三日続いた雨模様の天気も,今日の午後からは,久しぶりの晴れ間もみえた一日でした.
お店が休みの水曜日.青空につられて鎌倉英勝寺まで梅見&「一月の春」探しに出かけました.
英勝寺山門前の銀杏は,冬の枯れ木立.
イチョウの隣に植えられているクロガネモチ(写真左)は,まだ赤い実をしっかりつけていました.写真右は,途中のお宅の玄関先のソヨゴ(冬青).こちらもモチノキ属の植物になります.
さらにその隣の槙の下の石碑には.「太田道灌邸舊蹟(きゅうせき=旧跡)蹟(跡)」の文字が.
解説の部分冒頭の口語訳( by https://kamakura.press/cal/ota-dokan-kyusekihi/ ):
この場所は、武略と文才を兼ね揃え、恐れ多くも「武蔵野は萱原の野と聞きしかどかかる言葉の花もあるかな」と詠んで天皇も感動された太田道灌(太田持資)の江戸城の築城前の邸宅の跡地です。------
山門(惣門)の横と通用門前の梅の花は,しっかり開花していました.
早咲きの品種なのかもしれませんが,一月にこれだけ咲くのはやや驚き.
境内には,古木から若木まで,沢山の梅の木があるのですが,チラホラ咲いているだけ.それでも一月の開花は早いとは思いますが.
春の木と書いて「ツバキ」と読むのが,日本式の読み方ですが,もともとはセンダン科の落葉高木「香椿 チヤンチン」を意味する漢字.
しかも,日本でも「春の木」というイメージはありませんね.咲いている期間が,余りにも長い気がします.
今の時期の貴重な花ですが.立春の頃も咲いているので「春の木」とみなしたのでしょうか.
「一月の春」をテーマに散策したのですが,梅の花以外はあまりみつからず.
ただ,当たり前の冬の植物ながら,元気をもらえる植物はありました.これらを「一月の春」と認定しようかと思いながら,帰途につきました.
認定一月の春1:一月の緑を独占したかに見える竹.常緑樹の緑は元気さに欠けた冬の色なのに,竹の緑は元気一杯の彩りです.
認定「一月の春」2:白い産毛が春間近を感じさせてくれるコブシ(辛夷)の冬芽.
落葉していきなり花芽かがやける辛夷の木あり我の目の前 石川不二子 野の繭
補足
1. 二つの冬芽
http://www.museum.pref.yamanashi.jp/3nd_niwa/3nd_niwa_0702eventniwa.htm
だいたい,どの木も,よく見ると2種類の冬芽を持っています.ひとつは中から葉(と枝)しか出てこない芽,もうひとつは花も入っている芽です.葉しか入ってない芽は小さく,花も入っていれば大きくなるのが普通なので,見分けができるというわけです.そして,花芽の付き加減を見れば,次の春の花の咲き具合が予測できます.
わかりやすいのが,コブシやモクレンの芽.
大きくて,ふかふかの毛皮コートを着ているようなのが花芽で,小さくて,さっぱりしているのが葉芽です.さわってみると,花芽はとても暖かそうです.
2. 英勝寺縁起
http://kamakura.uniquely.jp/religion/2-eisyoji.html
https://kamakura.press/cal/ota-dokan-kyusekihi/
英勝寺は徳川家康の側室・お勝の方(のちの英勝院*)によって創建されました.お勝の方は徳川将軍の側室として水戸徳川家の基盤も築き上げた人物です.徳川家康の亡き後,お勝の方は出家し「英勝院」と名乗るようになりました.出家から約20年後,英勝院は先祖を供養し,後生を祈るため寺の創建を願いました.寛永13年(1636)に仏殿が完成し,300石の寺領が与えられました.寛永19年(1642)に英勝院が死去したあと,寺領はさらに拡大され祠堂,山門,鐘楼,住職が暮らす姫御殿,その他の施設も整えられました(**).英勝院を慕う三代将軍・徳川家光の配慮によるものでした.
*英勝院は,戸藩の祖,徳川頼房の准母(養母)で,太田道灌の本家の家系である太田康資の娘といわれています.
**英勝寺は,仏殿・山門・鐘楼・祠堂・唐門が国の重要文化財に指定されています.