ベルギー・ドイツ)7 「ザルツウェーデルならいつも食べてますよ」「電車を乗り継ぎ5時間!着きましたザルツヴェーデルです」一番古い店で,横に薄くそぐように切ったバームクーヘンをいただきます.200年前と変わらぬ作り方で直火で焼くバームクーヘン.窯の温度は300℃に達します.しかし,そんなザルツヴェーデルのバームクーヘンですが,かつて存続の危機がありました.東西ドイツの分断です.ザルツヴェーデルは東ドイツ領に組み込まれます----

オリエント急行 スイーツ列車紀行 西欧(NHKBSプレミアム2020年4月初回放送)

“ヨーロッパの歴史あるお菓子から最先端のデザートまで魅惑のスイーツを味わう列車の旅”

より.

 

ケルンのカフェアイゲル(Cafe Eigel)店主「そんなにバームクーヘンが食べたければ,ザルツウェーデルに行くと良いですよ.あの町ならいつも食べてますよ」

https://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2023/11/24/235144

高島礼子さん「いくしかないじゃない!」

 

オリエント急行のラインを外れて,ドイツ北部のザルツウェーデル(Salzwedel)を目指します.

https://www.google.com/search?q=Zug-Wagenkasten+von+K%C3%B6ln+nach+Salzwedel

https://www.google.co.jp/maps/place/ドイツ+〒29410+ザルツヴェーデル



「電車を乗り継ぎ5時間!着きましたザルツヴェーデルです.ちょっと淋しい---」

人口二万三千ほどの町.

https://www.google.com/search?q=Blick+auf+die+Stadt+Salzwedel

https://www.google.com/search?q=+Bahnhof+Salzwedel

ザルツヴェーデルで一番古いバウムクーヘンの店.

https://www.google.com/search?q=First+Salzwedel+Baumkuchen+Factory

 

「巡り会いました」

ドイツを縦断すること約430Km.ようやく見覚えがあるバームクーヘンが.

https://www.google.com/search?q=Erste+Salzwedeler+Baumkuchenfabrik&client=safari&sca_esv

バームクーヘンがギザギザなのは,切り分ける際の目印とするため.

横に薄くそぐように切るのがドイツ流.

https://landurlaub-sachsen-anhalt.de/portfolio/erste-salzwedeler-baumkuchenfabrik/

バームクーヘンシャイベンBaumkuchen Scheibenと言って,縦に切るより口当たりが柔らかくなります.

https://landurlaub-sachsen-anhalt.de/portfolio/erste-salzwedeler-baumkuchenfabrik/

「来た〜.さっそくいただきます」

「しっとり.甘さは控えめです.このシンプルさがすごく美味なんですよ.全然飾り気がない.素材で勝負みたいな,昔からずっとこの味を守り続けてきた味」

 

ザルツウェーデルのバームクーヘンは,イギリス王朝やロシアのロマノフ王朝にも届けられていました.

(放送では何故か触れませんでしたが,1865年ドイツヴィルヘルム1世から「皇室・王室御用達」の命を受けています https://baumkuchen-salzwedel.de/

 

かつて市民の間では,結婚式などお祝い事に欠かせないスイーツでした.

200年以上続くザルツヴェーデルのバームクーヘンは,今では普段のお菓子として根付いています.

来店客「毎月欠かさず食べています.この店が一番美味しいの」

 

ザルツヴェーデルがあるドイツ北東部は,バームクーヘン発祥の地と言われています.

 

では,何故,ケルンなど,ドイツの他の地には広まらなかったのか?その理由がよく分かる現場を見せてもらいます.お店の工房です.

このお店は,ドイツで最も古いバームクーヘンのレシピを所有しています.細かいレシピは極秘.普段は銀行の金庫に保管されています.

https://landurlaub-sachsen-anhalt.de/portfolio/erste-salzwedeler-baumkuchenfabrik/

特別に作業の様子を見せてもらいました.

「熱い.炎が思いっきり来るんで---」

https://www.hna.de/leben/reise/kuchen-baum-1515528.html

案内してくれたのは,ハイケ・ヘニッヒさん.姉と一緒に伝統の店を切り盛りしています.

200年前と変わらぬ作り方.直火で焼くバームクーヘン.窯の温度は300℃に達します.

「菓子職人の誰もが,バームクーヘンを焼けるわかではありません」

もともと,ドイツのマイスター制度の下で作られる特別なお菓子でした.菓子職人になるにはバームクーヘンを作れなくてはいけませんでした.そんな厳しい制約があったため,バームクーヘンはドイツ全土には広がらず,発祥の地に止まったとも言われています.

職人には,独特の型にする技が求められます.

生地は砂糖に小麦粉.卵とバター.分量は秘密.生地を芯に紐状に巻き付けます.これがギザギザした形の元になります.表面がきつね色になったら,すかさず生地をかけていきます.焼いてはかけるの繰り返しです.

