シュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテ Schwarzwälder Kirschtorte 2 「まさにドイツの代表格」ともいわれているトルテ.しかし,ドイツのどこでこのレシピが生まれたかについては,不明な点が多く残されていて,「名前や初めてのレシピの起源は不明」とするのが公式見解のようです.1934年に初めて文書でレシピが示され,1930年代ドイツ,オーストリア,スイスの主要都市の菓子店で人気に.しかし,ドイツ全国,更には世界にその名が広まるのは1950年代以降になります. 

ウェブ・書籍を頼りにスイーツの歴史を調べるシリーズ30

 

シュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテ Schwarzwälder Kirschtorte 2

 

ドイツ定番のケーキの中でも「まさにドイツの代表格」ともいわれているシュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテ.

1950年以降,ドイツ国内で急速に人気を高め,世界的にもドイツを代表するスイーツとして知られるように.

https://www.google.com/search? Schwarzwälder Kirschtorte

しかし,ドイツのどこでこのレシピが生まれたかについては,不明な点が多く残されているようです.

 

シュヴァルツヴェルダーは,「黒い森」(英語ではBlack Forest gateau/仏語ではGâteau de la Forêt Noire)という意味.

そして,シュヴァルツヴェルダー(英語ではBlack Forest )という地名がドイツにあり,しかもキルシュの名産地であるため,この地域がこのトルテのふるさとで決まり---

https://en.wikipedia.org/wiki/Black_Forest

と思うと,そう簡単ではないようで,「起源は不明」が公式見解のようです.

 

ドイツのケーキを紹介しているドイツ語・英語の二つのサイトの解説は次の通り.

 

ドイツ語のサイト

シュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテSchwarzwälder Kirschtorte

https://blog.musement.com/de/10-deutsche-torten-und-kuchenklassiker/

シュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテはドイツで最も人気のあるトルテで,このクリームケーキの作り方はまさに傑作だ.チョコレート・スポンジ,クリーム,キルシュ,チェリー,チョコレート・クリームで構成される.

このケーキの起源はまだ解明されておらず,さまざまな説がある.そのひとつは,このケーキが「黒い森」のような暗い森を連想させることから,チョコレートを削ったことからこの名前がついたという説である.

 

英語のサイト

ブラックフォレストケーキ Black Forest Cake

https://www.allrecipes.com/gallery/traditional-german-cake-recipes/

ドイツで最も有名なケーキがいつどのようにして生まれたかについては,いくつかの説があり,Black Forest Cake(Schwarzwälder Kirschttorte)がドイツ南部のBlack Forest (Schwarzwälder)で生まれたということさえ証明されていない.

しかし,何世代にもわたってBlack Forest (Schwarzwälder)で伝統的に作られてきたチェリーブランデーのキルシュ(キルシュヴァッサー)が,この層状のケーキの重要な材料であることは間違いない.キルシュはチョコレート・スポンジの上にかけられ,その上にチェリーとたっぷりの生クリームが詰められる.Black Forest Cakeは,作られた翌日の方が味がなじんでおいしい.

 

今日の最後は,ドイツ語版ウィキペディアから.

Schwarzwälder Kirschtorte シュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテ

https://de.wikipedia.org/wiki/Schwarzwälder_Kirschtorte

名称

起源については諸説ある.

トッピングのブラック・チョコレート・フレークが,黒い森のような暗い森を連想させることから,この名前になったのかもしれない.

チェリーブランデーの原料が,主にSchwarzwälderで生産されることから,この名前になった可能性もある.

また,「シュヴァルツヴァルトトルテSchwarzwaldtorte」(黒い森のケーキ)と呼ばれる前身がある可能性もあるが,これはおそらくSchwarzwälderではなくスイスのものだろう.

また,このケーキの名前は,Schwarzwälderのボレンフートと女性の衣装の色に基づいている可能性もある.

歴史

チェリー,生クリーム,キルシュの組み合わせは,19世紀にはすでにSchwarzwälderの南部で知られていたかもしれない.スポンジケーキ,チェリー,ナッツで作られ,しばしばクリームと組み合わされたが,キルシュは使われなかった.

シュヴァーベン地方のリードリンゲン生まれの菓子職人ヨーゼフ・ケラー(1887-1981)は,1915年,旧市街バート・ゴデスベルク(現在はボンの一地区,現存しない)のカフェ・アグナーのために,Schwarzwälder Kirschtorteを考案したと主張している. Schwarzwälderの野外博物館フォクトバウエルンホフに展示されている,ケラーが1927年に書いたレシピには,一般的なものとは対照的に,層は1層のみで,ショートクラスト生地が使われている.

テュービンゲン市の記録保管者ウド・ラウフは,テュービンゲンのカフェ・ヴァルツの菓子職人エルヴィン・ヒルデンブラントを「発明者」として挙げており,その歴史は1930年の春にまで遡る[2].テュービンゲンは,今はSchwarzwälderとは無縁であるが,1818年から1924年までSchwarzwälder地区に属していた.

Schwarzwälder Kirschtorteは,1934年に初めて文書で言及された.そのレシピには,チョコレートの土台はなく,ヘーゼルナッツのショートクリュストの土台にチェリージャムを塗り,キルシュと砂糖をかけたクルミの土台が続く.その上に,バタークリームとチェリークリーム(卵,砂糖,牛乳,ゼラチン,生クリーム,アーモンド,煮詰めたサワーチェリー)を2つのせた.最後に,クルミペーストの土台ですべてを覆った.ドーム型のトップは,今日と同じように,アイシング・シュガーをまぶしたチョコレートを削ったクリームでできている.

1930年代,このケーキはベルリンやドイツ,オーストリア,スイスの主要都市の菓子店で特に人気が出た.それ以前は,クリームケーキを保存するための電気冷蔵庫がほとんどなかったため,クリームケーキを流通させることはほとんど不可能だった.1949年当時,Schwarzwälder Kirschtorteはドイツで13番目に人気のあるケーキに過ぎなかった.

しかしその後,その人気は急速に高まった.ドイツで最も有名で人気のあるケーキであり,ほぼ世界中で認められている.しかし,多くの国では,少なくとも個々の材料が,より地元の材料に置き換えられたり,アルコールが省かれたりしている.

2006年以来,Schwarzwälder Kirschtorteフェスティバルが2年に1度,Schwarzwälderのトットナウ地区トットナウベルクで開催されており,アマチュアとプロが手作りの,Schwarzwälder Kirschtorteを2つのクラスで競い合う. COVID-19の流行により2020年と2022年に開催が中止された後(2021年にはオンラインイベントが開催された),第9回が2023年4月16日に再びトドナウベルクで開催されるのが恒例となっている.