「古事記」は,序文および上・中・下の3巻よりなる現存最古の歴史書.
植物という観点から見たとき,この古事記に記載されている植物は,文字として残されている最古の花,草,樹木等と言えるでしょう.
“三浦祐介著 口語訳古事記[完全版]文藝春秋”の巻末索引によれば,およそ90種の植物が古事記に記載されています.
最も多く古事記に取り上げられている植物は,何でしょうか?
古事記と同じく最古の記述と考えられる万葉植物;万葉集で詠まれた植物,は約160種といわれています.
最も多く取り上げられているのは萩141種,以下,ウメの118首、さらにマツ79首、タチバナ68首、サクラ50首, アシ50首、スゲ(スガも含む)49首、ススキ(カヤ、オバナなども含む)47首.
日本大百科全書(ニッポニカ)万葉植物(マンヨウショクブツ)とは - コトバンク
古事記にある植物の数,約90は,もちろん万葉集に及びませんが---
上記三浦版口語訳古事記索引によれば,古事記で最も多くの場面で語られてる植物はイネの6.次がアシ・タケの5.
この中で,古事記本文中に最初に登場する植物は,アシ.
神代編の冒頭部,ウマシアシカビヒコヂ,アメノトコタチの二柱の神があらわれる様子が
「泥の中から葦牙(あしかび 葦の芽)のごとく萌えあがってきた」
と形容されています.
この二柱の神は,高天(たかま)の原に4番目,5番目に現れた神.
最初にあらわれる神アメノミナカヌシ,二番目タカムスヒ,三番目カムムスヒとともに,別天(ことあま)つ神と呼ばれています.これらの神々は皆,「いつのまにやら,その身を隠してしまわれた」.
その後の神々,人間とは何もつながってこない!?ギリシャ神話と違って,これらの神が,その後の世界を支配するという記述もなく,忽然といなくなってしまう?
ただし,三浦祐介氏の脚注では,
「神は時が来ると姿を隠してしまうのだが,それは,いわゆる死ではなく,目では確認できない存在になることを意味する」とのこと.それぞれの役割を見えないところで果たしているという事でしょうか.
そして,「泥の中から葦牙(あしかび 葦の芽)のごとく萌えあがってきた」と言う表現から,ウマシアシカビヒコヂの誕生は,「人間の誕生と重ね合わされる」と三浦氏は考えています.
その根拠を脚注で次のように記しています.
▽ ウマシアシカビヒコヂは立派な葦の芽の男神の意.この男神のイメージは『青人草』と呼ばれる人間の誕生と重ねられる.
人間の誕生について,古事記は何も語らないが,後に出てくる「青人草」や「人草」という言葉から考えると,人は「草」であり,土の中から萌え出た草の仲間であると考えていたらしい.
「葦牙(あしかび 葦の芽)のごとく萌えあがる」神から人が生まれる.魅力的な考え方ですね.
以下に,古事記の冒頭部分を“三浦祐介著 口語訳古事記[完全版]文藝春秋”から引用します.この口語版は,新しい研究成果を下敷きに,古老の語りとして訳されたものです.
その後に記載した,“福永武彦翻訳 現代語訳古事記(河出文庫)”と比較して味わって頂けたらと思います.
なお,三浦氏は,上記の考え方「ウマシアシカビヒコヂの誕生は,人間の誕生と重ね合わされる」に基づき,原文にない古老の言葉として「われら人と同じく,土の中から萌え出たお方じゃで,この方が人びとの祖(おや)ということもできるじゃろうかの」を付け加えています.
天(あめ)と地(つち)とがはじめて姿を見せた.その時にの,高天(たかま)の原に成り出た神の御名は,アメノミナカヌシ(天之御中主)じゃ.次にタカムスヒ(高御産巣日),つぎにカムムスヒ(神産巣日)が成り出たのじゃ.
この三柱(みはしら)のお方はみな独り神での,いつのまにやら,その身を隠してしまわれた.
そうよのう,できたばかりの下の国は,土とは言えぬにやわらかくての,椀(まり)に浮かんだ鹿猪(しし)の脂身(あぶらみ)のさまで,海月(くらげ)なしてゆらゆらと漂っておったのじゃが,そのときに,泥の中から葦牙(あしかび 葦の芽)のごとく萌えあがってきたものがあっての,そのあらわれ出たお方を,ウマシアシカビヒコヂと言うのじゃ.
[われら人と同じく,土の中から萌え出たお方じゃで,この方が人びとの祖(おや)ということもできるじゃろうかの.(三浦氏挿入文)]
つぎにアメノトコタチ-----------,この方は天(あめ)に成ったお方じゃ.
この二方(ふたかた)も独り神での,いつの間にやら,すがたを隠してしまわれたのじゃ.
この五柱(いつはしら)の神は,別天(ことあま)つ神と呼ばれておるのじゃ.
宇宙の初め,天(あめ)も地(つち)もいまだ混沌としていた時に,高天原(たかまのはら)と呼ばれる天のいと高いところに,三柱(みはしら)の神が次々と現れた.
初めに,天の中央にあって宇宙を統一する天之御中主神(アメノミナカヌシカミ).および,同じく高御産巣日神(タカムスビノカミ).これらの神々は,みな配偶をもたぬ単独の神で,姿をみせることがなかった.
その後に,天と地とのけじめのつかぬ,形らしい形もないこの地上は,水に脂(あぶら)を浮かべたように漂うばかりで,あたかも海月(くらげ)が水中を流れ流れてゆくように頼りないものであったが,そこに水辺の葦が春先にいっせいに芽ぶいてくるように,萌え上がってゆくものがあった.
この葦の芽のように天に萌え上がったものから,二柱(ふたはしら)の神が生まれた.初めは宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコヂノカミ),うるわしい葦の芽の天を指し登る勢いを示す男性神.
次は天之常立神(アメノコトタチノカミ)で永遠無窮の天そのものを神格化した神である.この二柱の神も配偶のない単独の神で,姿を見せることがなかった.
以上あげた五柱(いつはしら)の神は,地上に成った神とは別であって,これらは天神(あまつかみ)である.