「ローラーが回転する際の遠心力も利用してギザギザを成長させます.生地をかける量が多くても少なくてもダメなんです」

直径が大きくなるにつれ,火との距離が近くなり,焦げやすくなります.火加減の調整も難しいのです.

200年前と変わらぬ職人の技が受け継がれています.

 

 

そんなザルツヴェーデルのバームクーヘンですが,かつて存続の危機がありました.

それは,ヘニッヒさんが子供の頃の話です.

 

ヘニッヒさんの父親はバームクーヘン職人でした.当時この店の経営者だったクルーゼ夫婦のもとで働いていました.

そんな工房に,ヘニッヒさんはよく遊びに行っていました.

「私が,工房を覗いて須磨実食いしたりするのを,クルーゼさんはいつも許してくれました.私は,バームクーヘンと共に育ったようなものです.あの頃はいい時代でした」

 

しかし,そんな幸せだった生活が一変します.

東西ドイツの分断です.

第二次大戦後の1949年,自由主義の西ドイツと,社会主義東ドイツに分かれました.ザルツヴェーデルは東ドイツ領に組み込まれます.

 

ある日のこと,店の様子をうかがる人影が.実は,東ドイツ政府が秘密警察を使って儲かる店を調べていたのです.国営化して店の収益を奪おうとしていたのです.

「でも,クルーゼおばさんは『個人の店としてやっていく.東ドイツ政府に店は渡さない』と突っぱねたのです」

すると,あろうことか,経営を担当していた,クルーゼおばさんだけが逮捕され,刑務所に入れられてしまったのです.

「バームクーヘンを勝手に作り,国民の貴重な食料を横取りしたという罪でした.店はその後,政府に強制的に収用されました」

 

政府の管理下に置かれると,レシピまで変えさせられました.

バターの代わりにマーガリン.チョコの代わりにカカオと油を混ぜるなど,およそバームクーヘンとは呼べない物でした.

東ドイツ政府から,『戦時下レシピ』という物が渡され,パン屋など沢山の店で作られ始めました.大量生産された質の悪いバームクーヘンは,外貨獲得のために輸出され,市民の口に入ることが困難になりました.

 

思い通りのバームクーヘンが作れない.そして,市民のもとに届けられない悔しさがつのりました.

「いろんなことを諦めざるをえませんでした.本当につらい時期でした」

二年後にクルーゼおばさんは釈放されましたが,1985のドイツ統一まで,この体勢が続きました.

クルーゼさん夫婦は,ドイツ統一の五年前に亡くなったため,昔ながらのバームクーヘンの復活を見ることは叶わなかったのです.

 

高島さん「すみません」(涙をふいて)「ビックリ.すごいビックリしました.そうか」

 

ヘニッヒさんが,クルーゼさんの下で子供の頃つまみ食いをしていた幸せの時間

「こっち,こっち?いっていい?わお〜」

高島さん,端をつまみ食いさせてもらって---

「あったかい.湯気が出ている」「幸せ!」

 

つらい時代の味を知るからこそ,昔ながらの味を守り抜きたい.お世話になった夫婦への感謝を胸にバームクーヘンを焼き続けていきます.

 

https://www.volksstimme.de/lokal/salzwedel/energiekosten-versechsfacht-auch-baumkuchen-hennig-in-salzwedel-in-gefahr-3443667

 

https://baumkuchen-salzwedel.de/unsere-chronik/

バウムクーヘンの歴史
バウムクーヘンは200年以上前に焼かれたお菓子で、特別な日やお祭りの時に食べられていました。1807年、菓子職人の巨匠ヨハン・アンドレアス・シェルニコフがリューネブルクで美味しいレシピを学び、故郷ザルツヴェーデルに持ち帰りました。ここで、このレシピは改良され、当時のスパイスで味付けされていました。

1865年、ザルツヴェーデルのバウムクーヘン工房は、その功績を認められ、ヴィルヘルム1世から「皇室・王室御用達」に任命されました。
このレシピは代々受け継がれ、現在はザルツヴェーデルのヘンニッヒ家が所有しています。レシピは長い間変わることなく、ヘンニッヒ家は今日でも1807年のレシピに忠実にバウムクーヘンを焼き続けています。 レシピは昔も今も秘伝です。

ドイツ民主共和国時代には、バウムクーヘンは「緊急レシピ」に従って焼かれました。

1990年まで分離していた2つのドイツ国家が再統一された後、当時のレシピの持ち主であったオスカー・ヘニッヒが「第一ザルツヴェーデル・バウムクーヘン工場」を設立しました。
現在、彼の娘であるベッティーナ・ヘンニッヒが会社を経営し、1807年からのレシピに従ってバウムクーヘンを焼いています。 このユニークなケーキは、当社で、回転する木製ローラーの上で直火にかけながら手焼きされ、その風味と軽さは、このケーキが200年前に始めた世界への凱旋行進を続けています。